【巻頭歌】
誰にどんなひどいことをしても、自分の心が汚れていることに気づかず生きていけるのが本当のクズ(詠み人知らず)
ツイッターは、いつもバカッター。
バカ発見機として高性能に機能してる。
これは目的と行為が曖昧だからじゃないだろうかと感じる。
たとえば冷蔵庫の扉を開けるのは、中にしまってある物を取り出すため。
行為:冷蔵庫の扉を開ける
目的:中にしまってある物を取り出す
多分、目的が無くて冷蔵庫の扉を開けたいから冷蔵庫の扉を開けるひとは、とても少ないと思う。
人間が行動することの多くには目的があり、その為に行為を行う。
ツイッターで、このようなツイートを見かける。
腹減った、昼ご飯食べよ
このツイートの「目的」はなんだろう?
( >д<)、;'.・ ィクシッ
このツイートの「目的」はなんだろう?
( ∩ˇωˇ∩)
このツイートの「目的」はなんだろう?
死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!
このツイートの「目的」はなんだろう?
これらのツイートには「目的」が感じられない。
もし目的をあげるなら「ツイートすること自体」が目的かも知れない。
行為:ツイートする
目的:ツイートする
ツイッターで事件が起きる。
特定のアカウントに向けて「自決しろ!」「責任取れ!」「クズは死ね!!」と罵声のツイートが飛ぶ。
これらにもし目的があるなら、それは「相手を殺したい」「傷つけてやりたい」と言ったモノだろう。
もしくは「すっきりしたい」と言うどうしようもない理由かもしれない。
そして中には、言葉は同じでも対象を死なせることが目的で無く「バカをバカにしている表明」という意味の目的と行為の錯誤もある。
行為:バカをバカにしているとしてツイートする
目的:バカをバカにしているとしてツイートする
ツイートすること、それ自体が目的。
そのツイートが拡散され、叩かれる側になりバカッターと言われたりもする。
ツイートするとき、結果や効果なんて考えてない。
もともと目的なんてない。
ツイートしたかったからしただけ。
大した考えや倫理観なんてない。
バカをバカにして何が悪い。
死んで当然のヤツだから死ねって書いただけ。
死んでも生きててもどうでもいい。
もし目の前にそいつがいたら?
そんなの考えるわけねーし、そうなったらそんとき考えればいいんじゃね?
バカなの?死ぬの?いちいち考えてたら胃に穴が空くわハゲ。
悪意の正体
ネットには悪意が満ち溢れてると言う。
でもそうか?
「悪意」といわれるものの大半は単なるゲスの勘繰りや、児戯に基づく目的のない発散、ただのヒマつぶしの気がしてならない。
誰かを本気で傷つけたいと思い、心の底から憎み、悪意を持って書きこむ人間がいないとは言わないし、それはネットが広まる以前から存在したろう。
「死ね」
とネットに書くとき、ツイートするとき。
本気で相手に「死ね」と思っている人間がどれだけいるのか。
「死ね」と言う言葉は確かに強いがそこに伴う意志も強いとは限らない。
表情も感情もゼロで打ってることだってあるだろう。
本気の「死ね」と便所でヒマつぶしにスマフォ使いながら書く「死ね」
バラエティ見て笑いながらツイートする「死ね」
書かれた言葉は同じ。
悪意が無くても「死ね」と書ける。
残念ながら人間はそういう風に出来ている。
言葉に責任なんて感じてない。
パクるのにも抵抗なんてない。
価値なんて感じてない。
たかがツイッターだろ?バカじゃねーのwwww
読んでどう思うかなんて知るかボケ、そう思ったからそう書いてんだよクズカスゴミ野郎、嫌ならやめろ垢消せ、お前が死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
ヨルヒョーwwwwwwwwww(☝ ՞ਊ ՞)☝カッカカカカカカwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwヨルヒョーデースwwwwwwwwwwwwwww
(☝ ⊙ਊ ⊙)☝ツイニツギノヒニナッテシマイマシタァアwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
垢消せ体操第二いくよー!!☝( ◠‿◠ )☝垢消せ!
☞三(☞'ω')☞三☞【お前】☜三☜('ω'☜)三☜消えろォォwwwww
└( ^ω^ )」垢消せ♪L( ^ω^ )┘ (´◔‿ゝ◔`)<垢消せ!!!
垢消さないなんて☛(◜◔。◔◝)☚ココ大丈夫ですかぁー?
TWITTERという外部脳
この一つの答えとしては、ここまで書いてきたように、Twitterをコミュニティと考えて、そこで積極的に自分の地位を確立しようとしている人はいると思います。Twitterへのコミュニティ依存。「何であの人は私をフォローしてくれないの」「ふぁぼもリプライもないし、私のことをミュートにしてるに違いない」なんて言っている人なんかはそういう傾向があるんじゃないでしょうか。
(中略)
依存している人以外に、そういう何かに取り憑かれたような人もいるでしょうし(キーワード検索で女性専用車輌肯定派を探しだしてひたすら糾弾リプライする人とか)、Twitterの場合は、周りに人がいるという意識を持てやすいのもありますよね。この依頼者さんが例に挙げられたように、周りの人が自分と同じように呟いていると、その呟きのタイムラインを見ているだけで、誰からもリプライがなくただ一人で呟いていても、誰かがそれを共有してくれている気がする。人に話しているような気になれる。聞いてくれる人がいて話す会話と、誰も聞いてくれない会話だと、前者のほうが断然話したくなりますよね。後は、とにかく頭の中を吐き出すことが大好きな人も世の中には一定数います。
あるコミュニティに依存しちゃうのはリスクが大きいんじゃない?という話 - 斗比主閲子の姑日記
しばらくTwitterから離れてた。
そして帰って改めて感じる、その思考との近さ。
こういうブログ記事にも自分の考えを書いたりするけれど、それなりの長さがあれば推敲もする。
読まれることも考えるしテーマや構成もある。
画像を入れ、削り。
下書きにし保存し、書き足したり。
ところがTwitterはそうじゃない。
考える→書く→ツイート
このレスポンスがとても短い。
その分フィルターが薄い、自分自身が出やすい。
自分の鏡としてのTwitter。
ファボられること、拡散されることはつまり自身が承認されたと感じやすい。
自身のアバターとしてのアカウント。
だから依存が産まれる。
前段で書いたように目的と行為が混濁しやすいのはこの距離感の近さがある。
ツイートすることは本来行為なのだがツイートすること自体が目的になる。
ツイートすることでそこに存在している。
ツイートしないのはいないのと同じ。
存在するために書き続ける。
息を吸うように。
そしてファボられることで認められる。
悪意も善意も無関心も、すべての思考が漏れ出すTwitterと言う外部脳。
性悪説
ひとは善意でなんて生きてない。
社会性がある現実世界は倫理観に基づくからこそ善意が出やすい。
悪意はネットだけにあるわけではないが、社会性の薄いネットでは見えやすい。
倫理観を必要としない空間では。
ネット上に自分を出せば悪意を向けられることも多い。
悪意が無くても悪意のような言葉を見ることだってある。
悪意を伴わない無責任な「悪意」を装っているだけの強い言葉。
善意の言葉より、悪意の言葉の方が強く見える。
残念ながらそれを避けるには自身を出さない、見ないしかない。
他人に対して「悪意を見せるな」とは言えない。
残念ながら倫理観が無くても無責任でもバカでもアホでもネットにアクセスできるなら書きこむのは自由*1。
悪意をまき散らし、自分を弱者に仕立てるのも、強者として飾るのも。
人間らしい人間的な人間の繋がりで出来てる。
ツイッターは、ドロドロと薄汚れていてとても人間的な場所。
肉体と社会の伴わない人間の意志と思考がそこに見える。
どれだけの素晴らしい技術革新も、陳腐でくだらないものに貶めるのがとても上手い。
最後に炎上の権威のお言葉を掲げたい。
どんなに有名な人だって、どんなに強そうな人だって、どんなに嫌いな人だって、心の穴を隠すために強がってるだけだと思えば、そんな簡単に石なんて投げられなくなるよ。あいつは自分なんかとは違う(だから攻撃してよい)という発想が、他者を容易に傷つけてしまう。
— 家入一真 (@hbkr) 2014, 9月 12せやな。
*1:もちろん誹謗中傷を除くが(その場合は法廷でも何でも手段を行使すればいい)