私は好きじゃなかったんですよね。
本番はともかく練習は暑くてきついしね。
小学校から何年間もこんなしんどいことやらすなよと思ってました。
最大限譲歩して本番だけでいいよあんなもんと思ってました。
中学は漢文学同好会で、高校は文芸部に入っていた私にはしんどかったです。
それはいいとしてですね。
思い返せば学校の行事のほとんどが自分にとっていらないものだった気がしてきたんですよ。
手始めに学芸会とか文化祭とか修学旅行とかも無くしてしまえと思いました。
次に、長いだけで誰も聞いてないような話を延々とする始業式とか終業式とかもいらないなと思いました。
そうする内にいらないと思うものが増えていきました。
合唱コンクールも。
全校生徒総出での野球部の応援も。
応援の時の野球部のコールも吹奏楽部の楽器演奏も応援団の声援も。
手がパサパサになってしまう黒板とチョークとラーフルとラーフルクリーナーのセットも。
なぜかいい子ちゃんっぽいこと書いてばっかりな作文とか感想文も。
古文の授業で必ず出てくる清少納言とかいう厭味ったらしい女も。
教師による本気の憎しみがこもった暴力も。
上履きもランドセルも学校指定カバンも制服も必要ないなと思ったんです。
思い返せば、学校って色々やり過ぎなんですよね。
なんかあれもこれもって感じで次々に思い出されましたよ。
そうは言っても何でもかんでもいらんいらんと思う人がそんなに居るとは思いません。
でも、ひとつやふたつ「これいるか?」って本気で思ってる人はいるんじゃないでしょうか。
という話はいいとして、実際に運動会を廃止するとなるとやはり大変なんだろうと思います。
なんかありますよね。
その慣習が元々どういう意図があって始められたかは置いといてですよ。
回数を重ねていけばいくほど、歴史が長くなればなるほど、経験してきた人間が多くいればいるほど当たり前のものとして受け入れられるあの感じ。
長く続けられてきたことに対してなんやかんやと意味を見出してしまうあの現象。
誰もが体験するからこそ、なんかいいよねって共通認識が生まれる不思議なやつですよ。
そういう認識が幅広い年齢層の人に植え付けられているというか、恐ろしいほど浸透しちゃってるんですよね。
運動会を無くしてしまえと思っている自分ですら、若干の躊躇いを覚えてしまうような刷り込み具合ですから。
なんだかんだいって保育園時代から15回以上はやってますからね。
とにもかくにも実際に運動会を廃止するっていうのは限りなく難しそうな気がします。
廃止するって案が出ただけで相当な騒ぎになるでしょうし、案を押し通すのにかかる労力や政治力も半端じゃないでしょう。
例えばですよ。
「運動会は廃止した方がいい」みたいなことを、とある売れっ子国会議員が言ったとしたらどうなるでしょうか。
それはもう大変なことになりますよ。
単純に話題になるでしょうし、議論が大好きな人達の餌になることうけ合いです。
それだけで軽く一週間は日本中が沸くでしょうね。
例えそれが「運動会は必要か?」ってだけのことであっても、一週間分のニュースバリューはあると断言できます。
まず新聞に”○○議員「運動会は廃止すべし」”とかいう見出し付けられて、ここが火種になります。
ワイドショーをはじめとしたニュース番組だって必ずこの話題を取り上げます。
月曜朝のとくダネ!から日曜朝のサンデーモーニング(そしてお昼のアッコにおまかせ!)まで当然取り上げます。
月曜から日曜までの間に小倉智昭も加藤浩次も宮根誠司も尾木ママも大体似たような意見を言いますよきっと。
古舘伊知郎だけはきっとなんか違うことを言うはずです。
ネット上では「またあいつ(件の議員)やらかしたんか」みたいな反応から「いいぞ!よく言った!」みたいな反応まで、当然様々な反応が出てきます。
Twitterでは色んな人間が各々の意見をつぶやいて、それが原因で諍いが起こって、その諍いが元になって別の諍いが起こって、その流れがTogetterにまとめられるでしょう。
2chと2ch亜種にも色んな人間の意見が書き込まれて、それをアフィブログがまとめるといういつもの流れが起こるでしょう。
そして株式会社はてなのブログ界隈でも、なんのかんのとこの話題について触れる人間が続出してホットエントリーを埋め尽くすでしょう。
はてな匿名ダイアリーにおいても、連日そのことに触れる人間が続出してホットエントリー入りするわけです。
そのエントリーに対して、件の議員は右だの左だのリベラルだのアファーマティブだのハンマープライスだのといったコメントがつくわけです。
その過程で「運動会は廃止すべきか?」という所とはかなりズレた別の議論が巻き起こって、それがまたホットエントリー入りするわけです。
そんな事がひと通り起こって、廃止発言をした議員に対して様々な言葉がぶつけられるんですよね。
たかだか「運動会は廃止すべき」という言葉が、メディアや個人を通じて日本中にこんなにも大きく波及してしまうんですよ。
たかだか「運動会は廃止すべき」って言っただけで、こうなる未来もありうるんですよ?
あの運動会ごときが日本をこんなにしてしまえる可能性を秘めてるんですよ?
運動会廃止発言をきっかけに日本中でデモ行進が行われるようになったら、私は一体どうすればいいでしょう。
対立する派閥同士の暴動や排斥運動が起こるようになってしまったら、私は何に縋ればいいでしょう。
その渦が激しさを増し、日本があっという間に地獄と化したとき、私はきっと生き残れないでしょう。
そんなことは心配してもしょうがないことですが、ひとつだけ言えることがあります。
もしも運動会廃止発言をきっかけに日本が地獄になったとしたら、そこにもジョン・ポールの足跡があるはずです。
もうヤダ!
終わり!
解散!