NHKスペシャル「狂気の戦場 ペリリュー〜“忘れられた島”の記録〜」 2014.08.19

アメリカ・バージニア州にある海兵隊のクアンティコ基地。
情報戦略の拠点です。
その基地の奥深くにある地下倉庫。
ここにアメリカ史上最悪の犠牲を払ったある戦いの記録が70年の間眠っていました。
太平洋戦争の激戦地ペリリュー島の戦いを記録した113本のフィルムです。
初めて実戦で導入されたアメリカ軍最新鋭の殺りく兵器。
日本兵の狙撃に倒れていくアメリカ兵たち。
(銃声)
(銃声)戦闘意欲を失った日本兵への容赦ない攻撃。
過酷な戦場に耐えきれず錯乱状態に陥った兵士の姿。
撮影したのは海兵隊の18人のカメラマンたち。
勇猛果敢な兵士の姿を記録しプロパガンダ映画を作るために送り込まれていました。
今回の取材でただ一人生き残っていたカメラマンを捜し当てました。
初めて自らが撮影したフィルムを目にしました。
カメラマンが狂気の戦場と語ったペリリュー島。
サンゴ礁に囲まれた周囲26kmの小さな島です。
70年前この島を巡って日米が血で血を洗う死闘を繰り広げました。
アメリカ海兵隊がこの戦場で記録した死傷率は歴史上最悪となりました。
およそ1万人の日本兵のうち最後まで戦って生き残ったのは僅か34人。
あまりの犠牲の多さと過酷さからその戦いはほとんど語られずにきました。
生存者の一人…ペリリュー島の守備隊長が眠る墓を訪れました。
戦いの最後に自決した中川州男大佐です。
(すすり泣き)遺骨はペリリュー島に残されたままです。
ペリリュー島で一体何が起きていたのか。
日米の兵士は何を見たのか。
新発見フィルムと証言で初めて明らかになる狂気の戦場の真実です。
日本から南に3,200km。
太平洋に浮かぶパラオ諸島のペリリュー島です。
今も残る1,600mの滑走路。
太平洋戦争開戦の直前に建設された当時東洋一と呼ばれた日本軍の飛行場です。
一時は300機が配備されていました。
日本の戦況が悪化していた1944年4月島の防衛のため派遣されたのが中川州男大佐率いる陸軍歩兵第2連隊。
当時満州に駐留していた関東軍の中でも最強の部隊といわれていました。
本部守備隊の…ペリリュー島に着いた時には既に死ぬ覚悟だったと言います。
この年日本は絶対国防圏内のニューギニアの島々やサイパンなどをアメリカ軍に次々と奪われていました。
一方アメリカ軍は最大の目標を南方戦線における日本の拠点フィリピン・レイテ島に定めていました。
レイテ島攻略を有利に進めるためアメリカ軍はペリリュー島の飛行場に戦略的価値を見いだしていました。
ここからなら直接レイテまで攻撃機を飛ばす事が可能となるからです。
これを察知した日本軍は関東軍の精鋭を島の防衛の主力として送り込んでいたのです。
その5か月後アメリカ軍がペリリュー島の攻略に向かいました。
中心となっていたのはおよそ1万7,000人の第1海兵師団の将兵たち。
海兵隊きっての精鋭部隊でした。
…と豪語していました。
第1海兵師団の生き残りの一人…上陸前の兵士たちには余裕さえあったと言います。
第1海兵師団のカメラマンだったグラント・ウルフキルさん。
初めて撮影する戦場がペリリューでした。
海兵隊の活躍を記録するよう軍から特命を受けていました。
(カメラが回る音)上陸作戦が始まりました。
目指したのは飛行場に近い西側の海岸です。
上陸艇のへさきからカメラだけ突き出して撮られた映像です。
日米の精鋭部隊同士の激突が始まりました。
真っ先に上陸したのは師団の中でも最強とされる第1海兵連隊の将兵およそ3,000人です。
1等兵のジョン・ラームさんは日本軍の猛攻を受けながら前進したと言います。
日本軍の砲撃で多数の上陸艇が破壊されました。
ウルフキルさんが上陸直後に撮った映像です。
島に上陸したアメリカ兵たち。
バンザイ突撃と呼ぶ日本軍の攻撃に備えます。
バンザイ突撃とは銃剣や軍刀を手に部隊ごと敵陣に斬り込む日本軍の戦法です。
これまで装備に勝るアメリカ軍は圧倒的な火力で制圧してきました。
ペリリューでもこれを撃破すれば3日間で戦いを終わらせる事ができると考えていたのです。
伍長のバーギンさんこの時一気に片をつけようと銃を構えていました。
なぜバンザイ突撃はなかったのか。
実はこの1か月前日本は戦術の大転換を行っていました。
サイパンの玉砕を受け大本営が島嶼防衛に関して出した電文です。
「長期持久に徹し敵に多大なる損害を与うるを要す」。
「燥急の大逆襲は戒むを要す」。
いわゆるバンザイ突撃を禁じ戦いを長引かせる事で多くの損害を与えろという命令です。
その最初の戦いの場がペリリュー島だったのです。
ここを境にその後の日米の戦い方が大きく変わっていくのです。
中川守備隊長は大本営の指示を受け持久戦の準備を進めていました。
サンゴで出来た硬い石灰岩を掘り進み複雑に入り組んだトンネル陣地を構築していたのです。
一度に1,000人以上が立て籠もれるものもありました。
トンネル陣地は飛行場北部の急峻な岩山を中心に500か所以上作られ島の中央部は頑強な軍事要塞と化していました。
上陸から8時間後アメリカ軍は最大の目的であった飛行場の制圧に取りかかります。
1等兵だったメルビン・サイモンズさん突然日本軍の戦車隊に遭遇しました。
飛行場防衛に当たっていた…日本の戦車が倍近い大きさの敵の戦車に苦戦する様子を目の当たりにしました。
軍曹だった永井さん戦車隊に続いて攻撃に加わりました。
この時に破壊された日本軍の戦車です。
飛行場防衛の要だった戦車隊は初日で壊滅しました。
飛行場を制圧するため前進を続けるアメリカ兵たち。
しかし日本軍の岩山にある陣地からの砲撃にさらされます。
上陸して3日目。
アメリカ軍は飛行場付近の日本軍陣地を制圧。
米などを保管していた備蓄倉庫もアメリカ軍の手に落ちました。
3日間の戦いで日本軍の死者は少なくとも2,400人。
アメリカ軍も既に2,000人を超える死傷者を出していました。
当初アメリカ軍が3日で片がつくと見ていた戦い。
しかしこの時点で制圧できていたのは島の1/3でした。
1等兵だったスターリン・メイスさん兵士の間では不安が広がっていたと言います。
沖合の病院船に向かう船には負傷兵があふれていました。
この時ルパータス少将のもとには陸軍から援軍を得るべきだという意見が上がっていました。
…と支援を断ります。
陸軍をライバル視していたルパータス少将は海兵隊単独での勝利にこだわったのです。
援軍を断った海兵隊は日本軍がトンネル陣地を張り巡らした急峻な岩山での戦闘に引き込まれていきます。
日本軍の守備隊全員に徹底されていた訓示「必殺必勝の戦法」です。
「アメリカ軍は長槍我らは短剣なり」。
火力に劣る日本軍は接近戦以外に勝機はないと考えていました。
日本軍の陣地のある岩山に向かって進軍するアメリカ軍。
日本軍のねらいどおりの接近戦に突入していきます。
トンネル陣地を生かした日本軍のゲリラ戦で負傷者は更に増え続けていきます。
特にアメリカ側が恐れていたのはトンネルに潜む日本兵による狙撃です。
いつどこから来るか分からない攻撃。
アメリカ兵は常に緊張を強いられていました。
この映像は日本軍に狙撃されるアメリカ兵の姿を捉えたものです。
画面の中央に負傷した兵士。
担架で助けに来た2人の兵士も狙撃され身動きがとれません。
別の兵士が助けに来ました。
(銃声)ようやく戦車までたどりつきました。
常に死と隣り合わせの兵士たち。
精神的に追い込まれていきます。
戦闘で消耗したアメリカ兵に夜も日本兵が襲いかかります。
メルビン・サイモンズ1等兵はその恐怖を今も忘れられないと言います。
トンネル陣地に潜む日本兵。
それを攻撃しようとするアメリカ兵。
その距離はギリギリまで近づくようになっていきます。
こうやって30cm。
(砲撃音と爆発音)日米両軍が逃げ場もない小さな島で入り乱れる接近戦。
(爆発音)もはやどこが前線になっているのかも分からなくなっていました。
この時期ウルフキルさんが撮影した映像です。
遺体ばかりが目立つようになっていました。
アメリカ海兵隊きっての最強部隊とされていた第1連隊3,000人の将兵たち。
上陸から1週間後には死傷率は60%近くにまで達していました。
海兵隊創設以来最悪の事態です。
この連隊で生き残った…所属していた小隊44人のうち20人が戦死しました。
最前線にいた第1海兵連隊は上陸から1週間で撤退を余儀なくされました。
この間ペリリュー島を巡る戦況は大きく変化していました。
マッカーサー大将率いる陸軍6万人はペリリュー島の陥落を待たずにレイテ島に上陸する事を決定。
レイテ攻略を支援するというペリリュー島の戦略的意義は失われつつあったのです。
上陸から2週間5,000人近くの犠牲者を出していたアメリカ軍はここで最新の殺りく兵器を初めて投入します。
火炎放射器を搭載した装甲車。
炎を130m先まで噴射する事ができます。
トンネル陣地に近づかずに日本兵を生きたまま焼き殺すのです。
(爆発音)更に上空からはナパーム弾を投下。
1,000度の炎で日本兵が潜む岩山を丸ごと焼き尽くしました。
新兵器の投入によって日本兵の死者は9,000人を超えました。
生き残った日本兵はトンネル陣地に潜んでいるしかありませんでした。
水も食料も底をついていました。
投降はもちろん玉砕する事さえ許されない持久戦。
既にひとつき以上に及んでいました。
耐えきれずに自ら命を絶つ仲間を見た人もいました。
10月になっても40度を超える暑さのペリリュー島。
小さな島は放置された遺体であふれ耐え難い臭いに満ちていました。
日本兵の遺体の周りで無気力に座り込む兵士たち。
一体何のために戦っているのか。
目的さえ分からない殺し合いが続いていました。
持久戦が始まってから50日が過ぎた11月8日。
中川大佐率いる守備隊の将兵は300人余りになっていました。
この日パラオ地区の司令官に緊急電報を送ります。
「忍苦の生活を送る事既に幾十日」。
「全員飛行場に斬り込む覚悟なり」。
武器弾薬がない中銃剣を手に敵に突撃したいと玉砕を申し出たのです。
返信はその日のうちに来ました。
「1億の敢闘精神を鼓舞しあくまで持久に徹すべし」。
指示を送ってきた参謀は国民の士気を高めるためにも持久戦を最後まで続けるよう命じたのです。
一方アメリカ側でも一たび始まった作戦が見直される事はありませんでした。
10月20日マッカーサー大将がついにレイテ島に上陸。
この時点でレイテ上陸を支援するというペリリュー島の戦略的意義は失われました。
大きな戦局から取り残されたペリリュー島。
それでも軍上層部はあくまで島の制圧にこだわり戦闘が続けられたのです。
いつ終わるとも知れない絶望的な戦い。
1か月を過ぎた頃から常軌を逸した異常な殺し合いとなっていました。
部隊の移動中だったバーギンさんはその時に見た仲間の姿が脳裏から離れないと言います。
ペリリュー島は憎しみが憎しみを呼ぶ狂気の戦場と化していきます。
そうした戦いの様子はフィルムにも記録されていました。
海兵隊のパトロール艇の映像です。
(銃声)
(爆発音)戦闘意欲を失った日本兵。
容赦なく銃で撃たれました。
(銃声)持ち物を調べられたあと遺体は海に投棄されました。
狂気が狂気を呼ぶ戦場。
失っていた人間性をふと取り戻した時兵士たちは耐え難い苦しみに襲われたといいます。
頭を抱え座り込む1人の兵士の写真。
日本兵を接近戦の末殺した直後に撮影されたものです。
その時の状況を彼は後に語っています。
「岩山での戦いのさなか日本兵が突然銃剣で襲いかかってきた。
私は彼の腹に2発撃ち込んだ。
倒れた彼の懐から一枚の写真がのぞいていた。
手に取ってみると彼が両親と幼い妹と一緒に写っていた。
一体なんて事をしてしまったんだろう。
私は大きなショックを受け言葉を失った」。
兵士は顔を覆いうなだれたままいつまでもその場から動けなかったといいます。
正気を保つ事さえできない兵士も続出しました。
フィルムは錯乱状態に陥った兵士の姿も克明に記録しています。
異常な戦場の中殺りくは味方同士にまで及んでいきます。
一方日本側が味方の処刑を行っていた可能性のある映像も残っていました。
手足を縛られ首を切り落とされた遺体です。
当時日本軍では敵前逃亡や投降は死に値すると見なされていました。
ペリリュー島の戦いが始まって71日目の…守備隊本部以外は全てアメリカ軍に制圧されていました。
この時日本軍の生き残りは120人。
そのうち70人は身動きすらできない重傷者でした。
長期持久戦を続けてきた守備隊長中川大佐。
「状況切迫陣地保持は困難に至る」。
この電報の後自決しました。
その後アメリカ軍による敗残兵の掃討が行われ74日に及んだペリリュー島の戦いが終結しました。
日本軍がペリリュー島で初めて行った長期持久戦。
それに初めて対峙したアメリカ軍。
双方は長期にわたる際限のない殺し合いを経験しました。
そしてそれは硫黄島沖縄の戦いへと引き継がれ更に民間人をも巻き込んだ無差別な殺りくへと激化していきます。
ピュリッツァー賞を受賞した歴史家のジョン・ダワー氏。
太平洋戦争における日米の攻防を長年研究しています。
ペリリュー島は特異な戦場だったと言います。
あの戦いから70年。
ペリリュー島では今もトンネル陣地の跡が新たに見つかっています。
そこには旧日本軍の武器などが当時のまま残っています。
島に2014/08/19(火) 00:30〜01:20
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「狂気の戦場 ペリリュー〜“忘れられた島”の記録〜」[字][再]

今年、アメリカで日米の激戦を記録した100本超のフィルムが見つかった。日米併せて約2万人が死傷したペリリュー島の戦い。“狂気の戦場”と呼ばれた戦いの全貌に迫る。

詳細情報
番組内容
今年、米国で日米の激戦を記録した100本を超えるフィルムが見つかる。撮影地は日本から3200キロ離れたさんご礁の島ペリリュー。日本軍が初めて長期持久による徹底抗戦を行い、米軍は最新兵器で応酬。日米併せて2万人近い死傷者を出したが戦いの詳細はほとんど語られずに来た。フィルムは恐怖や憎悪、絶望の中で日米兵士が追い詰められていくさまが克明に記録されている。映像と日米生存者の証言から狂気の戦場の全貌に迫る
出演者
【語り】柴田祐規子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番

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