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    mih_arr

投稿コメント一覧 (17コメント)

  • >>No. 1236

    いい歳こいた爺さんが猥褻投稿なんかするな
    恥じを知れ


    60代にHなトピがあってもいいよね?
    No.19469
    あと数年で後期高齢者の仲間入り…
    2014/09/06 21:43
    1
    0
    >>No. 19456
    あと数年で後期高齢者の仲間入りするおじいちゃんですが、
    まだまだ現役でがんばっています。
    上の口だけでなく、下の口と語り合うのも良いものですよ。
    いくさんも60代、70代の皆さんも語り合ってみませんか。

    60代にHなトピがあってもいいよね?
    No.19423
    私は70を超えましたが、まだ現…
    2014/09/04 21:42
    1
    1
    >>No. 19414
    私は70を超えましたが、まだ現役バリバリです。
    今でも未だ月に3回はソープに通い、十分に満足し、
    かつ、満足させております。
    生涯現役目指して、お互いにがんばりましょう。

  • 何の私怨があるのか知りませんが、下記URLのレスのような規約違反に該当しない投稿をこういった場所に貼り付ける行為こそ、このオフィシャルスレッドの主旨に反していると思われますので、No.15681のレスの削除をお願いします。

    http://megalodon.jp/2014-0908-0013-52/textream.yahoo.co.jp/message/1835265/a1za5aaa5ua5a3a57a5ca5ka1dbtextreama440u8aba59a5la5ca5i?comment=15681

  • >>No. 1216

    >ご家族の方々は、「今日もパソコン相手に楽しんでいるから良いわ」
    >のような感覚で気になさっていらっしゃらないのかしら。

    きっと各々干渉しないご家庭なのではないのでしょうか。
    本人もいわゆる”構ってほしい”という欲求をご家族には求めていないようにみえます。
    家庭での役割は、”母”、”妻”と既に決められていますしねえ。
    ”母”、”妻”以外の自分のアイデンティティをネットで求めているように思えます。

  • >>No. 1212

    小梅さん
    こちらこそ、初めましてです。
    普段は表に出て会話をすることが滅多にないものですから、ご挨拶が遅れ申し訳ありません。

    >ただの嫌がらせだろうとスルーしていましたが
    >ここにきて、この感覚はなんだろうかと
    >理解しがたい行動に、頭を傾げるばかりです。

    自分への共感やいたわりを求めるわりに、他者の気持ちは踏みにじる。
    何故だか最後は、他者に謝罪や償いを求める。
    自分が元凶なのに可哀想な被害者を演じるのもBPDの特徴のひとつのようです。

  • >>No. 1205

    BPDの人は拒絶されることを極端に心配し、拒絶されたように感じ過剰反応します。
    常に自分の周りに目を配り、排斥のサインを探し、ごく小さいことに意図的な侮辱を見て取ります。
    拒絶されていると確信すると、自分なりの理由を考え、敵対的に反応します。

    ”無視リストにいれました”と発言することで、相手に自分から拒絶されたと認識させたいようですが、BPDではない人には何の恐れもダメージもありません。

  • いつか小梅さんが仰ってたように、男女の関係に結びつけたがるのは、お婆さんですね。
    自意識過剰というか、↓のようなスレの状況において、普通の人なら脳裏に浮かびもしない”好き・嫌い”の感情が顕著に表れている一例です。

    誰にも言えなかった中高年のSEX談義
    No.17310
    Re: みゆおばあさん…
    miy*****

    ジョニーが好きなのは・・ 貴方ではなくて・・ じょにこさんです
    もしくは・・ 私かもしれません・・ 事実です
    http://textream.yahoo.co.jp/message/1835984/cafa4ka4b8c0a4a8a4ja4aba4ca4bfcf9bgafa4nsexcl5a?comment=17310


    誰にも言えなかった中高年のSEX談義
    No.17276
    Re: こんばんは♪
    miy*****

    ここ・・ 私しか女いないんだけど・・・・・・
    優人は・・ 私が好きなの?
    http://textream.yahoo.co.jp/message/1835984/cafa4ka4b8c0a4a8a4ja4aba4ca4bfcf9bgafa4nsexcl5a?comment=17276


    あなたの周りに、こんな人はいませんか?
    ①それまで冷静だったのに、唐突に爆発して暴れ出す。
    ②直前まで仲よくしていた人を、人格から否定するような攻撃をする。
    ③1日どころか、数時間の間にコロコロと感情が変わる。
    ④人間関係を『好き』『嫌い』の、二つでしか判断できない。

  • 恐怖心から人々はお互いを避け、規制力が弱まっていく。時には警察に連絡が入り、パトカーが来て逮捕していくこともあるが、犯罪は無くならず無秩序が改善されることも無い。
    住民は警察署長に抗議するが、人手不足でもあり、裁判でも軽犯罪や初犯の場合には裁かれないと説明される。住民にとって、パトカーで現れる警察は無能なものであり、警察にとって住民は生存競争をしている動物のようなものなのである。やがて住民は“無意味”だと、判断し、警察に連絡することを止めるであろう。
    いわゆる都市の堕落は、どの都市でも何世紀かにわたって起こってきた。しかし今日起こっていることは、少なくとも二つの重要な点から見て異なる。まず、以前、第二次世界大戦の頃、都会生活者は、費用の面や交通手段、親族や教会などの繋がりなどの理由から、近所の問題から逃れるために容易に引っ越すことは出来なかった。引っ越すとしても、交通機関沿いになりがちであった。今や、貧しいものや人種差別の壁に阻まれる者を除けば、移動はかなり簡単に出来るようになった。初期の犯罪の波には、自然と自己修正するようなメカニズムが備わっていたように思える。その地域の住民が、自らの力で秩序を回復させようとする風潮である。シカゴやニューヨーク、ボストンなどでは、犯罪などが起こった後、移動することが出来ない家族の力によって街の秩序が取り戻されていたのである。
    もう一点は、その頃の警察は、その地域に代わって、体を張って治安維持に貢献していたということである。若者のギャングは手荒く扱われ、人々は容疑や放浪で逮捕され、売春婦や軽犯罪者も追放された。“権利”は善良な住民によって、そしておそらく弁護士を雇う余裕があり争いを避けたプロの犯罪者によっても守られていた。
    その当時の警察のあり方は、正道をはずれたものでもなかったし、時折の過剰な行為の結果でもなかった。国が誕生して間もない頃から、警察の主な役割は、火事や野性動物、いかがわしい行為などから街を守る夜間の見張り人のようなものであった。犯罪を解決することは、警察の役割というよりも個人の問題として捉えられていた。1969年3月、我々の一人(ウィルソン)は、どのように警察の役割が秩序維持から犯罪に対処することに変わっていったのかを簡単な記事にまとめた。変化は、被害を受けた人のためにその都度収入を得る形で働いた私立探偵(元犯罪者が多い)の出現から始まった。やがて探偵らは市の事務所に雇われ、一定の給与を支払われることを望むようになり、犯罪者を起訴する役割は、被害を受けた市民個人からプロの遂行者に移行された。この過程はほとんどの都市で20世紀まで完了されなかった。
    1960年代、都市での暴動が深刻な問題だった頃、社会学者たちは警察の治安維持の職務を慎重に調査をし始め、集団的な暴動を減らして治安を向上させるための方法を提案した。秩序維持は、“コミュニティ関係”とかなり重なり合うようになっていた。しかし、1960年代初めに起こった犯罪の波はその後10年間減少することなく70年代に突入し、警察の役割が犯罪に立ち向かうものとなっていた。秩序維持が役割であるとする警察の調査は中止され、代わりに、いかに多くの犯罪を解決し、多くの犯罪者を検挙することができるかが考えられ、警察に提案された。社会学者たちは、もしこれが実現すれば住民の恐怖感はかなり取り除かれると推測した。
    その体制は、警察署長や外部の専門家の主張により、資金が配当され人員も配置されて大きく変化していった。その結果、警察は犯罪に対処する機関になることに成功した。秩序に対する責任が忘れられたわけではなかった。しかし、初期の頃あきらかであった秩序維持と犯罪防止の関係は忘れられてしまった。

  • ティーンエイジャーらは街角にある店の前でたむろするようになる。店主が立ち去るように言うと彼らは拒み、争いが生じる。ごみが散乱するようになる。店の前で酒を飲むようになり、酔っ払いが通りで寝ることが許されるようになる。通行人は乞食にねだられるようになる。
    この時点では、深刻な犯罪やよそ者に対する襲撃が必然的に多発するとはいえない。しかし住民らは、暴力的な犯罪が増えたと思い込み、行動を限定しようとする。通りに出る回数を減らし、通りに出た時には人から離れ、人と目を合わせないようにし、口を閉ざし、足早に通りすぎるのである。“巻き込まれない”ように。何人かの住民にとっては、この崩壊は大した問題ではない。その地域が、彼らの“家”ではなくただ“住んでいる所”だからである。彼らはコスモポリタンであり、関心は他のところにある。しかし、世界での出来事より近所付き合いを大切にする住民にとっては一大事である。親しい付き合いの数人を除いて、近所付き合いというものが無くなってしまうのであるから。
    そのような地域は犯罪による被害を受けやすい。必然的にではないが、住民が秩序の取り締まりに自信を持っている地域などと比べると、麻薬が売買されたり、売春婦が通りで勧誘したり、車が盗難にあったりする確率が高いのである。酔っ払いは愉快犯である少年達に襲われ、売春婦を買おうとしている者は待ちかまえていた男に襲われる、などの犯罪も起きる。
    このような犯罪からもっとも逃れにくいのは、年老いた人々である。市民調査によると、年老いた人は若い人よりも犯罪の被害にあう確率は低いとされている。年老いた人の犯罪への恐怖心は大袈裟に伝えられていると推論する者もおり、年老いた人々を守るためのブログラムを組む必要はないし、むしろ彼らの誤った恐怖心を取り除くようにするべきだ、という意見さえある。しかしこの意見は要点から外れている。手に負えないティーンエイジャーや酔っ払った乞食などと出会うかもしれないという恐れは、自分の身を守る術をもたない人にとっては、実際に強盗に遭うかもしれないというのと同じくらいの恐れなのである。
    そして年老いた人が犯罪に遭う率が低いのは、鍵をかけた家の中に閉じこもるなどして身を守ろうとしているからなのである。若い男性が老女よりも頻繁に襲われるのは、襲いやすく有益なターゲットであるからではなく、通りによく出ているからなのである。
    無秩序を恐れているのは、年老いた人に限ったことではない。ハーバード・ロースクールのスーザン・エストリッチは最近、人々が何に対して恐怖を覚えるかの調査結果をまとめた。オレゴン州ポートランドで行われた調査では、インタビューを受けた人のうち4分の3が、通りで若者の集団に出会った場合、通りの反対側へ渡って避けると言っていた。
    バルチモアで行われた調査では、半分近くの人が、相手がたった一人の若者でも通りの反対側へ渡ると言っていた。住民環境に関する調査で、どこが最も危険な場所だと思うかとの質問に対して、実際に一度も犯罪が起こっていない場所であるにもかかわらず、若者が酒を飲んだり音楽を流したりしてたむろしている場所が挙げられた。ボストンの公共住宅事業は、犯罪率が最も高いところではなく、最も無秩序化した地域に住む人々が一番恐怖心を覚えているとした。このことは、地下鉄の落書きなど、一見無害に思われる物が意味することを理解させてくれるのではないだろうか。ネイザン・グレイザーが記しているように、落書きの急増は地下鉄利用者に、毎日一時間程過ごさなければならないその場所が規制されておらず、また誰でも危害を加えることができるのだという考えを与えてしまうのである。

  • 断固とした懐疑者は、熟練した徒歩パトロール警察官が秩序を保つことが出来ることを認めるであろうが、しかし依然として、暴力的犯罪など住民が本当に恐れているものの根本的な解決にはならないと主張するであろう。それは正しくもある。しかし、次の二つの事を心にとめておかなければならない。一つは、部外者が、様々な都市の住民が抱える心配事のうちどれほどが“実犯罪”から成り、どれほどが町の無秩序からなるものかを勝手に憶測すべきではないということである。ニューアークの人々は、彼らの行動やインタビューへの回答から判断すると、無秩序の方をより恐れ、警察に守られることによって非常に安心感を得ているのである。
    もう一つは、無秩序と犯罪は切り離せないがつながりを持っているということである。無秩序が犯罪へと発展していくかのように、である。社会心理学者、警察官の両者とも認められていることに、1枚の割れたガラスを放置しておくと、外のすべての窓ガラスが割られてしまう、ということがある。これは、荒廃した地域に限ったことではなく、環境の良い地域でも同じ事が起きる。ガラスが割られる事は、必ずしも大規模で起こるわけではない。というのは、“窓ガラス破壊者”が多く住んでいる地域もあるが、“窓ガラス愛好者”によって占められている地域もあるからである。むしろ、放置されたままの壊れた窓ガラスが、誰も関心を持っていない、他の窓ガラスを壊しても構わない、というサインになるのである。(窓ガラスを割るのは楽しいことでもある)
    スタンフォードの心理学者、フィリップ・ジンバルドは、壊れた窓ガラス理論を試した実験結果を1969年に公表した。ナンバープレートを取り外し、ボンネットを開けたままにした乗用車を、ブロンクスとカリフォルニアのパロアルトのそれぞれに置いてみた。ブロンクスに置かれた車の方は、10分もたたないうちに“破壊者”によって襲われた。最初に手をつけたのは父親、母親、若い息子からなる一家族で、ラジエーターとバッテリーを持ち去った。24時間後には価値のあるものは全て取り去られた。その後、手当たり次第破壊され始めた。窓ガラスは割られ、座席のカバーは裂かれ、様々なパーツが引き剥がされ、そして子供達は遊び場として用いた。ほとんどの大人の“破壊者”は、身なりの良い白人であった。一方パロアルトに置かれた車の方は、一週間以上誰も手をつけなかった。
    そこでジンバルトが大槌で部分的に破壊してみたところ、すぐに通行人らが関与してきた。
    数時間後には、車はひっくり返され、完全に破壊された。ここでも“破壊者”は身分の良い白人であった。
    放棄された物は、楽しみを探してぶらぶらしている人だけではなく、普段法を犯すことなど考えた事もない人にとっても、利益をもたらす格好のターゲットになるのである。車の破壊や窃盗などが日常的に起こるブロンクスでは、“誰も気にしない”その地域性から、落ち着いた街であり個人の所有物は守られるべきだと考えられているパロアルトよりも先に破壊が始まったと思われる。しかし、“誰も気にしない”というサインを出す行動によって、保たれてきた秩序を守ろうとする風潮が揺るがされたとき、破壊はどこでも起こり得るのである。
    “ほったらかし”の行為もまた、地域秩序の崩壊へとつながると提唱したい。自らの過程を大切にし、近所の子供のことも気にかけ、不信な侵入者に対して眉をひそめるような家庭からなる秩序の安定した地域でも、数年または数ヵ月の間に荒れ果てた恐るべきジャングルと化すことがあるのである。建物が放棄されると、窓ガラスは割られ、雑草が生い茂るようになる。大人が乱暴な子供を注意しなくなると、子供はますます乱暴になっていく。
    住民がその地域から出ていくと、素性の知れない人々が移り住んでくる。

  • 多くの市民は、当然のことながら、主として犯罪、特に見知らぬ者による突然の暴力的な襲撃によって驚かされる。この危険性は、多くの大都市同様、ニューアークにも実在するのである。しかし、我々は恐怖の他の原因を見落としがちである。無秩序の人々に侵害される恐怖である。暴力的ではなく、また犯罪者ではなくとも、評判の悪い、手に負えない、予測不可能な行動をとる人々である。乞食、酔っ払い、麻薬常用者、乱暴なティーンエイジャー、売春婦、ぶらぶら暮らす者、精神 異常者などがそれである。
    パトロール警察官が行ったことは、このような者のいる地域で出来る限り秩序を向上させるということである。その地域の住民は主に黒人であり、パトロール警察官は主に白人であったが、この秩序維持の活動は、どちらの人種も大体満足できるように行われた。
    我々の一人(ケリング)は、ニューアークのパトロール警察官に長時間同行し、警察が秩序とは何であると定義し、どのようにそれを維持しようとしているのかを視察してみた。
    ある一つのパトロールは象徴的なものであった。ニューアークの中心地、多くの放棄された建物、ぎりぎりの経営状態の店(ショーウインドウにナイフやかみそりなどが並べられている店もあった)、一つの大きなデパート、そして駅はいくつかの主要なバス停留所などがあるにぎやかで荒廃した地域。荒廃した地域ではあったが、交通機関の主要な乗り入れ地であったため、通りには多くの人通りがあった。この地域で良い秩序を保つことは、その地域に住む者だけでなく、家と職場、またはスーパーなどを行き来する者にとっても重要であった。
    通りにいる人々は主に黒人で、巡回している警察官は白人であった。通りにいる人々とは“地元の人”と“よそ者”の両者から成っていた。“地元の人”とは、普通の住民をはじめ、酔っ払い、浮浪者などを含み、そこに在住し、自らの身分をわきまえている者のことである。一方“よそ者”とは、そこに住んでいない人で、怪しげに、時には気遣って様子をうかがっている者のことである。ある警察官(ケリーといいますが)は誰が“地元の人”であるかを把握しており、また彼らもケリーのことを知っていた。ケリーは仕事として、“よそ者”を監視し、また、秩序を乱すような住人が、非公式でその地域のものだがよく知られているルールを守るように目を配っていた。酔っ払いや麻薬常用者は、玄関の階段に座るのは構わないが横になることは許されない。裏通りで飲酒するのは構わないが大通りでは許されない。また酒の瓶は紙袋で覆わないといけない。バス停でバスを待っている人に話し掛けたり、物をねだったりすることは厳しく禁じられていた。商人と客との間で口論が起きた場合、商人の方が正しいとされた。客が“よそ者”の場合はなおさらである。“よそ者”がうろうろしているのを見つけると、ケリーはその者が何をしているのかを訊ね、納得のいく答えが返ってこない場合は追い返した。バス停で待っている人を困らせるなど、その地域のルールを破った者は逮捕された。騒々しい若者は静にするように注意された。これらのルールは、通りにいる“地元の人”と共同して定義され、実施されたものであった。他の地域ではまた別のルールがあるのだろうが、これらはその地域では皆が理解しているルールであった。もし誰かが住人を脅かした場合、“地元の人”はただケリーに助けを求めるのではなく、その侵害者を嘲った。ケリーがしたことは時には“法の執行”と受け止められるが、また、その地域が設定した望ましい秩序のレベルを守るために、非公式で、法律で処理しがたい処置を取ることもある。ケリーが取った処置の中には、法に沿ったものではないものもあるかもしれない。

  •  論文(割れた窓ガラス―警察と近隣の安全―)
    ジェームス・ウィルソン、ジョージ・ケリング共著

    1970年代半ば、アメリカ・ニュージャージー州は、市民生活の質の向上を目的とし、
    “セーフ・アンド・クリーン ネイバーフッド プログラム”(安全で清潔な近隣計画)を28の市で立ち上げた。このプログラムの一部として、州は、警察官がパトカーから降りて徒歩でパトロール出来るように資金を供給した。州知事を含め州の役人らは、犯罪を減らす方法として徒歩でのパトロールを行うことに意気込んでいたが、一方多くの警察署長は、このプログラムに対して懐疑的であった。彼らの視点では、徒歩でのパトロールには信頼性がなかったのである。それは警察の可動力を減少させる、すなわち市民の要請に応えることが難しくなり、司令部によるパトロール警察官の制御力が弱まってしまうと思われていたのである。
    多くの警察官もまた、違った理由からこの徒歩でのパトロールを嫌がっていた。それは重労働であり、寒い雨の夜も外にいなければならず、追跡して逮捕する機会を減らすものだったからである。徒歩でのパトロールを罰則として課す部署もいくつかあったほどである。安全確保活動の学者らは、徒歩によるパトロールが犯罪率に影響を与えるとは考えていなかった。一般の意見に譲歩するかたちをとっただけだ、というのが多くの学者の意見であった。
    しかしながら、州が資金を供給してくれるので、地域の権威者らは従うことにした。
    プログラムの開始から5年後、ワシントDCにある警察財団は、徒歩パトロール計画の評価を公表した。主としてニューアークで実行された実験の分析によると、誰も驚くことはないであろうことに、徒歩でのパトロールが犯罪率を下げることはなかった、と財団はまとめた。しかしながら、徒歩でのパトロールが実行された地域の住民は、実行されなかった地域の住民よりも身の安全を感じ、犯罪が減ったとさえ思うようになり、犯罪から身を守る手段の度合いを下げるようになったようであった。(例えば家中の鍵を掛けて家の中に閉じこもることを止める、など)
    その上、徒歩パトロール地域の住民は、他の地域の住民よりも、警察に対して好意的な意見を持っていることが分かった。そして、警察官も、徒歩パトロールを行っているものの方が高く、また、住民に対して好意的な態度をとっていた。
    この結果は、このプログラムに対して懐疑的だった人は正しかった、徒歩パトロールは犯罪には影響がなかった、ただ単に住民に以前よりも安全だと思わせるにすぎなかった、という証拠ともとれる。しかし、私たちそして警察財団の報告書の著者ら(ケリングはその中の一人なのだが)の観点では、ニューアークの市民は決して騙されていたわけではないと思われる。彼らはパトロール警察官が何を行っていたのかを知っていたし、それが車を用いたものとは違うことも分かっていたし、パトロール警察官が実際に地域をより安全なものにしているということも理解していたのである。
    しかし、犯罪率が下がっていず、実のところ上がっているにも関わらず、一体どうしてその地域がより安全なものになり得るのであろうか。この疑問に対する答えを見つけるのには、まず、公共の場で何がもっとも人々を怖がらせるかを知っておく必要がある。

  • >>No. 60624

    禁止行為、投稿に注意が必要な内容について
    textreamは、利用規約にのっとってご利用ください。textreamは匿名で利用できるサービスですが、この匿名性は個人の行為、民事上あるいは刑事上の責任追及を免ずるものではありません。投稿内容に対して、現実の社会と同じようにさまざまな法律が適用されます。

    また、以下にあげる内容は投稿としてふさわしくありません。投稿に際しては以下のような内容が含まれていないことを確認してください。


    5. わいせつな情報
    一般社会でわいせつとされる情報はインターネット上でも同じく許されません。

  • >>No. 60623

    ●ニューヨークの例
    ニューヨーク市は1980年代からアメリカ有数の犯罪多発都市となっていたが、1994年に検事出身のルドルフ・ジュリアーニが治安回復を公約に市長に当選すると「家族連れにも安心な街にする」と宣言し、ケリングを顧問としてこの理論を応用しての治安対策に乗り出した。
    彼の政策は「ゼロ・トレランス(不寛容)」政策と名付けられている。

    具体的には、警察に予算を重点配分し、警察職員を5,000人増員して街頭パトロールを強化した他、
    落書き、未成年者の喫煙、無賃乗車、万引き、花火、爆竹、騒音、違法駐車など軽犯罪の徹底的な取り締まり、ジェイウォーク(歩行者の交通違反)やタクシーの交通違反、飲酒運転の厳罰化、
    路上屋台、ポルノショップの締め出し、ホームレスを路上から排除し、保護施設に強制収容して労働を強制する

    などの施策を行った。

    そして就任から5年間で犯罪の認知件数は殺人が67.5%、強盗が54.2%、婦女暴行が27.4%減少し、治安が回復した。また、中心街も活気を取り戻し、住民や観光客が戻ってきた。
    その反面、無実の人間が警官により射殺されるという深刻な事態も発生し、アマドゥ・ディアロ射殺事件においては大規模なデモに発展した。

    ●日本の例
    2001年に札幌中央署(北海道警察札幌方面中央警察署)が割れ窓理論を採用し割れ窓を違反駐車に置き換えて、すすきの環境浄化総合対策として犯罪対策を行った。
    具体的には北海道内最大の歓楽街のすすきので駐車違反を徹底的に取り締まる事で路上駐車が対策前に比べて3分の1以下に減少、併せて地域ボランティアとの協力による街頭パトロールなどの強化により2年間で犯罪を15%減少させることができた。
    これを受けて各地の警察署からヒアリングなどが活発化している。

    警察庁は平成14年度版『警察白書』において、次のように述べている。
    犯罪に強い社会を構築するためには、これまで取締りの対象外であった秩序違反行為を規制することにより犯罪の増勢に歯止めを掛けることも重要な対策の一つであると認められる。
    — 警察庁編『平成14年 警察白書』第1章第3節

    東京都足立区は、東京都でもっとも治安が悪いともされているが、「ビューティフル・ウィンドウズ運動」を実施することなどにより刑法犯罪認知件数総数減少の効果が見られている。

    ●ビジネス界の例
    ビジネス界において、割れ窓理論を適用して成功を収めている例がある。

    日本・東京ディズニーランド・東京ディズニーシーでは、ささいな傷をおろそかにせず、ペンキの塗りなおし等の修繕を惜しみなく夜間に頻繁に行うことで、従業員や来客のマナーを向上させることに成功している。

    アメリカのデパートチェーン、ノードストロームは、単に傷を治しておくという消極的対策だけでなく、「割れ窓」の対極である意味合いのピアノの生演奏を顧客に提供するなどして、成果につなげている。

  • >>No. 60622

    割れ窓理論(われまどりろん、英: Broken Windows Theory)とは、軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるとする環境犯罪学上の理論。
    アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリング(英語版)が考案した。
    「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある。
    ブロークン・ウィンドウ理論、壊れ窓理論ともいう。

    割れ窓理論とは次のような説である。

    治安が悪化するまでには次のような経過をたどる。

    1.建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰も当該地域に対し関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す。
    2.ゴミのポイ捨てなどの軽犯罪が起きるようになる。
    3.住民のモラルが低下して、地域の振興、安全確保に協力しなくなる。それがさらに環境を悪化させる。
    4.凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる。

    したがって、治安を回復させるには、

    ・一見無害であったり、軽微な秩序違反行為でも取り締まる(ごみはきちんと分類して捨てるなど)。
    ・警察職員による徒歩パトロールや交通違反の取り締まりを強化する。
    ・地域社会は警察職員に協力し、秩序の維持に努力する。

    などを行えばよい。

    心理学者フィリップ・ジンバルドは1969年、人が匿名状態にある時の行動特性を実験により検証した。その結論は、

    「人は匿名性が保証されている・責任が分散されているといった状態におかれると、自己規制意識が低下し、『没個性化』が生じる。
    その結果、情緒的・衝動的・非合理的行動が現われ、また周囲の人の行動に感染しやすくなる。」
    というものであった。

    1972年、アメリカ警察財団は犯罪抑止のための大規模な実験を行った。その中の1つに、警察職員の徒歩パトロールを強化する実験があった。
    これには「犯罪発生率を低下させる効果はなかった」ものの、一方で住民の「体感治安」が向上した。
    犯罪学者ジョージ・ケリングはこの結果とジンバルドの理論を踏まえ、割れ窓理論を考案した。
    1982年、犯罪学者ジョージ・ケリングとジェイムズ・ウィルソンが、『アトランティック・マンスリー』誌上に割れ窓理論を発表した。
    この論文で初めて"Broken Windows Theory"という用語が用いられた。
    ある郵便受けの近くの壁に落書きがあったり、付近にごみが捨ててあったりした場合、被験者がその郵便受けから5ユーロ札入りの封筒を盗む割合は25%で、郵便受けの周りがきれいだった場合の13%を2倍近く上回った。

    K. Keizerらは、オランダでのフィールド実験により、落書きや無節操な花火の打ち上げといった社会規範に反する行為やその形跡を見たときに、被験者も同様に社会規範を無視した行為を行いたがる傾向を実証した、と2008年に報告している。
    たとえば落書きの有無により、ポイ捨てや窃盗といった反社会的な行為の件数に、2倍以上の開きがあった。
    このフィールド実験から、反社会的な行動の痕跡を放置することは、モラルの低下を拡大させると結論づけている。

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