たかじんのそこまで言って委員会 2014.08.17

血縁よりも法律上の親子関係が優先されるということを。
これは先月、最高裁判所が下した判決である。
DNA鑑定で法律上の父親と血縁関係がないことが証明された子どもを育てる母親が、法律上の父子関係の取り消しを求めた裁判で、最高裁は父子関係は取り消せるとした2審の判決を破棄し、取り消せないとの判断を示したのだ。
最近では、幼児を虐待したとして、傷害致死罪に問われた両親の裁判で、1審の裁判員裁判で検察の求刑の1.5倍となる懲役15年の判決が下り、2審もこれを支持。
ところが最高裁は、国民の視点を入れるため導入した裁判員裁判といえども、過去の裁判結果との公平性を保つ必要があるとして、1審、2審判決を破棄。
被告の刑を軽減する判決を下した。
これでは裁判員裁判の意味がないとの声もあるようだが。
最高裁判所は、日本の司法における最高機関であり、最高裁判所での判決が、最終的な司法判断となる。
しかし。
過去には、最高裁が上告を棄却し、死刑判決が確定したあとに新事実が判明、再審の開始が決まった袴田事件など必ずしも最高裁が正しい判断をするとはかぎらない。
そこで今回のそこまで言って委員会は、先に挙げた3つの事案を含め。
外国人は生活保護の対象外。
不要なおからは産業廃棄物。
といった、過去の最高裁判決を、おなじみの委員会メンバーが再ジャッジ。
法律の専門家も加わって、徹底討論します!
たかじんのそこまで言って委員会。
皆さん、こんにちは。
副委員長の山本浩之です。
さあ、今回は、開廷!再考裁判所と題しまして、最高裁の出したさまざまな、これまでの判断が正しいのかどうか、法律の専門家と共に、再考していきたいというふうに思います。
まずは司法の抱える問題点を鋭く突く、元裁判官で弁護士の井上薫さんです。
どうぞよろしくお願いします。
前回、ご出演になったときは、かなり辛口で。
控えてたんですよ。
きょうもまた、いろいろとかみつかれるんでしょうね。
きょうはすばらしいですよ。
この委員会ね、第4審ですから、皆さん第4審裁判官で。
なるほど。
大したもんですよ。
この企画、すばらしいと思ったんです。
最高裁の上にあるわけですね。
大阪じゃなきゃできないですよ。
そして女性初の法務省民事局付検事として、民法などの改正にも携わった、弁護士の住田裕子さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
住田さんとは実はすごく長いんですよ。
つきあいが。
本当、久しぶりで。
よく考えるとああ、やっぱり声はいいなと思ってます。
声はって、必ずそう言われます。
声は、ありがとうございます。
光り輝いてます。
よろしくお願いします。
そして、東京地検特捜部副部長や、公安部長などを歴任し、検察の表も裏も知る、弁護士の若狭勝さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
若狭さんはこの番組、スタジオでは初めてのご出演ですね。
そうですね、スタジオでは初めてですが、静岡でテレビはよく見ていますね。
非常にファンです、この番組は。
ファンですか。
ええ。
これだけね、痛快な番組、ないです。
ああ、そうですか。
そういうふうに思っていただけたら。
きょうはいい出演者ばかりですよね。
いい出演者。
最初はそういうふうに言うてますやん。
だんだん皆さんとバトルトークを繰り広げていただきたいと思います。
まずは裁判員制度の根幹を揺るがす、この判決について、みんなで考えてみたいと思います。
開廷!再考裁判所。
まずは。
裁判員裁判の求刑越え判決問題。
国民の司法参加により、市民感覚を判決に反映させるという目的で始まった、裁判員制度。
開始から5年が過ぎた先月、制度史上初の事件が起きた。
事の発端は2010年1月、大阪府寝屋川市の自宅マンションで、当時26歳の父親が、当時1歳8か月の三女の頭をたたくなどし、27歳の母親もそれを止めなかったため、およそ1か月後に、三女は脳腫脹で死亡。
両親は傷害致死罪に問われた。
1審、大阪地裁の裁判員裁判では、検察側が懲役10年を求刑。
これに対し、両被告は死亡は転倒などの事故が原因だと無罪を主張したが。
病院に搬送されたとき、三女は左あごを骨折。
全身にあざがあり、顔にやけどのような痕もあった。
判決では、日常的な暴行や育児放棄があったとして、両親の行為を、悪質で殺人罪と傷害致死罪の境界に近いと認定。
児童虐待は大きな社会問題で、今まで以上に厳しい刑罰を科すべきだとして、両被告に求刑の1.5倍となる懲役15年を言い渡し、2審、大阪高裁もこれを支持した。
ところが。
最高裁が下した判決は。
国民の視点を入れるために導入された裁判員裁判といえども、過去の裁判結果との公平性を保つ必要がある。
としたうえで、1、2審判決を破棄し、父親を懲役10年、母親を懲役8年に軽減する判決を言い渡した。
裁判員裁判の量刑を最高裁が変更したのは今回が初めてだが、判決では、量刑は直感で決めればよいのではなく、裁判員裁判でも、同種事犯の量刑傾向を考慮することの重要性は変わらないと、先例を踏まえた検討を求めた。
また、仮に先例と大きく異なる刑を言い渡す場合には。
理由を判決で具体的、説得的に示すべきだ。
と指摘。
その上で、1審については。
求刑を大幅に超えるのに、説得的な根拠が示されておらず、甚だしく不当。
と、批判している。
これに対して、1審で裁判員を務めた男性は。
ほかの傷害致死事件とは、悪質性がまるで違うのに、過去の量刑傾向に合わせた判決になるのは残念でならない。
と、不満をあらわにした。
一部には、今回の最高裁判決を受け、実際に裁判員との評議に加わる裁判官が、結論を量刑相場内に導く傾向が強まるのではないかと危惧する声もある。
2009年の裁判員制度導入後、求刑を上回る判決は増え、49人に言い渡されている。
これはそれだけ国民が、従来の司法の量刑判断に不満を持っていたことの表れなのかもしれないが。
そこで皆さんに質問です。
裁判員裁判の量刑を減刑した最高裁の判断は正しいと思いますか?
これ、委員会の皆さんのご意見を見ますと、正しいとお答えになった方のほうが多いんですね。
その中で正しくないというのは、ざこばさん、もえちゃん、宮崎さん、3人なんですけど、ざこばさん、裁判員制度の意味がないと、それだったら。
なんのためにこんなもんこしらえて、これしてるの。
それと、今のあれ見て、公平性?ほかの事件に比べて、ならそれも、前のんも、前のなんかに比べて、その前のに比べて、つまりその、比べて比べて比べてやっていってるわけ?量刑っちゅうものは、それやったら裁判の意味がないがな、そんなもん。
参考にすんねんやったら。
やっぱり、年齢とか、考え方とか、20歳代とか、30代とか、40代とか、同じいじめんのでも、悪さしてるのでも、お前、40にもなってようやんなとか、お前、20歳になって働かんとぶらぶらして、そんなことしてんのかとか、真面目に働いててもうストレスがたまってとか、そういうことを鑑みて、刑っていうものはやっていくものと違うの?
しかもそれが国民の感覚として反映させるものだと。
で、裁判員はそう決めたわけでしょ、委員はね、われわれは。
それをこんなひと言で、前のと裁判と比べてって、そんなばかな話ないよ。
私も国民として、最高裁の判決は絶対であってほしいという気持ちはあるんですよ。
でも、これが最後だし、間違っててほしくないと思うんですけど、なんかね、師匠、納得できないですよね?
納得できない。
裁判官の方にも聞きたいんやけどね。
後ほど。
前の事件の量刑で、それを左右するのか、そんなばかな話あるんかなと。
正しくない、もう1人、宮崎さん。
私はまず話を始めるのに2つ前提があって、1つは確かに、この犯罪で旧来の相場観でいうならば、この犯罪、15年っていう判決というのは、重いです。
とはいえ、そもそもこの裁判員制度の制度趣旨というのはどこにあるかというと、国民の視点、感覚、知識、経験を裁判の判決に量刑も含めて反映させるという、これが制度趣旨だった。
じゃあ上級審が、この1審の裁判員裁判の結論というのを覆す場合はどういうものかと、一応ガイドラインが出ていて、客観的な証拠に明白な矛盾がある場合、事実認定に重要な見落としがある、そういった明らかに不合理なことがある場合にのみ、上級審は裁判員裁判の結論というのを覆すことができると、ガイドラインが出来てたんです。
今回はいわゆる先例というものに従うべきだというふうにいってるわけ。
そういうことを言うんだったら、裁判員制度の前の普通のプロだけの裁判においても、法的安定性なんてものは疑われるんです。
というのが、正しくないという3人の方の考えで、さっき金さん、話しされたので。
たまたま、この裁判員裁判に加わってる人はね、たまたま選ばれた人たちなのよ。
国民のね、全体の気持ちなんか代表してませんよ。
だから私は、そもそもこの裁判員裁判で、アメリカみたいに有罪か無罪かということを決めるだけならいいけれども、もっとね、多くのことを決めさせてしまうということ自体に私は、非常に疑問を持ってる。
専門性というものを、もし私たちが信用しないんだったらね、この世はぐちゃぐちゃになりますよ。
裁判員裁判そのものが、もうちょっとおかしい?
私はね、ないほうがいいというよりか、私はね、それをある意味ではこれが一番大切だっていうものの考え方は間違ってると思います。
所詮は偶然に選ばれた何人か。
今回の、確かにあの親というのは非常にひどいし、気持ちとしてはよく分かります。
だけども、私は最終的にはプロフェッショナルを信じないことには、この世の秩序っていうのはぐちゃぐちゃになっちゃうというふうに思ってます。
金美齢さんは裁判員制度そのものはもういらないんじゃないかと。
いらないとまでは言わないけれどもね、非常に問題があると思ってる。
どこまでじゃあ、反映させるか。
おっしゃったじゃない。
アメリカの陪審員みたいに有罪か無罪かを判定するんだったらいいけど、量刑判断までは、させるのはおかしいと、私と同じ意見です。
量刑まではおかしい?
素人なのよ。
だけど、素人。
宮崎さんの言っていることは正しいね。
やっぱり、量刑まで判断させるっていうのは、僕はやっぱりちょっと行き過ぎてる。
求刑を上回るというのは、まさに素人考えですよ。
これはどんなに感情的にこの夫婦はけしからんといっても、やはりそれは法の中のことだから、検察官の求刑を割増しになるという、もうその時点でおかしいですよ。
プロの裁判の場合にもあるわけですから。
あるけども、そういうの増えてるということは、少なくとも全くの法律の素人が、無作為抽出みたいにして選ばれた人に対して、そもそも求めることが無理だと思う。
私は裁判員制度、一応僕はなくていいと思ってますが、せめて例えば、死刑も含むような重大な刑法犯罪は除くとか、あるいは民法に限るとか、そういうふうに限定しないとそれはかなり難しいと思うね。
ちょっとこれは整理する必要があると思うけれども、あくまでも個別事件の判決なんですよね。
つまり裁判員裁判で量刑超えの判決を出したことの全般を、どうのこうの言ってるわけじゃなくて、あくまでも個別の事件だということ。
で、私は求刑超えの判決が出るということはあってしかるべきだと思うんですけど、ただ、今回の判決文を見ると、別に求刑超えそのものがいけないと言っているわけではなくて、求刑超えの判決を出すのであれば、説得的な根拠が判決の中に示されるべきだという、一つのね、ガイドラインを示しているわけですよ。
だから別に、今後、裁判員裁判で求刑超えはだめよなんて言ってるわけじゃなくて、もしそれをするんだったら、ちゃんと理由は判決に書こうねと。
ほかにも求刑超えの判決というのは?
あります、49例あるんですよね、だからそのうちの1例、個別の案件で、ちゃんと説明せいということを、僕はこの説得的な根拠が必要…。
ただね、一つだけ付言しておくと、プロだけの第2審もこの第1審を支持したの、プロの裁判官も。
1審、2審は支持ですよね。
本当は、この最高裁でもって確定判決するのでなくって、高裁なり地裁なりに差し戻しをして、積極的根拠があるのかないのかということをもう一回やらせるのがよかった。
そこを言ってほしかったなと思うんですよね。
じゃあ、専門家の3人の方にまずご意見伺いたいと思いますけれども、まず井上さん、井上さん、いかがですか?
結論として、この最高裁判決には反対ですね。
裁判官は憲法上、憲法と法律だけに拘束されるという、そういう規定になってますね。
あとは独立して自分の頭で考えなさいという、そういうことになってるんですね。
今回、最高裁が根拠とした、過去の相場ですけれども、これは憲法でもなければ、法律でもないんですね。
だからこれに引きずられて、態勢を決めるというのは、よろしくないですね。
今回、最高裁が根拠とした過去の相場ですけども、これは憲法でもなければ、法律でもないんですね。
だからこれに引きずられて、体制を決めるというのは、よろしくないですね。
そんなこといったらね、ばらばらになっちゃうじゃないかと、どなたかありましたね、公平性が保てないと。
それはある程度しかたがないんですね。
あまり目に余ると、不公平な裁判が横行して、これじゃ困ったというのだったら、国会が法律を改正して、法廷権の幅を狭めればいいんですよ。
今回の件について言うと、もっと重大な点は決定的ですね。
これは裁判員制度を導入する前と後の違いをろくろく考えてないですね。
結局、自分の頭で考えるなと、裁判官だけで作り上げたその相場の範囲内だけで考えろといったら、ほとんどもう、やることなくなっちゃうんですよ。
それだったら、裁判員制度の意味がないっていうの、ざこば師匠のおっしゃるのは全くそうなんですよ。
井上さんは裁判員制度は、正しいと思ってらっしゃるんですか?
根本的に反対なんですけど、そこはちょっときょうの話題じゃないから、そこは棚上げにして言ったんです。
私自身は、裁判員制度に関していえば、裁判官の専門性と、国民一般の常識を一緒になって、新しいものを作り上げるという、そういう制度趣旨だったと思います。
これで一般論としては裁判員制度として、できるだけ国民の常識を尊重すべきだと思ってます。
今回の判例についてどう考えるかっていうと、これは一部ごく例外的なものに対して、そこまでやめてくださいっていうような判例だと思っているので、これ自体に対しては、まあしょうがなかったかなって感じです。
でもこれを押し広げて、しょっちゅう裁判員裁判の結果について覆すようなことがあってはならない。
やっぱり裁判員裁判の、特に量刑判断の国民の常識というようなものに関して言えば、かなり幅を認めるべきだと思ってます。
そして今回のこの一件に関して言えば、やはり感情的にけしからんが先に立って、1.5倍っていうのは、これはちょっと幅が大きすぎた、それから奥さんのほうの10年、それがまた重いなっていう感じがしてましたので、この1件に関してはちょっと言わなきゃいけないという形で、最高裁がある意味で重い腰を上げたというふうに私は判断しています。
続けて、検事だった若狭さんはいかがですか?
私は結論的には、今回の最高裁の判断っていうのは、非常に大きな過ちを犯したと。
過ち?
間違ってる。
間違ってると?私はそもそも、裁判員裁判が始まるということで、その国民の素朴な気持ち、考え方を裁判に導入するということに非常に魅力を感じて、検事を辞めて裁判員裁判をやりたくて弁護士になったんです。
裁判員裁判に対しては非常に大きな思い入れがあるんです。
その上でですね、今回の最高裁の判断はこの裁判員裁判の制度趣旨を大きく没却すると、失わせるということで過ちだと思うんですよね。
1つ質問。
もう少しだけ。
ここで大きな落とし穴を一つ申し上げたいんです。
それはですね、求刑。
求刑というのがどういうふうに決まるか。
これ、私、求刑決めてた立場ですから、もう、何百回と求刑を決めてたんですけど、求刑というのは、主任の検事、それから決裁官っていうのがいて、3人ぐらいで決めるわけですけれど、いろいろ意見が違うんですよ。
これ、極めて感覚的なところもあるんですよね。
ああ、そうですか。
だって検事が何を見て決めるかっていったら、やっぱりその人その人の生き方とか人生観とか、そういうことによって多分に変わるんですよ。
変わってきますわね、当然。
ですから3人ぐらいで決める際も、私はこう思うよと、いや、私はこう思うよって言って、その中で初めて決まるっていうことが多いんですよね。
やっぱり相場は分かれるわけですか?
分かれます。
私は実際に求刑を決定していたんで、部下がある求刑を持ってきますよね。
そうすると、これはちょっと軽いかなと思っても、まあいいかと思って判を押すこともあるし、求刑があまりにも、部下が持ってきた求刑が軽すぎると、それはちょっとこっちにしようよという形で、僕が決めるんですよね。
それで大体求刑って決まるんですが、求刑が決まると、大体それが一人歩きするんですよ。
だから今回の事件も、場合によっては検察庁の内部ではやはり懲役13年ぐらいを求刑してもいいんではないかっていう考え方があったかもしれないんですよね。
そうなりますと、今回の最高裁はそうした求刑というのがどういう形で決まってるのかというのをもっと熟視して、それで決めれば、こういう形で10年に落とすということはなく、市民の素朴な感情というのを生かされた。
そもそも公平っていってもね、私、自分で事件やってて思うんですけれど、一つ一つ事件違うんですよ。
それを公平公平って言い出すのは、まず難しいんです。
でも、今回判決…。
私の意見は竹田さんと近くて、要するにあのDVD、さっきのVTR見たら、あれですよね、結論的には減刑だめよなんだけど、実はやってもいい場合は、説得的な根拠があればやってもいいみたいなことだったので、僕もなるほど、そういうことかと、私はまず理解したということが1点と、もう1点、私、公平性のことで言ってんのは、過去にさかのぼって、比べて公平性っていう議論でしたよね。
私が思ったのは、実は地域的な公平性、地域的な。
というのはね、裁判官や検事の皆さんは、異動があるじゃないですか、人事異動で。
だからぐるぐる回ってるから、いろんな全国各地、みんな同じようなことを考えていると思うんだけど、裁判員ってその地元に住んでる方でしょ?ほとんど、たぶん。
北海道の方が九州の裁判やらないと思うんですよ。
そうすると、北海道で起きた事件と九州で起きた事件が、それぞれものすごく違ったりすると、地域的な公平性みたいなものが保てるのかなと。
若狭さんね、裁判員制度施行後と裁判員制度施行前とでは、明らかに私の目からすると、検察の死刑求刑の姿勢が変わってると思うんです。
施行前の10年間というのは大体年間十数件から、25件ぐらいの死刑求刑が出ていますが、裁判員制度施行後は5.6件です。
なぜこの求刑が激減したんですか?
それはですね、恐らくやはり死刑を求刑していて、裁判員裁判で無期懲役などに落とされると、検察としては非常に控訴するか、要するに不服を申し立てるかどうか、非常に悩ましくなるんですよね。
検察が死刑と求刑した以上は、やはり死刑になってもらいたいという気持ちが検察にあるのは間違いないんです。
ですからそういう意味においては、やはり死刑を求刑して、裁判員裁判で死刑にならないという可能性が少なからずあるなというと、死刑から無期懲役に落として、求刑をするという傾向はあると思います。
ということはあれですね、これ、今までは裁判官と検察官の間になんらかの相場感があって、信頼感があったんだけど、裁判員が入ってくると、その信頼感がないので、自信がなかった、自信がないので、求刑を少なくしている、そういうふうに理解していいですか?
自信がないっていうのはちょっと違うと思うんですが、やはり裁判員裁判で、裁判員の人がどう判断するかということを…。
読めない?
読めないし、あらかじめ裁判員の一般的感覚だったらこのぐらいだろうということが、一つの要素として、頭の中に入ってきたということはいえると思うんです。
そこで若狭さんにお聞きしたいんですけれども、この最高裁の判決は不当だとおっしゃった。
もともと求刑をするのはプロですよね。
プロがそのプロとしての見識に基づいて求刑するわけじゃないですか。
それを素人である裁判員がそれを議論して決めるわけですけれども、そうすると、プロが決めたものをもし素人が覆して、より重い刑をかけるのであれば、説得的根拠を示すべきだという、この最高裁の意見に、おかしいとお思いなんですか?もしそうであれば、当然、説得的根拠が示されるべきじゃないんですか?ましてや1.5倍ということであれば。
結論的には説得的根拠が示されるっていうことは、非常に大事なことだと思います。
ところがこの最高裁の判決の趣旨をここだと思うんですよ。
つまり裁判員制度で、求刑超え全部だめよなんて、ひと言も言ってないわけで、もし1.5倍も科すんだったら、説得的根拠を示しなさい、それだけじゃないですか、それに反対なんですか?
それはそうじゃない。
それはね、確かに言ってますよ、ただね、もともとそれは量刑理由っていうんですけど、量刑理由なんて、別に法律で書けとは書いてないんですよ。
殺人事件だって量刑理由がない判決だってありますよ。
説得的根拠が必要だなんというのは、それは法的根拠のない勝手な意見ですよ。
法的根拠もない?
根拠もないですよ。
それでそういうことを、最高裁が説得的根拠を書けと、求刑を超えたり、過去の相場から大きくずれる場合に説得的根拠を書けって言うと、要するに説得的根拠を書かない以上、求刑を超えるなんてちょっとやめときなさい、相場から外れるのはやめときなさい、そういうことですよ。
いや、いいじゃないですか。
検察というのは、求刑をする法的権限が認められてるんですよ。
素人は求刑なんかできやしない。
だからその法的権限に対して、素人がそれを上回る、しかも1.5倍の判決を出すのであれば…。
過去の相場が正しいということがあればいいけど。
当然、説得的根拠があってしかるべきでしょう。
違う、竹田さん、そのとおりなんですけど、そのとおりなんですけど、そうだとしたらやっぱりもう一回差し戻して…。
僕もそう思う。
一致します。
だから差し戻して。
罪を受ける側からいうと、普通はこれぐらいだったら10年だったのが15年になって、私はこれから15年、刑務所に入らなきゃいけないということになると、それは私だって、理由はなんですかと知りたくなりますよね。
ですからやっぱり、大きな罪であれば、裁判員が入った以上は、この刑に対してはこうだという説明責任がありますから、法的根拠というよりも、説明責任として書いていただくべきだと思います。
ちょっと聞きたいんですけど、その差し戻しっていう、そういう制度は、裁判員の場合でもあるんですか?
当然あります。
やっぱり本件は差し戻すべきでしたよね。
確定ではなくて。
僕もそう思う。
ただ一つだけ言いたいのは非常に個別、具体的に言うと、若狭さん、この事件に関して、公判の状況も整理しながら、求刑を決めようということをやった可能性もあると思いません?っていうのは、決裁官が一回決めても、公判分の検事が今、公判、こんな状況になってますから、もうちょっと重くしたほうがいいです、裁判員、厳しいそうですということで、求刑を変更することもあるんです。
これがこうかどうかは知りませんけどね、これ、一般論としてありえて、求刑がそういうものであるのは間違いなくて、今回、この事件で私、10年の傷害致死での求刑って、これも重いと思ったんです。
思いませんでした?
いや、私は少なくとも児童虐待とか、子どもの虐待っていうのは、こんだけ世間で悪質なものとなってますから、私が仮に当時の決裁官で求刑決めるとしたら、13年とかいう求刑だって僕はしてたかもしれない。
私はね、10年も重いなと思ったことがあるんですよ。
専門家の間でも意見が分かれるもんなんだよ。
これは単純な言いようで、聞きようで、調理の調味料、砂糖、塩、みそ、しょうゆとかありますわね。
その裁判のなんかを決めるときに、環境、収入、なんとかってそういうもんは根本にあるんですか?意味分かる?
前科がどうであったとか、生活態度としてどうかとか、再犯のおそれがあるかどうかとか、いろんなポイントがあります。
ですから相場観といっても、常にコンピューター入れて出てくるもんじゃなくて、やはりこの事件についてどうしようかということを常に公判分の状況も入れて、公判の状況も入れて考えるというものなんです。
ですから意見が分かれるのは当然なんですよね。
裁判員裁判が大変、夢だというふうなことをおっしゃってた。
その裁判員裁判で、死刑、重い刑を扱うということをどう思うかが1つ。
それから量刑判断をするということをどう思うか、この2つについてちょっとお答えを。
まず2番目の量刑については、一般市民の素朴な感覚、例えばこういう児童虐待とか、あるいはストーカーの事件とか、極めて市民が密接に感じているのを、そのまんま量刑に表すという意味では、量刑をしたほうがいいと思います。
素朴ね。
それで1個目に戻りますけど、死刑については別論なんですけど、やっぱり死刑を裁判員の人が選択するというのは、これ、本当にもう、一生ですね、自分の心の中に十字架を背負うようなもんなんで、死刑判決については、私はかねがね言ってますけれども、死刑にするかどうかの評議、要するに手を挙げる際には、そこを自分から退くっていうかですね、自分はその点については加わりませんというような権利を認めるとか。
制度じゃなくてね、最初、もっと低い、詐欺罪とか、そういうところから始めていいんじゃないかという意見があるわけですよ。
だからそういうことに対してどうなんですかということ、ざっくり。
一つのアプローチとしては。
量刑は重すぎるんじゃないか。
アプローチとしては詐欺とか、人の生命とか、
今度は、子どもの父親、どっちかと。
最高裁が出したのは、こんな判決でした。
開廷!再考裁判所。
民法772条問題。
民法772条とは、妻が婚姻中に懐胎した子は、その夫の子と推定すると定めたもの。
妻に不倫された夫が、ある日突然。
実は子どもの父親はあなたじゃなく、不倫相手です。
だから法律上の親子関係を取り消してほしい。
と、妻から訴えられた。
そんなドラマも真っ青な訴訟が、実際に元夫婦と別居中の夫婦から起きていた。
いずれも婚姻中に妻が夫とは別の男性と交際し、2009年に子どもを出産。
その後、DNA型鑑定の結果、子どもの父が交際相手である確率が99.99%となり、現在、妻と子どもたちはその交際相手に養われているという。
これに対して夫側は、血縁関係がなくても親子関係はあると主張していたが、果たして血縁関係がないと証明されれば、法律上の父子関係を取り消せるか。
1審、2審はいずれも父子関係は取り消せると判断。
現在、子どもは血縁関係のある父親と暮らしており、妻も本当の父親と再婚、または同居しているという状況を踏まえたうえでの判決だった。
ところが、最高裁が下した判決は、血縁関係がないことが科学的に明らかで、夫婦が別居し、子どもが血縁のある男性によって養育されている事情があっても、法律上の父子関係は取り消せないと初めての判断を示したうえで、1審、2審の判決を取り消し、妻側の訴えを却下した。
この判決に対し、夫の一人はDNAでない親子関係だってある。
早く娘に会いたいと、ことばを詰まらせた。
一方で、元妻は。
今後も子どもは多くの不安定要素を抱える。
などと、娘の将来を憂えるコメントを出している。
ここで改めて、この裁判の要点をまとめると、最高裁判決では、民法は法律上の父子関係が、生物学上の関係と一致しないことも容認している。
今回のケースでも、法律上の父の子と推定される民法の規定は覆せないとした。
ただ今回の判決は、裁判官5人中3人の多数意見であり、少数派の2人は、子が血縁のある男性に養育されている点などを考慮し、法律上の父との親子関係を認めるべきではないと、反対意見を述べている。
一方、多数派の裁判官は、補足意見でDNA型鑑定によって、法律上の父子関係が突然否定されるような判断を示せば、親子関係の安定を破壊すると語り、従来の規定が実情に沿わない場合は、立法の問題として検討されるべきだ。
つまり、そもそも民法は今回のようなケースを想定していないため、法律を見直すべきだとの考えを示しましたが。
そこで皆さんに質問です。
民法772条の規定を覆せないとした最高裁の判断は、正しいと思いますか?
まずは委員会の皆さんのご意見ですけど、金美齢さんの一番そのとおりだと思いますね。
すべての混乱は妻の不倫にある。
そこからそのこと始まってるんですからね。
おっしゃるとおり。
おっしゃるとおりですよ。
子どもが不安定要素を…。
ちょっと待ってくださいね。
今、金美齢さんが。
母親が言ってるのよね、今後、娘の不安定な要素が消えないって言ってるでしょ。
その不安定要素を作ったのは自分じゃない。
責任は自分にあるわけですよ。
もうちょっとなんて言うかな、ルールとかね、世の中の決まり事みたいなものもね、しっかり考えて行動してほしいっていうのが私が言いたいことなんですよ。
しかも今、民法上、今、こうなんだから、法の下の判断としては、最高裁、これ以外の判断できないと私は思います。
要は離婚してから、ちょめちょめすればよかったって話ですよね。
だから、あのね、そういうような…。
答えにくいやろ、そんなこと。
やっぱり生みの親やと。
そう。
だから正しくないんだと。
いやいや、あの、育ててもろてもね、やっぱり生みの親より育ての親っていうやんか。
言いますよ。
そやけど、それはそのときの空気で、自分が年齢いって、なんかなって、一本立ちしたときに、ふっとあれは育ての親やねん、ほんまの生みの親はだれやろって、やっぱり思うのが僕、人間として当たり前や思うで。
それまでの情愛というものがあったとしてもということですか?
あっても。
ただし、子どもを育てるという、一番基本的な問題でね、赤ちゃんは、これ、基本的な話ですよ、赤ちゃんは生まれたとき、みんな一緒なんですよ。
DNAの違いはありますよ。
でもみんな一緒なの。
育て方一つで変わってくるんですよ。
だから育てるっていうことの大切さ、これはね、生みの親よりね、育てることの大切さがね、子どもにとってはものすごく大事なの。
僕、大先輩に逆らうようですけども、育て方で人の首を切るような人間になる、育て方でならへん、それは違うと思う。
そんな育て方をするはずがない。
ええように育ってほしい、ええように育ってほしいと思って育ててると思うんです。
ざこばさん。
はい。
子どもは生まれたときから首を切るような子どもっていますか?
いません。
それがなんで切るようになるんです?
それは親の育て方やなく、周りの環境。
すみません、ちょっと大先輩方の議論に水を差し挟んで、大変申し訳ないんですけども。
じゃあ、黙って。
それなら言うな!
本件の場合はですね、生みの親と育ての親は一緒なんですよ。
すなわち、要するにまだ、夫婦、まだ離婚していないうちに、不倫をして生まれた子でしょ?そして離婚後、すぐ一緒に住み始めるわけですから、だから生みの親と育ての親っていうのは新しい夫なわけですよ。
ところが前の夫というのは、生みの親でもない、自分の子じゃないわけですよ。
かといって育ててもないわけですよ、すぐ離婚してますから。
だから本件の場合は、いわゆるざこばさんと津川さんのような、そういう分かりやすい案件ではなくて、生みの親と育ての親が一緒なんだけども、じゃあ法律上の親の権利はどうなるのかというのが本件のポイントなんです。
それを前提にしての正しいと。
それであれでしょ、正しいって言ってるんだけど、僕は全く同じ理由で、生みの親と育ての親は本件の場合、一緒なんだから、それはそのまま父子関係として、認めてあげればいいんじゃないかと私は。
この2人で論争して、論争。
ちょっと、こっちでばっかり、話してるんやけど、きょうはゲストがいらっしゃるんで、こちらの法の専門家の方々にも聞きたいと思いますけれども、これも井上さんからいきましょうか。
結論として反対ですね。
皆さん話題にしてなかったけど。
反対というのは?
判決に。
正しくないということですか?
嫡出推定の、推定というところを考えてもらいたいんですよ。
妻が懐妊したら、夫のこと推定する。
なんで推定するかっていうと、よく分かんないからっていう、実際に産んだ女性以外は、大体その子どもの真の父親が誰かっていうのは分からないんですよね。
だからごちゃごちゃ言ってないで、もうそういうことにいったん決めましょうと、そうでないことが明確になった場合は別だけどという規定なんですよね、推定っていうのは。
だからよく真実が分からないことが前提なんで、そういうときに推定規定っていうのはいるんですね、使うんですよ。
民法が出来たときは、遺伝子のあれが分からなかったじゃないですか、だから推定するしかなかったんですけど、今、医学が発達しちゃったから、本当にこの子が自分の子どもかっていうのが分かるようになっちゃったじゃないですか。
だから環境が違ってね、その推定する状況がなくなっちゃったわけですよ。
今回の裁判だって、結論がもう推定するまでもなく、結論がどんぴしゃり出ちゃってる事案であって、そのときに推定規定をいまさら使うっていうのは、まるでね、使う場面が全然、間違ってるんですよ。
井上さんの話、一見、合理的に聞こえるんですけれども、そこには大きなことばの混同がありまして、つまり井上さんは、父子関係のことを言うときに、生物学的な父子関係と、法的な父子関係を混同しておっしゃってる。
つまり条文が言ってるのは、法的な父子関係の話であって、DNAうんぬんの実質的な生物的な父子関係の話ではないですよね。
それをね、井上さんは、たぶん意図的だと思うんですけど、そこを混同して言ってるんですよ。
そこは違うんだ。
あのね、最高裁も父子関係と、生物学的な関係はずれることもあると、法律もそれをある程度認めてるといってますけれども。
じゃあ条文になんて書いてあります?
いや、ある程度、条文ははっきりそこは、そこらへんは。
父親とは何かという定義が民法にはないですよ。
つまり条文が言ってるのは、要するに法的な父子関係のことであって、生物的なことを言ってるわけじゃないじゃないですか、明らかに、条文上は。
あのね、だけど、これは日本国が…。
だって根本的に思想が違うんですよ。
違う、違う、違う。
日本国民の常識として民法にも書いてないけど、父親とは何か、親子とは何か、定義が書いてないんですよ。
だけど、やっぱり生物学的な父と子が法律的な父と子になるのが原則ですよ。
原則って、誰が言ってるんですか?そんなの誰も言ってないですよ、何言ってるんですか。
民法を読んだら分かるでしょう。
民法は法的な父子関係のことを述べてるんですよ、772条ですよ。
そこに生物学的うんぬんを差し挟む余地はないし、それを原則だとか言ってるのは、井上さんの勝手な個人的な見解にすぎない。
だけどね、あらかたそう思ってるんですよ。
要するに、井上さんは家族制度なんかどうでもいいと思ってるんですよ。
じゃあね、こういう事例があります。
これはね、全く新聞なんかの評価が今回の、今問題になった案件と違うんで、笑っちゃうんだけれど、性同一性障害の方がいて、昔、女性だった、今、男性になって、女性と結婚している。
こういう状態で、当然、この生物上的には女性なので、体は女性なので子どもが生まれません。
そこで妻となった方が、被配偶者間人工授精を行って、子どもが生まれました。
ところが、この親子関係、父親と子どもの関係というものが、親子関係が認められなかった。
これを認めるべきだということで、裁判やって、最高裁はどういう判事をしたかというと、父子関係を認めました。
これはこのときにメディアはどう書いたかというと、血縁よりも家族って書いたんだよ、そのときは。
それは井上さん、どう思うんですか?
それもおかしいですね。
じゃあどっちが正しいんですか?自分はね、生物的なほうがどうかとか、血縁が大切だとか言いながら、家族は大切じゃない。
完全に矛盾してるよ、言ってること。
でも私は思うんですけど、民法もちょっと古いと思います。
どんどん時代が変わってて、どんどん状況も変わってるのに。
そこなの。
竹田・井上論争で、浮き上がってきたのは、じゃあ家族、親子関係というものを編成するときに、公的に認めるときに、何を原理にしてするのか。
場合影響すればいいだろうという、私もおおむねその見解に近いんだけど、場合影響するにしても微妙な案件だとどちらを優先させるかということをこまごまと民法に書くのかどうかという問題ですよ。
あのね、法律を作るのに携わってる住田さんに。
民法、今、私、民事局、ほんとうににじゅうすうねんまえなんですけど、似たような事件が前からありまして、法務局で対応できなくて、上がってくるものがあるんですね。
そのときに嫡出推定の意味はどうなんだと、大体そのあと、結婚してる、再婚してる場合が結構あるので、そこのほうの父親と推定したほうが合理的じゃないんじゃないかという、そういう話は出てたんです。
ただ民法の家族法を触ろうと思うと、それ以外にも6か月の再婚の禁止期間とかいろんな問題、夫婦別姓の問題もあって、なかなか触れないのと、これやろうとしたら不倫を助長するという変な反対論もあることがあったので。
そこが大切ですね。
ずっと触らないままで、今回の最高裁の判例も結局、民法の立法論によるということを決めたのは、私、正しいと思うんです。
と言いますのは、今までそれで決まった親子関係、ほとんど日本全国、これによってるのに、もう一回、DNA鑑定でひっくり返せるとなったら、法的安定性、それから相続問題、全部引っ掛かってくるんですね。
今ある生活の実態を本当は優先するんだったら、今、血縁上の父と一緒に生活してるんだったら、本当はそっちのほうを優先したいぐらいなんです。
生活実態と血縁、DNAとどっちを、こういう争点になってくるの?
今回の場合、私、少数意見のほうが生活実態とDNAと両方あるからいいなと。
それはいいんですけど、どう変えたらいいとおもいます?民法を。
私は後婚推定のほうが入ったと、ある意味では合理的だと思ってます。
今、そのあと再婚した、もしくは今現在、同居している、そういうふうな男性を父親と推定したほうがよくて、そちらを優先して前婚のほうについては、嫡出推定を及ぼさないということのほうがいいと思います。
じゃあ、若狭さんのご意見を。
私は日本古来の家族制度というのは維持すべきだという基本的な考え方はすごいあるんですけれども、ただ、法律的にいうと、今回の最高裁の判断というのは、5人のうち3対2ですよね。
これは1審、2審と最高裁混ぜると、場合によっては、裁判官、関わった裁判官の少数説かもしれない。
最高裁の3人というのはですね、だからそういう意味においては、非常に割れてる案件の可能性があるんですよ。
こういう割れてる可能性の案件については、もうすでに法律を改正しなさいという、一つの大きなメッセージなんですよ。
だからこれはもう速やかに国会がこの問題をきちんと捉えて、改正する方向、例えばいろんな方法、あると思うんですけれど、こういう異議を申し立てたりなんかする場合には、10年に限るとかね、10年間とか、それ以上、ずっと一生、その不服申し立てをできるということになると、いつひっくり返るか分からないということですから、期限を設けてその期間内に申し出をするんだったら、DNAでとかいうような形で判断するっていうこととかね、そういう形でいずれにしても、なんらかの法律改正を速やかにすべきだと。
仮にの話で、民法が改正されてどういう形になれ、その改正された法律の下で、今回の問題を考えたらば、今回のような結論、今回、最高裁が出したような結論にはならなかったと私は思うんだけど、どう思います?
それは私もそう思います。
そうだとするとね、法律側の立てつけ、要するに枠組みがおかしくて、実態のその私たちの人間の生活の関係っていうものが、法律の建て付けによって無理やり混乱させられているという、そういう現実ですよね。
そういう見方ができると思うんですが、少なくとも最高裁、やっぱり今の家族制度をどういうふうに維持するかと、そういう考え方っていうのは、別にはあると思いますね。
でもやっぱり、ちょっと視点を変えると、金美齢さんのおっしゃったこと、とても重要だと思うんですよ。
もし本件でね、例外として認めるとなったら、不倫を本当に許すような話になりますよね。
不倫して子どもが出来たら、はい、離婚みたいな。
金さんおっしゃったように、不貞を働いた女性のために法律があるというのが、どうしても納得できない。
そうなんですよ。
そのために法律があるわけじゃないですよね。
ないけども、実際にはそっちのほうに向かおうという話もしているわけでしょ?やっぱり反対ですね、そういう意味でいうとね。
難しいですね、この問題は。
さあ、それでは続いてのテーマにまいりたいと思います。
次は日本中の自治体を悩ませているこの問題に、こんな判決が出ました。
開廷!再考裁判所。
続いては。
続いては。
外国人の生活保護受給問題。
出生時から日本で生活し、日本での永住権を持つ中国籍の女性が、大分市に生活保護を申請。
しかし、市は、十分な預金があるとして、申請を却下。
女性は大分市の処分取り消しを求めて裁判を起こした。
その後、大分市の裁量で生活保護の受給は認められたが、裁判は、そもそも外国人にも法的な受給権があるかどうかを争うものとなった。
1審の大分地裁は女性の訴えを退けたが、2審の福岡高裁は、永住資格を持つなど、日本人と同様の生活を送る外国人には、生活保護を受ける法的地位があると認め、大分市の却下処分を違法とした。
そして、最高裁が下した判決は。
生活保護法の適用対象は、日本国民に限られ、外国人は含まれないという、受給権を認めた2審の判断を取り消すものだった。
判決は、生活保護法を外国人に適用する根拠はない。
行政措置によって事実上の保護対象になりうるにとどまるとの判断を示したが、実際には行政の裁量によって、外国人にも生活保護が支給されており、厚生労働省によると、2012年度に行政措置で保護対象になった外国人はおよそ4万5800世帯だという。
そこで皆さんに質問です。
外国人は生活保護の対象外とした最高裁の判断は、正しいと思いますか?
これはもえちゃんを除いて、皆さんが正しいと出ました。
津川さんはすばらしい判断だと。
一応、行政的には保護をさせて、それでやっぱり、形式的にはそれは認められないと、こういうこの際りょうのある判断というのは、僕は好きですね。
なるほど。
実際はそれぞれの自治体でね、行政としての対応はしてるんだということですね。
でももえちゃんはこれ、正しくないというのは、どういうことですか?
全体的な意見としては、皆さんと一緒なんですけど、今回の判例は、まあ、日本で育って、日本に長いということを考えると、まあ保護してもいいのかなと思いました。
なるほど、なるほど。
全体としては同じ?
国籍をもうちょっと真剣に考えるべきだと思う。
つまり国籍っていうもののね、重要性というのを忘れているっていうことがあります。
だから一つの国でね、やはり自分の国民をまず優先的に考えなくちゃいけないわけ。
余裕があれば外国人にも広げていく、私、日本に来て55年たちますけれどもね、この経過を見てきました。
私が来たとき、台湾人として、留学生として来ましたからね、一番最初ね、国民健康保険にも入れなかった。
国民年金にも入れなかった、公団住宅にも入れなかった。
当然、自国民を優先させる、これ、国として当たり前なんですよ。
しかし、どんどんどんどん余裕が出てきたんで、判断として、裁量として、そういうことができる余裕があれば、面倒見ましょうという、こうでなきゃおかしい。
僕はね、ちょっと今のはおかしいと思ってて、つまりね、生活保護は、やっぱり困ってる国民にと、こう書いてあるわけだから、国民は誰かといったら日本国籍持ってる人でしょ。
それでただしっていって、行政の裁量によってっていうことであるわけだけど、もしかしたらですよ、あの町は、要するに外国人に対しても、生活保護をくれる、この町はくれないということが起きている、実際に起きているんだと思うけど。
大阪市は1万700人。
そうだとすると、ある種、そこが狙い、外国人の狙い目になってしまうという。
外国人だけじゃなくて、日本人もそうですよ。
生活保護を受けるために、電車代つこうて大阪行けって。
もちろんだから、日本人もそうなんだけど、金美齢さんはゆとりがあればって言ったけど、ゆとりのある役所なんかはっきり言ってないし、ゆとりがあってもらっては困るんですよ。
実際ですね、それを目的に入国してくる人がいるんだから。
これが困ったもんですよ。
あのね、中国人はほんとこれ、推定なんですけど、密入国なんかも含めて、実際90万人近くいるといわれてる。
それもね、芋づる式にどんどんどんどん大陸から渡ってくる。
それはなぜか、黄金の地、黄金の国、日本に行けばお金、いくらでもくれるらしいぞといって、どんどん来るわけですよ。
そこ、長谷川さんの回答、なんだっけ?不良外国人の天国?そうなりつつあるんですよ。
そもそも生活保護って何かと言ったら、日本国憲法には勤労の義務があるって書いてあるわけです。
要するに日本国民、働けと書いてあるわけですね。
で、働いて働いていよいよダメになっていろんな理由ですってんてんになってきょうもあすももう、屋根のない所で暮らさなきゃいけないって、本当にどうしようもないときになったときに、国家が手を差し伸べるわけじゃないですか。
そもそもこれ、生活保護だけではなくて外国人の権利。
本当は日本人の中でも、どうしようもないときにっていう人ばっかりじゃないんですよ。
じゃないんですよ。
そもそもそれを見直さなければならない。
不良外国人がその生活保護受けるために、手助けしてあげるビジネスというのが成立してしまいます。
そうなんですよ、実際あるんですよ。
そこまではっきりしてる。
ヤマヒロさん、私もじゃあ、正しいに変えます。
やっぱりだめ、ちゃんとやっぱり、働けるうちは一生懸命働いて。
分かりました。
皆さんこちらは正しいという意見で一色になりましたけど、井上さん、いかがですか?
最高裁の判決は正しいです。
たまには井上もそういうこと言います。
生活保護法を読んでも、外国人に受給権を認めるっていう規定はないですね。
以上。
これは皆さん、意見としては同じ?住田さんは?
憲法上の権利として、人類…の権利に関しては、外国人も適用されますが、こういう社会的な受給権のようなものについては、自国民を優先するのが当たり前で、あとは余裕があれば外国人にも適用するほうがいいっていうことは、今、金さんがおっしゃったように、広がっていますが、生活保護に関していえば、セーフティーネットはそこまで今、広げる余裕はないと、私は思いますので。
若狭さんはいかがですか?
私はですね、正しいと思います。
結局、同じじゃないですか。
法律の世界って、権利と、それから裁量っていうのが2つあるんですね。
この案件だけじゃなくて、法律の条文自体も、権利と認められているものと、単にお願いです、裁量でお願いしますよっていうのが2とおり、法律の中にもあるんですよ、そもそも。
ですから今回のこの件についても当然、やはり国民というふうに規定している以上は、今回の最高裁の判断は正しいと思います。
でも実際、生活保護になっちゃうと、先ほどね、最低賃金よりも高いっていう話ありましたけど、一度そこ入っちゃうと、もう抜け出せないですよね。
だって働くほうがばかみたいな話になっちゃうと。
だからむしろこれ、この問題、外国人うんぬんよりも、生活保護の申請とか、認可の在り方?全然違うんですよ、自治体によって。
本当に困った人が受け取れる制度じゃないと。
そうそうそう。
続いては、あの死刑判決がもし冤罪だったとしたら。
開廷!再考裁判所。
続いては。
最高裁の死刑判決。
1966年6月、静岡市でみそ製造会社の専務宅が全焼し、焼け跡から4人の遺体が見つかった。
この事件で、警察は元プロボクサーで従業員だった袴田巌さんを強盗殺人容疑などで逮捕。
袴田さんは取り調べで犯行を自白。
公判では無罪主張に転じたが、静岡地裁は68年9月、公判中に発見された5点の衣類を根拠に死刑判決を言い渡し、80年に最高裁が上告を棄却し、死刑が確定。
翌年、弁護側が再審請求をしたが、2008年に最高裁で棄却が確定。
そしてことし3月、DNA鑑定の結果、衣類に付着した血痕と、袴田さんのDNA型が一致しないとの結論が出され、再審の開始と死刑の執行停止、釈放が決定した。
最高裁に再審請求が出されているケースは、この袴田事件だけではない。
1998年7月25日夜、和歌山市で自治会主催の夏祭り会場でカレーにヒ素が混入され、小学生や高校生ら4人が死亡、63人が重軽傷となった、いわゆる和歌山毒物カレー事件。
容疑者だった林真須美死刑囚が12月に起訴され、1審、2審で死刑判決。
2009年5月、最高裁は。
食物に毒物を混入した無差別の大量殺傷は、極めて悪質で卑劣、残忍。
社会に与えた衝撃も甚大で、死刑を是認せざるをえない。
とし、上告を棄却。
死刑が確定した。
最高裁が下した判決は。
カレー鍋から検出されたものと同じ特徴のヒ素が、林被告宅などから発見された。
林被告は頭髪から高濃度のヒ素が検出されており、ヒ素を扱ったと認められる。
林被告だけがヒ素を入れる機会があり、カレー鍋のふたを開けるなど不審な行動をしていたなどの状況証拠を挙げ。
被告が犯人であることは、合理的な疑いを差し挟む余地がない程度に証明されている。
とした。
一方、1審、2審では動機が解明されず、上告審で弁護側は、無差別殺人の動機がないと主張したが、最高裁は。
動機が解明されていないことは、被告が犯人であるという認定を左右しない。
として退けた。
公判で林死刑囚は一貫して無実を主張。
現在も無罪を求めて和歌山地裁に再審請求し、有罪認定の有力証拠となったヒ素の鑑定の信用性を争っているが。
そこで皆さんに質問です。
和歌山毒物カレー事件での林被告への死刑判決。
最高裁の判断は正しいと思いますか?
まあね、えん罪事件が多いので、いろいろと皆さんの意見も分かれました。
ざこばさん、なぜ?
僕は実に面会に行ってるんですわ。
で、お会いして、しゃべって、聞いてください、聞いてくださいや。
僕が口を挟む合間がないぐらい、ぶわーっと一方的に20分ぐらいやったかな。
ほんで聞いて、それで結果、差し入れ、もちろん持っていったんやけど、きいとったらもうやっぱり左右される。
ああそう?
うん、向こうは自分のいいことしかいわへんねんからね、そやけど、ええことなのか、悪いことなのか、ほんまのことなのか、そんなもん、僕判断つかんがな。
つかないでしょうね。
そやからもうそれ聞いてたら、もう、これは難しいって。
ざこばさん、一番分からなくなってしまったのかも分からないですね。
ざこばさん、なんで面会に行ったんですか?
ええ…。
手紙が来たんですよね、ざこばさん。
ええ、いっぺん私の意見も聞いてくださいっちゅうて。
この番組宛てに来て、この番組を代表して面会に行かれたんです。
いいですか、私、どっちかというと疑問、分からないと書いたのは、そんなに詳しくなかったけれども、改めて読んでみて、やっぱり不思議だと思うのは、物証がないんですよね。
そうです。
それから自白が取れてないんですよね。
それから動機もないって、先ほどのVTRでもあった。
この3つが全然なくて、状況証拠だけという死刑判決を下せるっていうことが、ちょっとよく分からない、意味が分からないんです。
竹田さん、十分証明されているじゃないかと。
私はヒ素が、同じ型のヒ素が発見されたというか、当然それはミカン畑がどうのこうのっていって、それとの整合性を判断したうえで、同じ型のヒ素が使われているという判断ですよね。
だからそこらへんの精度は僕は分からないですけれども、その精度が高いのであれば、十分に証明されている。
ただ、袴田事件ありますから、当時、DNA鑑定といっても精度が低いときに、裁判官が信じて死刑判決出しちゃったわけですよね、低いということを分かりながらも。
でも精度が明らかになってきたときに、また今回、再審請求決定したということもありますから。
条件付きに正しいです。
長谷川さん。
私は家にあったというだけだったら、誰が置いたかも分からないという話になって、袴田事件と似たような展開もありうるかもしれないけれども、私がやっぱり一番思ったのは、髪の毛かな。
出てきたということは、本人が触ってるということですよね。
そこがやっぱり大きいなと。
だから状況証拠ですけれども。
十分にそろってると。
嫌だなー、私、裁判官のお仕事の人、本当、つくづく大変だなって思います。
いや、だってこれ、裁判員としてもし参加させられたら。
そう、だから本当に。
こんな分かんない裁判ないですよ。
プロの方にどうしても質問したいんですが、よろしいですか?この程度だったら、私の感覚で言うと、推定無罪という原則は適用されないんですか?かぎりなく黒だろうがなんだろうが、グレーゾーンであるならば私は推定無罪、適用されるかと。
どなたからでもどうぞ。
井上さん、どうぞ。
まあ、ここは結構、際どいところかなという感じ。
際どいところ?
最高裁は合理的な疑いを入れない程度に証明はされてると言ってるんですけれども、聞くところによるとこの事件の記録は膨大で、それに目を通さない人間が間違ってるかどうか、判定はできないですね。
私もちょっと事件が分からないんで、正しいか正しくないかって、ちょっとコメントは差し控えたいんですが、ただ結論的には、もう一回鑑定をやり直すということが、今後、大事だということだけは言いたいんですよね。
と申しますのは、事は死刑の問題ですから、万が一にも間違ってはいけないと。
そのために今回、そのヒ素っていうのが、どういう成分で一致していたのかということについて、スプリング8という、非常にもう精巧な機器を使って分析をしてるんですよ。
そうですね。
それで一致したということになってるんですが、ただ、これも弁護人のほうは今、もう一回鑑定してくれと、検査をやり直してくれって言ってるもんですから、そうだとすればもう一度やり直すのが一番いいというふうに思いますね。
だから今現在の科学をもって、いわばDNAの鑑定が狂ってきたように、当時のスプリング8による鑑定と見比べると、それで本当に当時の鑑定と今回がいっちしてるっていうんで
食卓でおなじみのこんなものに、最高裁は意外な判断を下していました。
開廷!再考裁判所。
おからは産業廃棄物。
豆腐を作る過程でできるおからを、無許可で収集・処分していた大阪府内の飲食店経営者が、廃棄物処理法違反に問われた。
被告は養豚業をしていたことがあり、豆腐工場から出たおからを集め、岡山県作東町の工場で熱処理して、動物の餌や肥料に再生する事業を始めた。
そして1993年8月から10月にかけて、およそ520トンのおからを集めたが、県知事の許可を得ない収集、運搬、処分が、廃棄物処理法違反に問われたのだ。
おからは、豆腐製造業者から不要物として扱われた場合は、産業廃棄物に当たる。
廃棄物処理法違反の罪に問われた被告の有罪が確定し、おから論争に終止符が打たれた。
その理由について最高裁は、豆腐業者が大量に排出している。
腐敗しやすい。
無償で牧畜業者に渡されたり、業者に処理委託されている。
などの点を指摘し、被告が処理料金を取っていたことを重視して、おからは産業廃棄物に当たると結論づけたのだった。
そこで皆さんに質問です。
おからは産業廃棄物、この最高裁の判断は正しいと思いますか?
さあ、おからは産業廃棄物という最高裁の判断は、あっ、同数ですね。
もえちゃん、おから大好き。
そんなこと聞いてないんですけど、別に。
おいしいですよね。
おからね。
おいしいです、僕も大好きですけれどもね。
需要と供給が取れてるんであれば、別に問題、何もなかったんじゃないかな、今回は、と思うんですけどね。
なるほど。
ざこばさんもそうですか?おからは食べられる。
廃棄物じゃないでしょう。
そもそもが?食べるわけですから、いろんなおから料理ありますから。
僕は子どもの時分から頂いてまして、嫌でしたけどね。
おからも毎日続くと、それは嫌になりますよね。
けど、大人になってからなんとしゃれた味、薄揚げが入ってあって、ニンジンが入ってあって、たまりませんなぁ。
何杯でも飲めますねん、ほんまに。
取るとこはそこそこ取ってまっせ。
そりゃそうだ。
感情的にもですよ、食べ物を産業廃棄物と名付けるって、裁判官って頭の中、どうなってるのかなと。
井上さん見ながら言ってるわけじゃないんですけど。
腐るものが産業廃棄物っていったら、みんななんでも腐るじゃないか。
チェーン店なんかのレストランなんかでも、それこそ廃棄物は毎日、大量に出るわけですよね。
食べ残ったもの。
それもそういうふうに全部含めてごみだ、産業廃棄物だって言い方をしたいんでしょうけども、やっぱり、かなり抵抗がありますよね、そのネーミングにね。
分かりました、じゃあおっしゃる方に、まず宮崎さん、有用、不要は場合によると。
最高裁は不要物に当たるかどうかはものの形状、排出状況、取り引き価格の有無などを総合的に考えたうえで決めるべきだというふうに判断していますので、一般的にこれが有用か、これが不要かということを決めるということは、できないと思います。
例えば、Aにとってすごく有用なものであったにしても、Bさんにとってはただのごみということは一般的にもありうるわけですから、私はこの判決でいいと思います。
ただね、豆腐屋さんからするとね、おからってものすごい量、出ますねん。
要はそういうことなんですよ。
これね、なんかこのビデオの立てつけだと、おからがごみか廃棄物かどっちか!みたいな話で、これはごみでも、はいきぶつなんです。
つまり豆腐製造業者からしたらごみだけども、養豚業者からしたら資源なわけですよ。
だから別におからが廃棄物かどうかを一般論として議論してるんじゃなくて、法的な論争なんですね。
つまり廃棄物処理法の条文中の廃棄物に該当するかという法律論争なんで、おからが無価値だとか、おいしいとかおいしくないとか関係ないんですよ。
すみません。
この案件が最高裁まで行くこと自体がね。
そういうことなんですよ。
本当、そういうことなんです。
だから私はブラック・ユーモアだって言ってるの。
お3人の意見も聞きたいと思うんですけど。
えっ?
こういう案件を審理するときも、冗談も抜きで、みんな真面目にこう…。
そりゃもちろんですよ、何言ってるんですか。
すみません、失礼しました。
だからね、これはあくまでそのケースだけの判断であって、一般の皆さんが食卓で食べてるおからが、廃棄物かどうかなんていう議論とは関係ないんですよ。
だからね、子どもが万が一、お母ちゃん、うちはごみ食べてるのって言ったら、それは違うんだよ。
それは違うの。
ここではえらい冗談言いまんがな。
元判事やのに。
でも弁護するほうは、これはおいしい食べもんですよって言うて弁護する、弁護士さんもいてはるでしょ?
まあでも、それはちょっとずれてるな、それじゃ勝ち目ないね。
勝ち目ない?
私は少なくとも、産業廃棄物の事件の責任者をやってたことがあるんですけどね、これ、そもそも起訴した検事が、検察官が起訴したっていうところが、若干、問題点として挙げたいと思います。
俺もそう思う。
そんな案件じゃないと?
まあ、少なくともその本人、運搬して、この被疑者っていうか被告人が、あれは産業廃棄物だと、本当、思わなかったんですよって、たぶん言ってると思うんですよね。
言ってるにもかかわらず、これは産業廃棄物だって言って決めつけて、耳を貸さずに起訴しちゃったもんだから、最高裁まで来ちゃったんですよ。
だからこういう案件はもっと素朴に考えて、そういう見方もあるというような、いろんな見方があるから、起訴しないという選択肢をやっぱり検察官が推考すると。
事件というのは意外とやっぱり、裁判でいろいろ問題になるんですけど、一番のもとを正せば、検事が、検察官がどう判断するかというのは、非常に大きなところがあるんですよね。
若狭さん、正しい。
正しい?
違うやろ!2014/08/17(日) 13:30〜15:00
読売テレビ1
たかじんのそこまで言って委員会[字]

政治・経済から芸能まであらゆるテーマを、政治家・文化人・毒舌タレント達と激論トーク。世相をメッタ斬りにします。

詳細情報
出演者
【司会】
山本浩之

金美齢
津川雅彦
桂ざこば
加藤清隆
長谷川幸洋
宮崎哲弥
竹田恒泰
山口もえ
【ゲスト】
住田裕子(弁護士・元検事)
井上薫(弁護士・元裁判官)
若狭勝(弁護士・元検事)
番組内容
最高裁判所の判決を委員会が再ジャッジ!
“開廷!「再考」裁判所”スペシャル
元裁判官と元検察官がスタジオで大激突!
▽不倫妻の代償…父親のDNAと子供
▽裁判員裁判に“史上初”の事件
▽“死刑”判決に間違いはないのか!?
▽外国人も“生活保護”の対象?
▽「おから」は産業廃棄物なのか!?
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