アニメ「忍たま乱太郎」の原作『落第忍者乱太郎』最新巻の55巻では、外部の者も利用できる休憩の場として「辻堂」が登場します。
原作者の尼子騒兵衛先生によれば、この辻堂の描写は、四国や中国地方にみられる「茶堂」を参考にされたそうです。
茶堂とは、集落の入口の道沿いなどに建つ小さな堂で、一面に石仏を祀り、三面は壁を設けず吹き放しとした開放的なつくりになっています。
街道を行く四国遍路や旅人の憩いの場として、また地元の講や念仏行事の場として機能したもので、四国では特に愛媛県から高知県にまたがる四国西南部に多く現存しています。
尼子先生が直接取材された対象の一つは民家博物館「四国村」(香川県高松市)に展示されている茶堂とのことですが、この茶堂は、もともと江戸時代末期の19世紀中頃、愛媛県北宇和郡川上村(現北宇和郡鬼北町)に建てられた茶堂を移築したものです。
つまり伊予の茶堂が、原作のモデルの一つになっているのです。
四国の茶堂の成立は、史料上16世紀末までさかのぼることができます。天正15年(1585)から慶長年間にかけて長宗我部元親が土佐一国を検地した「長宗我部地検帳」という史料の中に「茶屋堂」「茶庵」などの田畑の地名がみえることから、遅くとも中世末期には茶堂が存在していたとされています。
現存する茶堂は、古いものでも江戸時代末に建てられたもので、中世末期当時の茶堂がどのようなものであったかは史料が残っておらず不明です。
しかし、鎌倉時代に作られた絵巻『一遍聖絵』には、伊予桜井や伊予窪寺の場面などで、壁面を吹き放しにし、低い床を張った小屋がいくつか描かれており、茶堂との共通点が多く、茶堂の建築は中世の辻堂を継承するものとみてよい、との指摘もあります(清水重敦・松本将一郎・恵谷浩子「景観構成要素特論」『奈良文化財研究所学報第89冊 四万十川流域文化的景観研究』第4章、2011年)
尼子先生は、こうした茶堂の建築構造を、『乱太郎』の物語世界に取り込んでいるのです。
ちなみにこの茶堂、当館の常設展示室(民俗展示室3)にも展示されています。
原作に描かれている辻堂とよく似ていませんか?
ちなみにこの茶堂、写真撮影は自由にできますが、展示品のため、原作のように床の上でお弁当は食べられませんのでご了承ください。
特別展をごらんになった際は、ぜひこちらもごらんいただき、忍タマたちや当時の歴史に思いを馳せていただければ幸いです。
愛媛忍たま展は9月15日(祝・月)まで。
会期も残すところほんの少しです。お見逃しなきよう!