3NHK高校講座 日本史「摂関政治の展開と国風文化」 2014.08.18

律令の規定にない令外官の設置や格と式が定められ律令制は日本の実情に沿って大きく修正されていった。
歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
高橋歴史女学館へようこそ。
さて時代もどんどん進んできましたがどの時代まで学んできたのか覚えてますか?前回は平安時代に入りましたよね。
都が京都にうつりました。
「794ウグイス平安京」で覚えました。
よく覚えてますね。
今回はその平安時代の続きです。
更に奥深く平安時代を見ていきますよ。
では今回学ぶべき重要ポイントを見てみよう。
今回の時代は400年続いた平安時代。
その中でも…それはまさに藤原氏の時代。
藤原氏は一体どのようにして権力をつかみ取っていったのでしょうか。
平安時代を代表する優雅な貴族文化。
なぜこの時代に独自の文化が生まれたのでしょうか。
今回押さえるべき「三つの要」は…平安時代藤原氏が全盛を極めた時代にいざないます。
今回は平安時代の続き。
では前回までの事でほかにどんな事を覚えているかな?奈良時代は遣唐使を何回も派遣していました。
だから私は唐風の衣装を着ました。
あっそうだよねかわいかったねあれも。
あれ?ところで込山君は?あっちょっと呼んでみますね。
せ〜の。
(2人)こみはる〜!ハハハハ…十二単ですね。
かわいい。
(込山)はい。
平安時代といえばやっぱり十二単ですよね。
私初めて着たんですけどどうですか?いやいや〜そりゃあもちろんすてきですよ。
きれいですね。
(土保向井地)きれ〜い。
(込山)着るのがすっごい大変でした。
2時間もかかったんですよ。
え〜大変!2時間?
(込山)重さは10kg近くあります。
あら〜。
(込山)たくさん重ねて着る事で豪華さを表現したそうです。
(向井地)へえ〜。
そうか。
これはすばらしいですね。
ではまず今回の歴史を政治の面から見てみよう。
「三つの要」その一。
平安時代は天皇が政治の中心でした。
一方貴族たちの間では政治の主役の座を巡って争いや駆け引きが繰り広げられていました。
その中で藤原氏が力を持っていきます。
藤原氏が台頭していった背景には独特の政治戦略がありました。
それは婚姻戦略。
藤原氏は天皇家と親戚関係を結んでいく事で地位を不動のものにしていきます。
藤原氏の発展は藤原冬嗣の頃から始まりました。
冬嗣は自身の娘順子を正良親王の妃にしました。
正良親王は後に仁明天皇となります。
2人の間に生まれた子は文徳天皇となります。
更に冬嗣の息子良房は娘を文徳天皇に嫁がせその息子を僅か9歳で天皇に。
清和天皇となりました。
天皇の祖父となった良房は幼い天皇に代わって政治の全権を握る事になりました。
そして藤原氏の力が強固になる大事件が勃発します。
天皇が政務を行う朝堂院の正門応天門が不審火によって炎上したのです。
大納言伴善男が左大臣の源信の失脚を狙って炎上させたという貴族同士の権力争いによって起こった事件でした。
朝廷を揺るがす大事件。
その時17歳だった清和天皇が頼れるのは祖父の藤原良房でした。
866年清和天皇は良房に詔を発します。
「天下の政を摂行せよ」。
良房は摂政…幼い天皇の代理を務める職に就いたのです。
その後良房の息子基経は関白…成人した天皇を補佐する職に就きます。
その藤原氏の全盛期を築いたのが藤原道長でした。
道長には4人の娘がいました。
道長は12歳になった娘彰子を一条天皇の后に更に子を三条天皇の后にしました。
彰子は2人の子供を生みそれぞれが天皇となります。
更に道長はその天皇たちと自分の娘を結婚させました。
道長は天皇家と非常に濃い身内関係を結ぶ事によって権力を盤石にし摂関政治を進めていったのです。
道長が詠んだ歌です。
「この世は私の世のようだ。
満月のように欠けた所がない。
私の栄華のように」という道長の気持ちを表しているといわれています。
「この世は私の世の中ですよ。
そう思いますよ」ですよこれ。
すごくない?みんなは…やっぱり自分の決めた相手と結婚できないってつらいです。
でももし相手がイケメンだったらどうよ。
そこはちょっと変わっちゃうかも。
でも今の感覚でいうとちょっと難しいかもしれませんね。
(向井地)ところで館長。
はい。
この藤原氏貴族たちってどんな仕事をしていたんですか?いい質問ですね。
ではあの方に来て頂きましょうか。
渡辺先生!・はい!どうぞよろしくお願い致します。
(生徒一同)こんにちは。
こんにちは。
貴族の仕事について教えて頂きたいんですが。
いくつか仕事はありますけれども一つは…2つ目は政治をやります。
貴族のトップを公卿というふうに呼びますけれども国の重要な政策は公卿が集まって会議をやって決められたんです。
もう一つ今だと意外に思われるかもしれませんが儀式が重要な仕事の一つになります。
例えば元日の節会であるとか仏教行事なんかもありますけれどもそういう儀式を行う事が貴族たちの大事な仕事の一つになっていました。
貴族たちはどうやってそういう儀式をやったかというのを細かく日記に書き留めます。
日記といっても我々が今書くような「朝起きて何をやって」というのではなくて儀式の主題を書き留めて後々子孫たちがそういう儀式をやる時の参考に残すという。
藤原道長もやっぱり日記を書いていて道長の日記は彼が書いた自筆のものが残っているんです。
「御堂関白記」というんですけれども世界最古の自筆の日記だという事でユネスコの世界記憶遺産というのにも登録されているんですよ。
日本じゃなくて世界最古なんですね。
はい。
さてその藤原氏が京都の都に君臨する一方で地方の様子これどうだったのか見てみましょう。
「三つの要」その二。
地方では農民たちが米や野菜などを作り生活していました。
農民たちを治めていたのは政府から諸国に派遣された国司でした。
国司たちには当初6年後に4年となる任期がありました。
それまでの国司から新しい国司へ文書や事務の引き継ぎを受ける事を受領といいました。
そこから赴任した国司のトップの事を受領と呼ぶようになりました。
このころ税の政策にも大きな転換がありました。
それまでの律令国家体制では戸籍をもとに人に対して課税していました。
しかし農民たちの暮らしは厳しく重い税から逃れようとする者が後を絶ちませんでした。
これは周防国現在の山口県の当時の戸籍です。
税は成年男子中心に徴収されるため女性ばかりが記載されています。
偽籍といわれたこのような例は全国でいくつも見られました。
そこで政府は確実に税を徴収するためそれまでの人への課税方法をやめ…その土地を代表する有力者にまとめて税を納めさせる方法に変えていったのです。
税の徴収は受領などが担っていました。
地方の政治を行う受領たちは多くの富を蓄えようと厳しく税を取り立てます。
これは…中に「濫行横法」という文字が見えます。
国司藤原元命が行き過ぎた増税をするなど劣悪な政治を行った事を訴えた文書です。
都の華やかな生活を支えるために税の徴収方法は現実に合わせ大きく変わっていったのです。
人から取っていた税金を土地から取るようになったって事ですか。
公地公民を原則としていた律令制も随分変わったんですね。
ところで館長。
私の今日の衣装はただの十二単ではないんですよ。
実は紫式部の十二単をモデルにしたんです。
えっ?あの紫式部ですか?
(込山)そうなんです。
そこで私からクイズです。
紫式部は一体どんな仕事をしていたでしょう。
さあみんなどれだと思いますか?作家じゃないですか?私も1番の作家だと思います。
では先生めくって下さい。
正解は3番家庭教師でした。
紫式部はとても重要な人の家庭教師を務め「源氏物語」などの名作を著しました。
紫式部が活躍した平安時代の文化の様子をお伝えします。
「三つの要」その三。
中国大陸で力を誇っていた唐は8世紀後半に起きた内乱によって国力が衰え907年に滅亡しました。
同じ時期に唐と同じく国交のあった渤海や新羅も相次いで滅びました。
こうした情勢を背景に日本でも遣唐使など周辺諸国との公的な交渉を停止しました。
中国や朝鮮半島からの影響が弱くなった国内では次第に日本独自の文化が形成されていきます。
その一つにひらがながあります。
ひらがなは中国大陸から伝わった漢字をもとに書きやすくするために書き崩し平安時代に生まれました。
例えば安心の「安」の字からひらがなの「あ」が。
「波」という漢字からひらがなの「は」が生まれました。
こうしたひらがなは特に女性たちによって使われ文章を書く事が女性の間で流行します。
その一つが紫式部が20代の終わりごろに書き始めた…顔だちが美しい貴族光源氏が宮廷を舞台に多くの女性と恋をする物語です。
「源氏物語」は天皇や貴族に仕える女性たちの間でたちまち大人気となります。
そのうわさは「望月の歌」を詠んだ藤原道長にも伝わりました。
藤原道長は自分の娘彰子に深い教養をつけさせようと紫式部を教育係家庭教師に選びました。
教養を身につけた彰子はやがて天皇に気に入られ男の子を出産しました。
後の…平安時代藤原氏をはじめ貴族社会で人気を博した「源氏物語」。
みやびな世界を題材に日本人の美意識や価値観に大きな影響を与え今日まで読み継がれています。
唐などの文化をもとに日本の風土や日本人の考え方習慣などを加えた新しい文化は国風文化と呼ばれその後の日本社会に大きな影響を与える事になります。
「源氏物語」のほかにも清少納言の「枕草子」など確かに日本独特の傑作文学が次々と生まれましたよね。
この時代の文化の背景これがよく分かってきましたね。
込山君が今日十二単を着た訳もよ〜く分かりました。
渡辺先生改めてよろしくお願いします。
藤原道長が力を持てたポイントこれは婚姻戦略だったんですね。
はいそこにあります。
このころまでの結婚というのは今とはだいぶ形が違ってまして基本は…ですから…そうか。
通っている相手のお父さんという事ですか。
その子供に対する発言力が強い訳ですね。
それと当時の結婚は今と違って一夫多妻の時代な訳ですね。
道長も最初は正妻の所に通ってた訳ですけれどもだんだんはそこに住み着くようになってしまったという事が分かっています。
道長さんも正妻のほかに何人かいた訳ですね。
そうです。
正妻の所に住んでいながらよそへ通ったり…。
そういう事になる訳ですね。
あらま。
一夫多妻っていう事は浮気とか嫉妬とかもめ事にはならなかったんですか?それは当然あったと思います。
それはいつの世も変わらないはずで。
そういう時代ですから道長を中心とする藤原氏が大きな権力を持てたのはこういう母方の発言力が強いという社会の仕組みそのものに大きな原因があるといえる訳ですね。
男の子が生まれて無事育ってくれれば将来天皇になる訳で将来の摂政や関白の地位が約束されてるようなものですね。
という事は自分の娘が男の子を生むという事が非常に重要だったという事ですか。
(渡辺)そういう事です。
(向井地)確かに。
なるほど。
そういうふうにして作り上げたからこそ「此の世をば」なんていう句が生まれてくるんですかね。
ありがとうございました。
今日は華やかな一日でございました。
それにしても込山君この十二単どうでした?今日は。
私着てみたかったんです十二単。
なので夢がかないました。
次の夢はこの衣装を着てセンターで歌いたいです。
うわ〜。
ずるい。
天皇が幼少の時などに天皇に代わって政務を行う摂政。
成人した天皇を補佐する関白。
それまでの人に対する課税方法からより確実に税を徴収するため土地に対して課税するようになった。
唐や新羅などの滅亡をきっかけに…2014/08/18(月) 14:40〜15:00
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「摂関政治の展開と国風文化」[字]

日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)

詳細情報
番組内容
今回の舞台は9世紀から11世紀ごろの平安時代。この時代、藤原氏が「摂政」や「関白」という地位につき、政治の実権を握るようになった。藤原氏はどのようにして権力を掌握したのだろうか? また、この時代は主に貴族が担った「国風文化」が発達した。中国の影響が強い奈良時代の文化とは違い、日本的な文化がこの時代に発達したのはなぜだったのか? 政治と文化の面から平安時代の特徴を理解する。
出演者
【講師】奈良文化財研究所史料調査室長…渡辺晃宏,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【司会】高橋英樹,【語り】杉村理加

ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
趣味/教育 – 大学生・受験
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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