以下のドボン会 会長 (id:dobonkai)の記事を読みました。言葉のみによるコミュニケーションの難しさというのはいろいろなところで言われていますね。「それは誤解だ」「いやお前の書き方がおかしい」というやり取りも多くのところで見られます。
私は相手の主張を理解しようとする場合,相手のことを誰よりも理解するつもりで読もうと思っています。その上で批判するという作業になります。だから本来,批判するというのはかなりハードルが高いものなんですよね。
本を読むという難しさ~改めて読書とは何か - いつか朝日が昇るまで
大学院では練習したのはまさにそのことで,例えばジョセフ・ナイであればこの問題に対してこう答える,ミアシャイマーならこう答えるという練習をして,「いや,たぶん彼ならこういう風に答えるのではないか」なんてやり取りをする。その上で初めて「君の考えは?」となるわけです。それぐらい読まないと新しいことなんて言えないんですね。だから今でもなかなか言えないということなのですが…。
- 作者: ジョセフ・S.ナイジュニア,デイヴィッド・A.ウェルチ,田中明彦,村田晃嗣
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2013/04/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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- 作者: ジョン・J.ミアシャイマー,John J. Mearsheimer,奥山真司
- 出版社/メーカー: 五月書房
- 発売日: 2007/01
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私はブログに関してもはてブで回ってくる記事だけではなく,他の記事も読んで批判することが多いのですが,はてなブックマークというのは基本的にその記事だけを読んで判断されることが多いですよね。はてブコメントを読むと「前の記事を見れば分かるのに」なんてものもあります。ただだからと言ってはてブが悪いという訳ではなく,そういうサービスだということです。これはグノシーでも変わらないでしょう。こうしたサービスに対して「他の記事も読んで判断しろ」とするのはそのサービスの死を意味し,手斧が飛び交わない平和なはてな村というどこにでもある村社会が実現されてしまいます(そういうのがいい人もいるかと思いますが…)。
それに対してはてなブログで読者登録をして定期的にブログを読んでいる読者はそういう反応はほとんどしないわけです。ひとつの記事も以前の記事の延長線上で読んでいるんですね。そんな対立があって面白いなと思ったのがトピシュ (id:topisyu)さんの以下の記事です。
誤読解説"黒っぽいレトリックを駆使してPVを稼いでいるブロガーは、どこでブログを書いてもウンコまみれになるのでは" - 斗比主閲子の姑日記
私もトピシュ (id:topisyu)さんのブログをいつも読んでいるので,こういう「誤読」はしなかったのですが,はてブなどでたまたま目にした場合,こうした「誤読」の頻度というのは増えるのでしょう。
しかし,そうした「誤読」を「誤読である」と指摘することにあまり意味がないのも事実で,「読み手がそう読んだ」以上のものではなく,「誤読」を読み手に強制することもできないとも思います。実際に「そう読めるんだから!!」と言われて終わりです。twitterはその典型で「タイムラインを読み返せ」と言っても「そんなことしない」という人がほとんどでしょう。
だから書き手としては「誤読される」ということは「そう読めるのか」と考えて,次に生かすというのが良いのではないか,と思うわけです。つまり,そうした「誤読」は「言語的コミュニケーション」の限界ではなく,面白さだと捉える。だってそれで記事が1つ書けるじゃないですか(笑)。
ブログの記事は皆さんへのネタ提供。そんな風に気楽に考えたら,各方面から怒られそうですが…。