岡田斗司夫なう。

2014年09月12日

【岡田斗司夫ゼミ9月号】ジブリは存在自体が無茶だった?宮﨑駿が起こした奇跡と、ジブリ復活のシナリオ

この記事のポイント
  1. アニメスタジオに正社員がいない理由
  2. 宮﨑駿あってのスタジオジブリ
  3. 存在自体が奇跡だったジブリ
  4. ジブリ復活の鍵は庵野監督とナウシカ2

2014年9月7日放送ニコ生ゼミより
この放送の全長版はクラウドシティでご覧いただけます。最新動画はこちらから

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Q:もうジブリのようなアニメスタジオは生まれないのか?
A:生まれるはず無いじゃないですか!

┃アニメスタジオに正社員がいない理由

あのね、ジブリは存在自体が無茶だったんですよ。
昔は普通の映画会社ってスタッフを全部抱えていたんですね。だから映画会社って金がかかってすべてフリー制になった。ハリウッド・クレオパトラの制作費が100億円超えてどうしようもなくなって、1960年台ぐらいにアメリカの映画会社がバタバタっと倒産し、日本の映画会社もピンチになった。

その結果、日本の映画会社は自社で映画を作らなくなって、外部プロダクションが作るようになった。スタッフも全部仕事ごとに雇うようになって、映画会社は何とか生き残ることが出来ました。でも映画を作っている人はみんな貧乏になった。こういう大きな流れがあります。

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┃宮﨑駿あってのスタジオジブリ

アニメの場合も最初、東映動画というアニメ会社がアニメーターを全部社員で囲っていたんですね。それを辞めてフリー制にしようとした時に、高畑さんとか宮﨑駿さんが東映の労働争議という世界の左翼の歴史に残るような大共産党運動というかか社会運動を起こして、揉めに揉めた結果、結局東映の動画スタジオは社員制を辞めてフリー制に移行しました。

その結果日本のアニメスタジオはすべて、手塚プロも含めてフリー制になりました。極端なネガティブな言い方になるかも解からないですが、ジブリというのは「高畑・宮崎さんの夢よもう一度」だったんです。
本来、もう1960年台の後半に社員を雇ってアニメを作るなんて無理なのは当たり前なんですよ。それをもう一回やりたくて始めたスタジオなんです。では何で2014年までそれが成立したのかというと、圧倒的な宮﨑駿のアニメの売上があったから。ただ単に理由はそれだけなんですね。

┃存在自体が奇跡だったジブリ

本来ジブリは成立するはずがなかったんですよ。社員を固定給でアニメータとして雇って、そいつらから出てくる企画を自由に揉んで、それを発表していいアニメを作ろうなんていうのは、1960年台には無理だと判っていて、どんどんあらゆるアニメ会社がフリー対応になっていた。だからジブリっていうのは宮﨑駿自身がすごいヒット映画が作れるから出来るかもしれない?というふうに、15年間だけアニメ界に吹いた幻のような風だったんですね。びゅわーっと、風立ちぬですね。

「宮﨑駿がオレ引退」って言った時、誰も引退してくれなんて言ってないんです。みんな止めたのにオレ引退って言ったんですよ。その結果ジブリは当たり前ですけど、雇っているアニメーターを首にして、フリーの普通のアニメ会社になります。と宣言をしたんです。オレが漏れ聞いた話では宮崎さんが怒ってるって言うんですけが、怒る資格ねぇよって思うんです。

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┃ジブリ復活の鍵は庵野監督とナウシカ2

なので、「ジブリのようなアニメスタジオはもう生まれないのか?」という質問に関しては、もし生まれるとしたら、庵野秀明がナウシカ2作ると言って、それ以降も1年半に1本、新作アニメでナウシカか、エヴァか、ガンダムか、ヤマトを順繰りに作りますと言えば、固定給で社員を雇えるアニメスタジオは可能かも解かんないですね。まあ、それくらい無理しないと出来ないと思います。

押井守さんなんかジブリが出来た頃から、アナクロニズムの極地だとか、いずれ潰れると予言してたくらいですから。

ライター:忠内寿弘(FREEex)

2014年9月7日放送ニコ生ゼミより
この放送の全長版はクラウドシティでご覧いただけます。
 

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