南米アマゾンの熱帯雨林に謎の言語を操る「ピダハン」と呼ばれる人々が暮らしています。
(ダニエル)ピダハンは自分たちの言葉を「まっすぐな頭」と呼び我々の言葉を「ねじれた頭」と呼ぶんです。
ダニエル・エヴェレットのかつての使命はピダハンの人々にキリストの教えをもたらす事でした。
「聖書」を持たない人々のために「聖書」をピダハン語に訳すつもりでした。
ところがピダハンの満ち足りた世界を知りダニエルの信仰は揺らぎます。
敬けんな信者が無神論者になってしまったんです。
ダニエルは更に驚くべき発見をします。
ピダハンの言葉にはあらゆる言語に存在するはずの文法上の法則が欠けているというのです。
これまでの常識を打ち破る発見です。
言語学者の間で激しい反発が巻き起こります。
悪意と怒りに満ちた嫌がらせの手紙を何通も受け取りました。
言語の本質とは何の関係もありません。
彼も間違いに気付いているはずだ。
今ダニエルは新たな使命を帯びてピダハンの村に向かおうとしています。
言語学者として論争の的となっている自分の説を確かめるためです。
もし彼の説が正しければ人間の言語に関する常識が覆されるかもしれません。
南米ブラジルアマゾン川流域の密林にピダハンと呼ばれる400人ほどの人々が暮らしています。
ピダハンの生活は何世紀もの間ほとんど変わっていません。
今彼らの使う言葉とコミュニケーションの方法に世界が注目しています。
ピダハン語はしゃべってもハミングしても歌っても口笛を吹いても伝わります。
(口笛)
(口笛)
(ピダハン語で)
(口笛)ピダハンはアマゾン川の支流に広がる4つの村で生活しています。
300年前金を求めてやって来たポルトガル人と出会っただけであとは長い間外からの影響を拒んできました。
ピダハンはピダハン語しか話しません。
しかし1950年代にはしかが流行しピダハンはアメリカの伝道師を迎え入れる事になります。
薬と共に招かれざるものも入り込んできました。
そうしてやって来た伝道師の一人がダニエル・エヴェレットでした。
見事な景色です。
最高の船旅です。
今いるのはアマゾン川の支流のマデイラ川。
更に支流のマイシ川沿いにピダハンの村があります。
ダニエルは1977年25歳の時に妻と幼い子供たちを連れて初めてピダハンのもとを訪れました。
ここに来ると初めて家族と訪れた時の事を思い出します。
仕事や夢家族への愛そして当時感じていた神への愛などをね。
僕は熱心なキリスト教信者で信仰のためなら何でもやろうと思っていたしいつでも死ぬ覚悟ができていました。
でもいつからか人々をキリスト教に入信させようとするのは本質的に植民地化と同じ精神と信仰に対する植民地主義なのではないかと考えるようになったんです。
ピダハンだ。
ピダハンがいる。
下に降りよう。
僕だと分かったようです。
みんな僕が来た事を喜んでくれています。
うれしいですね。
ロックスターになったかのような気分です。
でも僕もピダハンに会うとワクワクするわけだからお互いさまです。
ピダハンの村まで船で4日かかります。
今も村を訪れる人はほとんどいません。
撮影班が入るのも初めての事です。
ピダハンは今は服を着るようになっています。
しかし定住するための家や耕作地はなく自然に頼って暮らしています。
ピダハン語が話せる外国人は3人しかいません。
ダニエルと彼の別れた妻そして前任の伝道師です。
ダニエルは家族と共に30年にわたって断続的にここで暮らしました。
今は柱が僅かに残っているだけですがここに僕ら家族が8年ほど暮らした家がありました。
ピダハン式の小屋に住んでいたんです。
妻と娘は死にかけ僕も何度もマラリアにかかりました。
実はピダハンに皆殺しにされそうになった事も3回あります。
その間僕は夜通し外を見張り家族は家に閉じ籠もっていました。
ピダハンは互いに矢を撃ち合いまるで別人でしたね。
僕らの関係は時とともに変化していったんです。
今では両者はすっかり打ち解けています。
翌朝彼らはダニエルのためにワニの卵でスクランブルエッグを作ります。
こうした関係が築けたのはダニエルがピダハンの謎の言葉を習得する事ができたからでした。
ひと言も話せない言葉をどうやって学んでいけばいいのか。
共通する言葉はないわけです。
そこで僕は拾い上げたものを指さしながらそれを表す言葉を教えてもらいました。
来る日も来る日もこうしたやり取りを繰り返しました。
そうやって僕はピダハン語を習得していったんです。
ダニエルの先生はコーホイでした。
ピダハン語で耳は「アオエ」。
肌は「アオエ」。
外国人は「アオエ」。
手は「アオエ」。
ブラジルナッツの殻は「アオエ」。
これを抑揚によって区別するんです。
ピダハン語を習得するにつれダニエルはある事に気付きます。
ピダハン語には色を表す単語がなく過去や未来の時制もほとんど見られないのです。
そして…。
数字もありません。
ピダハン語は数字を表す言葉を持たない唯一の言語である可能性があります。
ピダハンが数を持たないのは必要がないからです。
例えばピダハンの母親たちは自分の子供が何人いるかを知りません。
でも子供全員の顔と名前は知っています。
誰が自分の子供であるかやその子供の気持ちを知るのに数は関係ないんです。
ピダハンの人々と狩りに出る事でダニエルは別の発見もしました。
ピダハンは周囲の自然について並外れた知識を持っているのです。
ピダハンは子供から大人まで誰でも自分たちの周りにあるあらゆる動植物の名前を知っているんです。
周囲に生息する何千種もの動植物についてそれが何でどのように暮らしどこで見つかるかまで知っているんです。
ピダハンの世界を知るにつれダニエルは重大な事に気付きます。
ピダハンの人々はひたすら「現在」に生きているのです。
彼らは未来や過去のためというよりもその時必要な事をします。
だから食べ物があるだろうかなどと心配したりしません。
川には魚がいると知っているからです。
彼らは現在に生きているんです。
(口笛)将来への不安と過去の後悔。
この2つから解放された時多くの人は幸福を感じる事ができるのです。
「現在」に生きるピダハンの人々は既にその幸福を手に入れているのかもしれません。
彼らはとてもリラックスしています。
だから彼らをあおったり興奮させたり不安がらせたりする事はすごく難しいんです。
一日一日をあるがままに受け入れる暮らしは僕らが学ぶべき事かもしれません。
ピダハンの人々の満ち足りた様子はダニエルに大きな影響を与えました。
彼は自らの信仰に疑問を抱き始めたのです。
伝道師の難しいところは相手を納得させるために「あなたたちは間違っている」と説得しなければならない事です。
相手が生きる道に迷っている事が前提なんです。
僕はピダハンの人々は既に幸せなのだと悟りました。
常に幸せな彼らに神のメッセージを伝えるなんて無意味な事だったんです。
25年にわたって布教活動をしましたがダニエルはたった一人のピダハンもキリスト教に導く事はできませんでした。
ピダハンの人々の幸せそうな様子を見たり信仰に対する彼らの率直な質問に答えたりしていくうちに僕は自分の信仰に疑問を感じ始めました。
そしてついに信仰を捨てる決断をしたんです。
この劇的な変化はダニエルの家族を崩壊させました。
妻とは18歳の時に結婚しました。
30年以上も続いた関係が終わりを迎えるというのは心が深く傷つく経験でしたね。
また子供たちは今でも僕が急に信仰を捨てた事に悩み苦しんでいます。
ダニエルは伝道生活を捨て言語学者としての仕事に没頭し始めました。
彼は長い事ピダハン語の文法には他の言語とは根本的に違う何かがあるのではないかと感じていたのです。
彼の直感が正しければ言語に対するこれまでの常識が覆るかもしれません。
しかしそれは現代言語学の権威に戦いを挑む事でもありました。
ノーム・チョムスキーです。
ノーム・チョムスキーは言語学の世界で最も影響力を持った学者です。
その影響力は昔も今も揺るぎません。
論文を書き上げ学術誌に送ったら大騒ぎになったんです。
彼も間違いに気付いているはずだ。
(チョムスキー)社会心理学の分野においては興味深い問題かもしれませんが言語の本質とは関係ありません。
全くのナンセンスです。
嫌がらせの手紙を何通も受け取りました。
人種差別的だと非難されたんです。
注目を集めたかったのでしょう。
よくあるパフォーマンスですよ。
大騒ぎになったのは学問的な理由からだけではありません。
問題の言語をただ一人知っているという男がジャングルから出てきて言語学の権威が唱える最も重要な理論が間違いだと言ったからです。
最大の論争を巻き起こしたのはピダハン語に全ての言語にあるとされる文法上の法則がないとする主張でした。
その法則とはリカージョン。
文章を際限なくのばしていく法則の事です。
例えば「ビルがメアリーに会った」という文があります。
これをのばしてみましょう。
「ビルがメアリーに会ったとジョンが言った」。
文がのびましたね。
文は更にのばす事ができます。
例えば「アーヴィングが家を買ったとピーターが言ったとメアリーが言ったとビルが言ったとジョンが言った」というふうに。
1つの文章を永遠にのばしていく文法。
これがリカージョンです。
もし文章をのばす事ができないとしたらその言語にはリカージョンがないという事です。
ピダハン語にはリカージョンがないんです。
ノーム・チョムスキーはリカージョンはあらゆる言語に存在するとしています。
これはチョムスキーが唱え言語学界の定説となっている理論「普遍文法」の最も重要な部分なのです。
チョムスキーが唱える「普遍文法」とは文法は生まれつき人間の遺伝子の中に備わっているとする理論です。
私たちは生まれながらに文法を身につけているというのです。
この理論によると人間の言語は表面的な違いにかかわらず全て同じ構造を持っているといいます。
普遍文法は言語学界で50年以上にわたって支持されてきました。
私が提唱する普遍文法とは言語能力は人間に遺伝的に備わっているとするものです。
この理論を否定するのは極めて難しいはずです。
もしダニエルが言うようにピダハン語にリカージョンがないとすれば普遍文法の理論が間違っているという事になります。
ピダハン語にリカージョンが欠けているなら人間の言語にとって普遍的な根本原理はないのかもしれません。
僕が正しいか相手が正しいかどちらかです。
ダニエルが最後にピダハンの村を訪れてから2年がたちました。
彼の主張を検証するため新たな調査隊が遠征の準備を進めています。
調査隊を率いるのはギブソン教授です。
(ギブソン)「人間の言語は必ずしもリカージョンを持たない」というのがダニエルの主張です。
それが正しいか間違っているかは分かりませんが興味深い論争です。
ギブソン教授のチームは人間の言語を分析するための新しいコンピューター・プログラムを開発しました。
ダニエルの説を検証するためのプログラムです。
まずはピダハン語の録音が必要です。
僕たちはこの論争を科学的に捉えようとしています。
堂々巡りの議論をしていてもしかたがありませんからね。
こうした疑問に答えるには科学的な手法とデータが必要になってきます。
(ギブソン)ピダハンの言語と文化において外の世界に興味を示さないというのは最も興味深い点の一つです。
ピダハンはつまり他の文化の影響を受けていないんです。
遠征調査によって言語学界に巻き起こった論争に決着がつく事が期待されています。
ダニエルは通訳として調査隊に同行します。
彼が投じた波紋は今や学術的な論争を超えある根源的な問いを突きつけていました。
人間の言葉はどこから発生したのかという問いです。
我々を人間たらしめているものは何か。
それこそがこの論争の焦点です。
人間の言語はどこから来たのか。
人間が進化の過程で獲得した謎の遺伝子によるものなのか。
僕は文化がある言語の文法全体に影響を与えると考えます。
ピダハン語はその明らかな例なんです。
ダニエル・エヴェレットはピダハン語の文法が彼らの文化による影響を受けていると主張しています。
私はそれは行き過ぎた主張だと考えます。
というのも言語の違いは文化の違いとは関係がないとする学説が言語学者の間では主流だからです。
例えばある言語では「ジョンは食べたすしを」と動詞を文の真ん中に置きます。
別の言語では動詞を後ろに置き「ジョンはすしを食べた」となります。
こうした違いは文化の違いから来ているのでしょうか。
文化が保守的だからとか開放的だからといって変わるのでしょうか。
答えは「ノー」です。
ピダハンの文化はピダハン語に影響を与えているはずだ。
そうダニエルが主張するのはピダハンの人々が過去や未来ではなくひたすら「現在」に生きているからです。
彼らの「現在」に対するこだわりが他にはない言葉を作り出したと考えているのです。
(口笛)調査隊の出発を翌日に控えた夜ブラジル当局からダニエルに電話が入ります。
・それはもう調査隊はがっかりするでしょうね。
一体どうすればいいのか。
本当に…。
たった今当局の管理官から電話があって「ピダハンの村に入る許可を下ろせない」と言われました。
あれだけ頑張っていろいろと準備してきたのに村に入れないなんて。
理由は分かりません。
僕にできる事はブラジルまで行って管理官と話す事です。
遠征を実現するために何をすればいいか聞いてみます。
ブラジルの先住民を保護するための機関は「FUNAI」と呼ばれます。
FUNAIの地域管理官が調査団がピダハンの村に入るための決定権を握っています。
この地域の管理官に任命された時私は伝道師がピダハンの村に入り活動する事を禁じました。
ピダハンの人々はダニエルの事が好きです。
それは見ていてよく分かります。
しかしピダハンの文化に対する最大の脅威は今もなお伝道師なんです。
ダニエルが今では言語学の教授だという事実もあまり意味がないようです。
管理官に会うためにブラジル中西部にあるFUNAIの地域事務所に向かっています。
彼は僕がピダハンの村に戻れるかどうかの決定権を握っています。
もしかしたらこれが僕にとってピダハンの村に行く最後のチャンスになるかもしれません。
村に入る事を禁じられたのは伝道師だったからだけではないとダニエルは考えています。
言語学界との衝突に一因があるというのです。
僕は言語学界で物議を醸す存在になりました。
2〜3年前にアメリカの言語学者たち数人がFUNAIに手紙を書いたんです。
僕が人種差別的な調査をしていると訴えるためにね。
到着したダニエルは肝心の管理官が2週間の出張に出たと聞かされます。
彼はいなかった。
はるばるここまで来たのに。
残された道はただ一つ。
首都ブラジリアにいるFUNAIの理事長に直訴する事です。
僕は村に戻らなくてはならないんです。
人生の長い時間を彼らと過ごしました。
彼らの事が大好きなんです。
突然いなくなるなんてできません。
それではまるで待ち合わせをしたのにすっぽかすようなものです。
僕にはその理由を説明する手だてすらないんです。
直訴の結果を待つ間ダニエルはブラジリア大学を訪れました。
友人の教授たちに講演を依頼されたためです。
ダニエルの研究はブラジルの言語学者だけでなく世界中の言語学者にとって極めて関係が深く大きな意味を持っています。
ダニエルがピダハンの村に立ち入れないように彼に批判的な言語学者たちがFUNAIに訴えたんです。
科学とは議論です。
あらゆる発見を考察しなければなりません。
一番困るのは科学が「信仰」になってしまった時です。
疑問を挟む余地がなくなってしまうからです。
そうなるともはやそれは科学とは言えません。
議論が成り立たないからです。
もしもし。
ええ私ですが…。
翌日FUNAIから回答が届きました。
分かりました。
ありがとう。
どうも。
駄目でした。
ピダハンの村には戻れません。
FUNAIは僕と会って話を聞く事も拒みました。
ダニエルたちによる遠征調査は却下されましたがFUNAIは撮影班が再び村に入る事は許可しました。
ダニエルはピダハンの人々に向けたメッセージを撮影班に託します。
遠征調査を中止された研究者たちはダニエルの説を検証するために別の方法を考え出しました。
ダニエルと彼の前任の伝道師が録音したピダハン語を調べるのです。
これもだな。
ええそうです。
ダニエルのと前任者のとどちらが多いんだい?前任者の方が多いです。
調査に行けなくてがっかりしました。
でももし行っていたら音声の分析にじっくり取り組む時間はとれなかったでしょう。
他にも調べるべき事柄がたくさんあったでしょうから。
文のデータを800ほど集めました。
じきに倍近くになると思います。
ヘビか?ええ。
誰かがヘビにかまれそうになって矢でしとめたようです。
研究者たちはまずピダハン語のデータベースを作ろうとしています。
データベースが完成したら理論的に考えられるピダハン語の文を全て書き出します。
これらを録音と照らし合わせて実際に使われているものを探し出すのです。
この時リカージョンが見当たらなければダニエルの説を裏付ける証拠となるかもしれません。
録音を検証している間に撮影班がピダハンの村を訪れました。
撮影班はダニエルのメッセージを伝えるほかに更に多くの録音を集めるよう頼まれています。
しかし到着した撮影班を待っていたのは予想外の光景でした。
2年前の訪問からピダハンの村は様変わりしていたのです。
ブラジル政府が診療所やトイレ定住するための家を建てていました。
村にはなんと電気まであります。
最大の変化は学校の存在でしょう。
ピダハンの子供たちはポルトガル語や数の数え方を学んでいるのです。
2。
3。
変化にはいい面と悪い面の両方があると思います。
例えば電気のおかげで顕微鏡によるマラリアの検査が受けられるようになりました。
これはいい面です。
悪い面は技術によって村や文化が変わっていく事です。
もう既に随分と変わってしまいました。
こうした変化は外部の人にジレンマを引き起こします。
科学技術はピダハンの人々を力づける一方彼ら特有の文化を失わせる可能性があるからです。
(ピンカー)我々は一つの言語や文化の一部を失い長年にわたって地域社会で築き上げられてきた人間の想像力や考え方の多様性を失うのです。
失われる危険性のある貴重なものを科学者たちは優先的に記録し残すべきだと思います。
絶滅の危機に瀕している言語を残すべきなんです。
(口笛)ピダハンの人々はこれまでずっと明るく活発に暮らしてきました。
伝道師がキリスト教に入信させようとしても政府が従わせようとしても彼らは拒否してきたんです。
今回彼らはかつてない課題に直面しています。
先の事は僕にも分かりません。
彼らは変わらないはずだと思ってはいるんですけどね。
撮影班は最後にダニエルによるメッセージを伝えました。
ピダハンの人々がダニエルを見るのはこれが最後かもしれません。
3か月後調査チームのコンピューターがピダハン語のデータベースの解析を終えました。
録音されたおよそ1,000個の文を解析しました。
結果はダニエルが立てた仮説どおりです。
データベースを見る限りピダハン語にリカージョンの証拠はありません。
リカージョンの存在を示す明らかな証拠がデータベースの解析では見つからなかったんです。
(ギブソン)リカージョンが成り立つためにはいくつかの共通する法則があるのですがそれがピダハン語にはありませんでした。
例えば接続詞です。
「何々と何々」というような表現がないんです。
「ジョンとビルとメアリーとフレッド」などの言い方がピダハン語にはありません。
「ジョンまたはメアリー」という言い方もありませんでした。
ピダハン語は他の言語とは異なるようでこうした複雑な構造がないんです。
しかしこの結果も論争の解決にはならないようです。
いくつかの問題点があります。
第一に文法の検証のしかたです。
あれでは信頼に値する検証をしたとは言えません。
第二に全ての言語がリカージョンに基づいている事は疑いようのない事実なんです。
(ギブソン)言語の違いは我々人間がどれほど違うかを教えてくれます。
人間は似ているけれど違ってもいる。
コミュニケーションの在り方も同様です。
初めてアマゾンに足を踏み入れた35年前このような論争でその訪問が終わるとはダニエルは思ってもみなかったでしょう。
彼の理論を科学は実証し始めています。
しかしピダハンと再会するめどは今もなお立っていません。
彼のメッセージに応えて旧友もメッセージを残してくれました。
ピダハンが変わるべきか変わらないべきか僕は意見する立場にはありません。
人は皆変わります。
ただ彼らが望む未来であってほしいですね。
とにかく健康で幸せでいてほしい。
それが僕の願いです。
2014/08/16(土) 19:10〜19:55
NHKEテレ1大阪
地球ドラマチック「ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民」[二][字]
不思議な言語を話すアマゾンの少数民族ピダハン。彼らの言葉には数の概念も過去や未来の表現もない。自然の恵みの中で心豊かに暮らすピダハンの世界を描く。
詳細情報
番組内容
ブラジル・アマゾンの奥地に、ピダハンと呼ばれる少数民族がいる。彼らの言語には数や色を示す言葉がなく、過去や未来の表現もない。彼らは、アマゾンの豊かな自然の恵みの中で、「過去」を思い患うことも「未来」を憂うこともなく、充実した「現在」を生きているのだ。心豊かなピダハンの暮らしを、長年、彼らと共に暮らした元宣教師のアメリカ人言語学者の目を通して見つめる。(2012年オーストラリア)*アンコール放送
出演者
【語り】渡辺徹
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
ドキュメンタリー/教養 – 宇宙・科学・医学
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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