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水が流れる音がどろどろと暗闇の奥から鳴り響き、おれの足元を人工の川が流れてゆく。下水道という言葉から予想していたよりは、悪臭や汚水も遥かに少なかった。かつては生活排水が注がれていたのだが、再開発に伴い新規に下水網が整備された結果、今ではそのほとんどは遠くから流れ流れてきた雨水なのだそうだ。
ここは臨海副都心の地下に広がる下水道の一つ。地中を貫く分厚いコンクリートの円柱の中、横合いに穿たれた穴から注がれた下水が合流し一本の川となり、下り坂になっている円の底をゆるやかに滑り落ちてゆく。直径五メートル以上もある管に対して水位は三十センチ程度のため、おれ達は下水を避けて歩いてゆくことが出来た。靴音が響き渡り、ここが地下であることを否応無しに思い知らされる。
おれはバンから持ち出してきた七ツ道具、強力ペンライトのアマ照ラス君(そういうネーミングなんだ、おれがつけたんじゃない)を掲げて奥へ奥へと慎重に進んでゆく。
「うう、こんなことなら一回事務所で着替えてくればよかった……」
その後ろから同じくアマ照ラス君を掲げてついて来るのが真凛。おれの行動選択肢が気に入らなかったのか、ひたすらさっきから愚痴っている。トンネル内に反響して愚痴が倍増しになる。
「なんだよ、ちゃんとインナーは着込んであるんだろ?」
「そういう問題じゃないよ!ボク制服着てるんだよ!?」
じゃあ機関銃でも持たせておけばよかったかねえ。いや、ブレザーではアカンか。おれはこいつの愚痴を無視することにした。だいたいおれより先に呼び出されていたくせにロクに着替えてないというのは如何なものか。ちなみにおれはといえば暑さに耐えつつ長袖を着込んできた。おれらスタッフは任務中、少なくとも活動しやすく調査に支障ない服装を心がけるものである。幸か不幸か分厚い地面は夏の日光を遮断するらしく、むしろ地下は涼しいくらいなのだが。
「だって、ジャケット着て戦うものだと思ってたし……」
「あのねえ真凛。おまえうちの仕事を押込強盗か対テロ鎮圧部隊かなんかだと思ってるだろ」
図星だったらしく真凛は沈黙した。おれはヤレヤレと頭を振る。
「今回は金型を取り返せばいいんだから。こっそり潜ってこっそり取ってくりゃそれでいいの」
だからこそこうして、地上の喧騒に背を向けて明かりも差さない下水道に侵入などしているのだ。
あれから事務所に連絡を入れてみたら、うちの電子担当である羽美さんにつながった。どうやら豚のジョナサン君の件は科学よりも腕力がモノを言う段階になったようで、ヒマになったから帰ってきた、ということらしい。これ幸いと、「下水処理施設」をキーワードに調査してもらったら驚くほどあっさり情報が手に入った。建てては壊し、壊しては建てのコンクリートのジャングルの地図の作成は容易ではない。まして地上と異なり、数メートル先に通路があっても見ることが出来ない地下世界となれば尚更のことだ。ビルの地下、各種公共施設の埋設ケーブル、下水道、緊急避難通路……。官公庁でさえ存在を知らない古い地下施設もあると聞く。立体的に無数の構造物が組み合わさったこの世界の完全な地図を把握している人間はこの世にいないのではないだろうか。無数の公式非公式のデータを丁寧に重ね合わせていった結果、かつてこの地に存在した下水処理施設から延びる下水道の一本が、ザラスビルの地下施設の極めて近くを通っている、ということがわかったのである。
「まだ埋められてなければ、だけどな……」
近所の公園に埋設された貯水施設のマンホールから潜入(いちおうその程度の基礎訓練は受けているのだ。仕事柄必要なので……)し、問題の下水道まで進んでゆく。羽美さんが即席で作ってくれたCADデータを、事務所から支給されたHDD内蔵携帯『アル話ルド君』(当然違法改造だ)にダウンロードしてあるのでまず道に迷うことは無い。今のところ、地図どおりに進んでいるハズだった。
「ううう、明日学校なのに……臭いついたらどうしよう……」
ここまで来てまだ諦めの悪いヤツ。
「なんならここで脱いでいってもいいぞ」
「絶対やだ」
わがままなヤツめ。だがどうやらそれで吹っ切ったのか、真凛も愚痴るのは止めておれと並んで進み始めた。しばらくは緩やかな下り坂になっている下水管を奥へ奥へと進む無機質な時間が過ぎる。下水管の終点はより大きな下水管に連結しており、水を避けてそちらに飛び降り、さらに下ってゆく。そんなことを幾つか繰り返してゆくうちに、いつしか二人がしっかり並んで歩けるほどに下水管の直径は大きくなっていた。なおも歩き続ける真凛の肩をつかんで引き止める。
「なに……?」
そこでおれの表情を見て、真凛も言葉を仕舞う。こっからはお仕事モードだ。
「壁脇、脛の高さに、乾電池で動くタイプの簡易型センサー。鼠は通さず、人間なら歩いても伏せても引っかかる、ってヤツだな」
ザックの七つ道具、羽美さん作成の万能センサー『ル見エール夫人』の威力は覿面だ。
「解除できる?」
「やってみましょ」
ザックからドライバーセットを取り出し、おれは脳裏に仕舞いこんだマニュアルをもとにちょっとした日曜工作をするハメになった。常に発しつづける信号を殺さず、センサーのみを無力化する。おれ達は角を無事に曲がってさらに進む。だが三十メートルほど歩き、いよいよ下水道とザラス地下施設がニアミスするポイントに出る、というところで、『ル見エール夫人』がまたしても警告を発した。そのコメントいわく、
「他に同様のセンサーが十数個」
「ほんと!?」
残念ながら本当。っと、ル見エール夫人の警告信号は続く。
「……ついでにもうひとつ言うと、人間大の熱源反応がいくつかある、ってさ」
「ということは、ひょっとして……」
うなずいて、おれは一つ深々とため息をつく。ドライバセット出すのヤメ。
「バレバレ、ってことなんだろう?」
下水道の奥に投げかけた声は、幸か不幸か無視されることなく回答を得ることが出来た。
「やアやア、ヨく来て下さいマシタ」
ペンライトの向こうで佇むアングロサクソン系大男の口から滑り出たのは、深夜番組で外国人がやっている通販を地で喋らせたらこうなるだろうなー、という類の軽薄なものだった。服装は昼の店員服とは打って変わって、バリバリの戦闘用迷彩服。
「こんナ遠いトコロまで良く来テクダサイましタ、ジャパンノ災害会社」
男はサングラスをかけたまま、ニヤニヤと挑発的な笑みを浮かべて腕組みをしている。
「へぇ。いつのまにかウチの評判も海を越えたってコトかな?」
おれはのんびりとザックにル見エール夫人を仕舞いこむ。
「外資系って割には意外とサービス熱心なんだな。こんな敷地外まで警備の出張サービスかよ?」
「ノーノー。アナタはミステイク。ココはザラスのエリアでース」
「って……どういうこと?」
外人の胡散臭さに飲まれていた真凛がようやく我に返る。
「オウ、ステキなジャパニーズレディ。ジェイ・エイチ・エスの生徒がコンナ下水に制服を着てくる、コレはとても良クナイことデス」
「あ、いえその。お気遣いどうも」
真凛がバカ丁寧にお辞儀をする。ジェイ・エイチ・エスが中学校の略だと教えてやるべきかかなり迷ったが、おれはとりあえず話を進めることにした。
「嫌な造りだとは思っていたけどね。緊急時の下水道への脱出路なんてお約束すぎじゃないか?」
おれは男の奥の壁へアマ照ラス君の焦点を合わせる。LEDの強力な光は、バッチリとそこに穿たれた扉を照らし出した。
「GREAT。ボーイは飲み込みが早くて助かリマス」
セキュリティ上、ザラス中枢と地下施設は確かに繋がっていたが、よもや有事の際に重役さんたちがこっそり脱出するための通路まであるとはね。そりゃ警備が厳重で当然だ。おれたちは裏をかくつもりで大本命を引いてしまったことになる。
「後ろ暗いとは思ってたけどな。大方普段は脱出口じゃなく、ろくでもないモンの搬入にも使ってます、ってトコロかね?」
「OH!ウチのクライあントハ健全な企業体ネ。ザラスの取引に後ろ暗イモノガ在るトデーモ?」
「新作フィギュアの金型とか、どうだろね?」
男の雰囲気がわずかに変わった。組んでいた腕を解く。
「地上フロアは通常のセキュリティに任せておいて、裏は裏でアンタが護る、って手筈かい」
おれは半歩足を引き、やや半身になる。
「ノンノンノン。ジャスタリトゥディッフェレン」
男は大げさに肩をすくめる。
「表から侵入したらドロボーさん。ドロボーさん捕まえたらポリスに引き渡すのがセキュリティのオシゴトです。でも、存在しテはいけない裏口から侵入するドロボーさんは、やっぱり存在しテはイケマセン。よって、存在をナクシテシマウベキ。それがワタクシのオシゴト」
「はあ。ちなみに存在しちゃいけない泥棒ってのは」
「ヤングジャップとヤングヤマトナデシコ。実にオ痛まシイ」
ジャップとヤマトナデシコってそういう使い分けは正しいのか?
「あいにくと、荒事は得意ではありませんので」
「そレは奇遇、ワタシモソウデース」
男は肩をすくめたまま、一つ指を打ち鳴らした。
「ダカラ、忠実ナ部下に任せるとしまース」
がこん、とどこかでブレーカーが上がり、通路を光が満たす。合わせてだだだだだだ、と足音も控えめに進んで参りますは、通路の奥に控えていらしたコワモテの警備員さん約十名。手にはものごっつい警棒。こりゃやっぱりおれたちを捕まえてキリキリ背後関係を吐かせようとかそんなとこかね。
「曲者ダ!ヤッヂマイナァーー!!」
そんなとこだけ変な風に日本語を覚えなくていいって。まるで時代劇のヤクザさんのように迫りくる警備員達を見て、おれはゲンナリした。
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