吉田調書:解説…証言を比較、教訓を探れ

毎日新聞 2014年09月11日 21時37分(最終更新 09月11日 21時56分)

 11日に公開された吉田調書は、史上最悪(レベル7)となった事故で陣頭指揮をとった現場責任者の肉声を伝える第一級の資料だ。ただ、体調不良のためか「記憶にない」などと答える場面も多く、吉田調書が事故の全体像を描いているわけではない。今後、事故に携わった関係者の調書が続々公開される。それらを比較対照して読むことで事故の教訓をさらにあぶりだし、原発事故の再発防止に活用すべきだ。

 「(3号機の水素爆発直後)現場から四十何人行方不明という話が入ってきた。私その時死のうと思いました。それが本当だとすると腹切ろうと思っていました」。吉田昌郎・東京電力福島第1原発所長(当時)の生々しい証言を読むと、ギリギリの状況の中、何とか最悪の事態を回避できたことがうかがえる。「我々のイメージは東日本壊滅ですよ」という言葉も空恐ろしい。しかし、証言はあくまで吉田氏の目から見たものでしかない。吉田氏は聴取後に政府へ提出した上申書で「(自分の調書を)他の資料などと照らし合わせて取り扱っていただけるかという危惧を抱いている」と述べ、事実誤認がある可能性も認めている。

 吉田氏をめぐっては、首相官邸の意向をおもんぱかって原子炉への海水注入中断を指示した本店幹部の命令を無視し、独断で継続したエピソードが有名だ。「本店と首相官邸の介入から現場を守った功労者」(当時の作業員)とのイメージが強いが、「(過酷事故対策について)3・11以前は思いが至らなかった」と述べるなど、自らの認識不足も認めている。吉田氏や今回公開された当時の政権幹部だけでなく、東電幹部らの調書も公開されなければ、事故の実相は見えてこない。【中西拓司】

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