(テーマ音楽)
港町神戸。
古くから貿易の拠点として発展を遂げてきました
その背後にそびえ立つのが六甲山地です
100万年ほど前地中の花こう岩が押し上げられて現れました。
標高は900m前後。
市街地に沿うように東西30kmにわたって連なります
訪れたのは7月の下旬。
阪急三宮駅で降りて歩き始めます
週末の朝
駅前はさまざまな年代の登山者でにぎわっていました
あっ。
こっちは集団で何人かでいらっしゃる。
おはようございます。
(一同)おはようございます。
六甲山地の登山ルートは100を超えます
今回は多くの人に親しまれているコース西側の再度山を抜け摩耶山を目指します
10分ほど歩いた所にある北野異人館街です
明治時代に外国人の居留地が造られ栄えていました
さまざまな国の外交官や貿易商が暮らし人々からは「異人さん」と呼ばれていました
市街地から一歩入ると道は川に沿って上っていきます
朝開き夕方にはしぼんでしまうムクゲの花
にぎわいが消え静かな道です
地元には日課として山に登るいわゆる「毎日登山」の習慣があります
え〜!でも1週間に3回も。
やっぱりあれですね登らないと気が済まない。
異人さんにも出会いました
おはようございます。
おはようございます。
お近くの方ですか?皆さんお近く?一緒。
大体同じ。
よく登るんですか?
インドの貿易商たちです。
繊維を商い祖父の代から毎日登山を続けているといいます
山歩きの習慣は幕末まで遡ります。
イギリス人外交官アーネスト・サトウ。
徳川慶喜西郷隆盛などを相手に交渉していました。
サトウが仕事の合間に繰り返し向かったのが六甲山です。
登る事を楽しむ日本の近代登山の始まりでした
異人さんの登山を見た人々も六甲を目指すようになります。
日本人が神戸に初めて作った登山会。
100年前のサイン帳です
登山者たちは山道の途中にある茶屋でここに名を記し登頂した回数を競い合っていました
歩き始めて40分「燈籠茶屋」です。
かつて10軒あった再度山の茶屋の中で唯一残っています
登った証しをサイン帳に記す習慣は今も息づいていました
朝5時から昼の2時まで開けている茶屋。
毎日登山の人たちでにぎわいます
切り盛りするのはここで生まれ育った3代目の前中さよ子さんです
大切にしている味があります。
七輪を使って焼くトースト。
大正時代に茶屋を始めた祖母の代から続けています
トースター使わずにここのお店は炭で焼くんですか?ずっと炭でやってます。
味が違うでしょうねやっぱり。
そうですね。
意外に中がふんわりと焼けるという事で。
でも焼いてる間ずっと見てなくちゃいけない。
そうなんです。
六甲を登る異人さんに愛されてきた味。
練乳を使ったミルクティーと出すイングリッシュブレックファーストです
いつもの茶屋でいつものひととき。
お互いの元気に笑顔があふれます
この時間にはこの方がいらっしゃるというのは大体ありますので来られなかったらどうしたんだろういう感じで心配になりますね。
それぞれ皆さんお忙しいんですがやはり忙しい中でもまずここへ来てからどこかへ出かけられる方が多いので。
だから皆さんの生活の中に…一つに入ってるみたいで。
ありがたい事なんですけど。
「巽幸子」来てます。
345。
茶屋の壁。
次々とスタンプが押されていきます
登山者のサインを基にした集計表です。
登山回数の順に並んでいます
2万回以上登った人もいました
62年にわたって休まず登り続け2万回を超えました
山村さんは幼い頃患った病気が元で耳が聞こえません。
お話を筆談で伺いました
何回登りましたか?うわ〜「23,501」。
すごい!
山村さんの初めての登山は19歳。
神戸の縫製工場で見習いをしていた時です。
仕事が思うようにいかず独り悩む日々。
工場の窓から見えたのが六甲山でした
体にしみわたる空気。
山で出会う人たちと少しずつ心を通わせていきました
今仲間とのひとときが何よりも楽しみです
18年前阪神淡路大震災の時も2日後には避難所から六甲に向かっていました
「一歩一歩登る事で人生が切り開かれていくようだ」と山村さんは言います
再度山の茶屋を後にして摩耶山に向かいます
登り始めて3時間半森の中にぽっかりと浮かぶのは砂防のために造られた人工の湖です
涼しい風の中ひととき足を休めます
山頂に近づくとアジサイが咲き誇っていました
気温が低いため7月いっぱいまで道を彩ります
この花もアジサイ。
六甲山で発見された「シチダンカ」です。
小さな花が何段にも重なって咲いていました
三宮の町から歩き始めて4時間
「摩耶山頂698.6m。
三角点」。
ここが頂上なんだ。
でも何にも見えない。
何にも見えない〜。
こっちは随分開けてて…。
いろんな方がいますね。
山頂から5分ほどの所に展望台がありました
眼下に広がるのは港町神戸の町並み。
その奥は大阪湾です
登山の出発点三宮の市街地も一望できました
こう海がねすぐ見えるのできれいですよね。
なかなか山から海というのは見えないんでね。
風も気持ちがよくて近場にこんな所があるなんて大発見でした。
時とともに色合いを変えていく見晴らしです
より高くより困難な山に挑戦する心もこの六甲山地から始まりました
東側に広がる険しい岩場ロックガーデンです
花こう岩が風や雨に削られて風化し独特の岩場になりました
世界の頂を目指す多くの人がこの岩場で訓練を重ねてきました
大正13年日本初のロッククライミング専門の山岳会が結成。
孤高の登山家加藤文太郎もここで技術を磨きました
設立したのは神戸で新聞記者をしていた藤木久三です。
岩場を「ロックガーデン」と名付けホームゲレンデにしました。
そして仲間とマッターホルンモンブランの頂を極めました
今ロックガーデンに向き合うのは神戸大学山岳部の学生たちです
週に何度もトレーニングを重ねています
高さ50mの岩壁
アイゼンの跡は先人たちの挑戦の証しです
2年生の松村健司さんです
はい登りま〜す。
山岳部だった父と幼い頃から山に親しんできた松村さん。
大学に合格すると迷う事なく山岳部の門をたたきました
今年入学した後輩とザイルを結びクライマーの心得を伝えています
目標はヒマラヤ。
6,000m未踏峰の頂です
(松村)自分自身いろいろ練習できるので成長させてくれる場所なのかなと。
将来は「ここで練習した」というふうに胸張って言えるようになりたいですね。
この岩で育まれる夢は時をつないで受け継がれています
辺りが闇に包まれる頃
摩耶山を巡るナイトハイキングです
山岳ガイドなどが企画し年間20回ほど行われています
おお〜。
きれい!おおっ!
町に寄り添う山
(テーマ音楽)
今も変わらず心に輝きを与えてくれます
(テーマ音楽)2014/08/16(土) 05:15〜05:40
NHK総合1・神戸
小さな旅 シリーズ山の歌 夏「はじまりの峰〜兵庫県六甲山地〜」[字][再]
神戸の市街地に寄り添う六甲山地。幕末から明治に、外国人居留地に暮らした「異人さん」が近代登山を伝えた。「毎日登山」の習慣や茶屋など、市民に愛される山を訪ねる。
詳細情報
番組内容
神戸の市街地に寄り添うようにそびえる六甲山地。標高900mほどの山が30kmにわたって連なる。六甲山地は、幕末から明治にかけ、神戸の外国人居留地に暮らした「異人さん」が、近代登山を伝えた場所でもある。当時から残る「毎日登山」の習慣。中腹には異人さんをもてなした茶屋も残る。さらに「ロックガーデン」という岩登りの技術を磨く場も。花々や「ナイトハイキング」の模様も織り交ぜ、市民に愛される山を訪ねる。
出演者
【語り】山田敦子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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サンプリングレート : 48kHz
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