ニッポン戦後サブカルチャー史 第3回「60年代(2)劇画とナンセンスの時代」 2014.08.15

今宵は伝説のマンガをとことん読みまくる。
1960年代マンガ界にも革命が勃発。
既成概念を疑え!権威をぶち壊せ!たかがマンガされどマンガ。
表現の幅を広げ深みと鋭さを増したマンガは次第に時代をも動かしていく。
サブカルチャーをたどる旅ナビゲーターは…一つのアンチテーゼだと思うんですよね時代に呼応した。
演劇界の鬼才が…共に旅に出るのは…。
僕らが知ってるサブカルチャーの元祖みたいなところを感じるんです。
サブカルチャーをこよなく愛するジャニーズ。
マンガ大好きアキバのアイドルプロデューサー。
フランスからやって来たマンガオタクの俳優という面々。
真夏の夜のサブカルチャー教室今夜の教科書はマンガです。
クール・ジャパン前夜に何があったのか。
前回に引き続き60年代にスポットを当てるパート2。
これすごい。
こんなん…。
ほんとだ…。
静かだね。
静かだね今回は。
多分宮沢さんが入ってこなかったら永遠に読み続ける画が続くという状態でしたね。
それぞれ今手にしてるのは何だか分かりますか?「あしたのジョー」。
「バカボン」。
「ガロ」に連載されてた「カムイ伝」を読んでました。
え〜さて「ニッポン戦後サブカルチャー史」もいよいよ第3回。
だんだん僕も慣れてきましたが今回何やるんだったかちょっと忘れちゃったんですけどね。
出だしからですか?うん。
今日はこのように並べたような。
まずこっちにあるのが「ガロ」という雑誌ですね。
この雑誌には今も話に出てきたように「カムイ伝」が連載されてた。
なぜ最初刊行されたかというと「カムイ伝」を連載するために刊行された。
で今日は主に「カムイ伝」と「天才バカボン」を中心に話を進めていきたいと思います。
(拍手)「日本選手団の入場であります」。
アジアで初めて行われた…これを機に一気にお茶の間の主役に躍り出たのが…テレビだった。
子供向けのアニメ放送も開始。
家族一緒に見るテレビは明るい未来を映し出すまさに夢の箱だった。
そのころマンガ雑誌の世界でも変化が起きていた。
それまでの月刊誌に加え週刊の少年マンガ誌が創刊されたのだ。
マンガは月1度の楽しみから毎週の楽しみへと変わった。
このころ人気を博していたのは「オバケのQ太郎」や「8マン」などのヒーローたち。
楽しく明るいキャラクターの主人公に導かれ子供たちはマンガの世界に胸のすくような興奮を覚えていた。
オリンピック開催の年そんな子供向けのマンガ誌とは一線を画す伝説の雑誌が突如現れた。
その名は「ガロ」。
奇妙な名前のその雑誌は大人向けの「劇画」を志向していたいわゆる貸本マンガ家たちをこぞって起用した。
シュールで前衛的な作品やリアルな画風のシリアスなストーリーマンガを次々と掲載。
「マンガは子供の娯楽」というそれまでの価値観を覆し一部の若者たちの熱狂的な人気を獲得した。
その「ガロ」の看板作が「カムイ伝」。
生みの親は貸本マンガ界最大のヒットメーカー…江戸時代を舞台に身分社会の底辺に生まれた若者たちの生きざまを壮大なスケールで描いた時代劇マンガだ。
忍者たちが命を削り合う決闘シーン。
その筆致はリアルで凄惨を極めた。
更に主人公はなんと最も弱く虐げられた農民や差別された人々。
差別や苦悩社会の矛盾。
当時そんな重く暗いテーマを描いたマンガなどなかった。
異端のマンガ「カムイ伝」は一体なぜ熱狂的な支持を得られたのか?このころ1947〜49年に生まれた戦後の団塊世代の若者たちが一斉に青年期を迎えようとしていた。
高度経済成長に伴って大学進学率も右肩上がり。
1964年には15%を突破。
若者たちの中には国や政治の在り方に疑問を抱き政治運動などにのめり込んでいく者も少なくなかった。
当時全共闘世代の若者たちを数多く取材していたジャーナリスト田原総一朗は「カムイ伝」の魅力をこう語る。
「カムイ伝」の面白いのは分かりにくさがあるんですね。
その分かりにくさが受けたんだと思う。
つまりあまりにもね…己の力で階級社会の底辺から抜け出し自由を追い求める忍者カムイ。
知恵と努力で農民たちを束ね権力に立ち向かう正助。
彼らの姿は政治と闘争の季節を生きる若者たちの心を捉えた。
連載初期読者感想欄に掲載された大学生の文章からは「カムイ伝」への熱い思いが伝わってくる。
1967年東京の大学生にいい感じのする日本人を尋ねたアンケート。
吉永小百合や植木等といった並み居るスターたちを抑え1位に躍り出たのは「カムイ伝」の生みの親白土三平だった。
「ガロ」はやがて発売と同時に売り切れるほどの人気を博すようになり「カムイ伝」は全共闘世代のバイブルと呼ばれるようになった。
マンガ界のパイオニア手治虫もこうした動きに刺激され新しいマンガの創作の場として青年向けマンガ誌「COM」を創刊。
「カムイ伝」に対抗し「火の鳥」の連載をスタートされた。
マンガ界の神様手もまた少年向けのストーリーマンガに飽き足らず人間の業や命の探求へと没入していった。
このころの日本は未曽有の好景気を背景に戦後の貧しさから抜け出し人々は物質的な豊かさを享受していた。
その一方で…1968年10月の国際反戦デーには学生運動の若者たちが新宿で大規模な抗議行動を起こす。
大混乱の中騒乱罪が適応され以後学生と警察との衝突は激しさを増していく。
同じ年「カムイ伝」もカムイの孤独な闘いから正助と農民たちの団結と闘争のドラマへと傾いていく。
東大安田講堂を占拠した学生たちと機動隊が衝突。
2日間に及ぶ激しい攻防戦の末東大安田講堂は陥落した。
そのころの「ガロ」読者感想欄には「カムイ伝」の農民闘争への批判が掲載されるようになる。
雪崩を打って崩壊していく現実の学生運動に影響されたのか物語も思わぬ方向へと突き進んでいく。
農民たちは一旦は闘いに勝つが結局正助や一揆の首謀者たちは捕らえられ拷問によって次々と殺されていく。
ところが一人だけ殺されなかった人間がいた。
正助だった。
「なぜお前だけが生き残ったのか?」。
「仲間を裏切ったのか?」。
詰め寄る村人たち。
だが正助は言葉を発する事ができない。
舌を抜かれていたのだ。
1971年7月若者たちの政治と闘いの季節の終えんを予感させて「カムイ伝第一部」6,000ページに及ぶ連載が終了する。
その年の流行語は「気楽にいこうよ」。
「カムイ伝」が始まった60年代半ばとは明らかに違う風が社会に吹き始めていた。
いやそうなんですよ。
いや〜鳥肌が…。
今のVの中にもあったけどもやっぱり時代の政治性みたいなものと呼応するようにして「カムイ伝」というのは描かれたわけですけれども…。
なんかやっぱり若干の高尚さというか「これ読んでるのかっこいい」というのはあると思うんですよね。
今やっぱ映像があってもさっき読ませてもらってもちょっと崇高なものというか水準が高いものというような印象。
「アートだ」というふうにおっしゃってましたけど…。
それは「劇画」と言われる言葉で語られる事があったんだけどこれって一つのアンチテーゼだと思うんですよね時代に呼応した。
手さんはもちろんすばらしい漫画家だと思うんだけどもじゃあそれとそこに対抗して商業誌とは異なるところでなんかできないかという…。
だからインディペンデントですよね。
大島渚が独立プロをつくって創造社で映画作る。
あるいはアート・シアター・ギルドで映画作るのと同じように貸本という媒体があって貸本マンガというそこを描く事によってそれまでとは違うものが描けるのではないかという白土三平さんをはじめとするある種類の劇画家たちというのがいたと思うんです。
それはやっぱり描き方の変更だと思うんですよね。
やっぱ何かにいらついてないと何かに抵抗するんだと。
例えば血の飛ばし方を発見するわけですよ劇画家が。
ペンに墨をつけてプッと吹く事によってしぶきが飛ぶじゃない。
それだとよりリアルに血が飛ぶとか。
そういう事を発明していったのも劇画の一つの面白さだと思います。
フランスだと結構平気で直接的に言えるんですよテレビだったりいろんなメディアで政治問題に関する事は。
日本でそれなかなかできないところがあるから逆に作品の方には出しやすい。
日本の直接的に言えない分は何かの物語にのせてそこでその表現メッセージを伝えるというのはすごく日本の…マンガにしても映画にしても魅力の一つであるなとは…。
ムッツリしてますねでもね。
言いかえればムッツリになるけど…。
例えばアメリカ映画なんか見て「何でこんなに直接的に言っちゃうんだろう」という…。
でむしろそれは僕は羨ましいんですよ。
「何で僕たちは遠回しな言い方してるんだろう」と…。
秘すれば花的な美徳みたいなのがあるんじゃないですか。
物語にのせての直接さだと思うんですよ日本は。
向こうは物語とか関係なく本当にまっすぐ直接というダイレクトにいくという…。
物語があるおかげでより入りやすいというか。
大半はやっぱり楽しかったからというのと共感できたからとかなんて言うんですかね「これは学生闘争とリンクしてる」と思いながら読んでる人よりも単純に面白かったんだろうな。
そしてブームが巻き起こったんだろうなと思うと水面下のものをすくい上げた「カムイ伝」はすごいなと思うんです。
でも切ないなと思ったのは時代の変化とともに批判的なコメントが投稿されたりとか「こんなのは間違っていた!だまされた!」という投稿があったというのを見て…。
でもほんとそれこそ時代とともにあったというかそういうものだったんだなと。
これは僕の意見なんですけど政治と全く同じなんです。
ある左翼運動があってそれに対してまた別の左翼の人たちが「この左翼は間違ってる。
そっちの正しさじゃなくてこっちにはこういう正しさがある」というふうにその左翼の中での反発があって戦後政治運動が起こるわけですね。
それと並行してさまざまな表現が出てきた。
その中に大島渚もいたし白土三平が出現したというのがありますね。
そうするともう一つはどういうふうに描いたら新しくそれまで語られていた事が伝えられるんだろう。
現在とリンクしていけるんだろうという事はあると思います。
例えば現在の作品では今現在の人たちに伝わるって「進撃の巨人」とかってすごいそうだと思うんですよ。
3,000万部以上の大ヒットコミック「進撃の巨人」。
人類と謎の巨人の壮絶な戦いを描いたこの作品には階級が生み出す社会の闇とあつれきも描かれている。
今の読者たちにちゃんと伝わるようにアクションをめちゃかっこよくしてそういうような感じですごい影響を受けてる気がするんですね見ると。
全ての…今の「サブカルチャー」という言葉はマンガも大きく占めていると思うんですけれどもそれのスタート地点という感じがするんですよ。
なんて言うんですか子供たちではなく全ての世代が読めるマンガを「カムイ伝」がつくったというので今の「サブカルチャー」と言われているところの僕らが知ってるサブカルチャーの元祖みたいなところに感じるんです。
白土三平の60年代における描き方は人々に響くその事を通じて現在の私たちを考えるという表現になってたはずなんですよね。
それが時代とともにねもちろん今読んでも面白いけれどもっとまた違う方法があるかもしれないという事はあると思うんです。
「カムイ伝」が団塊世代の学生たちのバイブルとなっていたころそれとは全く異なる方法論で革命を起こした男がいた。
そのマンガは社会現象をも巻き起こした。
ご存じ大人気ギャグマンガから生まれたあの決めポーズ。
66年初来日を果たし日本中を熱狂の渦に巻き込んだあのスーパースターも…。
更に若き日のミスターも…。
そして東京を破壊しつくしたあの怪獣もこぞってこのポーズをまねた。
ギャグマンガの帝王赤塚不二夫。
デビューは1958年。
マンガ界の梁山泊トキワ荘で腕を磨いた。
そこにはマンガの神様手治虫のもと天才石森章太郎などそうそうたる描き手たちが集っていた。
当時マンガ界を席巻していたのは「ジャングル大帝」や「サイボーグ009」などに代表される…しかし赤塚が活路を見いだしたのは当時は少数派の笑いやユーモアを取り入れたマンガだった。
当時も笑えるマンガはあったがそれは新聞の4コマ漫画に代表されるほのぼのとした笑い。
赤塚はそれとは全く異なる「ギャグマンガ」という新たなジャンルを作り上げていく。
赤塚のギャグマンガに欠かせないのは奇想天外なキャラクターたちだ。
「おそ松くん」に登場する全く同じ顔をした6つ子。
花の都・パリ帰りを自慢するキザ男イヤミに日本一拳銃を撃ちまくる警官。
更にストーリーとは無関係に唐突に登場する謎の生き物たち。
キャラクターの強烈な個性が読者を圧倒した。
そして極め付きは1967年にスタートしたナンセンスギャグマンガ「天才バカボン」。
ストーリーを引っ張るのは常識外れの中年男バカボンのパパ。
そしてその愉快な家族。
主人公バカボンそっちのけでパパが暴走し騒動が起きる「天才バカボン」は連載を重ねていくにつれナンセンスな笑いの度合いをどんどん深めていく。

(「天才バカボン」)激しい安保闘争に明け暮れた60年。
そして学生運動が最高潮に達した69年。
くしくもどちらの年も流行語は「ナンセンス」だった。
60年代古い体制や慣習を引きずったままの社会に若者たちは「無意味で馬鹿げている」事を主張。
「ナンセンス」という叫びで異議申し立てをした。
赤塚のナンセンスなギャグは時代の気分と絶妙にマッチしていた。
混乱する社会を揶揄するような名ぜりふが次々と生まれた。
やっぱりギャグマンガというのは先生よくおっしゃってたんですけど「時代の映し絵」だと。
「その時代にマッチした内容を取り入れていかなきゃ駄目なんだよ」という事は常々おっしゃってましたね。
新聞も何紙もスポーツ紙も入れ一般紙も入れできるだけ多く斜め読みに近い形で読んでましたし雑誌等の場合はその目次というのを食い入るようにずっと見ていましたよね。
いじめられてもいじめられても立ち上がる不屈の猫ニャロメ。
当時警察に殴られても殴られても立ち向かう全共闘の学生たちをヒントに生まれた。
学生たちもこのキャラクターに共感。
東大にはなんと「全共闘ニャロメ派」なるセクトも誕生した。
一方未曽有の好景気の恩恵を受け街には派手なファッションに身を包んだ若者たちも出現。
宝くじの初売り出しには夢の1等1,000万円をねらう人々の長蛇の列ができた。
そんな中3億円の現金が強奪されるという前代未聞の事件が発生。
翌年には人類がついに月面着陸に成功した。
次々と飛び込んでくる驚がくのニュース。
経済と科学技術が急激に発展する中人々の価値観が大きく揺らいだ時代。
ギャグマンガの天才は時代の空気を敏感に察知しこれまで誰も見た事がないマンガを次々と描き始める。
同じ回の中で突然絵のタッチが激変。
ギャグマンガなのにシリアスな劇画風に…。
時にバカボンのパパがお花が咲き乱れる少女マンガ風に描かれた。
「右手をケガしたから左手で描く」と宣言。
まるで素人のような絵が埋めつくした事も…。
そんな赤塚の実験的なナンセンスギャグマンガはなんとあの男までをも魅了する。
赤塚のマンガをこう評した。
「天才バカボン」は更にナンセンスを追求する事によってマンガというフォーマット自体をも破壊していく。
「読みやすくします」と言いながら絵を描くコマを大幅に削減!ついにはト書きのみの絵を描かないマンガが誕生した。
こちらは読者からの投稿のみで構成するという前代未聞の他人任せ。
赤塚が「天才バカボン」で追求したこうした実験的精神は後のサブカルチャーに大きな影響を与えた。
やっぱり…あのくだらなさの中に真実があって利口と言われてる人たちには見えないものがバカボンのおやじには見えてるんじゃないかという事をねチラッと言った事があるんです。
自分が最低だと思ってればいいの。
ねっ。
みんなより。
一番劣ると思ってればいいんだよ。
そしたらねみんなの言ってる事がちゃんと頭へ入ってくる。
はいどうですか?
(福嶋風間)すごい。
(福嶋)今の見てたらナンセンスのギャグマンガというのはもう今に至るまでみんな系譜というか流れてますよね。
あの手法に至るまで最近のマンガでもよく見る表現というかそれを切り開いたというのがすごいなと思いますね。
でもみんなそこに憧れたりとか学んでやるけれども何かやっぱり超えるというかこれより恐ろしい事をできてる人がいないんじゃないかと…。
一番アバンギャルドな感じですよね。
えっと「天才バカボン」でおいてナンセンスマンガになりますね。
「ナンセンス」って言葉が重要だというさっきVの中にもあったじゃないですか。
当時ヤクザ映画とかを深夜にオールナイトで上映すると全共闘世代の学生たちが見に行って例えば悪いヤクザが出てくるじゃないですか。
それでそのヤクザが何か言うと客席から「ナンセンス」と言ったという。
へえ〜掛け声合いの手みたいな。
そうそう。
それはね僕も多少経験してるんですよね。
当時使われてた「ナンセンス」というのはどういう使われ方をしてたんですかね?例えば…。
でもさ異議申し立てにおける否定の言葉としての「ナンセンス」というのはもちろんあるわけじゃない?「君の言ってる事は間違ってるよ」という意味での「ナンセンス」というのとそれからナンセンスマンガにおける「ナンセンス」というのは常識的な事からどうやって逸脱するかという事なんですね。
それ多分時代がそういう困ってれば困ってるほどいろんな問題があればあるほど意味の追求じゃなくてもっと楽しい事でも意識をそらさなきゃいけないという時代に必要になってくると思うんですね。
それが「バカボン」の名ぜりふの「これでいいのだ!」とか「賛成の反対」とかに表れてるというのがすごい。
だからすごい集約されてるというかしかもこの「天才バカボン」のナンセンスさについて今ここでしゃべってる事自体もある種ちょっとナンセンスであったりという力を持ってるじゃないですか。
赤塚不二夫のすごさはこんなもんではないと。
もっとすごいのが僕が感動したというね。
ちょっと見てみましょうか。
寝てますねバカボンのパパ。
パチッて目を開けますね。
ムクッと起き上がって「あ〜あ」と言って「るすばんはたいくつなのだ!!そうだすこしそとにでてあそんでくるのだ!!」と言ったあとに歴史的な3コマがやって来ます。
立つのに3コマつかったという。
「そういう丁寧じゃねぇ」って全員が突っ込むっていう。
(福嶋)念を入れたんですねここ。
かなり念を入れてこうなったんだけどこれはねすごいんですよ実は。
これね71年ぐらいの作品だと思うんですけどこのあとに私が感動した演劇に「水の駅」という作品があるんです。
これはどういうものかというと太田省吾という演出家が劇というのは劇をどう否定したらいいか私たちは劇の目で世界を見てる。
その劇に縛られて生きてる。
よくブログなんかもそうだし日記でもいいんですけど「今日は何もなかった」って書いちゃうじゃないですか。
でも絶対そんな事ありえないでしょ?何かあるじゃない?だって目が覚めるしね。
これじゃないけど朝起きて顔を洗って歯を磨いてとかね。
じゃあその劇を否定するために太田省吾はどうしたかというと時間を引き延ばすという方法をとったんです。
今もう既にここに居ますけどほんとはここまでに来るのに5〜6分かかってます。
(水の滴る音)舞台はず〜っと開場の時からまだ客席が明るい時から水がずっと流れて水の滴る音がしているという事を知っておいて下さい。
そしてなぜかこんなゆっくりな動作で安藤さんがコップを差し出します。
すごいですね。
(水の滴る音)さあ水を飲みますよ。
…遅いな。
(福嶋)すごい何かイライラしちゃいますよね。
ほんとに俺これすっごいハラハラする。
(福嶋)でも役者さんも大変ですよね。
(ヴァンソン)大変だね。
劇的になる。
水の音がずっとしてたものが途切れるんだと思うとドキドキする。
(水の滴る音)途中でこの辺でやめておきますけどこれが2時間半続きます。
ハハハ…でもすごいな。
しかもせりふはありません。
映像だと分かりづらいけどこうやって差し出した時に水の音がプツッと途切れた瞬間にサティの「ジムノペディ」が流れるんですけど。
僕は今まで89年までに演劇をかなり見てるつもりだけどもその中で一番美しい瞬間をその時見たという気がしたんですよ。
そのあとすぐに太田省吾の演劇論「劇の希望」というのを読んだら今話したような「演劇には分厚い力がある。
それに我々は支配されてる。
そこからどうやって逃れるか」という事なんですね。
赤塚不二夫の天才性はその事をもうずっと前に軽々とやってたという事なんですよ。
しかもこんなにある意味みんなが楽しいみんなが面白いと思えるようなコンテンツに落とし込んでそれが軽々とできたというのがすごいですよね。
今でも残ってるぐらいだからね。
この「バカボン」においてのいろんな手法って後から考えたらとんでもない事なんだけどもしかしたら本人は「あっ面白そう」と思って直感的にやってるんじゃないかっていう。
答えの出し方の軽やかさがすごい。
「バカボン」ってそもそも装置自体がそういう事が許されるフォーマットだからそういう自由な事ができるわけじゃないですか。
その「バカボン」のキャラクター性と世界観を設立した時点でもう勝ちは決まってたみたいな。
(ヴァンソン)自由を貫いたという感じの。
それが許されたのが60年代というふうにも思うわけですよね。
「天才バカボン」のナンセンスがさく裂した60年代こうした実験精神にあふれた土壌はいち早くアート界で生まれていた。
ちょっと見て下さい。
今訳の分からない掃除してますね。
怪しい清掃員と思いきや彼らはれっきとした前衛芸術集団。
メンバーの…3人の頭文字をもじり「ハイレッド・センター」と名乗った。
当時のアートシーンに衝撃を与えた彼らの活動を見てみよう。
これ1964年なんです。
東京オリンピックの直前に街を清掃しなきゃいけないというよく分からない事を言いだしてやり始めたんですね。
こういう「首都圏清掃整理促進運動に参加しよう!」というチラシまで作っちゃってみんなを集めて呼びかけるわけです。
街で「BECLEAN!」と「掃除中」と。
地面を雑巾がけしたりとかいろんな事をしてるという。
それ自体がパフォーマンスとして作品なんですよね。
それから赤瀬川さんは当時の千円札を造っちゃったんです。
こういう巨大な展示をしてその前でこういうポーズとっちゃったという。
当時は千円札の肖像画というのは聖徳太子だったんです。
それが偽札なんじゃないかという事で裁判になるわけです。
訴えられちゃった。
「千円札裁判」というのが起こりましていろんな作品を法廷に持ち込むんですよね。
それがこういう「裁判所の席へ紐が伸びます」という大変な事になったわけですよね。
これ自体が作品みたいになっちゃってる。
ほんとにしてやったりという感じがしますよね。
証拠品は必ず裁判所の片隅に置かれてるらしいんですよ。
最高ですねこれ。
最高ですね。
笑ったりとかしたら国から怒られるのかな。
すげぇ面白い。
この人も証拠品として居たという。
作品だからですね。
そうそう。
作品ですから。
体中に洗濯ばさみつけてるこういう作品もあると。
ハイレッド・センターの表現活動が社会的なニュースになっていたのと同時期海の向こうアメリカのアート界でも革命が起こっていた。
リキテンシュタインというポップアートの画家ですね。
それからこれがアンディ・ウォーホル。
「マリリン・モンロー」ですね。
それから「キャンベルの缶」。
こういうポップアートというのが当時60年代席巻したわけですね。
これただのマンガのコマですよね。
アメリカンコミックからって感じですね。
それから「マリリン・モンロー」非常に大衆的な映画スターですよね。
それから一般的に普通に家の中にあるもの。
これ生で見た事ありますか?現代美術館で。
これを見ると別に印刷したわけじゃなくてよ〜く見ると一点一点手で描いてるんですよね。
それがまた面白くてね「これをなぜ描いた?」って言いたくなると。
印刷に見えるように手で描いてあるわけですもんね。
そこがまたいいところですね。
こういうものも作品として提出すれば芸術になるんだという芸術という制度を壊すという疑いを持つという事がこういう作品につながると思うんですよ。
「作品って何だ?」という問い直しですよね。
今日はそういった意味ではマンガというものを問い直す。
「ギャグってものは何だろう?」という事を問い直す。
赤塚不二夫の場合はそれを無意識のうちにやってたのかもしれないけどでもそれが優れて現代アートに通じるような画期的なものだったからこそ僕はすごいなと思うわけです。
60年代時に痛烈なメッセージを含み先鋭的な表現の実験場と化していったマンガ。
マンガは子供たちの手から若者たちへと渡り現実社会とも呼応してあらゆるテーマをのみ込んでいった。
当時の音楽や文学など最先端のモードを取り入れ愛と孤独に苦悩する若者たちの青春を描いた…経済成長で社会が急速に変貌していく中人間の心の闇にスポットを当てたホラーマンガの先駆け「おろち」。
当時としては過激な表現とストーリーにPTAも猛反発。
社会に波紋を投げかけ新たな表現の扉を開いた…そして1968年。
次の時代への変わり目を告げる象徴的なマンガが登場した。
ボクシングマンガの金字塔「あしたのジョー」。
主人公は下町の貧民街からはい上がりその青春をボクシングにささげる矢吹丈。
倒されても倒されても強大な敵に立ち向かってゆくその姿に多くの若者たちは熱狂した。
みんな一番よく読んでるのは「あしたのジョー」か何かじゃないの?あれが一番今のところなんて言うかな迫力があってねしかも次どうなるかっていうさ僕らの生活そのものがさ常にギリギリのところがあるっていうね。
それに通じるんと違う?「あしたのジョー」の連載がスタートした1968年。
日本のGNPはアメリカに次ぐ世界第2位に躍進した。
だが繁栄を支えた「都市への急激な人の流れ」は都会と地方との格差を急激に拡大する経済は人々の健康をむしばむ公害を生み出していった。
70年代を目前に控え明るみになっていったのは高度成長がもたらす陰だった。
(宮原)このまんま70年代に入ったら日本はもう殺伐とした時代を迎えるんじゃないかな。
その中でどういう主人公を作るか。
梶原さんは「ニヒリストを主人公にしたらどうかな。
美しきニヒリストだね」。
でそれで決まったんですよ。
「あしたのジョー」の主人公ジョーはいわば高度経済成長に沸き立ち急激に変貌していく社会から取り残された人々の象徴だった。
今のこの時代の空気の中ではああいう作品は描く事ができないのかもしれない。
作品ってほんとに生き物なんですよね。
その時代の空気雰囲気を非常に強く感じながら描いていくんでそれが出てしまうんですね。
「あしたのジョー」は若者たちの共感を呼び「少年マガジン」の発行部数は150万部を突破する。
そして1970年。
人類の進歩と調和をうたったアジア初の万博が開幕。
人々は科学技術がもたらす明るい未来の夢に酔いしれた。
ところがその2週間後そんな時代の気分に「NO」を突きつける衝撃的な事件が起こった。
赤軍派の若者たちが航空機を乗っ取り北朝鮮へ亡命した…犯行声明文の末尾にはこんな言葉があった。
同じ年前代未聞の葬儀が営まれた。
弔われたのはジョーとの激闘の末勝利しながらも命を落とした宿命のライバル力石徹。
当時の新聞もこの葬儀の様子を驚きをもって伝えた。
演出したのはあの劇作家寺山修司だった。
架空の登場人物の死を悼み800人もの若者たちが葬儀に参列した。
駆け足で手に入れようとした豊かさと引き換えに失ったものは…。
マンガのキャラクターに別れを告げた当時の若者たちは60年代という時代の夢にも別れを告げようとしていたのだろうか。
…というね。
「われわれはジョーである」っていうすごいなこの言葉。
ちょっとね何か間違えたかもしれませんけど。
まあ間違ってるけど。
もちろん間違ってるけど。
間違えたかもしれないけどかっこいいと。
「われわれは明日のジョーである」というのは当時はやったんですが。
力石徹の葬儀っていうのもすごい…。
今は逆に二次元のキャラクターのお誕生日を祝おうとかそういう雰囲気って全然今あるんですよ。
何か普通にみんなオタクの人たちだったら「おめでとう」みたいなのやったりとかしますけどでも当時1970年代にマンガのキャラクターが実際にああいう事をするというのって多分相当センセーショナルだったと思うんですよね。
創作エネルギーっていうのももちろんすごく作る側としては大事だと思うんですけれどもやっぱり読む側のエネルギーもこの時代にしては大事だと思うんですよ。
創作エネルギーと時代背景だけでは何かが起きるわけではないって今見て感じたのが例えば「エヴァンゲリオン」の話とかだとその時代で「あしたのジョー」は取り残された人を描いてる。
それに共感できた人たち。
同じく「エヴァンゲリオン」とかに関しては自分は何のために生まれてきた何をすればいいとか自分の目的が分からないという人たちを描いてるのがそれ多分共感する人がたくさんいたから…。
だからそれをフィードバックというか読み手の反応に刺激される部分というのはありますよね。
白土三平も赤塚不二夫も。
だから「雑だ」っていう言葉を聞いたらそれは否定の言葉だけどそれをむしろひっくり返してまた別の創作につなげるというもう一つ乗っかっちゃうっていうさそれもまたすごいエネルギーだと思うんだよね。
後々語られるマンガに何が共通してるかっていったらやっぱり時代背景だったりとか時代の雰囲気をつかんでるものなんじゃないかなって改めて今日思って何かさっきそれとリンクしたというのを見て後からのこじつけの部分もあるだろってやっぱり思うんですよ。
そうだよね。
けどやっぱり後々語られるマンガとか作品というのはその時代と後からこじつけられるくらいリンクしてるものじゃないと残らないんだろうなって思って。
(福嶋)それだけ当時の若い人たちが私たちはもしかしたらジョーかもしれないって共感してたっていう事ですよね。
でもそれが「ニヒリスト」って言ってたじゃないですか。
さっきは「ナンセンス」って言ってたじゃないですか。
何かニヒリストが主人公の時代の気分というのは一体どういう事だったんですか?それは僕も小学生だったんで何とも言えないですけど。
小学生にそんな難しい課題を突きつけられても困るわけですが一つは「ヒーロー」というのがいますよね。
それまでのヒーローというのはこういうスタイル姿であると。
(ヴァンソン)強くてとか。
そうそうそう。
でねそれが僕は子供の時から映画を1人で見に行ってたんですけど大体明るい映画楽しい映画だと思ってたんだけど「映画」というのは楽しいと。
ある日「夕陽のガンマン」というのを見に行ったら一緒にやってたのが「俺たちに明日はない」だった。
アメリカの大恐慌時代に実在した銀行強盗ボニーとクライドが衝動のままに犯罪を重ねていく姿を描いたアメリカン・ニューシネマの代表作。
主人公たちが唐突に殺される衝撃的なラストシーンはアメリカ映画界を変えたと言われている。
小学生の俺はだんだん暗い気持ちになってくるわけ。
最終的にボニーとクライドが殺されるわけですけどその時も立ち上がれないだけですよ。
それが1967年でそこがアメリカン・ニューシネマの出発点なんですね。
そのあとアメリカン・ニューシネマとしては「イージー・ライダー」とか「タクシードライバー」まで続くんです。
これはどういう事かというとベトナム戦争の泥沼と関係するんですよね。
75年にベトナム戦争が終わるまでやっぱりアメリカン・ニューシネマも主人公が死ぬっていう。
「アンチヒーロー」ですよね。
「ヒロイズム」っていうものからどうやって逃れるかというのが映画に反映してたんです。
それにさっきのニヒリズムっていうのはやっぱりジョーが持っているのはそれまでのヒーローの姿確かにジョーは強いけれどもどこか陰りがある。
明るくはないですよね。
陰りを持った強い人。
強いボクサーであると。
それが我々を惹きつけるものだったんじゃないかなと思うしそれは新宿の時に語ったように悪い場所悪場所というような土地が持ってるある我々を惹きつける魅力ってあるでしょ?「そこ怖いなあ」って思いながらも行きたくなるような何かがある。
陰がある方にどうしても興味が湧いちゃうみたいな。
ジョーかっこいいけれどもジョーが近くにいたらやっぱりちょっと困りますもんね。
それはね寅さんもそうですよ。
そうなんですよね。
寅さんみたいな親戚がいたら困っちゃうもん。
でもだからこそ惹かれるっていう。
それはやっぱりこの時代というか。
2回にわたって60年代をフィーチャーした「ニッポン戦後サブカルチャー史」。
ここで60年代を宮沢流に総括!時代と向き合い怒りと先鋭的な意識で新しい映画を追求した大島渚と燃え上がった新宿カルチャーを取り上げた第1回。
そしてマンガ表現に革命を巻き起こした劇画とナンセンスギャグマンガを特集した第2回。
果たしてそこから見えてきたものとは?時代の事をもう少し考えていきたいなと思うんですけどね。
1956年にサブカルチャー誕生って話しましたね。
1956年アメリカでは既成の生き方に異を唱える「ビートニク」が誕生。
更に…そして日本では「太陽族」が出現。
宮沢はこの1956年をサブカルチャーの起点とした。
で8年周期っていうのを少し考えてみたい。
60年代に極めて大きな意味を成した「新宿」という街。
そこにはジャズ喫茶があり演劇人たちがいたりそれから文化人が集まる場所があった。
そして…1980年に60年代は完全に終わるというふうに僕は考えるんです。
60年代的な考え方がって事ですか?そうです。
それでこういった時代新宿というような事を考えていくとここに60年代的な創作のエネルギー。
これは大きかったんだと思うんですよ。
思想的にはある意味共通して「何かを壊そう」とか制度というものを破壊しようという衝動というのはこの時代みんなあったんだろうと思うんですね。
だからこそ白土三平の「カムイ伝」は出現したしそれから「天才バカボン」も出現したというふうに思うしそれが後押ししてそれは時代のうねりの中でそこから生まれてきた作品たちというのがあるんだろうと思いますね。
でね何で80年に終わったかというと80年の12月8日。
僕は吉祥寺の街で人と待ち合わせしててでその12月9日時間があったんでブラブラしてたらもう至る所でビートルズが流れてんだよ。
何だろうなと思ったら亡くなられたと。
ジョン・レノンが死んだという事なんですよ。
そこで僕は終わったなというふうに思ったんですよね。
(ヴァンソン)誕生日だ。
ちょうど生まれた日。
ほんと?9日?そう9日です。
同じだ。
(ヴァンソン)1年後です。
僕と…僕9日。
ほんとですか?大体何か歴史全部宮沢さんの歴史じゃないですか!ほんとですか?こじつけなんじゃないですか?以上!はい。
熱かった60年代のエネルギーは形を変え70年代へ。
あの時があるから今がある。
2014/08/15(金) 23:00〜23:55
NHKEテレ1大阪
ニッポン戦後サブカルチャー史 第3回「60年代(2)劇画とナンセンスの時代」[字]

熱い60年代を斬る二回目は、マンガ革命。「カムイ伝」と「天才バカボン」から見えてくる時代の本質とは?宮沢章夫が愛と独断で語るユニークなサブカルチャー論。核心へ。

詳細情報
番組内容
60年代「マンガは子どもが読むもの」という常識が覆された。「劇画」ブーム。その筆頭にあったのが白土三平の「カムイ伝」。差別された忍者や弱者であった農民たちによる権力闘争を軸とした壮大な物語。異端の作品はいかに全共闘世代のバイブルとなったか?一方、白土とは違う形でマンガに革命を起こしたのが、赤塚不二夫だった。「天才バカボン」での実験に次ぐ実験。当たり前を疑うナンセンスなギャグこそ時代の写し絵だった。
出演者
【出演】劇作家・岸田戯曲賞作家…宮沢章夫,【ゲスト】風間俊介,福嶋麻衣子,ジリ・ヴァンソン,【語り】小松由佳

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:1786(0x06FA)