朝日新聞が5月20日付朝刊で「吉田調書」をスクープしてから10日が過ぎた。朝日は通常の紙面で連日の特集を組んだほか、デジタル版で特設ページ(http://www.asahi.com/special/yoshida_report/)を設けるなど大々的に続報を放った。
吉田調書には衝撃的な内容が含まれている。東日本大震災の4日後、東京電力福島第一原発にいた所員の9割が待機命令に違反して現場を離れていたのだ。政界でも調書の公開を求める声が広がっている。メディア全体も大騒ぎしているのだろうか。
ニュースの価値判断は関係ない?
現状は大騒ぎとは正反対だ。朝日を除けば閑古鳥が鳴いている状況である。
全国紙5紙(読売、朝日、毎日、日本経済、産経)を見てみよう。5月20日以降、朝日が1面も含め吉田調書関連報道を全面展開しているなか、他紙は申し訳程度に吉田調書に言及している。29日までの記事数は全体で5本にすぎず、ほとんどは中面で最小のベタ記事扱いだ。
朝日以外で1面を使って吉田調書に触れたのは、5月26日付日経の記事だけだ。もっとも、それは通常のニュース記事ではなく1面コラムの「春秋」であり、しかも吉田調書ではなく福島第一原発の職場環境を主題にしている(日経は30日付朝刊社説で吉田調書を取り上げている)。
読売は? 一切報じていない。吉田調書がまるで存在しないかのように紙面を作っている。紙面を見る限りは、読売にとって調書はベタ記事にも値しないニュースであるわけだ。
経済中心の日経を除けば、全国紙は日ごろから似たような紙面を作っている。にもかかわらず、吉田調書について朝日は連日の1面ニュース、読売は完全無視で対応している。ニュースの価値判断でこれほどの差異が出るのは不自然ではないか。
実は、ここではニュースの価値判断は関係ない。仮に読売が吉田調書を独自に入手していたら、朝日と同じように1面で全面展開していた可能性がある。客観的に判断してニュース価値が大きいなら1面トップ記事として報じ、ニュース価値が乏しいなら中面のベタ記事にするという「客観報道」は二の次なのである。
後追い報道で浮かび上がる二つの特徴
客観報道をわきに追いやっても守らなければならないものとは何なのか。それは「すべてのニュースは自社ニュースとして書く」という慣行だ。背景には「ニュースの後追いは恥」という意識がある。
A紙とB紙が競争しているとしよう。何かのニュースでA紙がB紙に抜かれたら、A紙は独自に取材してウラを取り、紙面上で「~ということが分かった」などと自社ニュースとして報じる。あたかもA紙が初めて報じるニュースのように書くわけだ。
A紙が独自取材してもウラが取れなかったら? その場合、どんなにニュース価値が大きくても「B紙によると~」とは書かない。他社ニュースを引用して伝える「転電」が事実上の禁じ手になっているためだ(ただし、海外メディアが流すニュースの転電は問題視されない)。
そんなことから、他社ニュースの後追いでは大きく二つの特徴が浮かび上がる。第1に、ニュースとしては小さい扱いにし、場合によっては無視する。第2に、どのメディアが初報を放ったかについては明示を避け、あいまいにする。
すでに書いたように、朝日以外の主要紙は吉田調書についてはせいぜいベタ記事扱いだ。しかも、調書の内容を説明しているのではなく、調書を非公開とする政府の方針を伝えているにすぎない。それでも、何も伝えない読売よりはマシともいえる。
朝日の特報であることについては、日経と産経は「一部で報じられた」などとあいまいにしている。週刊誌がスクープを放つと、それを後追いする新聞が「一部週刊誌によると~」などと書くのと同じだ。情報の出所を明示するのは報道の基本であるにもかかわらず、である。毎日は記事中で「朝日新聞が20日以降、内容を報じている」と書いている。
「隠し立てせずに誠実に競争しなければならない」
他社ニュースを軽視する慣行は無意味だ。当たり前だが、他社ニュースを後から追いかけて大きく報道しても倫理上、何の問題もない。読者にとって重要なのは後追いかどうかではなく、ニュース価値があるかどうかなのだ。「ニュースの後追いは恥」と考えるのは、報道界の内輪の論理である。
アメリカでは報道倫理が厳しい。意図的に他社ニュースを小さく扱ったり、無視したりする慣行はない。他社ニュースの後追いであれば、ほぼ例外なくその事実を記事中で明示している。独自取材でウラが取れても記事中で後追いの事実に触れるし、ウラが取れなければ転電形式にして報じている。
今年の米ピュリツァー賞受賞作が好例だ。米ワシントン・ポストと英ガーディアンの両紙が米国家安全保障局(NSA)によるスパイ活動を暴き、ピュリツァー賞を公益部門で受賞している。
両紙は2013年6月6日、NSAの極秘監視プログラム「プリズム」についてスクープを放った。NSA元職員で内部告発者のエドワード・スノーデン氏の名前が公になる前の話だ。すると、米ニューヨーク・タイムズは翌日の紙面を使い、1面トップ級ニュースとして追いかけた。記事中では「ワシントン・ポストとガーディアンが入手し、木曜日午後(6月6日午後)に公にした機密文書によると~」と明示している。
つまり、他社ニュースの後追いであるにもかかわらず、ニュースとして大きな扱いにすると同時に、初報を放ったメディアがどこであるかを明示している点で、吉田調書をめぐる報道と正反対なのである。
ニューヨーク・タイムズの記者倫理規定「エシカル・ジャーナリズム」にはこう書いてある。
〈 われわれはライバル会社と激しい取材競争を繰り広げているが、隠し立てせずに誠実に競争しなければならない。相手の取材努力を妨害してはならない。ライバル会社が最初に報じたニュースを後追いするときは、その事実を記事中で明示しなければならない。 〉
KADOKAWA・ドワンゴの経営統合と吉田調書
アメリカでは当たり前だが、日本でこのような倫理規定を設けるメディアは見当たらない。そのため、後追いである事実を伏せる報道が横行している。
たとえば、5月14日付朝刊で日経が報じた「角川・ドワンゴ統合」だ。これは「角川書店」で知られるKADOKAWAと「ニコニコ動画」で知られるドワンゴが経営統合するというニュースであり、主要紙は同日付夕刊1面で一斉に追いかけた。しかし、「KADOKAWAとドワンゴが経営統合する方針を固めたことが14日、わかった」などと書くだけで、日経が初報を放ったという事実には触れていない。
KADOKAWAもドワンゴも上場企業であり、すでに日経の報道を受けて両社の株価は動いていたはずだ。それなのに日経の報道がまるで存在しないかのように書けば、読者に誤った情報を与えかねない。だが、報道倫理上問題視する声はまったく出ていない。
補足しておくと、KADOKAWAとドワンゴの経営統合は放っておいてもいずれ発表になるニュースであり、前回の当コラムで紹介した「エゴスクープ」に近い(厳密には「トレーダーズスクープ」)。放っておいたら決して表に出てこない「エンタープライズスクープ」である吉田調書報道とはスクープの性格が異なる。
それにしても、主要紙はKADOKAWAとドワンゴの経営統合については1面ニュースとして追いかけるのに、吉田調書については中面のベタ記事扱いにし、一部は無視するいうのはどういうことなのか。これだけ見れば、追いかけるに値するのはエンタープライズスクープではなくエゴスクープ(あるいはトレーダーズスクープ)であるということになる。
救いは、吉田調書については毎日が記事中で朝日のスクープであると明示した点だ。実は、これは日本の報道界では異例なのである。他社スクープを無視したり、「一部報道によると~」「一部週刊誌によると~」を乱発したりする悪しき慣行から脱却するきっかけになるかどうか。
著者:牧野 洋
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