美の巨人たち ブリュナ&バスティアン『世界文化遺産・富岡製糸場』 2014.08.16

人類共有の普遍的な価値が認められた自然や文化それが…。
日本ではこれまで21年間で18か所が遺産として登録されました。
今日ご紹介するのは群馬県に明治の初めに建てられた世界遺産。
近代日本の指針となった貴重な建物です。
そこには日本人の心をわしづかみにする美しさが隠されていました。
4週連続でお送りしている日本の建築シリーズ第2弾。
今年6月正式に世界文化遺産に登録された…。
東西200m南北300mの敷地に30あまりの建築が立ち並んでいます。
では早速中へご案内いたしましょう。
入り口から見えるのは…。
赤レンガと白い木材との美しいコントラストがえも言えぬノスタルジーを感じさせます。
繭倉庫は東西にありどちらも高さ15mほど。
長さはなんと100m以上もあります。
まるでモザイクのような日本古来の瓦屋根。
赤レンガとベランダが異国情緒を醸し出す和洋折衷の建築美。
なんと言っても『富岡製糸場』の美しさを際立たせているのが当時日本人が見たこともない西洋の建材赤レンガです。
その数150万個以上。
目にする者の度肝を抜く重量感と壮麗さ。
2つの倉庫の南側に建つのが繰糸場。
繭から生糸を繰り出す製糸場の心臓部は長さ140mあまり。
倉庫を凌ぐ壮大な平屋建です。
三角屋根の上に換気用の越屋根を重ねた独特のスタイルは日本の伝統的な養蚕農家の機能美を再現したもの。
正面の入り口も入母屋造りの構えが風格を感じさせます。
では中を見てみましょう。
糸繰り機が並ぶ作業場には1本の柱もなく天井に連なる梁がヨーロッパ伝統の壮麗な空間を造り上げています。
更に明治の初めには珍しいガラス窓から差し込む光が大空間を美しく浮かび上がらせていました。
建設当時の『富岡製糸場』は四方に建物が立ち中央に工場の動力蒸気機関室が。
建物の周りには事務所や寄宿舎が立ち並んでいました。
一部の建物はなくなりましたが140年経った今も奇跡的に往時の姿を留めているのです。
建築を指揮したのはフランス人。
ブリュナは『富岡製糸場』の建設地の選定から資材の調達生糸の出荷まですべてを任されたいわば総合プロデューサーでした。
そしてバスティアンの設計をもとにこの壮大な製糸工場建設に取り掛かります。
ところが労働力である工女がまったく集まらなかったのです。
その理由はある噂でした。
富岡製糸場で働く?何を言っているの佳代。
バカも休み休み言いなさい。
(佳代)どうして?お母様これからは女もお国のために働く時代だってお父様が。
まああの人いったい何を考えているのやら。
いいですか佳代それは下々の者のたとえです。
あなたは武家の子。
今でも士族という高い身分。
人を教え導くという立場をわきまえなさい。
でもお父様は私が富岡で技術を覚えたらこちらに工場を建て私が教えることにしているそうです。
まあ何ということを。
とにかく私は絶対に許しません。
嫁入り前の娘があんな恐ろしいところで働くだなんて考えただけで卒倒しそう。
恐ろしいところって?目の青いフランス人は毎日若い娘の生き血を飲んでいるっていうじゃありませんか。
えっ生き血?そんなにフランス人って野蛮なの?ああ恐ろしや。
あなたの父上はいったい何を考えているのやら。
『富岡製糸場』は明治政府が最初に手がけた模範工場でした。
ここを成功させて日本中に製糸場を造り産業として発展させようとしました。
そして各地の製糸場の師範とするために工女として士族の子女を集め技術を学ばせようとしたのです。
一方肝心の工場造りにも多くの困難が待ち受けていました。
まずは日本でほとんど知られていなかったレンガを150万個以上も作らなければならなかったのです。
いったいどうやって作ったのか?このレンガの刻印に隠された名もなき職人たちの思いとは?そして日本人大工たちが挑んだ驚くべき西洋工法とは?いってきます。
明治の初めヨーロッパでは病気によって蚕が大被害を受け生糸の需給がひっ迫していました。
日本の絹が注目され横浜では生糸貿易が盛んになります。
殖産興業を推進していた渋沢栄一は西洋式の製糸場建設にのり出しました。
そのために雇われたのがフランス商館に勤務していたポール・ブリュナ。
フランスの製糸工場の一人息子でした。
ああ佳代から手紙がきた。
大事ないだろうか。
「お父様お母様…」。
(佳代)「ご無事ですか?佳代は毎日仕事に励んでおります。
初めて見た製糸場。
まるで血に染まったかのような石で出来ていてびっくり。
赤レンガというそうです。
工場にはフランスから届いたギヤマンつまりガラスがはまっている窓があってまるで外にいるように明るく見えます」。
「糸繰りはとても難しいのですがコツを覚えればうまくできそうです。
それに毎日湯気にあたって髪や肌がツヤツヤなんですよ」。
「ところである晩ブリュナさんの館に忍び込んだことがあります」。
まあなんてはしたない。
(佳代)「だってブリュナさんのお手伝いさんがご主人が毎夜地下室から赤い飲み物を持ってくるって言っていたからそこでそっと覗いてみたんですそしたら」。
やっぱり吸血鬼?
(佳代)「違いました。
ブリュナさんが片言の日本語で教えてくださるにはそれはワインというフランスのお酒で地下の倉に置いているそうです。
赤い色は赤いブドウの汁で作るからとか」。
お酒?ブドウの?へぇ。
それにしてもこの部屋全部レンガで出来ている。
(佳代)いったいどこで採れたんだろう。
(ブリュナ)全部ここで作ったよ。
え?どういうこと?ここで『富岡製糸場』の工場以外の施設をちょっとご案内しましょう。
L字型の建物は首長ブリュナの住まい。
レンガの外壁にベランダが巡るコロニアル様式。
日本瓦の屋根にかわいい三角窓のついたなんともはいからな造形です。
現在は管理事務所となっている…。
フランス人の検査官が詰めていた場所で貴賓室にはヨーロッパから取り寄せたマントルピース。
多くの来賓を迎え賑わっていた往時を忍ばせます。
その隣はフランスから来た女性指導者のための寄宿舎…。
2階のバルコニーには今も残る見事な網代天井が。
これらの建物にも共通している西洋の建材それがレンガです。
日本で作られたというのですがいったいどこで作られたのでしょうか。
工場用地の選定のため視察に来たブリュナは富岡の近くで瓦の生産が盛んなことを知りその技術を活かしてレンガを焼くことを発案します。
しかし瓦職人たちはレンガなど見たこともありません。
ブリュナ自ら製法を説明し瓦の窯でレンガを焼かせたといいます。
その窯跡が富岡の隣町甘楽町で発見されています。
瓦を焼いていた新井さんの祖父もそのレンガ焼きに関わっていたそうです。
色がね。
この町の土を使ったから生まれた色です。
表面に刻まれているのは日本で初めてレンガを焼いた職人の印。
しかし見たこともないレンガに瓦職人たちは悪戦苦闘したといいます。
長年『富岡製糸場』の歴史を研究してきた今井さんによれば。
焼かれたレンガはおよそ150万個以上。
それをフランス積みという大小のレンガを交互に重ねていく方法で積んでいきました。
苦労の跡が最初に建てられた繭倉庫に見て取れます。
大きさは不揃いで歪な形は当たり前。
積み方もデコボコしています。
ところが1年後に建てられた女工館ではきれいに揃っています。
職人たちはわずかな期間に試行錯誤を重ねレンガのサイズを揃えて焼き上げることに成功。
更に積み方も研究し美しく仕上げることができるようになったのです。
ああ疲れたもうヘトヘトよ。
(富江)ほんと繰糸場の騒音と熱気はハンパじゃねえ。
これから暑くなると大変だんべ。
ああ。
でも毎日お風呂入れるから助かるわ。
そうだなおら家じゃ5日に一度だったんべ。
びっくりだ。
え〜5日に一度?
佳代:寄宿舎で同じ部屋の富江さんは製糸場の工女仲間。
養蚕農家の出身だそうです。
ここには武家や農家などいろいろな子がやってきています。
でも目指すのはみんな同じ目標
フランスの機械は便利だし速いし楽だ。
富江ちゃんは経験者だからほんと糸繰り上手。
ミシェル先生も私らには厳しいけど富江ちゃんには優しいから。
おらもっともっと上手になって一日でも早く一等工女になりてえのよ。
お給金もたくさんいただけるしね。
そうよね私も富江ちゃんに負けずに頑張る。
よ〜し。
(2人)目指せ一等工女!静かにしなさい!それにしてもなんでブリュナさんはあんなこと言ったんだろう。
何のことだか?以前ブリュナさんとお話をしたときにこの工場は日本のお家を建てる技術があったからこそ完成出来たんだって。
設計士のバスティアンさんが褒めてたって。
へぇ〜日本の技術?そう。
どういう意味なのかしら?『富岡製糸場』の設計にあたりバスティアンの仕事に大きな影響を与えたのが他でもない日本伝統の木造建築でした。
そこに他に類のない美の謎が隠されていたのです。
世界遺産『富岡製糸場』。
この壮大な建築は西洋工法で生まれました。
しかし使われている材料のほとんどは日本で作られたもの。
例えば屋根瓦にレンガ。
レンガをつなぐセメント代わりに漆喰も使われていました。
そこに日本の木造建築が関わっているというのですが。
古来西洋では建物といえばレンガを積み上げて造るのが一般的。
積み上げたレンガの壁がそのまま構造材になります。
ところが『富岡製糸場』の壁をよく見てください。
もっと近づいて。
レンガが柱の切り込みにはめ込まれているのがわかりますか?実はレンガは壁として使われ柱や梁といった建物を支える構造材には木材を使用していたのです。
これを…。
更に繰糸場では大型の機械を設置するため柱のない広い空間が必要でした。
そこで木骨レンガ造と西洋の工法であるキングポスト・トラス構造を組み合わせることに。
キングポスト・トラス構造とは長い梁と支柱によって強固な三角形の構造を造り屋根を支える工法。
シンメトリーに連なる梁や柱が実に壮麗です。
実は製糸場の設計者バスティアンは横須賀で製鉄所の建設に携わっていました。
そのときこの木骨レンガ造とキングポスト・トラス構造を組み合わせた建築を経験していたのです。
日本には古来城や寺院のような大規模な木造建築を造る技術があります。
そこで日本の大工たちの力も借りました。
バスティアンは『富岡製糸場』の設計を任されたときこの経験を活かそうと考えたのです。
しかしここで問題が。
バスティアンの設計図はメートル法で書かれていました。
ところが日本の大工は伝統的に尺貫法を使用していたのです。
バスティアンが横須賀から招いた棟梁のもと各地から集まった大工たちは日本最初の巨大製糸場を誕生させるため力を合わせ西洋の建築技法に挑みました。
そしてわずか1年半の工期でこの未曽有の大工事は成し遂げられたのです。
当時の日本で考えうる最高の技術によって永遠不朽の建造物が誕生しました。
木がレンガを引き締めレンガが木を引き立てる。
和と洋がひとつに溶け合った独特の工法が『富岡製糸場』を他に類のない美しい姿にしました。
そしてそこに携わったすべての人々の熱い思いが今なお生き続けているのです。
お父様お母様ただいま。
佳代帰ったのかい?どうですこれ?はいからでしょ。
これが女工の作業着。
まぁ立派になって。
つらくなかったのかい?そうねつらいといえばつらかったけど7日に1日は日曜日ってお休みがあるしそれにお給金もいただけるの。
へぇそうなのかい?腕が上がれば増えるのよ。
見てこの赤ダスキ。
これはね一等工女といっていちばん腕のいい人が付けられるタスキなの。
これで教えることもできるのよ。
そうかいそうかい。
ほんとによく頑張ったね。
ブリュナは能力による昇給制度を導入するなど日本の労働環境の近代化にもおおいに貢献しました。
ここで学んだ工女たちは誇りを持って各地の製糸場の指導者となっていったのです。
さて最後にとっておきの造形を。
現在は非公開の場所にある鉄製の水槽です。
フランスの造船技術で生まれた繭を煮るための水をためておく貯水槽。
注目すべきはもちろんその高い技術力ですがちょっと下を覗いてみてください。
切り出した石を積み上げて造られた支柱は見事なバランスを保っています。
日本の石工たちの技による機能的な石の組み方はちょっとしたアートを思わせます。
フランス人と日本人がその技術の粋を集めて生み出した究極の機能美『富岡製糸場』。
近代日本の幕開けを謳い上げた不滅の世界遺産。
(原田)日が暮れると2014/08/16(土) 22:00〜22:30
テレビ大阪1
美の巨人たち ブリュナ&バスティアン『世界文化遺産・富岡製糸場』[字]

毎回一つの作品にスポットを当て、そこに秘められたドラマや謎を探る美術エンターテインメント番組。今日の作品は日本の建築シリーズ第2弾『世界文化遺産・富岡製糸場』。

詳細情報
番組内容
4週連続日本の建築シリーズ第2弾!今日の作品は、6月に世界文化遺産登録された『富岡製糸場』。首長ブリュナと設計士バスティアンによって建てられました。140年経った今も保存状態は奇跡的と言われるほど。繭倉庫の赤レンガと白い木材の美しいコントラスト。作業場は欧州伝統の壮麗な空間。しかし西洋工法を知らない日本の職人は、いかにして造り上げたのでしょうか。そしてフランスと日本の技術の粋を集めた究極の機能美とは?
お知らせ
★8月の「美の巨人たち」は日本の建築シリーズ★
【今後の放送予定】
 8/23 奈良ホテル
 8/30 国宝・醍醐寺五重塔
ナレーター
小林薫
音楽
<オープニング・テーマ曲>
「The Beauty of The Earth」
作曲:陳光榮(チャン・クォン・ウィン)
唄:ジョエル・タン

<エンディング・テーマ曲>
「終わらない旅」
西村由紀江
ホームページ

http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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