是非サフランや紅花ミントを食事に取り入れてみて下さい。
歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
日本史研究の殿堂高橋歴史女学館へようこそ。
館長の高橋です。
ここでいつものように最強の歴史アイドルを目指す我が女学館の生徒たちをご紹…あらっあれ?いつもと違う!これは奈良時代の衣装なんですよ。
今回私たちが奈良時代について調べてきました。
しかもそれぞれ「三つの要」に合わせた衣装なんです。
なるほど。
これは奈良時代の衣装なんだ。
それぞれかわいいね。
ここで今回学ぶべき重要ポイントを見てみよう。
今回の時代は…710年「なんとみごとな平城京」へ遷都。
大宝律令にのっとった中央集権体制の整備が進められました。
今回押さえるべき「三つの要」は…律令国家の整備はどのように進められたのでしょうか。
前回は律令制にのっとった中央集権国家の始まりを学んだ訳だが今回はそれがどのように整備されていったのかを学ぶ訳だね。
そうなんです。
その国づくりを象徴しているのがこの衣装です。
これは奈良時代の貴族の女性が着ていたものなんですがちょっと異国風だと思いませんか?そうですよね。
和風というよりこれ中国風だね。
これは当時の中国つまり唐の衣装をお手本にしたものなんです。
奈良時代は唐をお手本にした国づくりを進めていたんですよ。
その事を調べてきました。
なるほど。
衣装が象徴しているんだね。
では今回も「三つの要」に沿って見ていきましょう。
向井地君任せたよ。
かたじけない。
では「三つの要」その一。
710年藤原京から平城京へ遷都が行われました。
奈良時代の始まりです。
平城京の広さはおよそ5km四方。
碁盤の目のような通りの中央が朱雀大路です。
これが復元された…道幅およそ75m全長は4km近くもあります。
朱雀大路を中心に東側を左京西側を右京といいます。
貴族の邸宅や市場がありました。
そして朱雀大路の北の突き当たりには朱雀門。
その先の平城宮大内裏に天皇の御所や役所が集まっていました。
実は平城京は唐の都長安を手本につくられました。
碁盤の目のような道路によって区画し王宮を一番北に置くというレイアウトはまさに長安そのままです。
平城京の人口は5万〜10万人くらいだったと考えられます。
そのうち役人はおよそ7,000人ほど。
戸王によって作られた冠位十二階が唐にならった位階制度として整備されおよそ150人前後の貴族を頂点とするピラミッドを形成していました。
経済の面でも唐を手本にした国づくりが進められました。
平城京遷都直前の708年には唐にならい和同開珎という貨幣が造られています。
唐を手本とした律令国家では全国を五畿七道に分けて支配しました。
五畿は畿内ともいい都周辺の5つの国の事。
いわば当時の首都圏です。
それ以外の国々は「道」という行政単位で7つに分けられました。
それぞれの国には役所として国府が置かれました。
因幡国は現在の鳥取県東部。
国府跡が朱塗りの柱で示されています。
九州には大宰府が置かれていました。
大宰府は現在の九州全体を統括するとともに中国や朝鮮半島との交流も担いました。
更に防人と呼ばれる兵士を管轄し国家を防衛する役割も果たしました。
また陸奥国現在の宮城県には多賀城が造られました。
多賀城には陸奥の国府が置かれ東北地方に支配を広げていくための拠点とされたのです。
国の形がだんだん整ってきたね。
実は律令制を整え国をまとめる上で重要な役割を果たしたものがあるんです。
それは仏教です。
「要」その一の続きをご覧あれ。
大宰府で起きた反乱をはじめ飢きんや疫病の流行などによって社会の動揺が続いていました。
そこで時の聖武天皇は国ごとに国分寺と国分尼寺を建立する命令を発しました。
国分寺には経典を置き毎月読経する事を定めます。
こうする事で仏が国を守り災難を除いてくれると信じたのです。
このような考えが鎮護国家の思想です。
聖武天皇は更に「大仏造立の詔」を発しました。
高さおよそ15mに及ぶ大仏の建設。
巨額の建設費を投じ延べ260万人が工事に関わったといわれます。
大仏を造る事によって人心をまとめ国を一つにしようとしたのです。
752年東大寺で盛大な大仏開眼の儀式が行われました。
この時の大仏は黄金に光り輝いていました。
この儀式には唐をはじめ朝鮮半島インドベトナムなどの諸外国を含め1万を超える僧が参列したといわれます。
仏教によって国をまとめ国際的にも進んだ国家をアピールしようとしたのです。
びっくりするほどすごいもの造りましたね。
巨大な仏像を造って国を一つにまとめようとしたんだね。
仏教と政治の関係よく分かったね。
はい!館長。
はい込山君何だね?私は奈良時代の農民の事を調べてきました。
私の衣装を見て下さい。
これは当時の農民の衣装といわれています。
実は弥生時代からほとんど変わってないんです。
えっ!弥生時代から?はい。
随分長い間変わってないんですね。
みーおんが着ている貴族の衣装と比べると農民がどれだけ苦しい生活をしていたか分かりますよね館長。
ホントですね。
これはだいぶ違います。
私もみーおんみたいなきれいな衣装が着たかったです。
ウフフフ…。
いやでも似合い…あ似合うって言っちゃいけないのか。
貴族たちは唐の進んだ文化をどんどん取り入れたけれども農民はまだまだそのままだったんだね。
その事は服装からよく分かりますね。
次の「要」は込山君頑張るんだよ。
はい痛み入ります。
では「三つの要」その二。
701年に完成した大宝律令によって班田収授法が本格的に実施されました。
これは土地も民衆も天皇のものであるという事を定めたものでした。
しかし重い税の負担に耐えかねた農民の中には口分田を捨て逃亡する者も出ました。
これは当時の納税台帳。
「逃げる」という文字がいくつも見えます。
また自然の災害による水田の荒廃や人口の増加などの理由で口分田は不足しました。
しかし自分の口分田で精いっぱいの農民たちは新たに田を開墾しようとはしません。
そこで政府は三世一身法を出して開墾を奨励したのです。
新しく灌漑施設を作り田を切り開いた者にはその田を3世代に限って私有してよいという法律です。
しかし開墾された田も3世代が過ぎ取り上げの期限が近づけば荒廃してしまいました。
このため政府が出したのが墾田永年私財法です。
開墾した田は自分の土地にしてよいという法律です。
土地の私有を認めたのです。
公地公民つまり土地も民も天皇のものであるとしたのが律令制でしたよね。
でも土地政策については律令制をやめたという事でしょうか。
そうですね〜。
ちょっと私には分からないです。
これは難しい質問だね。
これは我が女学館の特別講師渡辺先生にお聞きしましょうか。
先生!渡辺先生お願いします。
はいお呼びですか?よろしくどうぞお願いします。
どうぞこちらの方へ。
渡辺先生奈良時代の土地政策というのは随分と転換したようですね。
まずは公地公民の制度を少し振り返ってみましょう。
(込山)はい。
土地と公民を天皇が直接支配しました。
これが公地公民です。
今回の土地制度改革新しい制度っていうのはこんなイメージだと考えて頂いたらいいと思います。
墾田の私有を認める事によってそれまで以上に広い土地を天皇が支配できるようになった。
ですからこれは決して公地公民の矛盾という訳ではない訳です。
これまで8世紀の政策転換というのは律令制の崩壊だと捉える考え方が強かったんです。
だけど土地政策の転換をこのように捉える事ができるならばより支配が固まっていくという事だろうと。
つまり8世紀というのは中国から直輸入した律令の制度を日本に見合うように展開していく改革していく本当の意味での律令国家の建設の時代なんだというふうに捉えられるように最近ではなってきたんですね。
なるほど。
国づくりもいろいろと模索していた時期なんですね。
(渡辺)はい。
ほう〜。
はい館長!何だね?土保君。
私は今まで見てきたような唐をお手本にした国づくりのため唐に学びに行った人たちの事を調べました。
それが遣唐使だね。
そのとおり!私が着ているのは奈良時代の遣唐使粟田真人という人が着ていたであろうと思われる男性貴族の衣装です。
遣唐使として唐に渡ったのは僧侶や留学生たちでしたが日本に帰ると出世して高い身分に就きこんな衣装を着た人もいたんです。
最後は土保君の「要」だね。
That’sright!「三つの要」その三。
702年粟田真人をはじめとする遣唐使が唐に向かいます。
唐に朝貢つまり使節や贈り物を通して友好関係を築こうとしたのです。
これによって白村江の戦い以来途絶えていた関係が再開しました。
この時代唐は東アジアの大国として君臨していました。
遣唐使が学んだものは進んだ政治制度や最先端の文化でした。
704年粟田真人は帰国。
彼らがもたらした情報によって平城京の建設や中国風の国づくりが進められたといえるのです。
日本はまた朝鮮半島を統一した新羅とも頻繁に使節を交換しました。
「続日本紀」によれば大仏開眼供養会に王子を含む700人もの新羅の使節団が来日。
大仏を礼拝したと記されています。
7世紀末に中国東北部に興った渤海は唐に滅ぼされた高句麗の流れをくむ国です。
渤海からは延べ2,500人に上る使節団がやって来ました。
彼らは日本では手に入りにくい貂や虎熊などの毛皮を特産品として度々日本に持参しました。
当時の様子を表した絵巻にはヒョウの毛皮をまとう人が描かれています。
奈良時代の日本は近隣の国々と外交関係を結んでいたのです。
唐にならった国づくりで遣唐使がもたらしたものこれ大きかったですね。
はい。
そして日本は遣唐使だけではなく遣新羅使や遣渤海使も頻繁に送っていたんですよね先生。
はい。
大陸には東アジアから中央アジアまでを広く支配した唐が君臨しています。
一方朝鮮半島には朝鮮半島の3国を統一した新羅があります。
新羅は唐に対しては朝貢して臣下として位置づけられます。
一方日本は唐に対して朝貢します。
だけど新羅と違って臣下としては位置づけられませんでした。
その一方で日本は新羅に対しては朝貢を求めます。
ですから新羅がだんだん国力を蓄えてくるに従って対等の外交を求めてきますので…もう一つ状況を複雑にしたのは渤海という国の存在があります。
当初は渤海は唐とはあまり仲がよくなかったものですから日本と関係を結んで自分の国を有利にしようという事も考えます。
こうした4か国の存在する東アジアの中で…非常に微妙な立ち位置が続いていった時代だからこそ日本の国づくりがまとまっていったのかもしれませんね。
奈良時代について学んでまいりましたが渡辺先生がいらっしゃる奈良文化財研究所っていうのは何をしてる所なんですか?奈良にある文化財を総合的に研究する研究所なんですが中でも古代の都平城京とか藤原京の発掘調査が一番大事な仕事になっています。
(3人)へえ。
その中でも一番大事な発見だといわれているのは木簡という古代の人たちが使った生の資料ですね。
今日持ってきたのは贄と呼ばれる天皇の食糧を貢進する時に使われた木簡なんですね。
木簡はこのように地方から租税を送る時の荷札として使われたりするんです。
何ていう字が書いてあるか分かりますか?え〜何とかの「ひとかご」って書いてありますね。
あっわかめだ。
(渡辺)そうです。
(生徒一同)え〜!海藻というのが今のわかめの事です。
送ってきたのがどこかと言うと阿波国。
今でいうとちょうど鳴門のわかめの産地に当たると。
この時代から既に…。
そういう事ですね。
こういうブランド物のわかめがあったという事になりますね。
当時の人たちの生の声とか記録を生き生きと我々に伝えてくれる訳ですね。
中には…
(渡辺)役人がボソッと愚痴をこぼしたような…。
出てくるんですか?
(渡辺)あります。
千数百年変わらないって事ですよ。
今とあんまり変わらないですね。
今我々が言ってる事と同じ事が残ってるという。
我々も愚痴でも何でも書いといた方がいいのかな。
今こういうのってたくさん見つかってるんですか?平城京の中では20万点を超える木簡が見つかっています。
それもまだまだ実はほんの氷山の一角でまだ貴重な資料がたくさん土の中に埋もれているのは恐らく間違いないだろうと。
という事はもっともっと宝の山がそこにあるかもしれない。
はい。
どこにどんなものがあってもおかしくない。
今後日本史の根底を覆すような新たな発見があるかもしれませんね。
はい。
期待したいと思います。
楽しみにしております。
今日はありがとうございました。
ありがとうございます。
みんなも今日はご苦労さまでした。
衣装がその時代の背景を物語っている。
こういう事がよく分かりましたね。
でも華やかでした。
お似合いでした。
館長もっときれいなの着たかった。
この次は十二単ですよきっと。
じゃあ私が着ます。
私も着たい。
みんな着たい?唐にならった律令国家を目指し…全国に国分寺と国分尼寺を建立した。
政府は当初土地の私有を認めなかったが口分田が不足したため三世一身法墾田永年私財法と段階を踏み私有を認めた。
日本は唐だけでなく…2014/08/18(月) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「平城京の時代」[字]
日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)
詳細情報
番組内容
今回の舞台は8世紀の「奈良時代」。律令制に基づく中央集権国家体制の整備が進められた時代である。しかし天皇を頂点とし、公地公民を原則としながら、この時代には初めて土地の私有を認める法令も定められている。このような政策転換がなされたのはなぜなのか? また、奈良の都に巨大な仏像を建立した理由は何だったのか? 奈良時代のさまざまな政治課題に対して当時の人々がどう取り組んだのか、その過程を見つめる。
出演者
【講師】奈良文化財研究所史料調査室長…渡辺晃宏,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【司会】高橋英樹,【語り】杉村理加
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
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