日めくりプロ野球11月
【11月4日】1979年(昭54) 広島、初の日本一 伝説の「江夏の21球」余話
【広島4−3近鉄】3勝3敗で迎えた日本シリーズ第7戦。雨の大阪球場で近鉄は絶好のサヨナラ、初の日本一のチャンスをつかんだが、あの「江夏の21球」によって、すべて夢に終わった。
球史に残る21球を1球ずつ分析、江夏豊投手の心理などを伝えたものは数多いが“21球を投げた後”はあまり語られていない。
試合終了の午後4時29分から3分後、背番号26の姿はグラウンドになかった。優勝を喜び合うナインから離れ、三塁側ベンチ裏の通路にドカッと座り、肩で息をしていた。無死満塁という最大のピンチから解放されたことで、体中の力が抜けてしまっていたのだ。
そんな江夏に、新聞記者が群がる。「スクイズを外した球は?」「知らん!そんなもん忘れた!」「満塁になった時の気持ちは?」「分からん。もう今年の野球は終わりや。終わり。やっと終わった」…。
矢継ぎ早の質問に、ぶっきら棒に答えるだけの江夏。もう何も聞くな、と言わんばかりに頭(かぶり)を振ると、周囲が驚くような大きなため息をついた。その姿に圧倒された報道陣はそれ以上何も聞けず、足を引きずるようにしてロッカールームに消えていく大きな背中を見送るしかなかった。
後日、江夏は試合終了直後の心境をこう回顧している。「もう79年はマウンドに登らなくてもいいんだ。そう思うと嬉しかった。優勝もピンチを脱したことも嬉しかったけど、試合が終わった直後の率直な気持ちは、日本シリーズが終わって、しばらくの間ボールを投げなくていいことが嬉しいという思いだけだった」。
公式戦と日本シリーズ、合わせて137試合すべてベンチ入りし、58試合9勝5敗24セーブ(日本シリーズは3試合で2セーブ)。プロ13年目、最多登板のシーズンとなった。チームが勝つか負けるか紙一重の場面を任せられるストッパーの仕事は、江夏ほどの投手でも毎日重圧との戦いだった。
球団創立30年目、初の日本一を勝ち取った広島・古葉竹識監督の胴上げを、唇をかみしめて見つめる近鉄・西本幸雄監督。大毎(現ロッテ)、阪急(現オリックス)、そして近鉄…7度目の日本一挑戦もまた“準優勝”に終わった。
「また、みんなにネタを提供してもうたなあ。どうもスクイズの神様に嫌われとるみたいや。アハハハ…」。闘将が力なく番記者の前で笑った。
ネタとは、一死満塁での石渡茂遊撃手のスクイズ失敗の場面。さかのぼること19年前、1960年に西本が大毎を率いて初めて出場した大洋(現横浜)とのシリーズ第2戦。スクイズを試みたが、捕手の前に転がり、本塁だけでなく、一塁もアウトになり併殺。このシーンが一つの分岐点となり、絶対優位と予想された大毎は大洋に4連敗。西本は就任1年目の優勝監督ながら“ラッパ”こと、永田雅一オーナーに解任された…。その悪夢の再来を思わせるスクイズ失敗。19年前も、2球目、そして一死満塁だった。
「でも、選手を責めないでやってくれ。一生懸命やっての失敗やから。もし責められるとしたら、そういう作戦を立て、そういう人選をしたオレが間違ったんや」。
「ストライクは全部振りに行く」。西本の“オヤジ”とそう約束して、無死満塁の場面で打席に入った佐々木恭介外野手は、ベンチの奥で座り込んで頭を抱えたまま動かなかった。2球目の球速のないど真ん中の直球を見逃し、最後にボール気味のカーブを振って三振。悔やみきれない2球目の見逃しだった。
江夏が大きく外へはずしたカーブをバットに当てられず、スクイズを失敗した石渡の目は真っ赤。「みんなにすまない」と、最後まで顔を上げることができなかった。
石渡のスクイズ失敗には伏線があった。端的に言えば、この試合でツキに見放された選手だったのだ。
第6戦に続いて1番打者でスタメン出場。1回、広島先発・山根和夫投手から右前打を放ち、二塁まで進むも同点のホームを踏めなかった。5回、平野光泰中堅手の本塁打で2−2のタイスコアに持ち込み、なおも一死一塁の場面で、ヒットエンドランのサイン。バットは振ったものの、水沼四郎捕手へのファウルフライで流れを断ち切ってしまった。7回には送りバントに失敗。その後に迎えた5打席目だった。
このシリーズ、江夏の球は全くといっていいほど走っていなかった。にもかかわらず、なぜ近鉄はあと1本が出なかったのか。
「結局は江夏という名前に気持ちで負けていたのかもしれない」。石渡はそう振り返る。“顔で抑えた”江夏の13年間に渡って築き上げたキャリアと投球術が最後にものを言った。(07年掲載、一部改変)
1979年11月4日 | 日本シリーズ第7戦 近鉄−広島 | 大阪 | 広島4勝3敗 |
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
広 島 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 4 |
近 鉄 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 |
投 手 | |
広 島 | ○山根(2勝1敗)、福士、S江夏(2S)−水沼 |
近 鉄 | 鈴木、●柳田(2敗)、山口−有田修、梨田 |
本塁打 | 水沼1号(広)平野1号(巨) |
三塁打 | |
二塁打 | 高橋慶(広) |
広 島 10安打10三振1四死球 0盗塁1失策6残塁 | |
近 鉄 9安打5三振3四死球 4盗塁1失策7残塁 | |
球審・前川 試合時間3時間29分 有料入場者数2万4376人 ※広島初の日本一 MVP=広島・高橋慶彦遊撃手 |
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