第2話 僕のこの手は短く弱い
夏草の青々しさを踏みしめながら、子供たちが転び遊んでいる。野花や昆虫をいちいち発見しては笑う様子は微笑ましく、ラウリは眦が下がって仕方がない。
しかし視線を転じてみれば、眉根を寄せざるを得ない光景が飛び込んでくる。それがキコ村だ。行商人として頻繁に訪れることになってから1季節が経ってなお、来るたびに何かしら驚かされているラウリである。
(あれも遊びなのかな……夢中になってはいるけど)
木組みの的に向かって投石を繰り返す子供らがいる。男の子の割合が多い。大人の歩幅で5歩程離れて、真剣な表情で狙い、放るのだ。中々に鋭い投擲である。当たれば痛そうな音を立てて命中している。
「この距離では速さが勝負です。まずは当てる。次には連続で当てる。そのために必要なことは、投げ方を小さく無駄なくすることです。コツは手首」
そう言ってお手本を示すのは勿論マルコだ。そこはもう驚かないラウリである。小石を3つ手に取ると、手首の返しも鋭く立て続けに3つを投げた。ビシッ、ビシッ、ビシッと小気味良く命中音が爆ぜた。周囲は神妙な顔でそれを見届け、即座に模倣すべく投擲を再開する。
しばらくすると石を回収し、距離をもう5歩程遠ざかってから再び投げる。そうやって段階を踏んでいき、大半の石が届かなくなると終了した。
「来ていたのですか、ラウリさん」
「こんにちは、マルコくん」
爽やかに挨拶をしてきた綺麗な子を、ラウリは決して侮らない。この村に足しげく通う理由もこの少年に会うためだ。時間をかけて誼を作ること……それも1つの投資である。
「まるで軍隊の訓練風景のようだったけど、村の防衛のためかい?」
「まさか。個人の自衛のためですよ」
「そうかい? 集団でああも投石されたら脅威だと思うけど……」
「集団戦闘目的なら投石器を練習させます。紐を編めばすぐに用意できますし、棒の先に取り付けた形状ならより飛距離を望めますね。石もある程度の形や大きさを選別して加工した方が効果的です」
「え、あ、うん……そうだね……」
ニコニコと軍事を語る子である。
「それより、頼んでいた物は手に入りましたか?」
「うん、言われた通りに戦地跡を調べたら、あったあった。裏に置いてあるから確認してみてよ」
「助かります。これで冬越えが楽になりますよ」
「君が言うならそうなんだろうね。しかし、よくわかったねぇ……」
「あそこで両軍は冬を越えましたし、その後に大きく戦局が動きましたからね。残っていない方が不思議というものです」
和やかに話しつつ、2人の足は村長の家の方へと向かった。土壁のそれは村の中では大きい部類の建物だ。その裏手、軒から板屋根を伸ばした場所に、薪や大型の炊事用具に混じって重そうな麻袋が1つ置かれている。マルコが近寄り開いてみれば、黒い土と枯れた草と、そして無数の粒々とが入っていた。
「土ごと運んだのですか。さぞ、重かったでしょうに」
「いやあ、農業はあまり詳しくなくてね。取り損じが怖くてさ」
「ご苦労をおかけしてしまったようです」
「なあに、ちょっぴり恩に感じてくれればいいのさ」
談笑しつつ、2人の視線はマルコの手の平の上の1粒に注がれている。それは種だ。マルコに依頼されたラウリが、かつてアスリア王国軍とエベリア帝国軍とが長く対陣した地を探索して手に入れてきたのだ。荒地の片隅……アスリア王国軍の本陣跡の後方にて、それらは雑草に埋もれていた。
「でも、これって軍馬用の飼料なんだよね? クワンプだっけ?」
「秋に蒔けば冬から春まで収穫できる根菜です。収穫すると保存が効きませんが、痩せ地でも良く育つので、軍では戦地での飼料補助のために使われます。料理次第では食用としても使えますよ」
「その料理法も知ってるんでしょ? 本当、物知りだよねぇ……」
探るようにその顔を覗けば、いつも通り、少年は碧眼を細めて微笑むのだ。
「不思議なことは、あるものです」
底知れない神秘性と、拭い去れない違和感と、そしてどこか背徳的な妖しさと……それらが中性的な幼さの中で碧色に輝いている。ある種の魔の物かもしれないと、ラウリは推察している。魅せられたならもう引き返せないのだと、そう諦観しつつ。
「君が……この村にいる理由は何だい?」
不意に、そんな問いが口から転がり出た。言ったラウリ自身が驚いた。マルコがこの村を豊かにしようとしていることは明らかで、それは次の村長としては当たり前の目的だ。教育もしかり、クワンプもしかり、投石だって……と考えて、そこに奇妙を覚えたラウリである。
合理的で知に長けた風に見えるマルコだ。そこが最も子供らしくない点で、正に彼の個性なのだが……村を隆盛させるという目的に全てを集約させるとしたなら、方法が迂遠のように思われたのだ。クワンプはいい。投石についても、村の防衛を子供に担わせるわけもなし、未来の労働力を狼や人攫いに奪わせないためと言えないこともないだろう。
しかし、とラウリは思う。教育がわからない。マルコが村の子供たちに教えている内容は、実のところ村の生産力拡大には何ら寄与していない。町での交渉は大人がするものだし、難しい商談であればマルコ1人がいれば済む話だ。何人も計算ができる人間はいらない。
村と商家とは根本的な役割が違う。前者は一次産業であり、労働でもって生産物を量産することが利益を生む。後者は三次産業であり、売買によって利益を生む。教育を受けた人間が必要なのはその売買の部分であって、生産現場である村では、いかに読み書き計算ができようとも宝の持ち腐れだ。「損をしないため」というようなことをマルコは言っていたが……普通の村人は、もとより損をする場面自体が少ないのだ。
そもそも、マルコという人間の生涯は、こんな辺境の村1つに根ざして終わるものなのだろうか? 彼の碧眼は常に透徹としていて、どこか遥かを見据えているようにラウリには思える。人としての絶大な迫力を秘めて村に過ごす姿は不自然で、まるで本気には見えず……そう、戯れに興じているようにすら見えるのだ。
「手足が……足りませんから」
そう言って伸ばした右手。子供の肉付きにプックリとした指先が、何かを望むように虚空に差し出されている。
「長さも、力も足りません。この手では剣も槍も扱えやしないし、この足では騎乗もままなりません。戦うことができないのです。この身体は矮小に過ぎて……どうしようもありません」
指先までピンと伸びきり、そして握りしめられる右手。何を掴もうというのか、何に届かないと嘆くのか、ラウリには推し量ることもできない。しかしマルコから漏れ出ずる気炎に、ラウリは確信を強めていた。やはりこの少年は人中の竜に違いなく、時が来たならば天を駆けるのだ、と。
「可能な限り早く村を出ようと考えていたのですが……」
そっと、小さな声でマルコは言った。
「しかし父母のある身です。父は老いており、母は長く臥せっています。村長としての職分は譲ることができても、家庭の慎ましやかな幸せを考えれば、家出ととられるような無茶はできません」
困ったように話すが、不思議なことに、その表情には満足げな笑みすら浮かんでいる。それはとてもくすぐったいことのように思えて、ラウリは何だか暖かな気持ちになった。
「村が豊かであればいいと思います。それと同じくらい、村の人々が強かであればいいとも思うのです。知っていますか? 健全な組織とは際立った1人によってではなく、そこそこの多数によって運営されるものだそうですよ。その方が組織が複雑になり、その複雑さが極端を排して安定を生むのだとか」
楽しそうに語る内容は、恐らく、自らが去った後の村の話だ。そこには何某かの憧憬が感じられる。あの青空教室の子供たちが村を運営するようになった未来、その豊かな風景の中に、成長したマルコの姿はないのだろう。そう希望し、そう予想し、そのことに寂しさを感じているのだろうか。
「非常の存在が日常を作ることはできないんですよ。遠くない将来、僕は戦場に立っていることでしょう。この村にいられる期間は長くありません。あと5年か10年か……そんなところでしょうね。ですから、いられる間に色々と種を蒔いておこうというのが、僕が村にいる理由ですね」
クワンプの種を大事そうに指で転がし、そう結論付けたマルコである。自らを“非常”とした根拠は察して余りあるラウリだった。
非常というより、異常なのだ。このマルコという少年は。
ラウリの知る限りこんな子供は他にいない。5、6歳といったら自分の身支度ができればよし、簡単な計算ができたなら優秀という歳だろう。新聞を通読し、読み書き計算を教授し、護身用の投石術を指導しつつも新たな農作物の導入を計画している子が他にいようか。
(冗談にもなりはしないな……誰かに語る気も起きないよ)
しかもそれらは表面上の異常性に過ぎない。ラウリが畏怖する部分はそこではない。真に異常なのはその眼差し、立ち居振る舞い、口調……人としての圧力。ラウリの意識の上では、この少年は自身よりも年上の存在だ。マルコに「変に目立ちますから」と注意されてからは気をつけているが、本当は丁重な敬語でもって言葉をかけたいくらいなのだ。
そしてその威風の根拠となっているように思われるのが、神秘の知識である。折に触れ聞いた話を、断片的なそれぞれを総合するに、マルコ少年にはまるで従軍経験と奉公経験とがあるかのようだ。軍にあっては正規軍よりも義勇軍の体験が、商家にあってはかなりの大店の体験が、小さな体の内側に息づいているように感じられる。
(在り得ない。在り得ないんだが……『不思議なことは、あるもの』か)
妖しく光る碧眼が、有無を言わさぬ魅力でもってラウリに全てを呑み込ませるのだ。
「……再び戦争が起こる、と?」
「間違いなく。戦略的には既に起こっていますよ。あちらとこちらがある限り、不断の戦争が両国には定められています。『行禍原は今日も赤色か?』ですよ」
「ははは、それは私も知ってるな。『どちらの血色で赤色か?』」
エベリア帝国の猛攻にアスリア王国が押され始める以前に作られたという前線歌謡だ。状況がその頃に戻ったということで、近年、市井で再評価されている。
「「『貴族のワイン色は無し、両国庶民の血の色で』」」
声を揃えて歌い上げ、顔を合わせて笑った。
「ああ! いた! 坊ちゃまったらこんな所で!!」
笑い声は甲高い怒声によって打ち払われた。地を蹴る音も勇ましく歩み寄り仁王立ちなった女性は、その名をハンナという。癖のある褐色の髪を無造作に1本結びに垂らし、勝気そうな眉目が爛々とマルコを捉えている。
「……こんな所も何も、自宅の裏ですよ、ハンナ」
どこか諦めたような表情のマルコである。ラウリも彼女のことは知っていた。年の頃は二十歳前後か。早くに夫を事故で亡くしたそうで、今はマルコの母の看病と世話とを仕事として生活しているらしい。そして、その“お世話”の矛先は往々にしてマルコの身にも及ぶようだ。
「坂下の方で遊んでいると聞いてたのに、迎えに行ったらいないんだから! あらあら土遊びなんてしちゃって……まずは手を洗いましょうね。ほらほら、お母様がお待ちですからね」
勢いのままにマルコを立たせ、埃を払い、半ば抱えるようにして連れ去っていく。これまでの戦いの歴史が、彼という竜をして無抵抗に甘んじさせているのだろう。碧色の瞳も半眼にして虚ろな表情だ。しかしラウリは見た。手に持ったクワンプの種……土遊び呼ばわりされたそれを、打ち払われる前に素晴らしい手際で袋へ戻した妙技を。
「ははは、いつの時代もご婦人はお強い」
胸躍る何かが雲散霧消したその場所で、苦労して背負ってきた麻袋をポンと打つラウリであった。
(これが日常だなぁ……普通の生活を送る側から見れば、私は差し詰め、田舎の可愛い少年をたぶらかす悪い旅人だもの。人攫いに見られないのは私の人徳……でなく、マルコくんの根回しかな?)
何にしたって、とラウリは立ち上がった。
(臥せた竜たる少年は、その志を私に見せてくれた。具体的な展望もあるみたいだ。動き出すその時に最大限の助力をするために、私は私で彼に頼まれた以上のことを成し、用意しておかないとね)
右手を虚空へと伸ばしてみる。大人の腕の長さだが、しかし彼の小さな腕が示したほどの強さは感じられない。あれは時代を切り拓く者の手だった。幼く弱きに不満という様子だったが、それすらも既に凡人の予想を超えているのだろう。世界をどこへ導こうというのか。
手を握りしめる。彼が掴み取りたい物が何であるかはわからない。それこそ予想だにできない。しかし己のこの手が掴みたい物は明らかだ。竜の鱗である。その征く先を見届けるために。
(そのためには……うん、これはきっと仕方の無いことさ。彼ならわかってくれる。出入り禁止にされちゃかなわないものね)
うんうんと頷き、ラウリは村長の家の玄関へと向かった。その背の荷物には一揃えの可愛い子供服がある。マルコの母およびハンナが欲しがりに欲しがっていたコレを献上することで、目下の立場を向上させておこう……そう決意したのであった。
+注意+
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