あなたは大都会東京の中心に1,000年を超える伝説の王が眠っているのをご存じかしら?この地を冒とくする者はことごとく祟られ大勢の死者が出たという…あなたは今「どうせ都市伝説でしょ」と鼻で笑ったんじゃありませんか?覚悟するがいい!将門公に謝るなら今のうち…。
平将門の首塚にまつわる恐ろしい怨霊伝説。
政府の役人が立て続けに怪死。
アメリカ軍を襲った謎の事故。
祟りは本当にあったのか?資料から浮かび上がる意外な事実。
事件の真相に秘められた大都会…闇が誘う不可思議な謎。
光が導く検証と真相。
2人の栗山千明があなたと共に幻を解き明かしていきます。
皇居の東に面し大手の商社や銀行などがひしめくビジネス街。
大手町高層ビルの一角にうっそうとした空間がある。
およそ1,100年前平安時代の豪族平将門の首をまつっている。
恐ろしい怨霊将門の荒ぶる魂を鎮めるため建てられた石碑。
かつてここにはその名のとおり巨大な塚も設けられていた。
明治時代に描かれた首塚。
高さ6m周囲27mほど。
巨大な木々に囲まれ昼でも暗く鬼気迫る場所。
塚の前には大きな蓮池が広がり明治期は大蔵省の敷地内にありながらもいにしえの姿を静かにとどめていたという。
しかし…。
将門祟り伝説の幕開けは…帝都を焼け野原にした災害がきっかけだった。
震災から2か月後首塚に手がかけられた。
すると…。
大蔵省の建築担当者をはじめ十数人が次々と死亡。
(雷鳴)更にまるで天罰のように大蔵省に落雷。
周辺の官庁まで焼き尽くしてしまったという。
次の祟りの標的は日本を占領した連合軍の総司令部GHQ。
敗戦直後の東京に空襲による焼け野原が広がる時代。
日本を変えようとする勢力がやって来る。
元の場所で再びまつられていた将門塚に今度はGHQが手をかけようとする。
大手町に広大な…ブルドーザーが横転し運転手が死亡。
その後も不審な事故が相次ぎ首塚の取り壊しは中止になったという。
大蔵省GHQ…。
将門の怨霊は首塚に手を出そうとした官僚や権力者に次々と災いを及ぼしたのである。
日本史上最も恐ろしい怨霊に数えられる…その史実と伝説は反逆と復讐に彩られている。
平安時代半ば北関東の一豪族だった将門は周辺の豪族たちを次々に打ち破り関東全体の支配者となる。
将門は朝廷による支配から独立しこう名乗る。
これは天皇と朝廷への反逆行為だった。
将門は朝廷側の討伐軍に抵抗するが野望半ばにして敗北。
その首は京都に運ばれさらし首になったという。
ところが伝説では将門の首は夜な夜な怪しい光を放った上…。
そう叫んだ将門の首は胴体のある関東へと飛び去っていった。
将門の首塚はその首が落ちまつられた場所と言われる。
まさに反逆と復讐心が渦巻く手を出してはいけない地なのだ。
平将門の首塚。
祟り伝説は本当なのでしょうか?実はその歴史は古く700年ほど前の鎌倉時代には荒れ果てた首塚周辺で伝染病がはやり人々が「祟りだ!」と恐れたという記録が残っています。
それなのになぜ何百年もたった20世紀大都会東京の真ん中で突然将門の祟り伝説がよみがえったのか?こういう時にやるべきなのは当時の記録に直接当たる事。
すると現代に伝わるものとは違う意外な事実が見えてきました。
噂として語られる大蔵省とGHQへの祟りは本当にあった出来事なのだろうか?当時の新聞を洗い出してみた。
「早速蔵相ついに死す」。
大蔵大臣早速整爾が就任僅か3か月で確かに現役のまま病死している。
しかし実は早速は首塚の取り壊しには関わっていない上死亡したのは3年もあと。
「安らかな大往生」。
当時の記事には祟りを感じさせる記述はない。
他の大蔵省幹部の死亡記事はあったが連続して十数人が死亡したという記述は見つけられなかった。
また落雷で大蔵省の庁舎が焼失した火災は起きたのが塚を潰してから17年もたった昭和15年。
そもそも雷が落ちたのは大蔵省ではなく航空局。
当日は東京の20か所に落雷する大荒れの天気で雷は大蔵省を狙ったものではないようだ。
そんな中初めて祟りを記した記事があった。
首塚が潰されてから5年後昭和3年3月に大蔵省が将門の鎮魂祭を行った時のものだ。
「将門の霊よこのとおり謝る」。
記事によると大蔵省で死亡者が14人相次いだ上首塚を上から土足で踏みつけるせいか足をけがする者が続出。
大蔵省内で誰ともなく「祟りだ」と噂が立ったのが理由だという。
今に伝わる…大蔵省は仮庁舎を撤去して首塚の石碑を建て直した。
祟りの噂が首塚を復活させたという事になる。
それではGHQの駐車場建設でのブルドーザー横転事故はどうだったのだろうか?噂の出どころとして行き当たったのが地元の研究者が昭和43年に記した「史蹟将門塚の記」。
そこには…。
「ブルドーザーを運転していた日本人が突然の事故で死亡した」とだけ。
「ブルドーザーが横転」とか「不審な事故が相次いだ」とまでは確認できなかったが死亡事故は起きているようだ。
しかしGHQは祟りなど眼中にない。
そこで工事を中止させるため立ち上がったのが地元の人たちだ。
事故の事を知るや彼らはGHQに向かい「ここは古代の王の墓だ」と訴えた。
何度も陳情を重ねた結果首塚は駐車場に組み込まれず守られた。
工事は塚の僅か50cm手前まできていたという。
この時GHQへの陳情に立ったのが神田在住の遠藤政藏さん。
神田から遠藤さんが駆けつけたのには400年前からの因縁があった。
江戸時代よりも前神田という地名は大手町一帯も含んでいた。
首塚の近くには平将門鎮魂のためのお寺と神社があった。
その神社の名は神田明神。
江戸古来の気風を色濃く伝える神田明神。
江戸幕府を開いた徳川家康が将門を関東のあるじとしてまつったのをきっかけに神田明神は将軍から庶民まで全てを守る総鎮守となった。
神田明神は江戸時代の初めに現在の場所に移された。
今も神田日本橋大手町秋葉原など広大な範囲の総氏神である。
近年新しく作り直された将門神輿。
江戸の守り神となった将門はその後も人々から崇拝され尊敬を集め続けた。
GHQに直訴した遠藤政藏さんは地元で代々材木商を営む町会長としてそして息子の達藏さんも神田明神の氏子総代として将門の首塚の保存と慰霊に力を尽くしてきた。
達藏さんの娘平野徳子さん。
徳子さんも先祖代々の遺志を継いで首塚を守り続けている。
その姿勢が私のすごい印象にいつも残っていましたね。
(徳子)その中で絶対にここが大事な中心的な守ってくれている力なんじゃないかっていう事をしんの底から分かっていったんだと思うんですね。
実は守り神としての平将門は時代が江戸から明治に変わって以降受難の時を迎える。
京都から天皇を頂く明治政府が東京にやってくると将門は反逆者として神田明神の主祭神から外されてしまう。
すると町の人々は将門不在の神田明神に対して不満をあらわにする。
「一文銭を投ずるも快しとせず」。
大事にしてきたものが変えられてしまう事への抵抗。
その思いを託す存在が平将門だったのだ。
明治になる時。
それからGHQに占領されて戦後。
という事でその節目節目に将門というものが登場してきて。
そこが潰されそうになった時にそれをとどめるような形で怨霊が登場してくるわけですよね。
というのはやっぱりいろいろな大きな変革であったりとかそういう事をストップさせようと。
戦後将門塚は地元の人や周囲の企業によって保存会が作られ大勢の人々によって大切に守られている。
祟りをなす怨霊将門の姿はここにはない。
今までみんな守っていてもらったのに急に…理不尽さをまた気づかせてもらったっていう事が私はあるんじゃないかなと思っていますね。
滅びと再生を繰り返す街東京にあって変わらぬ事を願う人々の思いこそがこれからも将門塚を生かし続ける。
私たちは「祟り」と聞くと恐怖のパワーで人を襲う怪奇現象とだけ考えがちですよね。
でも将門塚の場合その力の源にあったのは江戸っ子たちが将門に寄せ続けた信仰心と強い絆。
街と人と守り神。
将門塚は現代の私たちが忘れがちなでも大事にすべきものを思い出させてくれます。
「幻解!超常ファイルダークサイド・ミステリー」。
次回もお楽しみに!最近こんな事ありませんか?2014/08/16(土) 02:45〜03:05
NHK総合1・神戸
幻解!超常ファイル「東京ミステリー!平将門の首塚」[字][再]
大都会で「たたり」!?手出しした人々が次々と死亡!?平将門の首塚にまつわる恐怖伝説を徹底検証!うわさの原点をたどるとあなたの知らない東京の意外な姿が見えてくる!
詳細情報
番組内容
あなたの知らない東京の意外な一面が明らかに!日本最強のたたり神とうわさされる平将門。平安時代、関東の王として戦い、恨みを背負って処刑された将門の首塚(東京・大手町)は、手出しする人々を次々と呪い殺すとうわさの、恐怖のスポットとしても知られる。はたして「たたり」は本当にあったのか?うわさの原点となる記録から、事件の真相を徹底追及!何代も首塚を守り続けた人々が語る将門の驚くべき姿とは?【出演】栗山千明
出演者
【司会】栗山千明,【語り】中田譲治
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
アニメ/特撮 – その他
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