小説 『人災派遣のフレイムアップ』 
第1話 『副都心スニーカー』


 

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◆◇◆ 1 ◇◆◇

 
 
  七月中旬。
  退屈極まりない期末テストを過去問とレポートのコピーでしのいでしまうと、再び長い、人によっては長すぎる夏休みが待っている。四月が新入生の歓迎会で潰れてしまうことを考えると、大学二年生の春学期の勉強期間は二ヶ月ちょい、というところだ。
 
  とはいっても、
「学校があっても休日みたいなものじゃない」
  と、バイト先の暴力娘に言われても反論できないのが現状であるからして、その二ヶ月も気合を入れて勉強をした記憶などカケラもない。気がついてみると終わっていた、というのが正直なところである。授業に出て教授の話を聞く。つまらなかったら代返でも頼んでゲーセンだの雀荘だのに繰り出す。昼は喫茶店で悪友どもとだべり、夜は気が向いたらテニスサークルにでも顔を出す。週末にはこれまた気が向いたら合コン、飲み会、エトセトラ。日曜日は二日酔いでダウン、元気だったらドライブでも、というところだろうか。
 
  桜が散りおわって既に三ヶ月。今では葉桜が青々と伸び盛り、校門に豊かな影を落としている。学校の敷地と無骨な新宿区の道路とを分け隔てている並木の上から無料で流れる、蝉達の構想七年の交響曲。その大音声に紛らせるようにして、いつしかおれ、亘理陽司わたりようじは呟いていた。
「平和だねぇ……」
  こんなことを言うから日頃まじめに社会人している高校時代の友人連中に悪態を突かれるのだが、実際今の俺の心境は平和きわまりない。
  ここは天下に名の知れた有名大学の一つである。一応ここに入るには高校時代の青き春の幾年かを無機質な受験勉強に捧げたのだし、その甲斐あって狭き門を通ったからには、可能な限りその特権を行使するのは当然。いや寧ろ義務であろう。若さ・イズ・イリバーシボー。何しろせっかく、あの極悪非道のバイトから解放されたことでもあるし。
 
  日々平穏、怠惰こそ人生の美酒と信じて疑わないこのおれの目下唯一の不満であり、かつ唯一の収入源でもあるのがこのアルバイトである。これがまたひどいんだ。紆余曲折を経て引き受けることになったものの、仕事がキツイわりには給料が少ないし。こちらの都合に構わずどんどんオーダーを押し付けてくるし、上司はエゲツねーし同僚はビンボー人かいじめっ子しかいねーし。その上ここ最近は人手不足もあってか、経理やら営業やらの真似事までやらされていたりする。そのせいで友人たちには「お前の貧乏は知っているけど、行動も貧乏臭くなったよなあ」とありがたくもない感想を述べられる始末。
 
  いつしか足は学校から駅へと向かっていた。テストとともに講義もほとんど終了しており、もうわざわざ出席するような授業もない。高田馬場駅と大学を結ぶ坂道をゆっくりと登っていく。高田馬場の大学、といえば誰もが思い浮かべるのが天下の早稲田大学である。おれも高田馬場に行っている、と言えば「早稲田の学生さんなのね」と大抵の人に言われるが、実はそうでもない。早稲田ほどではないが、そこそこに有名な某大学がこの高田馬場につい最近建物ごと新設した文学部のキャンパスに通うまだ数少ない文学部生、というのがおれの現在の身分である。まあ、角が生えてたり黒い翼があるわけではなし、この帰り道を通っていると、ほとんど早稲田の学生と見分けはつかないのだが。
  などと考えている間に明治通りまでたどり着いていた。ここから五分も歩けば駅に着く。私鉄で俺の部屋まで電車で十五分。帰って本屋に行って夕食の買い物でもして……あとは何しようかな。幸いにして、少な目とはいえバイト代も入ったばかりで、懐具合にもそこそこ余裕もある。ドアポストに突っ込まれている家賃やら新聞やら諸々の支払い請求書は自己暗示をかけて意識野の視界から締め出してしまうことにしよう。
  いいや、寝よう。
  おれは決心した。誰にも文句は言わせない。ぬるま湯生活万歳。
 
「ちゃらら〜ちゃちゃっちゃらちゃ〜ら〜ちゃ〜っちゃちゃ〜♪」
 
  おれの甘い夢想は、下半身から鳴り響く不吉な音で破られた。
  いや、別に変な音ではなくて、ジーンズのポケットに突っ込んだ携帯電話が、『銭形警部のテーマ』を奏でているという事である。顔をしかめてズボンから携帯を引き抜く。そして液晶画面に表示された先方の名を見た。
 
『人材派遣会社フレイムアップ』
 
「……!!」
 
  ……ここはやはり、居留守を使うというのがごく真っ当な対応だと思うのデスヨ?おれは自宅に携帯を置いて出かけており、従って何も見てないキイテナイ。
 
「ちゃ〜ちゃちゃっちゃらちゃっちゃっちゃ〜♪」
 
  ……携帯は一向に鳴り止む気配が無い。だんだん交差点にたたずむ人の視線が重くなってくる。……わかってはいるんだ。このままではたとえ一時間であろうが銭形警部のテーマが鳴り続けるだろう事は。保留にしてもいずれは同じ。周囲の冷たい視線に耐えかね、おれはついにフックボタンを押した。
『亘理くーん』
  ぷちっ。ためらわず「切」ボタンを押した。
  あの人が出る以上、まちがいない。『仕事』の話だ。早い。早すぎる。もう試験が終わったことを嗅ぎ付けられたのだろうか!?
  一拍おいてまたもや、不吉なメロディーが鳴り響く。おれは大きく深呼吸をすると、意を決してもう一度フックボタンを押した。
「はい、もしもし」
  脳みその中でめまぐるしく仮想演算が行われる。こう見えても花の東京一人暮らしを生き延びている身、キャッチセールスや押し売りのあしらいかたは百通りも心得ている。大丈夫さ、もっと自信を持て。向こうがどんな仕事を押し付けてきたって、きっと断れるさ。……はかない期待。
 
『お久しぶり。用件はわかってるわよね?こっちはただでさえ人手が足りないんだから』
  電話の声は女性だった。ごく普通の喋り方だが、妙に艶っぽい。天性の色気というやつだ。時々お世話になるシティホテルのバーあたりで耳に入ったなら、喉をごろごろさせて喜びたい声色であるが、残念ながらそうするにはあまりにも辛い記憶が脳味噌深くに刻み込まれ過ぎている。
「しょ、所長。お久しぶりですね。あぁ、人手が足りないって……夏休みだからみんなでキャンプに行くとかですか?ザンネンだなあ、ボク体が弱くてアウトドアはちょっと」
  さりげなく、さりげなく。
『夏休み?夏休みですって?ほほう、学生っていい御身分なのねぇ。世間では盆と彼岸を返上して働いている人がいるっていうのに』
「ええ、そうなんですよ。現行の社会制度は勉強してきた学生がつら〜い社会人になる前にしばらくあま〜い夢を見させてくれるそうでしてね、おれとしてはその権利を行使したい欲求に駆られているわけです」
『他人のノートのコピーの持ち込みなんていうあま〜い目論見で文化人類学のテストを受けられるのも、権利なわけね』
  ……おい。一体いつのまにおれのテストの情報を把握しているんだ?
『今日からどうせ何もやる事のない夏休みに入るんでしょ。オーダーが一件。あなた向きのが入ったの。事務所に来て。詳細は後で話すわ』
  ちょちょちょ、ちょっと待て。
「所長。あのですね、いいですか。おれ、こないだ一ヤマ踏んだばかりなんですけど」
  そのために春季の単位をあやうく落としかけたのだ。遊ぶだけ遊んでも留年はしない、というおれの主義からすれば、かなり危ういヤマだったのである。
『あら、そうだったっけ』
「そうなんです!だから、おれとしては当分遠慮したいんですってば。だいたい、直樹だって仁先輩だっているでしょうに」
『彼等はねー。ちょっと別件で出てるのよ。ニュースでやってるでしょ?豚のジョナサン君の大脱走事件』
「ああ……ワイドショーで大騒ぎの」
  またウチの連中が関わってるのか。
『任務は緊急。ウチのメンバーで今動けるのは君だけなのよ』
「いやー、そう言われても……もうテスト終わっちゃったし、いま実家なんですよ〜」
  逃げ切れるか。
「ふーん。実家って高田馬場にあったんだ。それもこんな明治通りの真ん前にねぇ」
  受話器を当てている右耳、ではなく、無防備な左耳から心臓へ送り込まれた音声はおれを飛び上がらせるに十分な威力だった。あわてて振り返ると、そこには、明治通りを睥睨(へいげい)するかのように路肩にうずくまっている真っ赤な……毒々しいほどの紅い外車。車にそんなに詳しくないおれでも、このジャガーが七桁ではすまないということくらいはわかる。そしてそのジャガーすらも圧倒するかのような存在感で、運転席のウィンドウに形の良いヒップを乗せて、長い髪を排気ガスの風になぶらせながら笑みを浮かべている優美な女性の姿が、そこにはあった。
「あ、浅葱あさぎさん……」
  おれは乾いた愛想笑いを唇に張り付けようとして失敗し、破滅的な色気を湛えた女性を見やった。テストの日程を把握されてた所で気づくべきだった。逃げ切れるどころか……最初から捕獲済みだったのね。
「ハイ!亘理君。オーダーよろしく」
  こぼれおちる極上の笑み。がっくりと肩が落ちるのが、自分でもわかった。
『平和だねぇ……』
  数分前の台詞は、遥か遠くの時空へと呑みこまれていった。
 
 
 
 

◆◇◆ 2 ◇◆◇

 
 
  日本という陸地を女性に例えるとするならば、ほっそりとした極東の花、とでも評価すべきだろうか。東京という首都を中心に、北と西に伸びた地形が絶妙につりあっている。
  その顔たる東京の中心部を、まるで首飾りのように取り巻く路線――山の手線。
  首飾りの宝石を為す二十九の駅には、この経済大国が世界に誇る大都市群が鈴なりに連なっている。二十世紀が終わりを迎えてしばらくたったはずのこの年にも、この街は旺盛な生命力を誇示するかのように道路を車で満たし、窓から自然のものではない光を放っていた。
  もっとも表現のしようはいくらでもあるわけで、世界中の街をめぐった経験のある友人のように、「旧来の味のある街をぶち壊してごたごたと物欲しげに高いビルをぶちこんだだけ」と酷評する者もある。
  それでも、新宿副都心からわずかに逸れたここ、高田馬場の一角は、都市部の雑然とした感覚と泥臭い人間的な匂いが混ざり合って、無期質なオフィス街や空虚な歓楽街とは一線を画していた。そして高田馬場駅と交差する早稲田通りを西に真っ直ぐに歩き、明治通りを越えてしばらく行くと、向かって右側の角に素朴な子育て地蔵がある。
  高田馬場はお茶の水神田と並ぶ日本屈指の古本屋街でもある。子育て地蔵の角を曲がり脇道を進むとすぐに、そんな古本屋の一つ、『古書 現世』を見つける事が出来るだろう。早稲田通りからは離れているものの、時々は学生たちが冷やかしに来る小さな書店だ。しかしそんな学生達も、『現世』の裏口に二階へと昇る外付け階段があることを知るものは少ない。それに知ったところで別に大した意味もないだろう。
  『現世』の二階はテナントになっており、外付け階段を昇るとアパートの一室を思わせるスチール製の扉が一つ、立ち塞がっている。ここまで昇って来た人間なら、扉に掲げられたプレートに刻まれた文句を読んだ後、その扉を開かずにはいられない。他に手段が無いからこそ、こんな所までやって来たのだから。
 
**各種代行、調査解決承リマス**
**迅速対応**
**料金応相談**
 
**あらゆる分野のエキスパートが、あなたのお悩みをよろず解決いたします。**
**人材派遣会社フレイムアップ**
 
  そして今、毒々しいほどの真っ赤なジャガーが、裏の駐車場に停められた。
  哀れな犠牲者……つまりおれ……は、こうしてまたもこの扉をくぐる事になったのである。
 
 
 
「やっぱり実家に帰ってるとか言ってごまかそうとしたでしょ?浅葱さん」
  スチールの扉を開けたおれを迎撃した初弾は、この一声だった。
「当たりだったわ。たいした読みねぇ、そろそろアシスタントから調査員に独立しても大丈夫かしら?」
  そう言いつつ、ジャガーのキーリングを指に引っ掛けながら奥に進んでいくこの女性こそが、おれが所属する人材派遣会社『フレイムアップ』の若き所長、嵯峨野さがの浅葱あさぎさんである。おれ達バイトにいつも「おれ達がろくでもないと思う仕事の最低三割増にろくでもない仕事」を押し付けてくれるありがたい女性である。履歴は詳しく調べたことはないが、おそらく二十五、六才ではなかろうか。一つ間違えば就職活動中の女子大生でもおかしくない年齢だが、黒と赤を基調とした、なんちゃら言うブランドもののビジネススーツ(詳細は聞かないでくれ。おれが日頃買い物に行くところでは売ってすらいないんだ)を難なく着こなし、颯爽とモデル歩きで前へ進んでゆくその貫禄は、まさしく一企業の頭目トウモクに相応しい。
  さらにその容貌は類まれ。妖艶な笑み、肉感的なプロポーション、そして猫科の猛獣を連想させる瞳は同業者から『女豹』の異名を戴くほど。まったくもって非の打ち所のない美人社長なのである、外見上は。これで仕事先の上司でなければなぁ、と、むなしい思考を巡らせたことも、かつてはあったのだが……。
  まあとにかく、浅葱さん――オフィスでは『所長』で通している――の遠ざかるしなやかな後ろ姿を拝みながら、逃げ出したい衝動を押さえておれも前に進んだ。どのみちこの時点で詰んでいるのだから、無駄な抵抗はしないに限る。
  部屋の中にはグレーの絨毯が敷かれ、事務用のカウンターと観葉植物が玄関と垂直に設置されており、いわゆる典型的な雑居ビルのオフィスのつくりとなっている。左に曲がって奥に進めば、寄せられた長いデスクに、OA機器と書類とおぼしきものが積まれた”島”が二つばかり見えるだろう。部屋の隅には印刷や読取をマルチにこなす複合機、サーバーが積まれている。給湯器やら洗面所やらがあるのは当然としても、シャワー室と仮眠室があるあたりが業の深さを示している。そして事務室の反対側、窓に面した場所の一角が仕切りで区切られ、来客用の応接室となっている。先程の声の主……短い黒髪の少女は、その応接室のソファのひとつを占拠してアイスココアのグラスを抱え込み、ストローをくわえていた。
「ええ、そんなあ。ボクなんかまだみんなに及びませんよ。約1名を除いて」
  言いつつ、視線はしっかりとおれを捉えている。
「やっぱりおまえか、余計な入れ知恵したのは」
  おれは少女の向かいのソファに腰を下ろすと、肩のザックを隣に投げ出した。グラスごしに少女は勝ち誇った笑みを浮かべてみせた。
「入れ知恵も何も。陽司の考えることくらい誰でも読めるよ。神経索だっけ?あれの分岐が三通りくらいしかないんだよね?」
  ……どうやら昨日のNHKスペシャル『脳の世界』を観た模様。
「悪かったな。おれにだってバイトをしたくない日はあるんだよ」
「一週間に七日くらい?」
  つやのある黒い髪をまるで中学生のようにばっさりと切り落としているその下からは、季節に見合ったほどよく日焼けした肌と、勝気そうな……というか事実勝気すぎるのだが……黒い大きな瞳がくるくると動いている。
  活力をもてあますように体が動くたびに、某名門女子校の制服であるブレザーのスカートが揺れる。都内に通う女子中学生たちなら誰もがあこがれる(……らしい。女子高生研究家を自称する悪友の言を借りれば、だが。おれには高校の制服などどれも同じに見える)、お嬢様の証なんだそうだ。確かにこいつの実家は士族の家柄とやらで、でっかいお屋敷住まいだったりもするのだ、困った事に。……お嬢様、ってコレがねぇ。
「ってえか。何でおまえがおれのテストのスケジュールなんか知ってるんだよ」
「こないだ事務所の机に日程表を広げてたじゃない」
  おれ、迂闊。
「……まあいいや。おまえまで駆り出されてるってことは、こりゃ本当に人手が足りてないわけだ」
「どーゆー意味?それ」
「真凛ちゃん、そこの唐変木の言うことは気にしなくていいわよ。ただのそねみだから」
  いつのまにか後背に敵軍帰還。
「唐変木……って。だいたい所長、真凛を呼んでるってことは最初からおれの参加が前提のオーダーだったんでしょう?」
  おれはソファーに背をうずめた。
 
  このショートカット娘の名は七瀬ななせ真凛まりん。先程の暴力娘とは、むろんこ奴のことであり、実は、このアルバイトでおれのアシスタントなぞ勤めていたりする。おれ達のアルバイトが何なのか、という説明はこれから嫌でもわかることだから後にまわすとして、実はこの娘とおれはこの仕事を通して知り合った。そのときはおれはまだ先輩調査員のアシスタントで、真凛はその仕事の依頼人だった。その仕事はベテランだった先輩の力もあって無事解決し、めでたし目出度しというところだったのだが、どういうわけかこの娘はおれ達の仕事に興味を持ったらしく、次の日にこの事務所に押しかけて雇ってくれと頼み込んだ……。そんな経緯がある。
 
  おれの言葉を受けた所長はあっさりと言ってのけた。
「ばれた?ま、そうなのよ、例によってちょっと君にはボディーガードの必要がありそうなことやってもらうし」
  おいおい。
「あの〜、緊急って言ってましたけど。犬猫探しとか浮気調査のたぐいじゃあないんですか?」
「うちにそんなまっとうな仕事まわってくると思う?」
  水差しからグラスに二つ、水を注ぎながらやはりあっさりと言ってのける。
「……いえ」
  下請けにまわされるのは一番きつい仕事、というのはギョーカイのジョーシキである。
「ほかのメンバーは?」
  いくら忙しくても、この時間なら事務所には一人くらいはいそうなものだが。
「豚のジョナサン君を追跡するんで機材一式抱えて出かけてるよ。浅葱さんが帰ってくるまでボクが電話番してたんだ」
「もうじきすれば帰ってくるはずよ」
「……これだから零細企業ってやつは」
  おれの嘆息をなぐさめるかのごとく、所長は優しく言った。
「うちは少数精鋭主義なのよ。優秀なメンバーに自由に仕事をしてもらう。それが設立以来一貫した我が社の方針ってワケ」
  にっこり笑って所長はグラスを押しやる。夏の日差しに炙られていたおれはそれを一気にあおった。
「ンなことばっかり言ってるからあんな悪評が立つんじゃないっすか?」
「悪評って?」
「『成功率”だけは”百パーセント』。『解決される以前に問題が破壊される』。『業界の異端』。『人材派遣ならぬ人災派遣』。『トランプでいえばババ』。それから――」
「なんだ誉め言葉じゃない」
  そういうことが言えるあたりが悪評が立つ所以かと。
「成功率百パーセントなわけだし。そのジンクスに従えば、亘理君もとりあえず生きて帰るだけならなんとかなるってことよ」
「そりゃあ状況次第によっては生きて帰れない仕事ってことっすか?」
「だいじょーぶ。安心しなさい。真凛ちゃんがいればグリーンベレーの一個大隊が潜伏しているジャングルだって裸でとおれるわよ」
  ンなこと請け負われてもうれしくも何ともない。おれは湿度たっぷりの横目で、飲み干したグラスの中の氷をストローでつついている娘を見やり、口の中でつぶやいた。
「まったく頼もしい殿方ですこと。惚れてしまいそうですわ」
「人中に当て身ぶちこむよ」
  ……聞こえていたらしい。
「エンリョしときます」
  腕力勝負ではおれが百回生まれ変わっても勝てません。
「いいかげん、そろそろ本題に入らせてくれないかしら?亘理君」
「あ、ええ。はいはい」
「もう少しきりっとしてれば映える顔なのにねぇ。ぼーっとしてると顔まで間抜けに見えるわよ」
「ぼーっとしてなければ、鈍感くらいには見えるのにね」
  どうせ自分の顔の程度なんてわかりませんよ。
「はいはい、仕事の話でしょ。とりあえず、概要を教えてくれないと一向に進みませんよ」
 
 
 
 

◆◇◆ 3 ◇◆◇

 
 
  減速したライトバンが駐車スペースにすっぽりと収まる。サイドブレーキを引き上げハンドルから手を離し、おれは一息ついた。助手席に座った真凛が静かに調息をはかっている。
「着いたぞ」
  キーをオフにしてシートベルトを外す。
「……ああ、怖かった」
「何が?」
  後部座席のザックを引きずり出し、車を降りる。
「あんたの運転だよ!?何アレ!?本当に免許取れたの!?」
「失礼な。ちゃんと路上で六回も念入りに試験受けたんだぞ。しかも取れ立て新鮮だ」
「うっはあ、そんなんで『おれが運転するよ』なんて言うなあー!!」
「しゃーないだろ。ここに来るにゃあ電車じゃちときついし、おまえは免許ないんだから」
  言いつつ、おれ達はエレベーターを使って立体駐車場を抜けた。そこは空中歩道につながっており、周囲の景色を一望することが出来た。おれは手すりに組んだ腕を乗せ、街並みを一望する。
  どうにも非現実的な街である。つい先ほどまでごみごみした都内に居たから余計にそう感じるのかもしれないが、車幅の広い道路が三車線敷設されているのは本当にここが日本か、などと思ってしまう。そしてその上に張り巡らされた空中歩道と鉄道、モノレール。海を四角く切り取ったその地形はただただ平たい。そしてその大地を早い者勝ちで奪いあったように存在するだだっぴろい駐車場と、何かの冗談のように広くてデカイビル。何に使われるのかわからない奇妙なデザインの建造物。住む街ではなく、訪れる街。それがここ、東京の東部に広がる臨海副都心に対するおれの印象だった。
「うーん。ボクここってあんまり来たことないんだよね。涼子が時々イベントで行くとか言ってたけど」
  夏の日差しとかすかに潮を含んだ風になぶられながら、おれ達は歩道を進み始めた。
「涼子ちゃんが?歌の方で?」
「うーん。違うと思う。何かマンガを買いにいくとか言ってた」
「そりゃ多分直樹と同類かな。おれも去年の末はなにやら手伝わされたっけ」
  ちなみに涼子ちゃんというのは事務所に時々顔を出す真凛の同級生である。お嬢様なのだが裏の顔はバリバリのメロディック・メタルのボーカルで、アマチュアながら最近はちょっと有名なんだとか。普段は凄く大人しくていい子なんだがなー。
「ま、お前が行くとこっつったら新宿の裏通りだしな」
「失礼だなあ。ちゃんと渋谷に買い物とかも行ってるよ?」
「東急ハンズのプロテインとかか?」
  貫手がおれの脇腹を抉り、おれはそのまま悶絶した。口で詰まると手を出すのは何とかならんかこの娘っ子は。っと、そんな会話を続けながら五分も歩くと、おれたちはやがて目的のビルにたどり着くことが出来た。
  駐車場と空き地が点在する中、ニョッキリと聳え立つ四十三階建て総ガラス張りの高層ビル。ガラスに反射した西日がおれ達を容赦なく炙る。その敷地面積は郊外に出展されるスーパーマーケットのそれを恐らく上回っていると思われた。おれ達が今いる空中歩道がそのまま二階のエントランスへ直結しており、一階にはメインエントランスの他、裏にはビル内のショップの品物用だろう、大型トラック用の資材搬入口がある。ビルの前には庭園が広がっており、遠隔制御された噴水が水のアートを描きあげていた。その側には名のある芸術家が作ったのだろうか、怪しげな形状のオブジェクトが複数。オフィス機能は無論のこと、商業スペース、憩の場、ホテル、アミューズメント等の機能をすべて取り込んだその姿は、もはや一企業の本社ビルというより、ひとつの庭園都市である。……外資系アミューズメント総合企業『ザラス』日本本社ビル。
「ここに、目的のものが眠っているってことだよね」
「情報戦でヘタ打ってなきゃ、な。さてどうしたものか」
  芸術性に富んだ高層ビルを見て、堅牢な城砦の攻略法を考えなきゃいけない大学生は、今日びおれくらいのものだろう。行動開始にあたっておれは手帳をめくり、先日の任務の内容を再度思い起こす。
 
 
 
  ――所長から大雑把な概要を教わった後、すぐに事務所に一人の男性がやってきた。年齢は三十前半というところか。真面目そうな表情で、いささかぎこちなさそうにスーツを着込んでいる。普段は普段着で仕事をしているのかもしれない。彼こそ誰あろう、今回のオーダーの依頼人、韮山公彦氏である。
「依頼内容を再度確認させていただきます。フィギュアの……金型の奪還……ですか」
  おれは応接室で営業用の表情を作り、先ほど所長から手渡された『任務概要』をみやる。隣には真凛がアシスタントとして神妙そうな顔をして座っている。所長はすでに別の仕事があるとかで席を外していた。一度引き受けてしまった以上、クライアントにはアルバイトではなく、一人の派遣社員として対面し、交渉し、決断せねばならない。……まったく。学生バイトだろうがプロのエージェントだろうが一括りにしてしまう『派遣社員』という言葉の曖昧さに、時々おれは舌打ちしたくなったりもする。
  ええ、と深刻そうな表情で頷く韮山氏。手元の概要によれば、彼は新進気鋭のソフトウェア会社『アーズテック』の開発部長であり、なんと今をときめくあの『ルーンストライカー』の開発主任でもあるのだそうな。
「ルーンはおれもやったクチですよ。第一シリーズはそれこそ徹夜で」
  おれの言葉は嘘じゃない。近頃のゲーム業界では珍しい『空前の大ヒット』って奴だ。
 
 
  最近では趣味が多様化したのか、『全国民が熱狂したRPG』とか、『発売前夜の行列が社会問題に』なんてレベルのゲームは生まれにくくなってきている。悪友の直樹が、時々何たら言うPCゲームの限定版とやらを買う時に良く並ぶと言っていたが、それはむしろ供給する数量を抑制することで需要を煽る、という営業によるものだ。
  ところが、半年ほど前に発表されたこの『ルーンストライカー』、通称ルーンは、下は小学生から上はいい歳をした大人までが『ハマッた』傑作ゲームだ。その骨子はボードゲームとカードゲームが一体化した対戦モノであり、ルールに従ってボード上の駒を操り、様々な効果が記されたカードによって勝敗を取り決めると言うもの。シンプルでありながら奥深いルールはコアなファンを数多く生み出し、徹夜で対戦に興じ戦略を練るプレイヤーが続出した。ネットで『ルーンストライカー 戦略』とでも検索すればおそらく千以上のページがヒットするだろう。
  そして、ルールと並んでもう一つ重要なのがカードに描かれた『イラスト』と、ボード上で駒として使用する『フィギュア』である。丁寧かつ美麗なイラストと、精巧なキャラクターフィギュアは、コレクターの魂を大きく揺さぶるモノがあるのだそうだ。その手のマニアにとってはフィギュアとカードを数セット揃えるのは基本事項。そしてそこから派生した様々なキャラクターグッズを集めるのが常道だったらしい。おれはルールや戦略に興味がある方だったので、そちらのグッズはとんと縁がなかったが。ともあれルーンストライカーは半年ほど前に社会現象を巻き起こし、今に到る。ブームは若干沈静化しているが、先日、続編である『ルーンストライカー セカンドエディション』の開発が発表されたことにより、再び盛り上がりを見せはじめていた。
「たしか、今週末に幕張で開催される東京ゲームフェスタでプレス発表されるんですよね」
  大学の授業中に読んでいた今週のゲーム雑誌が役に立つとは思わなんだ。
「はい。『セカンドエディション』の最大の特徴は、追加される新たなカードとフィギュアです」
  ……となると、またも新たな戦略が生み出されると言うわけか。近いうちに再び繰り返されるだろう徹夜の日々を、おれは脳裏に思い描いた。
「そのプレス発表に出展されるフィギュアの金型が盗難にあった、とそういうことですか」
「そうなんです……」
  韮山氏は卓に肘を突き、組んだ腕に額を乗せた。どうやら相当参っているらしい。
 
 
  韮山氏の会社『アーズテック』は、若手の有志プログラマーたちが大手ゲーム会社からスピンアウトして設立した新進の会社なのだそうだ。結果として、彼らの処女作ルーンは爆発的な売れ行きを見せ、彼らは充分に投資を回収し、回転資金を確保することが出来た。この次の段階で求められるのは『次回作』である。過去、一発屋として消えていったゲーム会社やゲームデザイナーは数知れない。ゲームメーカーを『会社』として評価した場合、『安定した良質な作品を定期的に供給する』メーカーこそがもっとも優れているのである。そういった意味では、初回のルーン以上にこの『セカンドエディション』は「外すわけにはいかない」作品なのだ。
  彼らの開発スケジュールでは、すでに新ルールは決定済。残るは、新ルールによって追加されるカードとフィギュアの作成。今週末の東京ゲームフェスタにて量産試作をお目見えさせる予定なのだそうだ。
「ただプレス発表するというだけではありません。これは我々が『スケジュールどおりにきちんと作品を供給できる会社である』ということを証明するものです。これを守れるか守れないかという事は、今後銀行からの融資を受けるための信用や流通への販路にも関わる、非常に重要なものなのです」
  業界を席巻する大ヒット作を送り出した会社と言っても、その内情は決して楽観出来る物ではないのだという。
「カードの方は問題なく完成しました。フィギュアはすでにデザインが上がっているのですが、金型の作成に手間取りまして」
  フィギュアというものを量産するには、溶けた樹脂を固めて成形するための『型』が必要となる。この金型の出来不出来が、それによって作られるフィギュアの質を決定すると言われ、この金型を彫り上げるのは今なお職人技に頼るところが大きいのだそうだ。しかも所詮フィギュア1個の材料費はプラスチックと塗料がせいぜいだが、この金型は一つ造るのに数十万円から、ものによっては数百万円もするため、絶対に手を抜くわけにはいかない工程なのだ。
「最近はコストを削減するために中国や韓国へ金型を依頼するメーカーも多いのですが……。原型師の精密な造詣をなるべく再現するため、今回は日本で型を作る事に踏み切りました。伝手のある金型メーカーで何度もテストショットを繰り返して、ようやく満足の行くものを仕上げることが出来ました。あとは試作品を打ち出すだけで、フェスタには充分間に合うはずだったのです。しかし……」
  韮山さん以下アーズの面々は、やれやれと胸をなでおろしてその日は帰宅し……翌朝再び顔を出したところではじめてその金型メーカーから自分たちの金型が盗み出されていたことに気が付いたのである。
  韮山さんたちは大慌てで警察に届け、また自分たちでも調査を行った。しかしその行方は杳として知れず、ただ時間ばかりが過ぎていった。やがて、このままではどうやってもフェスタに間に合わなくなる、という時点で『ダメもとでここに頼んでみろ』と紹介されたのがうちの会社だったという。そしてそこからさらに二日が経過した今日こそが、まさに『本当に金型を取り戻さないとどうしようもないデッドライン』なのだった。この瀬戸際にいきなり引っ張り出されてきたのが、この哀れなアルバイト、つまりおれというわけ。
 
 
「調査結果から報告しますと」
  おれは任務概要をみやる。この任務概要……おれたちは冗談半分に『オーダーシート』と呼んでいる……には、昨日までに他のスタッフたちが調べ上げた情報が精緻にまとめられ記載されている。ちょっとしたもので、これを見ればおれたち現場担当者は何をすべきか即座に状況を把握できると言うシロモノ。ここらへんのノウハウは企業秘密なんだそうな。警察でも手が回らない事件を、依頼を受けてわずか二日でここまで調べ上げる手法も含めて、実際所長を含め事務スタッフの実力は本物だと思う。ま、蛇の道はなんとやら、って事なのかも知れないが。
「メーカーから金型を盗難したのは高度に組織化された窃盗団です」
  おれはワイドショーでも有名なある窃盗団の名前を上げる。
「しかし、今回彼らは金型を盗んで売りさばく、というつもりではなかったようです」
「……と、いいますと?」
「彼らは報酬で雇われた。つまり計画犯は別にいる、ということです」
  韮山氏は目を細めた。それほど意外な回答ではなかったのだろう。では、一体誰が、と力なく問う。
「我々の調査では、計画犯は大手総合アミューズメント企業『ザラス』。そして問題のフィギュアは『ザラス』の本社地下金庫に保管されている可能性が極めて高いのです」
  おれは続ける。
「今回改めてお越しいただいた理由は一つです。韮山さん。現時点で取り得る手段は幾つもありません。我々がザラス本社地下金庫から金型を強制的に奪還することを、クライアントとして承認していただきたいのです」
  それを聞いた韮山氏はしばし沈黙し、やがて深々とため息を一つついた。
「ザラス、ですか。彼らはまだ僕たちを許してくれないのか……」
  おれは真凛にコーヒーのお代わりを持ってくるよう頼んだ。長い話になりそうだった。
 
 
  株式会社ザラス。誰でも知っている、外資系のアミューズメント最大手。だが、ことビジネス面から見るとその評価はあまりよろしくない。主だったものを上げると、
「独占禁止法スレスレ」
「特許権を悪用した同業者への威圧行為」
「有望な中小ゲームメーカーからの強引なヘッドハンディング、あるいは会社ごとの買収」
  ……などなど。裁判沙汰もいくつか抱えているようだ。未だ明確に「クロ」と裁定された案件はないようだが、グレーゾーンを突き進むその手法は業界各所で問題を発生させているようである。
「僕たちはもともと、ザラスからスピンアウトしたんです。ザラスの手法は確かに合理的です。しかし合理的過ぎた。僕らは綿密なマーケティングに裏打ちされたゲームを無数の制約の元で作らされた。酷いときは、他社のヒット商品を牽制するために、ほとんどそのコピー紛いを作らされたこともあります。……それでも、仕事だからとプロとして割り切っている人たちもいましたし、それは一つの正しい答えなのですが」
「あなた達はそうではなかったんですね」
「ええ。有志を集めてアーズを立ち上げました。しかし、その頃からザラスの有形無形の妨害が始まったのです。……ザラスからすれば、僕らが顔に泥をひっかけて出て行った、と見えるんでしょうね」
  そしてコケにされたと解釈した覇王ザラスは、報復を開始する。アーズが当初パートナーとして商談を進めていた銀行が、突如融資をとりやめた。親しかった音響やデザインの会社から冷淡な扱いをされるようになった。当初は、若造が後ろ盾なく独立したのだから仕方ない、と思っていたのだが、あまりに冷たすぎる境遇に焦り関係者を問い詰めてみると、ザラスから圧力がかかっていたことを告白した、というわけだ。
「それでもなんとかルーンを世に送り出すことが出来たのですが、それがまずかった」
「というと?」
「当時、ザラスもカードゲームに力を入れていたのです。僕も初期に開発に関わったゲームで『ゾディアック・デュエル』と言います」
  それはおれも知っていた。ルーン程ではないが、佳作と賞されたゲームだった。たしか数々のRPGやアドベンチャーゲームを手がけた有名クリエイターが製作指揮を取っていて、ええと名前は……。
「山野。山野修一です。僕の入社時代からの上司にして同僚でした。彼には一から仕事を教えてもらって。何本ものゲームを一緒に作りました」
「なるほど。韮山さんのお師匠様なんですね」
  真凛の問に、韮山さんは微妙な笑みを浮かべた。強いて言うなら、ほろ苦い笑い、だろうか。
「そうですね。でも結局僕は師匠と袂を分かつことになりました。ルーンは後発だったんですが予想以上にヒットしまして。結局のところ、ゾディアックが少しずつ開拓してきたカードゲームのシェアを、ルーンが思い切り食ってしまうことになった」
  ザラスにしてみれば、家出息子に自分の田畑を分捕られたようなものだろうか。
「これで我々と彼らの関係は完全に決裂しました。僕としても残念でしたが、仕方ない、お互いに不可侵ならそれでいいか、と思っていたのですが……」
「向こうはそうは思っていなかったようですね」
「なるほどね。二発目を何とか妨害しようって身も蓋も無い手を仕掛けて来たんだ」
  聞き役に徹していた真凛が呟く。それを制して言う。
「……我々の調査がどのようになされたか、という事は残念ながら申し上げられません」
  おれはオーダーシートを静かに卓に置き、彼に押しやる。
「そして、この調査結果は残念ながら裁判で証拠資料として提出出来るようなものでもありません。しかし、我々はこの調査結果が真実であると誓います」
  一つ息を吸う。ここから先は決めセリフだ。
「我々はクライアントの意思を尊重させていただきます。我々がこの調査結果に基づきザラスに潜入し……もし失敗したり、金型がなければ、責任の所在はどうあれ、結果として御社の名前に傷がつくことになるでしょう。反面、成功した場合、もともと『ないはずのもの』を取り返した以上、ザラスは御社に対して公式に反撃することはできない」
  韮山さんの目を見つめる。
「御社が苦しい状況にあり、他に選択肢が無いと知って言う失礼をお許しください。我が社を……私とこのアシスタントを信じていただけますでしょうか」
  傍から見ればけったいな状況だ。大学生のアルバイトと高校生のアルバイトが、信頼性ゼロの資料を突きつけて、企業の実力者に「あんたらのために危ない橋を渡るから責任持て」と言ってのけているのだ。こんな話、通常は噴飯ものだが。
「……貴方たちのお話は聞いています。例え過程がどうあれ、目的は間違いなく達成されるのだと。正直、今日直接お会いするまでは依頼するつもりはありませんでした。ですが……。よろしくお願いします。我が社を……僕たちのアーズと、ルーンを助けてください」
  おれは息を吐き出した。契約は成立、というわけだ。
「お任せください。『フレイムアップ』の名にかけて、結果はきっちり出しますとも」
  ……思えばこういう言い方をするから、『人災派遣会社』とか呼ばれるのかもなあ。
 
 
  おれたちはそれから〆切時刻の詳細、経費の取り扱いの再確認など、事務的な打ち合わせを行った。やがて韮山氏は、ゲームフェスタの準備をしなければならないと事務所を去っていった。去り際にこう一言を残して。
  『ザラスも昔はそこまで酷くは無かった。ゾディアックを開発したときも、僕と山野さんがメインで開発しました。毎日徹夜続きで、会社に寝袋を持ち込んで。気が狂いそうな生活ではありましたけど……。今となってはそれはそれで、きっと楽しかったんだと思います』と。
 
 
 
 

◆◇◆ 4 ◇◆◇

 
 
  ……で、それから二時間後、こうしておれたちは事務所のバンに乗って丸の内をばっさり横断し、ようやくここ臨海副都心までやってきたというわけだ。既に日は傾き始めている。
「デッドラインは今日の深夜三時。それまでに金型を取り返し、埼玉県の川口にある金型メーカーに納め、製作に取り掛からなきゃいけない」
  金型を盗まれたそのメーカーは、自らの失態を償うためにも、と今日は徹夜で起きていてくれているのだそうだ。戦っているのはおれたちだけではない、ということ。
「川口まで首都高を経由するにしても……逆算すればそんなに猶予は無いな」
  ポケット地図を手帳にしまいこむ。
「アーズの興廃この一戦にあり、か。期待を裏切るわけにはいかないよね」
  組んだ掌を大きく天に向け、真凛が伸びをする。
「気ぃつけろよ。さすが外資、やることに遠慮が無いみたいだからな」
  ここから先は、韮山氏には報告する必要はなかった個所である。うちの事前調査によれば、ザラス社はつい数日前から、資本を提携している外資系某大手警備会社から人員を招聘しているらしい。その数は不明。
「結局、獲れるもんなら獲ってみやがれ、ってことなんでしょ?」
「だろうな。覇王ザラスが目の上のたんこぶアーズに仕掛けた公然の妨害ってやつさ」
「そううまくいくのかな?」
「行くだろうさ。言っただろ、証拠は見つからないんだ。見つかったとしても、その時にはフェスタは終わってる。アーズの信頼は回復のしようがない」
「この時点で王手詰み、ってこと?」
「ああ」
  おれはザックをかつぎ、今回の現場であるザラス日本本社ビルへと足を進める。
「おれたちさえ出てこなけりゃ、な」
 
 
  エントランスをくぐると、過剰な照明と、広大な室内に反響する無数の電子音声がおれ達を出迎えた。ザラスビルの地上十階までは一般にも公開されている。そこにはデパートを初めとするショッピング施設やレストラン街が納まっており、その気になれば丸一日かかっても周りきれるものじゃあないだろう。そして特筆すべきはおれたちが今いるこの一階から三階までのフロア。ここは三層ぶち抜きになっており、巨大なアミューズメントパークとなっている。流石に娯楽の最大手、どこを向いてもザラス製のゲームで埋め尽くされていた。ビデオゲームやUFOキャッチャー、ドライビングゲームや射撃ゲームと。ちょっとした遊具の博覧会を思わせる。中央には通常のゲームセンターに設置できないようなバーチャルリアリティー系の大型筐体も置かれている。ここでしかプレイできないゲームと言うのも多くあるのだそうだ。
「株主総会なんかやるときにはお子様方のハートを鷲掴み、ってわけだね」
  とりあえず真凛と別れ、三十分後に集合としたので、おれは手近のビデオゲームコーナーにあった麻雀ゲームにワンコインを投入し……高田馬場なら五十円一ゲームなのだが……プレイに興じ始めた。雀ゲーの感覚が大分鈍ったなあ、とぼやきながら何気なく視線を周囲に巡らせていく。
  真凛は真凛で、UFOキャッチャーに御執心のようだった。愚物グブツめ、己の不器用さを棚に上げて無謀な戦いに挑みおったワ。大人しくパンチングマシーンにでも挑戦していればいいものを。
『ツモ』
  サンプリングされた女性のヴォイスと共にダブルリーチ・一発・ツモ・タンヤオ・平和・イーペーコー・三色同順・ドラ5を喰らって、おれのワンコインはあっさりと撃沈した。
「くっ、サマ全開仕様かよ……」
  おれはスタンドで飲み物を買うと、今度は対戦格闘ゲームの台にコインを投入した。どうもこういう時古いゲームをプレイしてしまう自分が情けない。
「チェーンの腕は健在、と……。にしてもま、コワモテの警備員が多いデスコト」
  店員の格好をしてるくせに、『監視』と『巡回』に徹しすぎてるのが五名。客の振りしてうろついている割には周囲に眼を配りすぎてるのが四名。プロの仕事にしちゃあお粗末だなあ。……というより、やはりこれは牽制と見るべきなんだろうか。このパターンで行くと、彼らを指揮する系統中枢は、モニター管理された警備員室というあたりか。はたまた担当者が現場主義だった場合は……。おれはCPUが操るミイラ男を沈めたあと、息抜きとばかりに首を上に向け肩をまわす。
  ――いた。
  吹き抜けになっている三階の一番上、フロア全体を見下ろせる位置に、そいつは突っ立っていた。店員の服を着ちゃあいるがぜんぜん似合ってない、アングロサクソン系の大男。体格は百九十センチってえところでしょうか。サングラスなんかかけちゃってまあ、胡散臭いことこの上ない。……おいおい、目線がこっちと合ってるよ。おれは何気なく肩をぐるぐると回すと、再びモニターに視線を落とした。やれやれ、提携会社から警備員を招聘したってのは確定らしい。おれはミイラ男の次の相手、狼男を見やりつつ善後策を考えようとした。と、
『グゥ・レイトォー!』
  一際大音量の電子音声が隣のフロアから響いた。思わず視線をそらした瞬間に、おれの操る魔界貴族は狼男に大ジャンプからのコンボの挙句超必殺技を叩き込まれて沈黙した。視線の先には……パンチングマシーンの前で拳をかざす真凛。……あのおバカ。仕方なく席を立つ。
『今週の記録更新者ダ!!アメイジングなユー!名前を入力してくれたマエー!』
  マシンの筐体に設置されたディスプレイから、3Dで描かれたダニエルさんとかそんな名前の雰囲気なマッチョな兄ちゃんが「AMAZING!」という吹き出しと共にこっちを指差している。
「うお、すげー」
『名前を入力してくれたマエー!!』
「え、なになに、新記録?」
『名前を入力してくれたマエー!!』
「もしかして、あのちっちゃい子が?」
『名前を入力してくれたマエー!!』
  どうやらマッチョなダニエルさん(仮)は名前を入力するまで逃がしてくれないらしい。どよどよと集まってくるギャラリーにうろたえまくっていた真凛はおれの顔を見つけるとぶんぶんと手招きした。
「どどど、どうしよう陽司」
「……潜入任務で目立ってどうするのか」
  おれは頭を抱えた。おおかたUFOキャッチャーで何度トライしても景品が取れなくて苛立ったあげく、ろくに操作方法も知らないくせに手近のパンチングマシーンに八つ当たりしたあげくこうなったんだろう。
「なんでわかるの?」
「……まだまだ正調査員への昇格は程遠いですのウ、七瀬クン」
  言いつつ、手早く名前を入力してこのダニエルさん(仮)を黙らせた。真凛の手を取ってとっとと連れ出す。ひょっとして故障っすかねえ、などと白々しくおれが呟いたせいもあってか、野次馬たちもそれほど足を止めることなく散っていってくれた。スタンドに戻ってきたおれは真凛にコインを放り、手持ちのコーラを飲み干す。
「さて。わかったことは?」
「明らかに普通の人とは違う気配の人が十二人。殺気とまではいかない。警戒ってとこ」
「ふむ……」
  こと気配の見立てに関してはおれよりこやつの方がよほど正確だ。通常の警備員と合わせると、なかなか気合の入った警戒態勢と言わざるを得ない。
「さすがに真正面からカミカゼ、ってのは避けたいところだよな」
「ボクはそれでもOKだけど?」
「死人が出るからヤメレ」
  言いつつ、おれはザックを背負いなおした。オーダーシートに拠れば問題のブツは地下二階の専用金庫。この一般公開されているフロアから侵入するのは並大抵の技ではない。よくしたもので、いったん泥棒さんの視点に立ってみれば、あちこちに設置されている『館内見取り図』なんてものが、如何に限定された情報しか掲載されていないかがよーくわかる。
「しかしま、イヤな造りだよな」
  脳裏に刻み込んだもう一つの見取り図……これもうちの伝手で手に入ったちょっとグレーなシロモノだ……と建物の施設を照合させていくと、イヤでもこのビルを注文した人間の思想が浮かび上がってくる。
「ひひゃにゃつふり?」
「フロートくらい食べ終わってからしゃべれ」
  おれの言葉に「了解」のサインを送ると、ストローを忙しく動かし、大きく喉を鳴らして緑色の氷を嚥下した。と、しばし額に手を当てて沈黙する。……前々から思っていたんだが、こいつ相当おめでたいんじゃないだろうか。
「……嫌な造り?」
「このビルな、地下施設と、上層にあるザラスの中枢フロアが直接エレベータと非常階段で結ばれてるんだ。配電や上下水施設しかり。このアミューズメントフロアや、上のショッピングフロアとは完全に独立してるんだ。そして中枢と地下フロアのセキュリティレベルが、周囲とは明らかに異なっている」
  見かけは一つの巨大ビルだが、実状はねじれた二つのビルが絡み合っているような形状なのである。特に地上階のフロアは、地下施設と中枢エリアをつなぐエレベータを、まるで背骨を取り囲む肉のように覆っており、そこに通常のお客様向け階段やらエスカレーターが設置されている。つまりは、
「肉を切らせて骨を断つ。何かあっても地下施設と中枢区画は無事、ってこと?」
「そーいうこった。仮に、だ。このビルに突如どっかのテロリストが潜入してきて立てこもったとして……ここやショッピングセンターにいるお客が恐怖のどん底に陥れられてるのを尻目に、ザラスのお偉いさんは悠々と地下から脱出出来るってコト」
「最低だね、それって」
「まー、彼らは軍人でもないワケだし。そこまで責めるのは酷ってもんかも知れんが」
  気に入らないね、と真凛の声とハモり苦笑する。と、
「今週の記録更新、おめでとうございます」
  カウンターの向こうから声がかけられた。
 
 
 
 

◆◇◆ 5 ◇◆◇

 
 
「お探ししましたよ。景品をご用意したのにすぐ立ち去ってしまわれたのですもの」
  カウンターに佇んでいたのは、このアミューズメントパークの係員の制服をまとった女性である。ありていに言えば、素晴らしい美女であった。黒髪をいわゆるポニーテールにまとめているのだが、むしろ、結っているという表現がどこかしっくり来る。スタイルは西洋八頭身なのだが、和服が意外と似合うんで無いかなーと脳裏でもやもやと想像する。歳の頃は二十五にわずかに届かないところだろうか。世間知らずの大学の先輩方とは違う、大人の色気に当方メロメロでございます。いてっ。脇腹をどつくな。
「あのパンチングマシーンは、時々プロの格闘技選手の方も遊んでいかれるのですよ」
「いやー、久しぶりにちょっとこう昔マスターしたカラテの突きでも出してみちゃったらいい数字が出てしまいましてねえ」
  まさか隣に座ってるこのお子様がどつきました、とは言い難いので無難にまとめる。お姉さんはまあ、格闘技をやってらっしゃるんですか、と問う。生憎そんなもん真面目に習ったことは無い。
「ま、機械が故障でもしてたんじゃないっすかね」
「そ、そうそうそうですよ」
  お姉さんは、そうかもしれませんね、でも記録は記録ですし、と言うと数枚のチケットをくれた。どうやらこのアミューズメントパークのゲーム、ドリンクが無料になるというものらしい。おれはさっそくその場でチケットを切って、今度はアイスコーヒーを三人分頼むことにした。
「三人分、ですか?」
「ええ、おれとこいつと、貴方の分」
  本当はこいつと、のくだりを外して二人分にしたかったのだが後がコワイ。営業スマイルで丁重にごまかされるかと思ったが、お姉さんは驚いたものの、すぐにくすくすと笑うと、カウンターの奥からアイスコーヒーを三人分用意してくれた。仕事と割り切ればシャイなおれでも割とこういうセリフを吐けるというもの(横で「普段はもっとしょうもないこと言ってるじゃない」という声があがったが無視)。
「いやあ、今日は退屈してる弟の引率でやってきたんですよ。会社のビルの中にある、っていうから小さいゲームセンターみたいなものを想像してたんですが」
「誰が弟だ!」
  お姉さんは真凛に気が付いて、にっこり微笑む。
「可愛い妹さんですね」
  ああ。そういえば今日は制服着ていたっけな。
「今日は楽しんでいただけてますか?」
「ええ、まあ最新のゲームになるとちょっとついていけないところもありますが」
「もういい歳だもんねえ」
「……おまえ、そんなセリフ路上で吐くと世の二十三十四十代から呪われるよ?」
  ちなみにおれはまだ花の十代である。
「あんたの精神的な年齢ってことだよ。こないだもみんなが出かけているときに一人残ってスーパー銭湯でマッサージしてもらってたじゃない」
「あ、あれはいいだろ。風呂上りのマッサージは神が定めたもうた人生の娯楽デスよ?」
  おねえさんは口に拳を当てて笑うのを堪えて、仲のよいご兄妹なんですね、と言った。ええまあ、仲がいいかはともかくどうにかやっとりますよと返すと、真凛も不承不承頷く(視線がアトデオボエテロになっていたがとりあえず放置)。
「こんなでっかいビルを建てる辺りはさすがザラス、ということですかね」
「それはもう、ちょっとここは他のビルとは違いますからね」
  言うとお姉さんはアイスコーヒーにお代わりを注いでくれた。サービスと言うことらしい。
「っていうと?」
  真凛が問う。
「このザラス日本本社ビルは、いわばアメリカから日本へ進出するための前線基地ですからね。中世においては城には威容と堅牢さが求められる。それを現代建築に再現するとこうなるのかもしれませんね」
「……へえ」
  おれは唸った。彼女の名札を思わずみやる。
門宮かどみやといいます。このフロアのマネージャーを務めております」
  ほう、とおれは呆ける。
「あ、どうも。おれは亘理といいます。こいつは弟の」
「だから弟じゃない!なな……ごほん、真凛といいます」
  殺気が首のあたりをよぎったがとりあえず黙殺。
「失礼ですがその若さでマネージャーというのは」
  おれも歳の割にはずいぶん如才ないと言われるほうだが、所詮は学生。ビジネスの前線で活躍するホンモノの前では頭を下げるしかない。
「外資のいいところですよ。チャンスは平等、つかめる者が先に行ける。日本の企業ではこうはいきませんものね」
  ……なるほど、仕事が出来るヒト、と思って間違いないようだ。
「このビルが完成したのはつい最近だったと聞いていましたが」
「ええ。実を言うと私もここに配属になったのはつい最近のことなんですよ」
  ふふふふ、と意味ありげな微笑を返す門宮さん。その笑顔におれも思わずふふふふー、と気持ち悪く顔を緩めそうになったが、足の甲を踏み抜かれた痛みで我に返る。
「私は昔、この辺りの別のアミューズメントパークで働いていたんですよ」
  門宮さんは言う。
「その頃はここら辺は、閉鎖された下水の処理施設があるだけで、雑草だらけだったんですけどね。開発がはじまって一年と少しで、気が付いたらこんなビルになっちゃってました。それにも驚きましたが、まさかそこで自分が働くとは思いもよりませんでした」
  ……ほー。下水処理施設ね。
「おれももうじき就職活動しなきゃいけない季節なんですよ。もしザラスを受けることになったらぜひ、推薦状を書いてくださいね」
「あら、推薦文はどんな内容にすればよろしいですか?」
「そうですね、パンチングマシーンの記録を更新したカラテマスターとして」
  門宮さんは好意的なニュアンスで、考えておきます、と言ってくれた。……好意的なニュアンスだったと信じたい。その後、真凛も交えていくつかとりとめもない会話を行ったが、やがて腕時計が一つ、電子音を刻んだ。
「陽司」
「……おっと。残念ですがそろそろこいつの門限みたいです。今日は楽しかったですよ。それでは」
  何か言いかける真凛をとっとと引き起こし、おれはコーヒーのグラスをカウンターへ押しやった。門宮さんは去り際のおれににっこりと微笑んだものだ。
「それは残念ですね。今度はもっとお時間のある時にいらしてください。お待ちしております」
  おれもとっときの笑顔を返し、アミューズメントフロアを後にする。視界の隅で、さっきのアングロサクソンの大男がこちらを見ているような気がしたが、とりあえず気にしないことにしよう。うん、そうしよう。
 
 
 
 

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