昨夜の記事の補足。「戦後リベラリズム」が終わったことは、朝日に多い勉強の好きな記者なら気づいていると思うが、その代わりにどういうパラダイムを構築すべきかはむずかしい問題だ。私はその出発点を(彼らに受け入れやすい)丸山眞男に求めてみたい。
丸山は死ぬ直前まで『正統と異端』という本を書いていた。それは完成しなかったが、その一部は晩年の傑作「闇斎学と闇斎学派」として残されている。彼はここで「正統」という漢語がorthodoxyとlegitimacyの二つの言葉の訳語であることに注意をうながす。

前者は学問的な正当性、後者は政治的な合法性だが、これに彼はそれぞれ「O正統」と「L正統」という奇妙な名前をつける。この二つは中国でも日本でも区別されないが、西洋では教会と国家として明確に分離されている。

この論文は晦渋でわかりにくいが、晩年の『自由について』という座談集で、彼はその問題意識をわかりやすく語っている。キリスト教では普遍的真理としてのO正統と政治権力としてのL正統は別だが、儒学ではL正統の理論武装としてO正統が使われる。日本にはどっちもなかったので、儒学のO正統を使って天皇制のL正統を正当化する日本的儒学ができた。

この最初が山崎闇斎で、その弟子の浅見絅斎のような「異端」が水戸国学に受け継がれ、尊王攘夷思想として明治維新の「正統」になる。ここでは儒学の普遍主義が神道とか天皇家という「日本的特殊主義」になってしまう。
普遍的な教義というものは全部外来で、日本の神道は普遍的になりえないわけですから、普遍的な教義が日本に入ってくると、みんな変に日本化されてしまって、つまりは神道的パターンになってしまう。それが「思想が本格的な正統の条件を満たさない」つまりO正統がO正統の条件をみたさずに、L正統になってしまうということです。(p.31)
儒学のO正統は、明治以降の日本では天皇制というL正統に化けてしまい、靖国神社のような天皇家の私的な慰霊施設を首相が参拝する。丸山は「だから天皇制を打倒しない限り、そういう意味では普遍主義というものは日本に根づかないと思います」という。

他方、「右のほおを打たれたら左のほおを差し出せ」というキリスト教のO正統は日本に根づかなかったが、新憲法の平和主義としてL正統になった。それは現実の国際政治の中では機能しないので変質してきたが、朝日はこれを憲法の原理主義に依拠して批判し、政治的には異端でありながら理念的にはO正統として「論壇」の主流だった。

しかしこういう日本的にねじれた正統と異端の関係は、冷戦の終了とともに崩壊してしまった。朝日のような非武装中立は普遍的なO正統になりえないが、戦前の天皇制というL正統を「取り戻そう」という右派も時代錯誤だ。日本がこういうローカルな対立を超える普遍的な「ソフトパワー」を構築しないかぎり、慰安婦騒動のような中韓との不毛な対立はくり返されるだろう。

もちろん丸山は制度としての天皇制を打倒しろといったわけではなく、彼が問い続けたのはそれを支える「まつりごと」の構造だった。中心のない日本的意思決定が、近代化を成功させた一方で大失敗の原因ともなり、今は大停滞の原因になっている。

丸山もポパーを批判して「事実によっては事実を批判できない。事実を超えた見えないイデーによって、初めて事実を批判できる」という。天皇制に代わる普遍的イデーが何であるかを彼は明言していないが、それは今後100年ぐらいの日本の課題だろう。今度の騒動で朝日の記者が一人でもそれに気づいたとすれば、不幸中の幸いである。