2013-10-19

小学生時代の話〜アトピー性皮膚炎&喘息ダブルパンチ〜

テーマ:暴露ネタ
実は、幼少時、めっちゃアトピーが酷かったんです。

今では3人に1人が3歳までにアトピーになる時代。
だけど、当時はクラスに1人か2人いるかいないか・・・くらいだったと思います。


私は4人兄弟で、姉・兄・私・妹、なんですけどね、姉と私だけが小児アトピーでした。



今言うと、誰も信じてくれないくらい、今はすっごく肌が強いの!



腕からお腹から足の膝裏あたりとか、めっちゃひどかったー。
特に、腕は最高に酷いアトピーでしたね。





姉もひどくて、姉は全身でしたね。


私なんか、サッカー部の練習中よく喘息が出て止まらなくなって、大変な思いしながらそれでもボール蹴ってたなー。


喘息はきつかったです。
体育の時間とか、あとは萩市の市民体育館にあったトランポリンルームによく妹と遊びに行ってましたけど、あの時とか身体動かすとすぐに喘息になってました。


でも、なぜかファンタグレープを飲むと落ち着いたんですよね(笑)


今考えると、冷たいもので熱くなってたのどを冷やしていただけで、糖分はアレルギー反応を強めるから結果良くはなかったよね(笑)



母は随分悩んだと思います。

当時、私が小学校2年、姉は中学1年、ついに母は私たちを車に乗せ、1時間。
山口市のとある漢方の先生のところに行ったんです。


そこで初めて口にしたのが、玄米でした。
まずい・・・とは思わなかった。

確かたくわんが添えてあって、たくわんとよく合って甘くて美味しかった記憶が。


その日から、始まったんです。
完璧主義者の母による、地獄の玄米菜食(笑)

いやー、当時は地獄でしたよー。

大好きだった唐揚げやら卵焼きやらは食べられなくなりましたし、お菓子やらおせんべいもNG。

おやつには、玄米ポンセンと干し芋のみ。

朝食は、玄米のお粥にゴマをふったものと、母特性の野菜ジュース。

給食は食べられないので、保温されたお弁当箱に、玄米と野菜とたまに魚。
みんながアイスクリームを食べている中、私だけ食べられなくて、劣等感感じまくりで涙が出そうでしたよね。。
本当、可哀想だった・・・私w

1回耐えられなくて体調が悪いふりして早退したのを覚えています。。


それくらい、みんなと違うということは当時の私には地獄でした。
しかもいじめられていたしね(笑)


夜は基本玄米と野菜と海藻類や芋類などなど、とにかくとにかく徹底された食生活をなんと中学生くらいまで・・・。


でもね、そのお陰でアトピーは自然治癒し、それ以来一切アレルギーやアトピーというものとは無縁ですわ。


やはり幼少時の食生活はとても大事。


当時ゆるい生活を送っていた兄と妹は大人になってからアトピーやらアレルギーに苦しんでいます。
妹は社会人になってアトピーがひどく出た時期がありました。
兄は花粉症やら喘息やらが大人になってから出たようです。
でも私と姉は大人になってからはそういった症状は出ていない。


もうね、大人になってからのアトピーはだいたいステロイドしか無いのよ。
飲むか塗るか。
☆大人になると治りが遅い!
☆子どもは早い!
☆だから子どものうちに全部やるだけやった方がいい!
☆アトピーだけじゃない、風邪を含めた色んな病気を!



これは大きいですよ!
やはり、幼少時、こういった食生活(まぁ究極ですけど)を送ったことは今思えばムダではなかったし、母にはとてもとても感謝☆

本当、感謝しています。。

小学生時代は、アトピーもあったからか、とにかく友達との良い思い出が無い。まるっきり。
初恋とか先生とのエピソードしか、無い。

先生のことは本当に大好きで、先生と友達でした。

でも、それは小学生まで。
中学生になってからは、先生は友達ではなく、『敵』と化していってのです。

つづく・・・w




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