5先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)傾いた組織を立て直せ!▽上杉鷹山(前編) 2014.08.19

歴史酒場「知恵泉」。
今宵も先人たちの知恵にたっぷり酔いしれて下さい。
(井上)あ〜いらっしゃいませ。
(山本)こんばんは。
山本先生またごひいきにありがとうございます。
お連れ様はビビる大木さんでいらっしゃいますね。
何か珍しい組み合わせじゃないですか。
そこでねちょっと会ったんですけどね「歴史好きの人が集まる居酒屋がある」って言ったら「是非行きたい」と言うのでここに連れてきたんですよ。
ありがとうございます。
是非お掛け下さいませどうぞ。
先生さすがにいいお店知ってますねやっぱり。
ビビるさんね是非もう…来て頂けるんじゃないかなとは思ってはいたんですよ。
ほんとですか!だって大河俳優でしょ「新選組!」で。
「龍馬伝」も出てますから。
大河2作出てますから。
しかも歴史好きで通してらっしゃいますもんね。
うれしいですよ。
「知恵泉」ピッタリだと思うんですよ。
先生ありがとうございます。
大木さんはあれですか?歴史というと全般をよく知ってるという…。
全然です。
僕幕末以外はもう全く知らないぐらいですよ。
そうなんですか。
じゃあどうしましょう?先生。
ちょっとまさか僕帰らされるんですか?ハハハハ!そんな大木さんにもピッタリのお薦めをご用意してますので。
ありますか!どうでしょう?江戸時代の名君中の名君。
これね今日のほんとにお薦めなんですけど。
いいですねじゃあ。
楽しみですね。
是非味わって頂きたいと思います。
去年駐日大使に就任したケネディ大統領の娘キャロラインさんがあるエピソードを披露しました。
あのケネディ大統領も絶賛した上杉鷹山という人物。
江戸時代半ば米沢15万石の第9代藩主を務め奇跡と呼ばれるほど見事な財政再建を成し遂げました。
鷹山が藩主の座に就いたのは17歳。
その時藩は20万両現在の価値で150億円もの巨額の借金を抱えていました。
過酷な年貢の取り立てに土地を捨てて逃げ出す農民が後を絶たず家老は「幕府に領地返上を願い出るしかない」と言いだす始末。
誰もが不可能だと考えた藩の立て直し。
それに挑んだのが鷹山でした。
自らの生活費を7分の1にするなど藩を挙げての大倹約を断行。
また藩主らしからぬ驚きの方法で政治や財政に無関心だった藩士たちの意識を変えていきます。
その結果武士はもちろん農民の中にも改革への意欲が芽生えた米沢藩。
全員が一丸となった取り組みでついに全ての借金を返済するのです。
率先して改革の道筋を示し藩を救った上杉鷹山。
その知恵をご堪能下さい。
今日のお薦めは上杉鷹山。
そしてテーマとしてはこちら「傾いた組織を立て直せ」と。
どうでしょう大木さん上杉鷹山という人物。
名前ぐらいですよ。
何をしたというのはよく知らないです。
そんな大木さんにねちょっと見てもらいたい言葉があるんです。
はいこちらなんですけれども…。
ちょっと早口ことばみたいで…どういう事ですか?これ結構有名な言葉なんですが「死ぬ気になってやれば何事でも成し遂げられる」という意味ですよね先生。
こういった言葉を言った上杉鷹山という人物どんな人物だったんでしょうか?米沢藩の藩政改革を成功させた名君という事で江戸時代の中後期の代表的な人物なんですね。
でも大木さんはあまり知らない。
一般の人はよく知らないんですけど実は内村鑑三という人は「代表的日本人」という本を英語で書いてるんです。
これは世界中に訳が出てるんです。
それに感銘を受けたケネディ大統領は「尊敬する日本人は誰ですか?」と聞かれて「上杉鷹山です」と答えたんですね。
取材に行った新聞記者たちが上杉鷹山を知らなくてですね「それ誰だ?」という。
「代表的日本人」にはどんな事が?自分の身を犠牲にして民のために尽くすというそういう姿勢です。
「藩主は人民に対する奉仕者として行動するのが正しいんだ」という事を言うんですね。
これが民主主義の国であるアメリカの大統領のケネディの気持ちに響いたんでしょうね。
再建術というテクニックにたけていただけではなくて優しさとか愛があるという事ですか?まず気持ちの問題ですね。
人民に対する仁愛といいますか彼らに対する愛情から彼らの生活を向上させるというそういうのを目指したわけですからね。
日本人が好きな感じですよね。
こういう部分ってね。
優しさとか愛とか。
(小嶋)こんばんは。
こんな話にピッタリのこの方をお招きしてるんですよ。
小嶋光信さんでいらっしゃいます。
どうぞお掛け下さいませ。
どうもおじゃまします。
よろしくお願いします。
実はね小嶋さんは数々の傾いた企業を立て直してきたまさにこのテーマにピッタリの現代の上杉鷹山。
現代の名君。
ですよ!岡山県内で100年以上にわたって鉄道やバスなどの交通事業を展開してきた企業グループそのCEOが小嶋光信さんです。
小嶋さんが社長に就任した90年代末会社の収益はマイカーの普及や人口の減少から年々悪化の一途をたどっていました。
小嶋さんはまず経費を徹底的に見直します。
そして能力給を導入するなど社員のやる気を引き出すシステムを作ります。
更には乗降客を呼び戻すための企画を次々と立案。
誰もが乗ってみたくなるような車両を開発するなど電車やバスの乗り物としての楽しさを打ち出します。
小嶋さんの改革は次第に実を結びグループは56の関連企業8,500人の従業員を持つまでに成長しています。
一方で小嶋さんは経営危機に瀕したローカル鉄道やバスの再建にも積極的に取り組んでいます。
その数は10社以上。
大赤字で廃線寸前だった和歌山県の貴志川線もその一つ。
小嶋さんは三毛猫を駅長に就任させるという前代未聞のアイデアを提案。
他にも車内におもちゃを満載したおもちゃ電車を開発するなど人気回復に努めます。
大きな話題となった貴志川線には国内外から観光客が押し寄せるようになりました。
人呼んで「地方交通の再生請負人」。
小嶋さんは上杉鷹山の藩再建の知恵をどう読み解くのでしょうか?えっ?じゃああの三毛猫たまの駅長も小嶋さんがお考えになったんですか?そう。
たまたまインスピレーションで。
いきなりダジャレまで。
インスピレーションですか?そうです。
たま以外にもいろんな事をされてるんですよね。
まずあの鉄道は貴志川線は誰も忘れてしまったような鉄道だった。
知ってもらう乗ってもらう住んでもらうというホップステップジャンプの戦略を組んで。
去年だけで香港から2万6,000人ですから来られたの。
え〜!地方交通を守っていく事の意義というのは?人間が生きていくための欠くべからざるものなんですよ。
これがもしなくなっちゃうと人間の血液が回らないのと一緒。
ですから地方公共交通というのがもしなくなっていくと地方そのものが滅びていくかもしれない。
一公共交通機関の会社の問題ではなくて地域全体の問題になってしまうという事。
そうなんです。
交通はネットワークですから交通のインフラというものこれがもし切れていってしまったら住めなくなっちゃいますよね。
さまざま会社が傾いてしまうポイントというのはあると思うんですがこれなら立て直せるぞという共通のポイントみたいなのというのは。
絶対に立ち直る。
絶対立ち直ります。
いわゆる不易の部分の事業というのは基本的には恐らく人間があるかぎり恐らく継続していく。
その間に何かあるというのはやっぱり経営がいろいろな件でしくじったというんですかねおごってしまったと。
大木さんいかがですか?今日はありがとうございました。
大変勉強になりました既に。
これからですから。
これからですか?これから味わって頂きたいのは小嶋さんのお話もそうですし上杉鷹山の知恵も味わって頂きたい。
上杉鷹山は先ほどもありました20万両というばく大な借金を抱えてしまったんですね。
まずはなぜこの治めている米沢藩がこれだけの大きな借金を抱えてしまったのかという背景からご覧頂きましょう。
有数の豪雪地帯として知られる…上杉鷹山が再建に力を注いだ場所です。
上杉家といえば上杉謙信を祖先に持つ名門。
もともとは会津120万石の大大名でした。
しかし関ヶ原の戦いで徳川家康に敵対したため米沢30万石に削減されてしまいます。
更に3代藩主綱勝が世継ぎを決めないまま急死。
その不手際から石高を半分の15万石にまで減らされます。
度重なる減俸で石高は8分の1になったにもかかわらず上杉家では名門の誇りから6,000人の家臣団を維持し続けます。
しかも藩主や重臣たちは名門の体面や格式を守る事にこだわり費用のかさむ豪華な儀式や他藩とのつきあいなどを続けていました。
費用は商人から無尽蔵に借金する事で賄っていました。
その結果8代藩主重定の時代には借金はついに20万両。
現在の価値で150億円にまで達したのです。
過酷な年貢の取り立てに土地を捨てて逃げ出す農民が続出。
ついに重臣の一人が藩主重定にこう申し立てます。
打つ手を見いだせない重定は隠居を決意。
藩主の座を譲ったのが九州の高鍋藩から養子に迎えていた治憲後の鷹山でした。
この時鷹山17歳。
米沢藩15万石の再建はこの若い藩主に託される事になったのです。
どうでしょう?赤穂藩が5万石で大体300人ちょっとなんですね。
つまり15万石に換算すると1,000人ぐらいですよね。
6分の1にはしなきゃいけない。
やっていけないようなね。
だから国元の行政経費というのも全く出せない状態で借金で賄うしかない。
その中でも鷹山はリストラの中でも人員削減というとこにはいかなかった。
主義主張もあったんでしょうけどやっぱり養子の立場でこれまでずっと上杉家に仕えてきた人たちのクビを切るというのは多分できなかったんでしょうね。
小嶋さんはどうでしょう?ご自身の会社では人員を削減する。
うちも実はリストラは御法度なんですよ。
リストラするんだったらまず自分のクビを切ってからやりなさいと…。
これはね実は我々は会社が目的じゃないんです。
社員をバタバタ切る下請けをバタバタ切っていく。
そうしたら本来人間が幸せになるための道具を使って人間が不幸せになっちゃうじゃないですか。
だからこれはやはりほんとの再建じゃないですね。
ただ目先の企業の再建をしてるだけであって実は人間の生活の部分の職場を再建をしていく。
経営者として安易にリストラとか人員削減にいくというのはあまり策としてはよろしくない。
実はそれで再建ができると思うと大体…ずっと時系列でとっていくとある時になったら人あさりやります。
今度人が足りなくなって。
企業というのはゴーイングコンサーンですから基本的には。
良くなれば悪くなる。
悪くなれば良くなる。
こういうふうなカーブをやってだんだん良くなっていく。
でも悪くなる度に社員クビにしてたら次に上がる時には人手不足になっちゃうんですね。
そうするとまた無理をして人を採っていく。
では具体的に人員削減ではなくてどういう事をすれば…。
そこですよ。
組織をグッと縮めていって余剰人員を出します。
それをリストラしちゃうんじゃなくてその人たちを使って今度は攻めに回る。
減っていった売上げを上げるために営業にかける。
新しい事業をつくっていく。
そうする事によってコストを下げたり余力というものを使っていきながら会社の前に向かった攻めに出る。
新しい仕事をつくるという事ですか?そうです。
私どもの場合はたまも働く会社ですから人はやっぱり働きますよ。
(笑い声)仕事つくれなかったらトップの資格ないという事になりますか?そうです。
だから我々はトップになった瞬間から何をしてるかといったら一生懸命仕事つくってるの。
トップは新しい仕事をつくってくる。
僕は今話聞いてて決まりましたもう。
僕はほんとにこの芸能界でね仕事がなくなったらすぐに小嶋さんに連絡しようと。
お待ちしております。
再建してもらって。
再建して頂いて。
何かあったら来て下さい。
私付き人に雇ってくれる?よく言いますよもう!さて鷹山もリストラをしないというところから藩の立て直しが始まるのですがでは一体どんな策を考えたのでしょうか?歴代の藩主から庶民まで広く信仰されてきました。
明治24年ここで驚くべきものが発見されました。
今回特別に見せて頂きました。
発見されたのは誓詞でした。
誓いの言葉が記された文章です。
署名は治憲後の鷹山。
これは鷹山直筆の誓詞だったのです。
日付から藩主になったばかりの17歳の時神社に納めたものだと分かりました。
「連年国家が衰え領民が苦しんでいます。
大倹約を行い藩を中興したく祈願いたします。
もし怠るような事があれば神罰を受けてもかまいません」。
こうして大倹約を誓った若い鷹山。
食事は一汁一菜。
着物は木綿に変えるなどしてそれまでの藩主の1年間の…そして藩全体にも倹約を指示しました。
しかしその2年後国元に戻った鷹山が目にしたのは上杉家の体面にこだわり従来どおり絹の衣装を身にまとった重臣たちの姿でした。
鷹山の倹約の方針は国元では全く浸透していなかったのです。
忸怩たる思いでその姿を見た鷹山。
祝宴の席で思い切った行動に出ます。
なんと重臣たちの挨拶が終わるやいなや鷹山は下級藩士や足軽のもとに歩み寄り声をかけ始めたのです。
鷹山は自分の口から直接藩士たちに言わなければ改革への意気込みが伝わらないと考えたのです。
前例のないこの行動に重臣たちは藩主の権威をおとしめるものだと苦々しい顔。
下級武士たちの中にも養子である藩主の単なる人気取りだと冷ややかに見る者もいました。
しかし鷹山の藩を立て直すという強い思いはまず農民など下の階級の者たちから理解されていきます。
というのもなんと鷹山が自ら田に入り農作業を始めたからです。
厳しい兵農分離が定められていた時代藩主が農具を持つなどありえない事でした。
しかも鷹山はお忍びで領地を回り農作業を手伝う事もあったといいます。
米沢の博物館にはその事を物語る手紙が保管されています。
ある農家のおばあさんが娘に送った手紙。
片仮名で書かれています。
「稲刈りの途中で夕立に遭い困っていると通りかかった二人のお侍が稲刈りを手伝ってくれた。
お礼に餅を作り武士の教えてくれた屋敷を訪ねるとそこはお殿様のお屋敷で腰が抜けるほど驚いた」。
やがて鷹山の姿勢は農民だけでなく下級武士たちの心を動かしていきます。
米沢城下に財政破綻で修理できず壊れたままになっている橋がありました。
それを藩士20〜30人が集まり無償で修復し始めたのです。
この話を聞いた鷹山。
橋の前に来ると重臣たちが乗馬したまま渡ろうとする中自らは馬を下りて徒歩で渡りました。
そして橋の修復をした藩士たちにこう語りかけました。
鷹山への信頼を深めた農民や下級藩士たち。
その絆は大きな成果を生み出します。
当時鷹山は新田開発事業を進めていました。
そこに農民はもとよりそれまで農具を持つ事など恥と考えていた武士たちも進んで参加したのです。
延べ1万3千人が18万坪を開墾。
藩に大きな収入をもたらしました。
「下を動かせ」。
鷹山の財政再建は現場を担う階層の人々の意識改革から始まったのです。
たまたま通りかかったから手伝っちゃうなんていう…。
お殿様だったんですか!という事ですもんね。
驚くと思いますよ。
ただやはりその藩政改革に着手した頃は重臣などの反発も強かった。
小藩から養子に来た人ですからね倹約とか何とか言っても要するにこの上杉家の格式を知らぬ人間が言う事だと。
なかなか鷹山の言う事なんか聞こうとはしないわけですね。
彼らを相手にしてたら駄目だと。
中下級の優秀な人間をいかに自分の側近として引き上げて彼らに政治を任せていくかというそういう事を試みていくわけなんですね。
鷹山の知恵として「下を動かせ」というものがありました。
これは?これはもう現場の中に宝ありですね。
企業というのは現場が利益を出してる実は。
間接部門であるとか管理部門はコストセンターなんですよね。
プロフィットセンターというのはあくまでも現場。
だから現場の人たちを理解しそして現場の人たちが生産を始めるという形にもっていくためにやっぱり鷹山さんはよく知ってたんですね。
下を動かすコツのようなものというのは?それはやっぱり教育をやっていかなきゃいけない。
会社のためにやってるんじゃない。
会社を良くしていけば必ずみんなも良くなるんだと繰り返し繰り返し教育をする事によってやはりみんながあっそうなんだなと。
仕事のやり方を変えていこうかなという気持ちになるんで。
こういう事ですか?一人一人の意識を変えていく意識改革という事になりますか?そうなんですよ。
意識改革というのは実は何で生まれるかというとこうあるべきという事を分からせる事なのね。
それはやっぱり教育をやっていかなきゃいけない。
当然ね小嶋さんにそういう思いがあってもなかなかこの人に届かないなという人もやっぱりいるじゃないですか。
います!いっぱいいますよ。
そういう場合は飽くなきどうしてるんですか?やるんです。
ただただ分かってくれと聞いてくれと。
ええ。
基本的にはね…なぜできないか分かります?できるまでやれば必ずできるんですよ。
途中でやめちゃうから。
だからもし私の時代にできなければね次の代がやる。
次の代がやらなければその次の代がやる。
永遠に人間というのはつながっていくわけですから。
終わりのない組織を作っていく事が一番大事な事なんです。
確かに「改革するぞ」と言うとものすごい大きな事が始まろうとするような響きがありますが実は組織の中の一人一人がちょっとずつ日々の業務を変えていく。
これが一番の改革になるんじゃないかな。
経営者大丈夫です。
さすが店長!そう店長だった〜!経営してますから〜。
大企業になりますよこの店は。
(笑い声)現場を動かして改革に着手し始めた鷹山ですけれども次なる一手はこんな知恵を使っています。
安永2年。
上杉家の重臣たちが突如鷹山を軟禁します。
彼らは鷹山の改革を非難。
45の項目からなる意見書を突きつけます。
その中に鷹山の金の使い方をとがめる一文がありました。
それは藩を挙げて大倹約を行っているさなかある人物を特別に優遇し大金を与えていると批判するものでした。
鷹山が特別扱いをした人物の名は…尾張出身の儒学者で鷹山が少年の頃に教えを受けた学問の師です。
鷹山は平洲を米沢に1年間招聘するため銀子30枚の支度金に加え縮緬や酒など100両分の品物を用意していました。
この金額は米沢の下級藩士100人分の1年間の俸禄に相当します。
その上鷹山は米沢までの旅費や滞在費だけでなく留守にする江戸の屋敷の家賃まで支払うというのです。
この好待遇ぶりに平洲を亡き者にしようと言いだす藩士も現れるほど。
しかし鷹山は有益な人材に対しては金を惜しむべきではないと招聘を推し進めます。
米沢に招かれた平洲は鷹山の期待どおりさまざまな政策を積極的に提言していきます。
例えば藩校興譲館の設立。
藩政改革には目先の利益だけではなく人材育成という長期的な視野で取り組む事が何より必要と考えたのです。
平洲は実際に役立つ学問を重んじました。
例えば生徒が将来奉行などの職に就いて各地に派遣された時どういう問題が起きどう解決するかなど実践的に考えさせたのです。
更に平洲は米沢藩の再建のためには武士以外の人々の意識改革も必要だと提案。
自ら各地の農村を回り講義を始めます。
平洲は疲弊した農民たちに家族や仲間そして藩内全ての人が互いに助け合えば必ず危機は乗り越えられると説きました。
身分制が厳しく固定されていた当時にあって藩主が雇った学者を農民の教育のために派遣するなど考えられない事でした。
こうした鷹山の姿勢は次第に農民たちの間に自分たちも藩を支えている一員だという意識を芽生えさせます。
武士も農民も藩が一丸となって改革に取り組む機運を高めたのです。
家臣の反対を押し切り平洲という人物に大金を投じた鷹山。
その確かな判断は何倍にもなる価値を藩にもたらしたのです。
この細井平洲という人どんな人だったんでしょう?尾張藩出身の儒者なんですけど儒学者なんですね。
しかも非常に人気があって一流の学者なので他の藩も是非この細井平洲を自分の藩に招きたいというそういう中で大金を積んで是非米沢藩のために働いてもらいたいという事で招いたわけですね。
具体的にはどんな事を教えていたんでしょうか?上に立つ者武士としての心構えというのが一番重要な事だと思うんですよね。
それをするためには何をやればいいか。
その自分の心自体をどうやって考え直して上に立つ者というのは何を義務にしなきゃいけないかというのを教えるという事ですね。
細井平洲の面白いところは農民とか町人に対してもいろいろと教えをわざわざ講義に行ってるんですね。
農民の中でも今までは税金を取られるだけで自分たちはやりきれないよというのを藩主を助けるために農民たちが自分で何をしなきゃいけないか。
その事によって自分たちも藩も全て助かるというそういう道筋を多分こんこんと説いたんだと思うんですね。
そういう農民たちの自発性を活性化するような教えだと思いますね。
人に金をかけるこれは細井平洲だけではないんですよね。
そうですね。
藩校をつくりますのでかなりの額を学校の校長とか教員とかそういう人たちにお金を払っていくわけですよね。
校長先生が250両で先生には120両ぐらいの手当を払ったというんですね。
鷹山自身の年間のお手元金って200両ちょっとなんで…209両。
自分の生活費よりもたくさんの給料を払ってるわけですね。
そんな事やってたんですか?それだけ教育を重視したという事なんでしょうね。
鷹山は苦しい時でも人材育成にかける金だけは譲れないという人間でしたが小嶋さんは苦しい時のこれは譲れないんだというものってどんなものがありますか?いくつかあってね私自身が乗ってみたくなるような電車やバスやフェリーやそういうやはりデザイン性の高い事そんなものはどうしても削れない。
苦しい時にはそんなデザインいいんじゃないかな…。
そうなんですよ。
私どもの車両を見に来るとねこんなもったいない電車造って…。
この座席取っちゃえばねもっと人が乗れますよ。
東京や大阪などの大都市はね電車にいかにたくさん詰め込むか。
地方は実はお客さんいないんです。
だからどういうふうにしたら乗ってくれるかという楽しい電車。
例えばおもちゃ電車は子供たちのおもちゃがいっぱいあってそして子供たちが乗る席にはお馬さんがあったりねそういうふうに乗ってて楽しくなる。
普通は乗らないんだけどもいや〜乗ってみようか。
交通費をかけてもその電車に乗りに来るってのが面白いですね。
発想の転換ですよね。
そうなんです。
とすると譲れないものというのは楽しくさせる視点。
再建とか再生というと何かきついもの何か嫌な事を無理やりやらせられるみたいな事…違うんです。
自分たちの働く場所を残すために楽しい事なんですよね。
そういう中で鷹山には非常に愛みたいな事を感じるんですがこの組織の立て直しという点においても愛というのは必要ですか?やはり人に対する愛なんです。
仁政という…仁愛とかね。
人の苦しみ民の苦しみを救う事がすなわち国が治まる事でござるという。
それはほんとに鷹山さんはみんなに対してそれをやっていったという事。
この人間主義人間愛ですね。
実は鷹山がそんなに愛に満ちた人だったのかという事を実際に山形に特命店員を送り込みまして調べてもらいました。
主人公ゆかりの地から「知恵泉」の特命店員が取って置きのネタをお届けする…米沢にやって来ました。
私歴史大好きなのでほんとに大河ドラマを見ないと月曜が迎えられないそんなタイプの人間なのでまさに今回の役目ピッタリ!いや〜このですね…。
すみません…ちょっと携帯が…。
電源切り忘れちゃいました。
店長からですよ。
なになに?いや「鯉」って…いやいや店長「こい」の字間違ってますよ。
文字の変換もできないんですかね。
でも「優しい政策」って何の事言ってるのかな?
(深澤)
困った私「上杉家の事ならここに聞け」と言われる博物館にすがる事に
ここには上杉家に関する資料がおよそ2万5,000点も所蔵されています。
今回私の強い味方となってくれたのは…
鷹山はもちろん米沢藩史についての第一人者です
鷹山が弱者に行った優しい政策について調べてこいって指示されたんですけれどもそれについて何か書物だったり何かありますか?はい書いたものがございます。
どこに展示されてるんですか?通常展示はしてないので特別な所で。
という事で特別室で待っていると…
箱に入ってるんですね。
そうですね。
何やら貴重そうな資料が。
鷹山の時代の米沢藩の法令集だそうです。
そこに記されていた「優しい政策」はまさに驚きでした
(深澤)「子ども手当」?はい。
15歳以下の子供が5人いた場合最後の子供が5歳になるまで手当をあげますよという規則でしたりそれから一人暮らしの人が年を老いて困った時には一人暮らしだからまずは親戚の人がそれから親戚がいなかったらお友達がお友達がいなかったらその地域の人が面倒を見なさいという地域の見守り体制ですとか。
あと婚活とか。
婚活までですか!
なんと米沢藩では17歳から20歳の男性と14歳から17歳の女性が結婚できるよう藩や村が斡旋したんだそうです
17ですか。
僕10年前ですね。
アッハッハッハッハ!
更に鷹山は人々の健康の事まで考えていました
鯉を養殖する事にも取り組んでいるんですよ。
愛じゃなくて鯉ですか?そうカープ。
内陸の米沢藩では常に動物性たんぱく質が不足しがちでした。
そこで鷹山は鯉の稚魚を取り寄せ城の堀で養殖を開始し藩内に広めたというのです。
まさに鯉は人々に対する鷹山の愛でした
鯉は今でも米沢名物の一つ。
市内の老舗鯉料理店を訪ねました
こんにちは!うわ〜すごいですね!生きがいい!
水揚げしているのは今が食べ頃の3年ものだとか
このぐらいの1.5〜2kgがおいしいサイズになりますね。
もしかして店長のメールは鯉の料理を送れって言ってきたのかも。
では!
先生今日は何を作って頂けるんでしょう?今日はですね…
鯉1匹分の材料はこちら
そして真ん中にあります鷹の爪なんですけれども先生鷹の爪どうして使うんですか?上杉鷹山公というお殿様ですね。
鷹山公の鷹…鷹…鷹の爪ですね。
先生ダジャレですね。
はい。
料理は簡単。
酒以外の材料を鍋に入れ弱火で2時間煮込みます
鯉に煮汁がよくしみこんだら…
(岩倉)一煮立ちしたらですね火を止めて完成になります。
果たしてそのお味は?
では早速いただきます。
この照りが何とも言えない食欲をそそる色してますね。
んっ!身がプリプリしてますね。
非常にジューシーですね。
いや〜おいしい!これ鯉ですけど先生の愛情がたっぷり詰まった…愛も詰まってますね。
はいありがとうございます。
この新鮮な鯉それからレシピを東京にもお送りしますので是非「知恵泉」の新メニューに加えて頂きたいと思います。
「知恵泉」の新メニューとして採用させて頂こうかなと思っている「鯉のうま煮鷹山風」でございます。
どうぞお召し上がり下さいませ。
ようざんすね。
(笑い声)「ようござんすね」と「ようざん」。
ピリッとおいしい!鷹山があの時代に子ども手当それから老人介護の政策これびっくりじゃないですか?あれ驚きました。
今じゃないですか!ですよ!感覚がね!ほんとあらゆる面で人間をどうにか面倒見たいどうにかなってもらいたい。
結局やっぱり根本は人間じゃないかというのはあそこにも感じましたね。
財政再建のための一つとしてもやっぱり人を大事にするという。
そうですね。
先ほどの会社再建と同じ話ですけど収益を上げるのは全て農民たちですからね。
彼らの人口が増えて彼らが豊かにならない事には生産物も増えないという事ですよね。
鷹山の傾いた組織を立て直す方法知恵を見てまいりましたが…。
ともすれば改革を始めるとね改革が目的になっちゃうんですよ。
改革を何のためにするのか?それは苦しんでる民をいかに幸せにしていくか。
公共交通にしてみても足の不自由な人やお年寄りや子供たちそういう人たちが自由に動けるようにするんだよ。
その辺のところのやり方をむしろ教えて頂いたような気がするのでますます何か頑張ろうなという気になりました。
さあここまでは鷹山の財政再建とってもうまくいっているように見えますけれどもこのあとに信じられないような災害が起きるんですよね先生。
まあ運が悪いとしか言いようがない事なんですけどまあ大変だったんですね。
とんでもない事が?これはねまた来週のお楽しみという事でね。
という事は来週もまたここに来いと。
まあそういう事になりますね。
鷹山の愛に鯉と。
ここに鯉と。
すごいですね。
まだ何かあるんですか?鷹山さんは。
そうなんですよ。
そういうものを見に来て鯉と。
重ねてみましたけれども。
重ねてきましたね。
(笑い声)「来い」「鯉」ですね。
2014/08/19(火) 23:00〜23:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)傾いた組織を立て直せ!▽上杉鷹山(前編)[解][字]

ケネディ大統領も絶賛した江戸時代の名君・上杉鷹山。下級武士や農民との温かな交流や、藩主らしからぬ型破りな行動。藩一丸となって倒産寸前の藩を復活させた感動物語。

詳細情報
番組内容
江戸時代屈指の名君とうたわれる米沢藩第9代藩主・上杉鷹山が登場!ケネディ大統領も絶賛した鷹山。巨額の借金で、幕府に領地を返上する話まで出ていた藩をよみがえらせた。それまで重臣たちは、名門上杉家の格式や体面を保つことを重んじ、赤字には無関心。鷹山は、藩主とは思えぬ型破りな方法で皆の意識を変える。そして、下級武士や農民との温かな交流。それは、藩一丸となった改革の原動力となる。鷹山と藩、感動の復活物語。
出演者
【出演】東京大学史料編纂所教授…山本博文,両備グループCEO…小嶋光信,ビビる大木,【司会】井上二郎

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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