2014年9月12日05時00分
朝日新聞は、「吉田調書」の内容を報じた記事の中で、福島第一原発の事故で所員が「吉田所長の命令に違反し、福島第二原発に撤退」と誤った表現をした経緯について、社内で調べました。これまでの調査の結果、取材が不十分だったり、記事に盛り込むべき要素を落としたりしたことが、誤りにつながったと判断しました。
■「命令違反し撤退」と、なぜ誤ったのか
◇所員に「命令」が伝わっていたか確認不足 少人数で取材、チェック働かず
吉田所長が所員に指示した退避について、朝日新聞は「命令」とし、「命令違反で撤退」という記事を書いた。この記事については、福島第一原発事故の混乱の中で所員の多くに「命令」が伝わっていたかどうかを確認できていないなど、取材が不十分だった。その結果、所員の9割が「所長命令に違反し、福島第二原発に撤退した」と誤った記事になった。
特別報道部を中心とする取材班は、入手した吉田調書の内容を検討する中で、2号機が危険な状態に陥った2011年3月15日朝の動きに注目。所員の多くが福島第二に移動したことについて、「吉田所長の命令に違反した」と判断した。
その主な根拠は、(1)吉田所長の調書(2)複数ルートから入手した東電内部資料の時系列表(3)東電本店の記者会見内容――の3点だった。
吉田所長は(1)で、所員に福島第一の近辺に退避して次の指示を待てと言ったつもりが、福島第二に行ってしまったと証言。(2)の時系列表には、(1)の吉田所長の「命令」を裏付ける内容が記載されていた。また、東電は(3)で一時的に福島第一の安全な場所などに所員が移動を始めたと発表したが、同じ頃に所員の9割は福島第二に移動していた。
「所員が命令違反で福島第二に撤退」を主な内容とする記事を14年5月20日付朝刊に掲載するため、社内でこの問題に詳しい記者らが原稿を事前に読むなどした。「命令」や「違反」の表現が強すぎるのではないかとの指摘も出た。
だが、取材源を秘匿するため、少人数の記者での取材にこだわるあまり、十分な人数での裏付け取材をすることや、その取材状況を確認する機能が働かなかった。紙面掲載を決める当日の会議でもチェックできなかった。
取材班は記事掲載後の取材で、吉田所長の「福島第一の近辺で次の指示を待て」という発言は、混乱の中で所員の多くに伝わっていなかったとする証言を得た。
この取材に応じたある中堅所員は上司に「第二に行く」と言われてバスに乗ったと振り返った。テレビ会議システムがつながった部屋とは別の場所にいて、吉田所長の発言を直接聞かなかった。前夜から第二に行くという話が出ており、その方針が維持されていると受け止めていたという。
東電の広瀬直己社長も国会で退避命令について「福島第二も考えろということだった」と説明した。
記事を書いた時点では、所員側にその点を確認する作業が不足していた。その結果、所員に指示がうまく伝わらないまま、第二原発への退避が行われたということが把握できなかった。
一方、所員が福島第二原発に移った行動について、吉田所長は聴取に退避と説明し、「撤退」とは言っていない。
福島第一原発構内への移動ならば、すぐに現場に戻れる。ただ、10キロ離れた福島第二に移動したならば、地震で交通状態が悪いこともあり、福島第一の現場へは短時間で戻れない。福島第二に移動した所員の大半がすぐには戻れない状態になったことについて、取材班は退避を「撤退」と記した。
だが、「所長命令に違反」し、原発から「撤退」したと表現したことで、所員らが「命令」を知りつつ逃げたという印象を強める結果になった。
■所長発言を、なぜ一部欠落させたのか
◇「事後の感想であり不必要」と評価誤る
吉田所長が、福島第二原発へ退避した所員の行動を「はるかに正しい」と評価していた部分や、「伝言ゲーム」で所員の多くに指示が伝わらなかったことを認識していたくだりを記事から欠落させていた。「命令違反」と記事に書くにあたり、こうした吉田所長の証言がありながら、所員側への取材ができていないなど必要な取材が欠けていた。
「正しい」という発言については、吉田所長が所員の行動について後から感想を述べたにすぎず、必ずしも必要なデータではないと考えていた。発言の評価を誤り、十分な検討を怠っていた。
5月20日付朝刊では「本当は私、2F(福島第二原発)に行けと言っていないんですよ。福島第一の近辺で、所内にかかわらず、線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに着いた後、連絡をして、まずはGM(グループマネジャー)から帰ってきてということになったわけです」と証言を引用した。
だが、調書の原文では「2Fに行けと言っていない」の後に「ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです」との証言があった。
さらに「よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです」との発言も紹介しなかった。
これらの発言はデジタル版には掲載していたが、紙面でも報じるべきだった。
■記事取り消しが、なぜ遅くなったのか
◇他社の報道後も、当初は考え変えず
朝日新聞の記事に対しては、掲載直後から、ジャーナリストらが「誤報だ」「決死の覚悟の人たちを貶(おとし)めている」などとブログや週刊誌などで批判を展開した。
報道・編成局の担当者らは、取材班から「吉田所長がすぐに戻れる第一原発構内での待機」を命じたことは間違いないなどの報告を受けた。(1)記事は原発事故取材に実績のある記者らが関わっていること(2)批判する人たちが「吉田調書」全文を持ち合わせていないと思われること――から、記事内容に誤りはないと判断。必要であれば抗議するなどの対応をとった。この段階ではまだ社内での調査は始まっていない。
社内では批判にこたえる紙面をつくることを取材班を含め何度か検討したが、紙面化には至らなかった。
8月18日に産経新聞が吉田調書を入手したと報じたのを始め、様々なメディアが相次いで「吉田調書を入手した」と報じ始めた。その内容は、吉田氏が調書の中で第二原発への退避は当初の意図とは違うが結果的に正しかったとの認識を示していることを取り上げ、朝日の記事の印象とは異なるものだった。
この段階でも、東電の内部資料など「命令」を裏付ける資料などがあったことから、所員らが第二原発に退避したことを外形的に「命令違反・撤退」と解釈できると判断していた。
メディアだけでなく読者からも疑問の声があがってきた。8月下旬、編集幹部が、報道・編成局に吉田調書の内容について点検を指示した。吉田調書については、情報源の秘匿の観点から少数の記者しか目を通していなかったからだ。
取材班とは別の報道・編成局の数人が担当となり、吉田調書の内容と客観的な資料などをつきあわせて検討したが、外形的な事実に誤りはないとして「命令違反と解釈できる」との考えは維持した。
しかし、その後も取材班や関係した記者らから話を聞くなどし、追加で取材した所員の証言などを分析。その結果、(1)見出しにもなった「命令違反で9割の所員が撤退」という記事の根幹にかかわる表現が誤りだった(2)吉田調書の内容のうち本来記事に盛り込むべき証言を入れていなかった――ことがわかり、記事の裏付けが乏しいと判断した。
このため、記事の根幹部分が揺らいだことなどから、語句の修正だけでは読者の理解が得られない、と考え、訂正より重い「取り消し」という判断をした。
■吉田調書をめぐる5月20日付朝日新聞社報道
朝日新聞は、東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎氏(故人)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を入手。この調書などをもとに、今年5月20日付の朝刊で「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある」などと1面で報じた。
記事では、吉田氏の調書や東電の内部資料によると、「午前6時42分、吉田氏は前夜に想定した『第二原発への撤退』ではなく、『高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機』を社内のテレビ会議で命令した」と記述。しかし、9割の所員が第二原発に移動したとしている。
「本当は私、2F(福島第二)に行けと言っていないんですよ」など、吉田氏の調書の証言も引用した。
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