■レディー・ガガも魔女だった!?
魔女といえば、童話の魔法使いや中世の魔女狩りのことが思い出されるが、本書にはそういうことはほぼ書いていない。
「魔女」の定義が違っている。19世紀末に、「明るく広く、まっすぐな表通り」に対する「暗く、細く、曲がりくねった裏通り」の“魅力”のようなものが見いだされた。その「暗く曲がりくねった世界」のものとしての「魔女」だ。宗教的、政治的な抗争によって魔女の地位に追いやられるのではなく、文化的、芸術的、風俗的な現象として現れる魔女。
いる、いる。19世紀末から発生した、「イカス」ところである「魔女」。歴代のそういう「魔女」の皆さんの傾向を固有名詞をあげて紹介されている。フィクションの世界の有名魔女から、ホンマもんの芸術的な魔女までずらりと並びます。濃い!
美しい写真つきで「シモーヌ・ド・ボーヴォワール」を魔女の一員と紹介されると、わけもなく「魔女様!」とひれふしたくなる。もちろん、ボーヴォワールには「フェミニズムが点火され、魔女が目覚める」という、人に威張れる背景があり、この系譜の新魔女はヒッピー系やニューエイジ系で大物小物とりまぜてたくさん登場する。著者によれば、『飛ぶのが怖い』で人気作家となったエリカ・ジョングも新魔女で、この小説は空飛ぶ魔女になることを書いた魔女小説なのだ。
お堅いのばかりではなく、レディー・ガガらロックやパンク周辺に現れる魔女から、ゴスロリ少女にまで「魔女観」が広がっていく。そうなると多少俗っぽくて魔女も安くなってくるのだが、その安さは「魔女が魔女裁判によって処刑されること」などない現代の幸せな風景なのであろう。
巻末の「新魔女」に関連する「人やものや現象」について書かれた100の小文によれば、AKB48は「いかなる場所にもあらわれることができる小さな魔女」である。その直後に紹介されたきゃりーぱみゅぱみゅは「一緒にすんな!」って言いそうですが。