私たち日本人の食膳に欠かせないのがご飯。そのご飯を食べるための道具が茶碗とお箸です。ただし、お箸が本格的に食膳で使われるようになったのは8世紀の奈良時代からと言われています。それでは本格的な米作りが伝わった弥生時代には、人々は箸にかわる何で食事を摂っていたのでしょう。一般には手食、つまり手づかみであったと言われています。でも、炊き立てのアツアツのご飯が大好きな私には、これはちょっと辛いかもしれません。 青谷上寺地遺跡からは、100点以上の木製匙が出土しています。その形は中華料理に使う「レンゲ」に似ていますが、大きさはさまざまで、長さが40㎝以上もある杓子と呼ぶのがふさわしいものもあります。匙の歴史は縄文時代に遡り、福部村の栗谷遺跡ではドングリを蓄えた貯蔵穴から匙が見つかっています。これなどは大きさも大きいことから、食事に使ったというよりドングリなどの取り分けにつかったものと考えられます。これに対して青谷上寺地遺跡では20㎝以下の手頃なサイズも数多く見られ、あまり装飾を施さない薄手の造りは、使い心地も良さそうです。使い減りした痕跡もあることから、日常的ではなかったかもしれませんが、弥生時代の食卓には匙が置かれることもあったようです。ティースプーンのような小さな匙を見ると、弥生人のお母さんが赤ちゃんに離乳食を食べさせる微笑ましい姿をつい想像してしまいます。
(鳥取県教育委員会 中原 斉) |