3100分de名著 アンネの日記(新番組)<全4回> 第1回「潜伏生活の始まり」 2014.08.17

第二次世界大戦下のオランダで一人の少女が書いた日記。
発表以来世界中で読み継がれ「聖書」に次ぐ世界的ベストセラーとなっています。
作者アンネ・フランクはオランダアムステルダムの隠れ家で2年にわたり日記を書き続け後にナチスの強制収容所で15歳の生涯を終えました。
長らくホロコーストの悲劇を伝える名著として読まれてきた「アンネの日記」。
しかし実は思春期を迎えた女の子のありのままの姿が描かれた豊かな文学作品でもあります。
「私は書きたいんです。
いいえそれだけじゃなく心の底に埋もれているものを洗いざらいさらけだしたいんです」。
第1回はどのようにして日記が書かれたのかその背景に迫ります。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…さあ今月の名著はこちらでございます。
「アンネの日記」。
これユネスコの記憶遺産でもあり55言語に訳されてなんと…永遠のベストセラーですよね。
すごい事になってますね。
あまりにも有名なので「ちっちゃい頃読んだわ」とか「教科書に載ってたわ」ぐらいで止まってる方も多いと思うんです。
僕の中のイメージは女の子が読むものという感じで多分男子で読んだ事ないという人割と多いような気がするんです。
「アンネの日記」という女の子の日記ですもんね。
悲劇の少女のお話というイメージなんですけれども実はそれだけではなくて本当に文学的価値の高い名著という事でございます。
今回は「アンネの日記」に強い影響を受けて作家になられたという小川洋子さんを講師としてお招きしております。
小川さんどうぞ。
よろしくお願いいたします。
芥川賞作家の小川洋子さん。
作家を志したきっかけは少女の頃読んだ「アンネの日記」。
言葉がこれほど自在に人の内面を表現できるのかと衝撃を受けました。
作者アンネ・フランクの足跡を追いかけてオランダやドイツを旅し一冊の本にまとめています。
小川さんは作家におなりになったのにこの「アンネの日記」が非常に大きな役割を果たしたというか影響されたんですってね。
そうですね。
言葉でね何かを…出会いはいつだったんですか?最初に手に取ったのはやはりアンネと同じ年ぐらいの13歳ぐらいで読んだんですけれど正直最初はちょっと難しすぎてアンネの精神年齢に自分が追いついていなくてぴんとこなかったんですが彼女の年を追い越して高校生ぐらいになって読むとほんとにありのままのアンネの声が胸に響いてくるように届いてきて非常に共感を覚えまして。
もう彼女がユダヤ人であるとか差別を受けて隠れ家に入っているとかそういう状況をほとんど意識せずにもうクラスの友達みたいな感覚でのめり込んで読んだという経験があります。
僕は読んでないんですけどやっぱりその戦争の事を知らないと入っていけない難しい本という壁は一つあるんです。
お勉強という感じのにおいがちょっとしますから。
難しいとか。
そうですね。
しかし本当に特殊な状況なんですけれどその中に描かれてる思春期の葛藤とか成長というのはとても普遍的なテーマですし大人になった人が自分の思春期を振り返って書いたものではなくてまさに…それはちょっと他にないと思うんですよね。
今気付くんじゃないって話ですがもう既に面白そうですね。
「アンネの日記」の基本情報を見てみたいと思います。
まずこのアンネ・フランクドイツで生まれました。
1929年ですから今生きててもおかしくない。
85歳ぐらいですかね。
そしてこの日記はこの期間2年ぐらいの間13歳から15歳ぐらいの間に書かれたほぼ隠れ家に潜伏している時代に書かれたもの。
これ今回レプリカで作ったこのぐらいの日記帳。
何かちょっとかわいらしい女の子らしい感じの日記帳ですね。
この日記帳に日記を書きつけるんですけれども終戦後生き残ったお父さんが出版をするんですね。
もうその時作者のアンネ自身はこの世にいなかった。
そうですね。
密告によりまして隠れ家の人々が連行されたあとに隠れ家に日記が散らばって落ちていたと。
それを支援者の人ミープ・ヒースという女性が拾い集めましてアンネが帰ってくるまで自分の仕事机に鍵をかけて読まずに保管してあったと。
個人的な少女の日記が今世界中で読まれる事になるその第一歩はこの支援者の女性がね…その働きが大きかったと思うんですよね。
でもその日記を読まずに保管したというところに生きて帰ってくる彼女のものだという感じがすごくする。
そしていよいよアンネは帰ってこないんだという事がはっきりした時にお父さんに手渡したと。
実は近年完全版というのが出たんですね。
はい。
一番最初に出版された時点ではやはりお父さんが編集をしておりましてねお父さんの死後完全版として出版されるんですよね。
そうすると一層アンネの人間くささみたいなものが前面によく伝わってくるようになって生き生きとしたアンネ・フランクと出会える完全版になってるんじゃないかと思いますね。
さあそんなフランク一家なぜ隠れ家生活を送らなければならなかったんでしょうか?見てみましょう。
アンネ・フランクは1929年ドイツで父オットーと母エーディットのもとに生まれます。
オットーはフランクフルト出身の裕福な銀行家で一家は恵まれた家庭を築いていました。
そのころ第一次大戦の敗戦国だったドイツは多大な負債を抱え大不況のあおりも受けて失業者が町にあふれていました。
国民の不満が高まる中ヒトラー率いるナチス党への支持が急速に広がってゆきます。
翌年ヒトラーは首相の座に就きました。
人種主義に基づくユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れ始め公職追放や商売の禁止など日々の暮らしが危機にさらされるようになります。
ユダヤ人であったフランク一家は迫害を逃れるため中立国であるオランダに移住し新たに商売や生活の基盤を築く事を決意します。
父オットーがまず移り住み翌年4歳だったアンネと姉のマーゴット妻エーディットを呼び寄せ一家のアムステルダムでの暮らしが始まりました。
アンネは自由な校風の学校に通い幸せな生活を送っていましたがやがて第二次世界大戦の火蓋が切られると瞬く間にオランダにもナチス・ドイツが侵攻してきました。
ドイツ占領下でユダヤ人迫害が始まったのです。
戦争の影が近づいてくるまではすごく幸せなおうちだった。
そうなんですね。
こちらがそのフランク一家なんですけれどもともと非常にドイツで裕福な暮らしをしていた家族だったんですね。
オットーの方は代々銀行業を営むおうちでお母さんのエーディットの家系もとても豊かな実業家の一族。
そして姉のマルゴーが非常におとなしくて優等生的な長女でアンネがまたその正反対でねとっても元気がよすぎる末っ子というような4人家族。
宗教的にはとてもリベラルな考え方の持ち主でドイツ社会に溶け込んで生活していていわゆるユダヤ教の信心深い家族ではなかったようなんですけれども代々ユダヤ人の家系であるという事でナチスの迫害の対象になっていくわけなんです。
ついこの間5月にこの番組で「旧約聖書」を取り上げたばかりなんで何かとても複雑なというか僕にとっては立体的に感じられる。
「旧約聖書」の時代から続く差別意識をヒトラーが利用したという事でしょうかね。
そういう時代の流れを読んでアンネのお父さんはいち早くオランダへ移住するわけなんですけれど戦争になりますとあっという間にドイツに占領されてしまうと。
それではこの続きを見ていきたいと思います。
日記の朗読は満島ひかりさんです。
1940年オランダはナチスに降伏。
翌年にはアムステルダムで最初のユダヤ人狩りが行われます。
更にユダヤ人は皆黄色いバッジを衣服に縫い付けなければならなくなり情勢は悪化の一途をたどってゆきました。
そんな中アンネは13歳の誕生日を迎えます。
誕生日おめでとう。
プレゼントはアンネが一番欲しいと思っていたもの布張りで鍵のついたかわいい日記帳でした。
学校の成績や友達の事男の子の事。
アンネは親友に心の内を明かすように日記に素直な気持ちをぶつけてゆきます。
「考えてみると私のような女の子が日記をつけるなんて妙な思いつきです。
他の誰にしても13歳の女子中学生なんかが心の内をぶちまけたものにそれほど興味を持つとは思えませんから。
でもだからといって別にかまいません」。
それからひとつきもしない7月5日の事です。
突然姉マルゴーに強制労働のための出頭命令が届きました。
出頭すれば収容所行きは免れません。
マルゴーを行かすわけにはいかない。
一家は父オットーがひそかに準備していた隠れ家への潜伏を決意しました。
怪しまれないよう最小限の荷物だけをかばんに詰めると翌朝住み慣れた我が家を出たのです。
「私は肌着を2枚着てパンツを3枚重ねてはいた上にワンピースを着て更にスカートとジャケットを重ねサマーコートを羽織りストッキングを2足と編み上げのブーツを履きおまけに毛糸の帽子と襟巻きと…もう数えきれません」。
雨が降りしきる中アンネたちは歩いて4kmの道のりを移動します。
隠れ家は街の中心部で父オットーの営むオペクタ商会の裏側にありました。
フランク一家の他にもう一家族が合流し7人での暮らしが始まったのです。
すごいね。
何かねイチローがバットをもらった日みたいだね。
要は多分お父様はこういう表現力に気付いてるからお誕生日のプレゼントに日記を選んでるとは思うんです。
だけどその日記というものを手に入れた瞬間に爆発する才能みたいな。
もう書き出しから面白いじゃない。
そうですよねほんと。
さあその潜伏生活なんですけどこちらがアムステルダムの地図なんですけどまずフランク一家は最初ここで暮らしてたんですね。
隠れ家はお父さんが経営する会社オペクタ商会の裏側にあったんですけどここから4kmぐらい。
より中心地に近づいてここに隠れ家があったんですね。
アンネも予想外だったと。
むしろその当時は田舎に隠れるというケースが多かったようですので。
オットーとしては家族がバラバラにならないようにするために自分が経営する会社の裏側という方法を考えついたんでしょうね。
しかしまず驚いたのは面白いじゃないですか。
僕ねここすごく大切だと思うんです。
どんなに世の中が悲惨でもとてもつらい立場に追い込まれてても面白い事がゼロになるわけじゃないと思うんです。
よく言うんですけどお葬式の日にも面白い事は起こるんです。
「悲しい」はそのままだけどすごい悲しいけど起こる。
起こるからより悲しかったりとか。
これ後で振り返って冷静に大人が書こうと思うとやっぱり悲しい場面というのは悲しい事で押そうとしがちだから。
その時実は思ってたクスッと笑っちゃうような事とかちょっと吹き出しちゃいそうなそのみんなで着膨れしながら家出る前に窒息しちゃうわというところって無くすじゃないですか。
ですからこの「アンネの日記」の中にユーモアがあるという事はね私一番言いたい事なんですよね。
びっくりしました。
決してかわいそうだけの話ではなくてねこの中に人間が生きている限りユーモアがあるわけですよね。
それをちゃんと彼女はすくい取ってると。
そして雨の中隠れ家に歩いて移動する時の様子についてもこんなふうな書き方をしてるんです。
…という描写がありましてね。
出てく途中の描写。
ええ。
これは周りが見えてるという事なんですよね。
いや〜これはすごいですね。
見て見ぬふりをしてる自分が嫌だという自己嫌悪に陥っているであろうそのオランダ人たちの気持ちを子供がちゃんと察知してるという事ですよね。
それは彼女の感受性でありそういう日常だったんでしょうね。
そうですねこの時代のオランダのアムステルダムの街の中の空気も伝えてますよね。
その日の事をアンネは更にこんなふうに書いています。
「日曜の朝から今までに何年もたってしまったような気がします」。
アンネは更に隠れ家の様子も日記に報告しています。
「親愛なるキティーへではいよいよ建物について説明しましょう。
踊り場の右手のドアが私たちの隠れ家に通じる入り口です」。
オットーの会社の後ろにある建物の3階部分がフランク家の住まいに。
4階部分は食堂兼もう一家族の住まいとなりました。
このように京都の町家みたいに後ろに長い構造になっていてこれ平面図で見てみますとこちらの表側の青い所はお父さんの会社になってるんですね。
奥のこの赤い部分が隠れ家になっていた。
まあ隠れるのにうってつけな。
ええ。
以前会社の実験室として使っていた部分という事で水回りが整っていたんですね。
小川さんはここ実際に何回か行ってらっしゃるんですよね。
第一印象としては窓が全部カーテンが開いておりますので…大きな木が生えてて緑が茂っていて美しい自然がすぐ触れる所にあるんだけれどアンネたちにとっては…彼女たちが暮らしていた時には真っ黒い遮光のカーテンを引いて決して窓を開けられなかったんだなという事をまた想像させるその光の明るさがあったんですね。
アンネは日記帳に「キティー」という名前を付けて一番の親友に話をするように毎日日記を書く事にしたんですね。
この「キティー」という存在を編み出したという事がとても重要なポイントだったと思うんですよね。
このキティーに語りかけるというスタイルをとった事で現実に起こった事とそれを書くという…自分勝手な独り善がりのつぶやきではなくてねキティーのために語る。
誰かのために語るという物語の原点がここに生まれたんですよね。
誰かに語りかけるという事でそんなに違う事になるのかね?日記って本来人に読ませるものじゃないのでどうしても自分の何か独り善がりのわがままな思いをただバーンとぶつけるだけで終わってしまう。
そうすると文学にならないんですよね。
やっぱり紙の向こう側にいる人に伝えるためには一度自分の中にある気持ちをもやもやしている気持ちを整理整頓して「これはどういう事なんだろう」ともう一人の自分がそれを見つめてそれに言葉を与えてという手順が要るんですよね。
アンネはやっぱりもやもやとして袋小路に陥っている自分の感情というね本来あやふやで…その袋小路に入ってしまっている感情を言葉に書く事によって…通路を作るんですよね言葉が。
その先にキティーがいる。
そういう日記なんじゃないでしょうかね。
13歳にしてその通路を見いだしていたというかそういう才能がある。
文章だけ見ていると本当に才能豊かで大人っぽい年齢よりもうんと精神年齢が高いなと思うんですけれどでも多分現実のアンネはねやっぱり子供っぽい女の子だったと思うんですよね。
ですから彼女はそういう無邪気な未熟な自分と未熟な自分を書いてる自分と二人の自分を持ってた。
「二人のアンネ」がいたという事はこの日記のまた一つの重要なキーワードなんですよね。
未熟な自分を書く事ってとても本来未熟じゃできない事だったりするから。
そう思います。
次回は隠れ家の中でも日々成長してゆく思春期のアンネの姿をお届けいたします。
小川さんどうもありがとうございました。
2014/08/17(日) 16:15〜16:40
NHKEテレ1大阪
100分de名著 アンネの日記[新]<全4回> 第1回「潜伏生活の始まり」[解][字]

ホロコーストの悲劇を象徴する一冊「アンネの日記」。ナチス占領下のオランダで、ユダヤ人狩りから逃れてすごした潜伏生活が記されている。案内役は作家の小川洋子さん。

詳細情報
番組内容
ナチスドイツ占領下のオランダで、隠れ家で暮らした日々を記録した「アンネの日記」。日記帳は、13歳の誕生日プレゼントだった。最初は、教師や友人との出来事、厳しさを増すユダヤ人差別の状況などが書かれているが、すぐにユダヤ人狩りの手が迫り、2年間にわたる潜伏生活が記されていく。案内役は、作家の小川洋子さん。この本との出会いが作家になる原点だという小川さん独自の視点を通して「アンネの日記」を読み解く。
出演者
【ゲスト】芥川賞作家…小川洋子,【司会】伊集院光,武内陶子,【朗読】満島ひかり,【語り】好本惠

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
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