医療過誤
- 1 名前:事の起こり:2009/05/07(木) 5:52
- 平成21年4月28日
私の父が、入院していた病院で4月10日に『誤えん性肺炎』を発病し、容態も悪く、兵庫県西宮市山口町にある『TK病院』に夜ですが、私達家族に容態が良くならないと言う理由で、入院先の『A病院』より転院しました。
肺炎はことのほか重篤で、血液の酸素飽和度も、通常よりかなり低く、70台後半?80台後半の間を、上下していました。
有馬病院では、まともな治療を受けられる設備や技量が無いと判断したので、医師に治療要求をしたのですが、医師は転院しかないとの説明で、夜になりましたが治療可能なTK病院への紹介を受けて向かいました。
TK病院に到着し、処置室で痰の吸引を実施し、酸素吸入を併せて行った結果、酸素飽和度が90台に回復し、小康状態になりましたが、まだ予断を許せない状態には違いありませんでした。
父の意識は、かなり低迷しており混濁状態で、自分で喉の痰を吐き出す力がなく、看護師に吸引をして貰うしか方法はありませんでした。
医師も、看護師には吸引を指示しており、心電図モニターも胸に発信器を装着していました。
酸素飽和度が低い為、脈拍数も多くなり100を超えていました。
医師との話しで、万が一の事があった場合には『延命措置』はしない事を御願いし、家族が病院に到着するまでの措置だけを頼みました。
暫く様子を見て、母がまだ退院したばかりでしたので、看護師さんに父の事を御願いして、翌日に母を連れて来るからねと父に言って、私は母の待つ自宅へ帰りました。
- 2 名前:医療事故発生:2009/05/07(木) 6:40
- 平成21年4月29日
自宅を10時過ぎに、母を車に乗せてTK病院に走らせました。
午前10時50分頃、車は病院駐車場に入り、玄関より病院に入りました。
母には、昨日の痰の吸引と酸素吸入の効果が期待できるから、少しは顔色も良くなっていたらいいねと話しながら、エレベーターに乗りました。
母は、ナースステーションに挨拶したいと言い、エレベーターを降りたら前にあるナースステーションを覗きましたが、看護師は不在で誰も居ませんでした。
私達は、そのまま病室に向かい、途中の病室の前で2人の看護師が何かを喋っているのを見て、軽く会釈して『こんにちは』と声を掛けましたが、看護師は話しに夢中で気付かない様で、そのまま病室に入りました。
病室に入った瞬間、父の様子が異様な状態になっており、酸素マスクが外れて、病衣がはだけて、顔色や体の色が『真っ白』になっており、顔を左に向けていました。
左目には、涙の流れた跡があり、右目の目頭にはまだ涙が残っていました。
慌てて、呼吸の確認と脈拍の確認をしましたが、既に心肺停止状態になっており、私が病室から飛び出して看護師に『何看護してるんや!心肺停止してるやろ!』と大声で看護師を怒鳴りました。
看護師は、一瞬『えっ?』と言う顔をして、慌てて病室に駆け込み、心肺停止を確認し、直ぐに当直医を呼ぶ為に1人がナースステーションに走り、1人は痰の吸引をしました。
かなりの量の痰が吸引され、蘇生の為の心臓マッサージを開始しました。
数分後に、当直医(後に病院理事長と判明)が病室に来て、蘇生措置を開始しましたが、素人が見ても心肺停止してかなりの時間経過がある事は判りました。
蘇生措置をしている間、私は1階の受付に向かい、受付に居た男性職員に『看護ミスで、今私の父が心肺停止になっているから、病院の責任者を直ぐに呼べ!』と言いました。
しかし、男性職員は必要無いと、又、治療が終わるまで呼べないと言い出し、連絡をする事を拒否していました。
挙げ句の果ては、休日だから連絡できないと言い訳する始末で、私は『緊急連絡網があるやろ!嘘言うな!直ぐに呼べ!』と言って、2階の病室に向かいました。
すると、その男性職員が病室に来るではありませんか!
私は『連絡できたんか?』と聞いたら、
男性職員は『治療が先で、連絡するのは治療が終わってから』と更に言い出す始末で、私はキレて胸ぐらを掴み、『我!舐めとんのか!』と言うと、『警察を呼びますよ』と言うので、私は『呼べ!警察を今すぐに呼べ!』と怒鳴り、突飛ばしました。
数分後、私は再度1階受付に行き『警察を呼んだんか?早よ呼べや!』と要求しましたが、呼ぶ必要ないと更に連絡拒否をしました。
私は外に出て、西宮警察署に直接連絡して、理由を話し、このままだと男性職員を殴るかもしれないと言うと西宮警察署のパトカーが即呼ばれて来ました。
来たパトカーの警察官に、父の状態と男性職員の連絡拒否を説明したら、警察官は西宮警察署の刑事課に連絡して指示を仰ぎ、捜査員が病院に向かうからと言う事を聞きました。
- 3 名前:医療事故発生 2:2009/05/07(木) 7:09
- 連絡を受けた捜査員が、6名病院に到着し、直ぐにナースステーションに乗り込み、家族から警察に医療事故があったと連絡があり、これから警察が捜査をする事を伝え、当時の看護体制や今の患者の容態を確認していました。
病院は、看護ミスで心肺停止したパニック、心肺停止を家族が発見した事によるパニック、事件として警察が予想外に乗り込んできた事でのパニックでかなり混乱していました。
病室では、心肺蘇生を試みて、心臓は自力で動き出したのですが、呼吸は自発呼吸が不可能な状態で俗に言う『植物状態』となりました。
看護師も、父の心肺停止を家族が発見するまで、気付かなかったと証言しており、更に心電図モニターの異常発生時に鳴る警報やモニター音を最小限にまで下げており、
ナースステーションを出たら聞こえない事を警察官に認め、更に病院副院長も看護にミスがあったと認めていました。
カルテ、レントゲン写真を捜査員が警察に持ち帰り、医療事故としての本格的な捜査に着手しました。
その当時の父は、意識は全くなく、痛みに対する反応もありませんでした。
当日の夜に判明したのですが、心電図モニターからの記録をプリントアウトし、父の呼吸停止が午前10時30分に記録されていて、発見される迄には20分は時間があった事が証明されました。
その記録を私が見たのは、翌日の4月30日になります。
見た私は、即刑事課に連絡し、時間経過がプリントアウトされた事を伝えると、刑事課から病院に連絡があり、カルテに張り付けする指示がありました。
その後、刑事課の担当捜査員より携帯電話に電話があり、家族の方には辛い内容ですが、『事件ですので、司法解剖を承諾して下さい』と言われ、司法解剖は必要だと知っていましたので承諾しました。
父の容態は、かなり危険な状態で、予断を許してはくれない状態でした。
- 4 名前:医療事故発生 3:2009/05/12(火) 6:51
- 救命と蘇生措置を、当該病院の院長である『OO医師』がしており、人工呼吸器を気管挿官して自発呼吸が無い為に実施しました。
捜査員は、担当していた看護師をバラバラにし、事故発生当時の状態、心電図モニターの状態、何を話していたのかを事情聴取し、全く気付いていなかった事がわかりました。
モニターの警報も、ボリュームを最低にしており、ナースステーションを一歩出たら、外では聞こえない状態で、ナースステーションに居て異変が判る状態でした。
呼吸停止午前10時30分心停止が午前10時36分発見が午前10時50分過
呼吸停止は、心電図モニターの記録で証明されており、心停止時間も同じく記録されていました。
病院の対応は、当日から副院長の西川医師が、説明をしていましたが、私達の質問に回答できる状態ではありませんでした。
捜査員も、カルテを即提出させ、コピーを録り、カルテ改竄を防ぎ、午前8時30分に最後の痰の吸引をしてから、病室に誰も入っていない事も確認されました。
夕方まで、看護師に対する事情聴取や副院長への事情聴取、院長への事情聴取をしており、捜査員は私に病院側が手落ちを認めた事を教えてくれました。
午後8時事頃に、母が体調も悪くなりかけたので、一旦帰宅する事にし、母を載せて自宅に帰りました。
車の中で、父親の状態から判断したら、今夜か明日がと言うのが私達にも判っていましたが、病室に詰めるにも母の体力的な問題があり、後ろ髪を引かれる想いでの帰宅でした。
当時の父親の状態は、意識はなく、痛みに対する反応もありませんでした。
確かに、アルツハイマー病と認知症を患っていましたが、呼吸停止してからの約20分、心停止してからの約15分以上の酸素不足が、脳に絶望的なダメージを与えた事は事実です。
蘇生してからの血圧も、上が50台で、下が20後半と言う危険レベルでした。状態では、生かされていると言うのが、的確な表現になります。
- 5 名前:医療事故発生 4:2009/05/13(水) 7:59
- 平成21年4月30日
午前9時過ぎに、母を乗せて病院に向かいました。
山道を登り、西宮北有料道路を走り、約40分で病院の駐車場に到着し、病室に向かいました。
病室には、人口呼吸器を装着した父親が、意識も無い状態で横たわっており、私は額に手を乗せながら父親に話し掛けました。
『必ず!真相を明らかにして、敵討ちをしてやるからな!』と、意識の無い父親に約束しました。
容態は変わらず、危篤状態であって、回復の見込みはありませんでした。
病院に着いて、少ししてから西宮警察署の捜査員から私の携帯電話に電話があり、
『お父さんが、亡くなったら司法解剖を死因特定の為に実施したいので、御家族には辛いと思いますが、承諾を頂きたいのです。』
と、司法解剖の承諾依頼がありました。
私は、事件として立件して欲しいと言う強い気持ちがありましたから、亡くなってから体にメスを入れる事に戸惑いはありましたが、捜査員に司法解剖を承諾する旨を言いました。
病室では、母が父親のベッドの横に椅子を出して座りながら、額や左手をさすっている姿を見たら、涙が出なく、怒りが更に込み上げてきました。
医療事故でも、看護師の基本的なミスが父親の命を奪ってしまう…
一番苦しい
『窒息死』
と言う状態で、意識不明になったのは事実です。
心電図モニターの、エマージェンシーコールのボリュームが、最低レベルに落とされていた事、ナースステーションに居ないと聞こえない事、ナースステーションに誰も最低30分は居なかった事が父親の命を奪う原因となりました。
夕方になり、やはり母の体調と体力的な理由で、一旦自宅に帰る事にしました。
- 6 名前:緊急連絡:2009/05/13(水) 9:06
- 平成21年4月30日
午後9時58分
病院より、血圧の更に低下と脈拍数の低下がみられ、かなり危険な状態になったと連絡がありました。
車を駐車場に取りにいき、母を乗せたのは10分後で、病院には10時30分に到着しました。
病院に着く前に、一旦心停止になり、家族到着まではと強心剤を投与し、心臓マッサージをしたそうです。父は、最後の力を振り絞っているのが、私や母に伝わってきました。
意識が無いのに、うっすらと涙を浮かべていて、死にたくないのも伝わってきました。
私は院長と副院長に、看護ミスをした看護師を直ぐに呼べ!
親父が死ぬ前に、きちんと謝罪させろ!
と要求しましたが、院長は当該看護師の状態を把握してないのに、勤務が終わったばかりで連絡が取れるかわからない等の言い訳でした。
しかし、一名は勤務中であり、一名は日勤が終わって自宅に居ました。
勤務中の看護師は、即座に呼ばれ、私の前に立つと謝罪をするのではなく、言い訳をし出しました。
一瞬、殺したろかと思わせる程の態度で、思わず『叩き殺すぞ!』と叫んだ位です。
後から来た看護師は、主任看護師で、私の前に立つと深々と頭を下げ、『申し訳ありませんでした、事故は私達のミスで発生しています。御詫びのしようもありません。』
と言いながら、涙を流していました。
私より、父親と中の母に謝ってくれ!と後の看護師には言いました。
先の看護師には、病室には入るな!と強く拒否しました。
午後11時過ぎに、心停止になり最後の強心剤が投与され、心臓マッサージをしましたが
午後11時26分
70才の生涯を、病院の医療ミスによって閉じる事となりました。
警察からの指示で、西宮警察署に父の死亡を伝えると、西宮警察署より3名の当直捜査員が搬送車で向かうとの事で、遺体の呼吸器のチューブやドレーンを抜く事は許可され、点滴チューブも父の体から外されました。
額や指先から、徐々に体温が無くなってきて、少しずつ冷たくなってきていました。
私は、副院長に裏から父を出す事は許さないと言い、警察の搬送車も正面に着けてもらい、父を正面より出す要求をしました。
日にちも変わり
5月1日
午前0時30分
警察署から捜査員が到着し、まず父の状態を確認してから、捜査に必要なレントゲン写真やカルテ(原簿)を提出させ、検死の為に父の遺体と西宮警察署に搬送車に乗せました。
当然、父の遺体を乗せる為に警察車両を正面に回し、父を正面から出しました。
出発する時、捜査員には警察署まで後を付いて走ると伝え、西宮警察署まで後を付いて走りました。
西宮警察署の駐車場に到着し、捜査員は1日の午前中に兵庫医科大学病院の法医学部で司法解剖があるので、昼頃に法医学部の家族控え室で説明があると言われました。
警察車両の外から、父には敵討ちをする為に司法解剖をするけど、死んでからメスを入れるけどごめんねと謝り、母と自宅に帰りました。
- 7 名前:司法解剖:2009/05/13(水) 18:41
- 平成21年5月1日
昼頃に兵庫医科大学病院にある、法医学部の司法解剖室隣の家族控え室に到着。既に、司法解剖は9時から始まっており、捜査員が到着を知り、説明に訪れました。
その時に、司法解剖に検察官が立ち会いをしており、異例の体制での司法解剖である事を説明されました。
死体検案書には、
『気管から気管支に大量の痰が詰まっている』
との所見があり、備考欄には
『心肺停止状態を発見され、一旦蘇生したが、その後死亡した』
と記載されていました。
捜査員も、痰が詰まった事での『窒息死』が起因で、蘇生をしたのは関係ないから、死亡原因をきちんと特定して
『業務上過失致死罪』
として、立件できるように頑張りますから、時間を下さいね!と、私と母に言ってくれました。
葬儀屋には、午前中に連絡をしていましたので、司法解剖室の家族控え室に時間通りに来てくれ、搬送車を準備し、司法解剖室に父を入れる棺桶を持ち込みしました。
今は、兵庫医科大学病院では、搬送車に乗せる時点で棺桶に入れてないと出す事が出来ません。
斎場と火葬場の予約の関係で、葬儀屋で御通夜の日まで冷凍室での預かりをお願いし、自宅に帰る事になり、搬送車に母が乗り込んで同行し、後を私が車で追従する形になりました。
搬送車が葬儀屋に到着し、明後日の御通夜まで会えないので、最後に顔を見て葬儀屋さんに、護り刀として生前大切にしていたナイフを棺桶の中に入れてもらい、出棺の時に出す事にしました。
斎場は、自宅の近くにある『斎場』
を葬儀屋さんが、予約して下さり
5月3日に御通夜
5月4日に葬儀
と言う段取りになりました。
- 8 名前:死体検案書:2009/05/13(水) 21:14
- 見たくないかもしれませんが、真実を証明する為に敢えて公開します。
添付1 転送不可画像(PC表示不可)
- 9 名前:カルテ 3:2009/05/13(水) 22:28
- 転送不可画像(PC表示不可)
午前10時36分
心電図モニターが、心臓停止を受信した記録。
- 10 名前:カルテ 4:2009/05/13(水) 22:58
- 午前8時30分
事故発生前に、痰の吸引をした後、家族によりCPA(心肺停止状態)を私と母が発見した事を認める記録。
記載の時刻は
午前10時50分となっているが、それ以降の時間が正解である。
記憶では、55分あたりである。
車が駐車場に入ったのが、50分位で、タバコを吸ってから院内に入った。
添付1 転送不可画像(PC表示不可)
- 11 名前:医療事故の後:2009/05/14(木) 4:12
- 今迄は、医療事故の発生と発見を書いて来ました。
誰も、亡くなった父親の体にメスを入れて、更に辛い思いをさせたいとは…
母も、自宅で介護をしていて、介護で過労状態になっての入院をしたので、有馬病院に人道的に頼んで入院させた事が、父親の死に繋がったと考えてしまい、自律神経が変調をきたしています。
体温調整が、上手くできない状態で、寒いのに汗をだしたり、暑いのに手足が冷たくなり、寝る時に電気アンカを使ったりと体調がおかしくなっています。
私も、あの発見した時の父親の姿が頭に焼き付いていて、悲しみより『怒り』が強く込み上げてきます。
睡眠障害、胃腸の変調と体に影響が出ており、かなり不調な状態です。
今回の事故は、医療でも基本的な『看護』と言う事が出来ていなかったのが原因で、専門的な医療知識は必要ないのが救いです。
事故が、実際に発生してからの対応を素早くしたのが、病院側の隠蔽やカルテ改竄を未然に防いだと捜査員や知り合いの弁護士に言われました。
今は、年間に医療過誤やミスで命を落とす方、障害が残る方を含めて2000件の事故が全国で発生しているそうです。
大都市の裁判所でも、医療過誤専門の部署を設けている時代で、神戸地方裁判所にはありませんが、大阪地方裁判所には民事19部と20部が医療過誤専門になっています。
医療過誤は、カルテや証拠が全て病院に押さえられているのがネックで、改竄されても証明がかなり困難なのが現実です。
- 12 名前:事故の後―御通夜:2009/05/15(金) 9:25
- 司法解剖の後、斎場の空き状態の為に、葬儀屋さんに父親を預かって貰っていました。
平成21年5月3日
午後からの予約で、斎場が利用可能となったので、御通夜の為に準備をしました。
午後3時30分に、祭壇も準備完了し、葬儀屋さんが父親の遺体を寝台車で搬送してくれ、祭壇に安置しました。
司法解剖されているので、頭も開けて確認されていますから包帯で傷口を隠されており、顔の正面しか見る事ができませんでした。
胸に合わせた手に、生前使っていた数珠を巻き、胸の上には魔除けのナイフを乗せていました。
父親の顔は、微かに微笑んでいる様にしてあり、遺族に配慮した事がよく判りました。
母と2人で、父親の遺体に『お疲れ様でした、今日はお父さんの御通夜だから、しっかりとお題目を聞いて下さいね。』
と、2人で誰も居ない会場で返事の無い父親に語り掛けていました。
時間も夕方の5時過ぎ、菩提寺の住職と御弟子さんの2人が到着され、時間待ちと言う状態になりました。『正義院保徳信士』
これが、父親に着けて頂いた戒名です。
菩提寺が、創価学会の違法な差し押さえで、最も大切な過去帳を裁判所に持って行かれた時、
私と父親が裁判所に乗り込み、過去帳は創価学会とは関係なく、私達信徒の先祖代々の供養の為の物だから、創価学会が学会の財産として差し押さえをするのは違法行為になる!と執行官に裁判所で詰め寄り、執行官が慌てて菩提寺に返還した事がありました。
それを、住職が法華経を守ったとして、
感謝の意味を込めて『正義院保徳信士』と言う戒名を着けさせてもらいましたと聞きました。
予定時間になり、御通夜が始まりました。
住職と御弟子さんの読経、厳かに且つ朗々と父親の為に読み上げられ、親族と参列者の焼香が無事に終わりました。
住職も御弟子さんも、父親の死亡理由を聞いた時、僧侶ではあるが怒りを顕にしていました。
普通なら人間として、時間外でも御通夜に病院関係者が来ても不思議ではありませんが、結局は誰も参列や御参りはありませんでした。
御通夜に来てくれた、私の友人と従姉妹夫婦を食事に連れて行き、食事をしながら色々な話しをしていました。
夜9時に解散して、翌日の葬儀にも来てくれると…
葬儀は、家族葬と言う形式をしていました。
- 13 名前:事故の後―葬儀:2009/05/15(金) 10:22
- 平成21年5月4日
昨夜から、眠れない時間を過ごしていて、室内では禁煙になっているので、入口の外にある喫煙所でタバコを吸いながら、色々な事を思い出したりしていました。
でも、あの父親の29日の姿が思い出され、誰も居ない夜中の斎場で涙が流れ、泣いても仕方がないのですが、声を殺して泣いていました。
空が、東の方から明るくなってきて、いよいよ葬儀の朝になったんだなと実感が湧いてきました。
朝食を食べ、葬儀の準備をしていた時に、従姉妹夫婦も来てくれ、葬儀の時間が迫りました。
午前10時
父親の葬儀が始まり、頭では医療事故で亡くなったのは判っていますが、気持ち的には亡くなったと思いたくありませんでした。
読経の中、親族から焼香をし、無事に葬儀も終了し、いよいよ御別れの時間になりました。
棺桶を開けて、シキミを沢山入れ、好きだったお酒をシキミで口に入れてあげ、残りを御棺の布団にかけてあげました。
住職は、一足早く火葬場に迎え入れの準備の為に向かいました。
午前11時
斎場から、父親の棺桶を寝台車に乗せて、位牌を母が持ち寝台車に同乗し、遺影を私が持ち、友人の運転する車で後に続きました。
約5分で、斎場から火葬場に到着して、火葬場職員が特殊な台車に棺桶を乗せ、釜口に後に続き向かいました。
住職は、釜口で待っていて下さり、父親に最後の読経が始まりました。
読経の中、父親の棺桶は中にゆっくりと入って行きました。
2時間後、待合室で待っていると、係員が『お骨あげの準備が整いました。』と案内しに来ました。
釜口に案内され、ドアが開けられ、中から父親のお骨が台車によって引き出されました。
足から順番に、長箸でお骨あげをし、改めて父親が亡くなったんだと…
お骨あげをしながら、病院に対する怒りが更に込み上げて来て、改めて父親のお骨に仇打ちをする事を誓いました。
その後、再度斎場に戻り、初七日の法要を行い、斎場を後にしました。
お骨になった父親を、車に乗せて、近所の思い出の場所を回り、自宅に帰りました。
自宅に着き、玄関から入る時、『お父さん、お帰りなさい』と声をかけて入りました。
小さくなって、帰ってきた父親…
医療過誤は、絶対にあってはならない事です!
- 14 名前:その後の経過:2009/05/15(金) 21:13
- 5月11日(月曜日)
医療事故から、2週間になりますが、病院からの誠意のある対応がなく、医師会にも報告がされていませんでした。
西宮市医師会に、医療事故で父を亡くした事、病院の対応に誠意が無い事への苦情と、報告がされているかを問い合わせしました。
当該の病院からは、医療事故発生の報告すらなく、全く何を考えているのかわかりませんでした。
この日は、医療事故を扱う弁護士に相談しましたが、病院と契約している顧問弁護士が居るはずだから、何故に対応しないのかが判らないと言っており、私もその意見と同じ気持ちでした。
弁護士は、私が電話して攻めても良いと言ったので、病院に電話し、何故、決裁権の無い副院長が交渉の窓口になっているのか、責任ある立場の者が何故出て来ないのかと詰問しました。副院長は、早急に経営側に連絡し対処しますと約束をしました。
夜8時前に、事務長の『上谷』と名乗る人物より電話があり、先程、副院長より詳しい内容を聞いたと言い訳にもならない理由と、骨折で入院中と言う言い訳でした。
5月8日に、顧問弁護士に相談し、弁護士が刑事事件の成り行きを待って、様子をみると言ったと副院長が今日、こちらから連絡するまで伝えて来ない、本当に事故をして、患者の命を亡くした事をどう考えているのかと詰問しました。
更に言い訳が、カルテが警察にあった為に対応できなかった、カルテが土曜日に警察から返還されたので、と言う言い訳…
全く、患者の命を病院の体制と看護師の職務怠慢で亡くしたと言う自覚がありません。
副院長は、当日の警察の捜査で状況は認識しており、上層部が知らなかったと言う事はあり得ません。
少なくとも、5月8日の金曜日に顧問弁護士に相談した時点で、十分知り得たはずです。
- 15 名前:その後の経過 2:2009/05/15(金) 21:41
- 5月13日
父の二七日(ふたなのか)の法要を菩提寺で行いました。
住職の御経に、母は声を詰まらせて、ただ経本を目で追うのが精一杯で、精神的に疲れているのが判る程でした。
法要は、午前中に終わりました。
午後8時過ぎに、再度上谷事務長より電話があり、医師会と弁護士に渡す書類を今週中に作成します。
弁護士とは、早急に協議して慰謝料の額を相談しますから、回答を来週まで待って欲しいと言ってきました。
しかし、その話は信用に値しないので、此方も争う準備をしなければなりません。
- 16 名前:その後の経過 3:2009/05/15(金) 22:05
- 5月15日
西宮市医師会に連絡し、事情を聞く順番が、どちらが先かを聞いたら、病院に先に聞くと言うので、私は反対しました。
のらりくらりとする病院ですから、どんな嘘や事情を歪曲する可能性があると言うと、医師会の理事会に伝えてみますと言う事でした。
夕方の5時前に、医師会より再度連絡があって、5月22日午後8時30分より健康開発センターの会議室で、医師会の理事会に対する事情説明をする事になりました。
今日の時点では、病院側からの電話や接触は13日が最後で、来週の回答を待つしかありません。
本来、医療事故や医療過誤が発生した場合は、速やかに遅滞なく報告する義務があるそうです。
しかし病院は、医師会への報告もしておらず、医師会では此も問題になるそうです。
慰謝料の提示金額が、此方が納得する金額かどうかで裁判になるかが決まります。
裁判と同時に、一斉に報道機関には発表しようと思っています。
- 17 名前:その後の経過 4:2009/05/25(日) 20:16
- 5月17日
TK病院の、理事兼副院長のkと言う人物より携帯に朝電話がありました。
病院で、話しをしたいと言う事でした。
病院に行くと、やはり、のらりくらりと話しをしだし、無用な延命措置を望まないと言う言葉で、病院側には過失は全くないと言う事を言い出しました。
私は、無用な延命措置として、植物状態になっている状態で、機械で生かされている様な延命措置はいらないが、治療は目一杯して欲しい!と入院当日の担当医には言っています。
それに対して、担当医は説明も私には何もしていません。
最後には、HPで病院名を一方的に公開した事を『名誉毀損罪』で私が民事裁判を病院相手にしたら、告訴する!と脅し文句まで理事兼副院長が言う始末です。挙げ句の果て、長時間ナースセンターを無人にする事は当たり前で、今の医療では過失にもならない、法律にも規定されていないと強気の発言です。
心電図モニターも、無用な延命措置を必要としない患者には装着するかも医師の自由で、過失が無い以上は話し合いの必要はない!と常識的にも外れた発言のオンパレードでした。
私は、名誉毀損罪で告訴された方が、逆にTK病院の過失やいい加減な対応を裁判所の法廷の中で、遺族として又、被告人として堂々と発言できます。
私が逮捕された場合、母親と友人から一斉に報道機関に連絡が入り、裁判中で何故に公開したかを証言し、報道機関にも知らせる手筈は整っています。
病院側が、名誉毀損罪を出してくるのは、計算済みです。
父親の命を、看護師の不注意によって奪われたのですから、遺族としては絶対に許す事は出来ません!
- 18 名前:その後の経過 5:2009/05/25(日) 20:36
- 5月22日
午後8時30分
西宮医師会
3名の医師会理事と、今回の事故の件で面会しました。
経過説明、カルテ、死体検案書を全て見せました。
TK病院からは、医師会に話し合いを『丸投げ』していたそうで、17日の理事兼副院長のした行為と、過失が全くないと言い切った事に対して、医師会としては理解できない無謀な行為だと言っていました。理事兼副院長が、私に言った内容で過失が全くないと言うのは、如何なものでしょうかと医師会の理事が言っていました。
ナースセンターを、無人にする事はあっても、長時間は絶対にあり得ない事、事故が発生した事自体が病院としては絶対に有ってはならない事を言っていました。
医師会としても、今回の「看護事故」は通常ではあり得ない事故で、注意義務を怠ったために発生したと言っても間違い無いと言っていました。
医師会の理事には、私を名誉毀損で告訴したら「法廷」で何故したのかを堂々と記者の前で証言できるので待ってますよと、言いましたら理事は顔を見合わせていました。
- 19 名前:その後の経過 6:2009/09/13(日) 13:23
- その後は、此方も弁護士選任等に忙しく動いており、更新ができませんでした。
母も、父の窒息死をした「姿」を目の当たりにしたショックで「自律神経」が不調をきたしており、体温の自己調整がうまくできなくなり、急に油汗をかいたりめまいを起したりとおかしくなっています。
弁護士は、TK病院に対して「受任通知」を送り、私と母の代理人として今後の交渉は弁護士に委任された事を通知しました。
病院も弁護士を出してきて、「事故の責任は無い」と書いてきている反面、示談の可能な慰謝料の額の提示を求めてきたり、関係各所と協議をして「調整」をしたいと書いてきています。
相手の言い訳は、「退院があり・看護士に人数が少なかった」とあり、看護体制に不備があったことの上塗りとしか解釈できない内容でした。
何処から聞きつけたのか、新聞記者が自宅に聞き込みに来ました。
敢えて、A新聞としますが(朝日ではありませんので)父親の看護事故を聞いたらしく、状況の詳細を教えて欲しいと直接来ました。
私は、時期がくれば全ての記録(カルテ・会話の録音・病院の理事兼副院長の脅迫文言の録音)を全て公開する約束をしました。
その記者は、医療事故の取材の経験もあり、知っている過去の事例でも「こんなに無責任な事例は知りません!」と怒りを顕にしていました。
録音も、かなり鮮明な会話が記録されており、個人の特定も可能なクリアーな音声が入っており、記者にも一部を聞かせました。
取材の継続を、上司に進言したいので死体検案書のコピーがあれば欲しいというので、一枚あるコピーを進呈しました。
取材も2時間に及び、他社の新聞には情報は与えないで欲しいと頼まれました。
今は、地方裁判所にも医療事故専門の裁判をする公判部が設置されるほどに件数が増えているそうです。
記者の話では、情報のリーク元がTK病院内部のようでした。
患者なのか、関係者なのかは教えてくれませんでしたが、事故を知る人物には間違いありません。
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