軽い?脳梗塞後に、わずか10日ばかりで退院してきた姑76才。
嫁がお迎えに行ってきました。
入院中、爺様79才が ストレスから急性腎盂炎?で 夫婦W入院していたことに、仰天。
(あたしは、その間、脳外科病院と医師会病院を一日にハシゴする毎日だったのになぁ。お金もいっぱい出ましたよぉ。相変わらず、ねぎらいの言葉なども無いのは、脳梗塞のせいでは無く、元より他人に対する感謝の念というのが欠損しているキャラクターなのである。)
姑76才は、左の手の平が握れなくなっただけで、あとは通常通り・・・・のはずなのに、なぜか、風呂に入っても汚れパンツもそのままに置きは放ち、あたかも、「嫁よ、お前があらって当然」とパンツが語っているようにも思え、ゴミ鋏でつまみたいのを素手で掴んで全自動洗濯機に。
・・・女が、自分の洗う下着もそのままにしておくようではもうおしまいだわね。私なら、こういう失態をした時点でもう、いさぎよく死んじまいたいもの。・・・・
とはいえ、姑はもとより頭の冴えた女ではないので、こういうことも平気で生きていけるんだわよ。
亡き母がそういえば、言っていた。
『心根の高貴な者は惜しいと思われるから早世だと重んじられるが、
役立たず者と、くだらぬ者と、知恵遅れ者は、人にすがって生き恥をさらしながら穀潰しに成り下がり、時に「いい加減に死ね」と思われつつも、己だけそれに気付かず、無駄に長生きする。』
姑のハルイは、私の人生で天下無双とも言えるほどの吝嗇家(りんしょくか=理解に苦しむほどの病的ドケチ)である。
私は、ハンカチ一枚すら買って貰ったことも無いが、金だけでは無く、心使いも卑しいほどにケチ臭い。
5年前、私の母が病に倒れたとき、「駆けつけたいので、娘を幼稚園バスに乗せて下さい」と初めての頼み事をしたときも、「100m先の前の家の××さんに頼んでくれ」と快諾しなかった。実家の母には最期まで見舞いにも行かず、葬儀には香典も無いまま精進料理のお膳を平らげてきてしまうアホウをやってのけた。
それほどの人だから、口癖はいつも「金が無い」であるし、それを鵜呑みにした嫁は、自分の身を削ってなにやかやと、あれこれ買ってきては食わせて、時に着せ、時に温かい布団も買い掛けてきた。
どっちがアホウかと言えば、わたしがアホウである。
吝嗇女の末路は、面白いもので、昨日は、財布の中の自分の紙幣を数えて、さらに記名していた。
紙幣に落書きは、犯罪である。
これすらもわからぬようになる欲の醜さたるやすごい。
良い勉強になった。
親、親たらずとも、子、子たるべしや。