2014年09月11日

(メモ)和田敦彦『読書の歴史を問う』(笠間書院, 2014)

読書の歴史を問う: 書物と読者の近代 -
読書の歴史を問う: 書物と読者の近代 -


●はじめに--なぜ読書を問うのか
・ベトナム社会科学院の日本語蔵書。EFEO蔵書が引き継がれたもの、1万冊。
・読書も、読者も、当たり前ではない。なぜという問いを伴う。

●1:読書を調べる
・この本は近代の読書を調べるための実践マニュアルです。
・読書が形成されるまでには、物理的に「たどりつくプロセス」と、読んで「理解するプロセス」があって、たどりつくプロセスについてはあまり読書研究としてされてなくて、出版史とか図書館史とかになる。
・読書は不自由に満ちている。
・いま・ここの読書を評価・批判するために、別の場所、別の時間、「遠くの読書」、「不自由さ」、当たり前のことがいちいち当たり前ではないところ、を知る必要がある。
・事例で、特徴と違いをとらえて、比較・対照させる。
・不自由さの否定ではなく、可能性をひろげるものとして。

●2:表現の中の読者
・読者を具体的に知るには、雑誌・新聞研究がいい。雑誌・新聞というメディアは、一定の読者層・速射集団をターゲットにしたコミュニケーションを重視しているから。
・その違いに応じて、様々な読書集団が生まれる。
・明治初期では、新聞という新たなメディア自体の理解、新聞の読み方も、読者には容易でない。早さ、正確さ、中立性などの価値そのもの、文体などのリテラシーが読者に根付き、均質化していくプロセスを含む。これが”読者の歴史”。
・(児童雑誌)読者は受動的・消極的ではなく、読者自身が成長・進化する、過渡的なはず。
・雑誌『キング』、ラジオ、大衆的な公共圏。

●3:読書の場所の歴史学
・芥川龍之介「舞踏会」、フランス軍将校と親しく対等に接する日本人女性。これが日中戦争期に日本文化宣伝政策の一環として、フランス領インドシナで翻訳され、読まれる、ということの意味。
・いま・ここの読書が、自明、ではないということ。
・鉄道は、本を販売する場所、本を読む場所、にもなる。
・監獄では、望ましい/望ましくない、という”読書の規範”が明確に現れる。
・『満鉄図書館史』
・戦場では、ある本を読んでいるという行為自体が社会的メッセージや意味を伴う。
・図書館が、ヒットラー政権下で、国策遂行・国民教育機関として大きな成果を上げた。
・外地・旧植民地・移民地での、素人による文学創作活動とその享受について。
・日比嘉高『ジャパニーズ・アメリカ』。戦前北米の日本書店・流通の調査。

●4:書物と読者をつなぐもの
・書物を仲介し届ける存在。角田柳作、チャールズ・E・タトル。
・チャールズ・E・タトル関係文書は、ヴァージニア州の本社にのこされていて、誰かが利用した形跡もなく、フォークリフトで十数箱が運ばれてきた。こういうふうに眠って散在している可能性がある。(捨てずにのこされていたのは幸運)
・角田柳作の活動を知る手がかり。のこされた書物自体。その目録、寄贈元。当時の新聞。関係機関の文書、議事録。外務省などの官公庁や財団。
・アメリカの大学の著名な日本語図書館では、タトルからの書簡がのこされている。米国大学の場合こうした文書類は大学史記録文書として保存公開されている。
・タトルは、日本の学術雑誌や、企業・政府の報告書等、日本では販売目的でなかった刊行物を、米国で商品として販売するためリスト化する。

●5:書物が読者に届くまで
・日本の文学史にならぶ代表的な明治大正の文学・小説は、どれだけの読者に届き、どのように読まれていたのか。そこに、書物と読者のつながりという観点が欠けているのではないか。
・近代の書物流通は、新聞輸送に始まった→雑誌→円本
・戦時統制下の書籍流通の統制、効率化。
・教科書→地方書店流通のネットワーク
・松本市の高美書店には、明治期の販売資料4000点がのこっていた。

●6:書物の流れをさえぎる
・検閲で発禁処分が下されても、流通ルートは多様でさえぎるのは容易でない。発禁処分決定時点で既に雑誌が完売している、古書として取引される、発禁などの処分が雑誌経営にむしろプラスになることも。
・占領期の検閲が終了した後も、プレスコードが廃されたというわけではなく、むしろ出版者側に自主規制が浸透した。
・図33「検閲後の書物の行方」

●7:書物の来歴
・戦前戦中占領期の日米間の図書の移動。
・占領期は最も多くの日本の書物が海外に流れていった時期。
・書物の移動における”送り手”について。
・書物は送られるだけでは意味をなさない。国際文化振興会は、書物を送るだけでなく日本の書物を紹介し書物を扱うためのレファレンス文献を数多く作り出す。
・本を送り届けることの、政治的経済的文脈。
・カナダのブリティッシュコロンビア大学には豊富な日系人資料が所蔵されている。が、日系人がよそへ移動分散させられたのに、この地に資料が自然に遺るはずがないのである。
・明治大学マンガ図書館。明治大学から寄贈打診を受けた収集家・城市郎氏は、快諾したばかりか、すでに形見分けとして多くの親族に分け与えていた書物を再度取り戻してまで寄贈に供した。此までどれだけ学術機関や図書館から冷遇されていたかを痛感する話である。

●8:電子メディアと読者
・CiNiiでまともな論文にたどり着けなかった学生の話。
・電子化されている書物をうまく使うには、そのデータがどういう偏りや空白をもっているのかを理解する、電子化されていない書物についての知識が重要。(#(江上)これは電子化のみの問題じゃないだろうなあ)
・検索窓のすぐ下の「電子化されている、されていない」の選択肢の”位置”は、次にこれを選択すべしという”価値”に取り違えられる危険性がある。というディスプレイ・バイアス。
・デジタルに欠陥があった場合、たとえ情報が含まれていても、それが見えない/たどりつけないおそれがある。物理的には存在しているはずの図書館蔵書を見えなくしてしまうなど。海外日本語蔵書などがその例。
・電子図書館が読者にたどりつくまでの「あいだ」をとらえ、その制約を問う、という研究の可能性。
・例えば特に初学者には、ここからここまでという具体的な広さと限界を持った場所、蔵書の範囲、「函」としての図書館の棚が有効である。全体像をつかみ、情報を位置づける。
・資料・情報の「横並び」は、それが持っていた場所・距離・文脈を失わせてしまうのではないか。

●9:読書と教育
・「国語」という教科が言語だけを教えたためしはない。
・読書する女性、のイメージ変遷。
・アーカイブズ教育。たどりつくプロセス、読書の歴史を学ぶのに、アーカイブズの実践学習は非常に有効である。他に、図書館未整理資料の整理や翻刻・公開の実践など。
・国語教育、国語教科書に”読書の歴史”を組み込むことによって、メディア・リテラシーを具体的に教育で実践できるのでは。

●10:文学研究と読書
・作家ではなく、表現を分析することによって、読者がわかる。名作や著名作家主導の、一握りの小説に偏った文学研究では、読者の歴史は見えない。
・文学史の記述は、当然のように、読者の歴史を排除してきた。
・日系移民の読書空間。そこには日本国内と異なる読書・流通・享受・言語環境がある。孤立した日本語環境の中で、日常的に、同好者間で文学活動が一世紀以上続けられてきた。「アマチュア文芸の世界が貧しかったわけではないし、無視してよいわけではない。」 細川周平『日系ブラジル移民文学』
・読書を問う、学際的なつながり、リテラシー史。

●おわりに
・従来は出版史・図書館史・文学研究など多様な領域でなされてきた研究が、本書で、「読書の歴史を問う」という方法のもとに結びあわされる。
・国際会議「日本の書物の歴史 過去・現在・未来」



■江上の感想
・学部生の時にこれ読んでたら人生変わってたな、っていう。

posted by egamiday3 at 21:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする