世界の村で発見!こんなところに日本人 3時間スペシャル 戦争に翻弄された87歳ほか 2014.08.15

今夜は見えない運命の糸に導かれ今異国の地で暮らす日本人たち
その今回こちらには日本人探しに行って頂きました旅人の3名がおられますけれども今回はなんと偶然にもですね皆さんがお会いされた日本人それぞれ事情は違えど私がお会いした方もこの方に会ってお話聞いてほんとに身にしみて感じたというか8月15日ですからまずはこちらの国です
日本からバングラデシュまでは飛行機でマレーシアのクアラルンプールを経由して17時間
バングラデシュ人民共和国はインドの東隣に位置していて面積は日本のおよそ4割しかし人口は1億5000万と世界で8番目に多い国です多くの犠牲者を出した独立戦争を経て1971年ようやく独立を果たしましたしかしその爪痕は深くかつては世界最貧国の1つとして挙げられていました今回日本人がいるのはチッタゴン県のマハム二村だということです
午後1時首都・ダッカ郊外にあるハズラットシャージャラル国際空港に現れたのは…
俳優バングラデシュ自体は初めてですか?初めて行きました空港から降りてその日本人がいらっしゃるただもうね
西村に旅の必需品があるというので見せてもらうと…
実は西村現役の
40歳以上で行われる大会で所属するチームが日本一になるほど
早速フライトでなまった体を地元の人とキャッチボールでほぐす
南アジアに位置するバングラデシュには乾季と雨季があり乾季は過ごしやすいが今は雨季
高温多湿でうっとうしい日々が続く
日本人がいるバングラデシュはどんなところかを調査するため市街地へ
あっ!
普通のタクシーもあるが庶民の足はこのCNG
そうそうそうそしてCNGのCは圧縮の意味
大気汚染を防ぐ目的と自国で採れる天然ガスを有効利用するため10年ほど前から国によって普及が進められた
街を見てみるとリキシャと呼ばれる人力の三輪タクシーも
ちなみにリキシャという名前日本の人力車が語源だという説もある
空港を出て1時間
ダッカ名物・渋滞にハマってしまった
さらに…
たぶんこれ俺もの珍しさで乗ったの失敗だな
窮屈な車内となかなか動かない渋滞の2重苦
結局空港から15kmほどの道のりを2時間もかけて到着したのは…
バングラデシュの首都
人口は1200万
国民の9割以上がイスラム教徒
ダッカはモスクの街と呼ばれ1万以上の礼拝所があり至るところでお祈りする姿が
かつてはアジア最貧国の1つといわれたが今ではユニクロやZARAなど外国のファストファッションブランドの工場が数多く進出
縫製業が盛んなこの街を中心に経済発展が進んでいる
そんなダッカの街で一番にぎわっているのが…
ニューマーケットと呼ばれるダッカでも最大級の市場
生鮮食品はもちろん衣料品から雑貨までとにかく何でもござれ
連日地元の人々でにぎわっている
あれこれ物色していると…
こんにちは
ちょっと見たこ焼きに似た「プスカ」は今若者に人気のファストフード
ご厚意に甘えひと口
あ〜これ何?めっちゃうまい
「プスカ」とはカリッと揚げた丸い小麦粉の殻の中に茹でたジャガイモや豆・ハーブ・唐辛子などを混ぜ合わせた具がたっぷり
甘酸っぱいタマリンドを利かせたソースがアクセント
ひと皿8個で70円
外国人はほとんど見かけないが思いのほか都会のダッカ
しかし日本人がいるのはここダッカから南東に200km離れたマハムニ村
まずはその近くにある大きな街・チッタゴンを目指す
日本でいえば東京から浜松くらいの距離だ
バングラデシュをじっくり味わうためここは鉄道での移動を選択
CNGに揺られること30分
これか!これっぽいな
ダッカ中央駅は国内の主要な街に線路が延びる日本でいう東京駅のようなところ
タイミングよく列車があるといいのだが…
よいしょ…
値段が安い列車は大人気
しかも本数が少ないため席が取りにくい
とりあえず一等席をゲットしたところで出発と到着を時刻表で確認しておく
あれかダッカから朝7時40分に出てチッタゴンに…
日本人がいるマハムニ村に向かうべく明日朝一の列車のチケットを買った西村
時刻表をチェックしてみると…
あれかダッカから朝7時40分に出てチッタゴンに…3時15分?
チッタゴンまでは東京から浜松くらいの距離だが列車のスピードが遅いため乗車時間は7時間以上
ともあれ今日は街に戻り…
バングラデシュの国民食・カレーのディナーと地元の雰囲気を味わってこの日は終了
日本人探し2日目
7時40分の列車に乗るためちょっと早めに駅へとやって来た西村
だが始発駅にもかかわらず列車が来る気配が全くない
なんだか嫌〜な予感
ありがとうございます
この国では列車が遅れるのは当たり前のようだ
しかたない何にもやることがないので…
(シャッター音)
あんなところから…
(シャッター音)
こんなところ
カシャカシャ時間を潰しているとようやくチッタゴン行きの列車がホームに入ってきた
さてゲットした一等席は…
おぉ〜へぇ〜すごい
なんとうれしいエアコン付き
こりゃ快適な旅になりそうだ
と思ったら…
車両の真ん中で座席が対面していて日本の列車のように向きを変えることもできない
しかも窓口で座席を自分では選べないので前向きで座れるかは時の運
日本を出てから36時間半
西村後ろ向きのままダッカ出発
ダッカでは住む土地のない貧しい人々が国の所有地である線路沿いに集まり数kmにわたって生活している
彼らにとって線路沿いは家であり生計を立てる場所
線路内で野菜や洋服を売ったりさらには散髪まで
列車が来るとくもの子を散らすようにあっという間に店を移動するのだ
そんな混沌とした市街地を抜けるとのどかな田園風景が延々と続く
すると…
よほど外国人が珍しいのか乗客が話しかけてきた
へぇ〜すごいすごいそんなきわきわを走ってんだここあっあれか
遠くに見えるあの木の向こうがインドとの国境らしい
1971年に始まった独立戦争
当時バングラデシュはパキスタンに属していたが民族の違いから独立の機運が高まり内戦状態に
その年に独立は達成したものの実に300万人もの尊い命が失われた
バングラデシュの国旗のその赤い部分は昇る太陽と共に独立戦争で流された人々の血の象徴なのだ
ありがとうございましたありがとうございます
この国の悲しい歴史を実感しながら列車は南へ南へ
まだ見ぬ日本人は一体どんな人なのだろうか?
西村がそう思うのも無理はない
列車は結局8時間かかってチッタゴンの駅に到着
バングラデシュ第2の都市
人口は760万
ベンガル湾に近い港町
主な産業は漁業だ
ここから日本人のいるマハムニ村へは一体どう行けばいいのか
こんにちは
しかもCNGは営業区間が決まっているためマハムニ村まではカプタイとパハルトリという2ヵ所で乗り換えが必要らしい
しかしがっかりな情報ばかりじゃない
え〜そうかそこにいるんだ
しかしここはイスラム教徒が9割以上を占める国
なのに日本人はなぜあえて仏教を?
マハムニ村にいる日本人はイスラム教徒が9割以上を占めるここバングラデシュで仏教のお坊さんをしているのだという
次々と湧き出る疑問
あれこれ考えているとCNGの乗り換え地点・カプタイに到着
え〜と…よし
西村今日はここで断念
日本人の住むマハムニ村は近いようでなかなか遠い
日本人探しも3日目
すっかり乗り慣れたCNGで1時間
まずは途中の村・パハルトリへ
さてここからマハムニ村へはどうやって行くのか?
CNGだと5分歩いていけば30分の距離だという
日本人まであと少し
西村その方がたどったであろう道のりを歩いて体感することに
雑踏を離れると…
ハハハ…
辺り一面水浸しこりゃ大変だ
雨季のバングラデシュ
道路に水たまりがあるのはよくあること
西村ハンドボールで培ったフットワークで…
この先にある仏教のお寺
そこにいるという日本人のお坊さんは一体どんな人なのか?
歩き始めて30分
おはようおはよう
日本出発から61時間半
日本人がいるマハムニ村に到着
そこは都会の喧噪とはかけ離れた静かな村
一体なぜこんなところに?
ほんと距離的にはそうね遠いとこじゃないんですけど結構色んな最後の最後で歩いたというのも選択ミスですねあれやっぱり乗り心地あんまりよくないんすか?金網があるだけで市中引き回しみたいな…刻みに刻んで日本人の方とお会いされてお寺もそうなんですけど実は母・子の母子寮があってそこで働いてる方だった意外な人でした
バングラデシュ南部にあるマハムニ村
600人ほどが暮らしその多くは農業をなりわいとしている
国民の9割以上がイスラム教徒というこの国にしては珍しく住民のほとんどが仏教徒だ
ここに40年前からいるという日本人のお坊さんとはどんな人なのか?
村に入ってお寺を探していると…
えっ?「おはようございます」?すげぇおはようございますおはようございます
次々と日本語で挨拶してくる子ども達
この先にいる日本人と関係があるのか?
さらに10分ほど歩くと…
おぉ!あっ書いてある書いてある「MAHAMUNITEMPLE」おぉ〜でっかい!
日本人がいるというマハムニ寺にたどり着いた
そっちに今そのお坊さんいらっしゃるんですね?日本人のお坊さんあの人じゃんあの人
日本出発から62時間
ついに…
こんにちはやっと会えましたはじめましてあの…え〜と…ちょっと話ではこちらにいらっしゃる人は
(西村)なるほどじゃあどうぞどうぞ先々代です
西村が聞いていた40年前からいる日本人とはどうやら違う人のようだ
一体どういうことなのか?
1971年の独立戦争のあと多くの難民が発生
特に少数派の仏教徒の残された家族は困難な生活を強いられていた
当時ヒンズー教が主流のインドで仏教の布教活動をしていた
バングラデシュの難民のことを知り彼らを救うため1976年ここマハムニ村に造ったのがこの母子寮だ
ほかにも村の道を整備したり電気を通したりと開発援助にも尽力
2002年に亡くなるまでこの地でその生涯をささげた
その後渡辺さんをサポートしていた福井宗芳さんが跡を継いだものの2007年病気のため亡くなってしまう
以来日本人のお坊さんがいなかったこの母子寮に2013年3代目としてやって来たのが山本さん
しかし山本さんは
そこには
1971年バングラデシュの独立戦争によって生まれた戦災孤児
マハ二ム母子寮は彼らを救うために造られた
その3代目としてやって来た山本成尊さん
それなのでそういうようなことをしてます
マハムニ母子寮では現在母子家庭や経済的な事情を抱える仏教徒の子どもたちを中心に受け入れている
その数は実に120人以上
生活の全ては日本や海外からの支援が頼りだ
子どもたちは近所の学校に通いながら早朝と夜は寮で補習授業に参加
寮の掃除や寮の畑を手伝いながら分担して自分たちで食事も作っている
山本さんはこのお寺で生活しながら子ども達の教育方針を決めたりスタッフの人事やお金の管理に至るまで多岐にわたる仕事をしている
いわば例えば
様々な犠牲を強いられる生活
そもそもなぜこの村まで辿り着いたのか?
そしてなぜお坊さんになったのか?
いえそういうわけじゃないですそこからまず
平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した僧侶・西行法師
歌人としても知られ新古今和歌集に多くの和歌が収められている
生涯を通じて修行の旅を続けながら和歌を詠み仏教思想を伝えていった
そんな西行法師の生き方に憧れ幼くして
高野山大学で真言宗を学び卒業後は地元・東京のお寺に12年
幼い頃からの夢をかなえその暮らしには決して不自由はなかった
しかしいつしか疑問を抱くようになる
やっぱり全体的に
日本人の仏教離れを前に何とかしたいともんもんとする日々
しかし一僧侶には何もできないのもまた現実だった
地位といいますかね
日本の仏教界で住職とは寺の責任者であり活動方針を決めていくいわば社長のようなもの
だが住職になれるのは親から寺を継いだり宗派の中で何年もかけて出世した限られた者だけ
何か事を動かすにはどうしても必要な住職という地位
しかしその日はいつやってくるのか
やりたいことはあるのに今の自分には何もできないことが歯がゆかった
まさにそんな折運命の時が訪れた!
バングラデシュのマハムニ村にある
彼がこの地へやって来たきっかけとは?
それにそれでそういうことだったらやっぱり
チッタゴンの丘陵地帯で暮らしているのは仏教を信仰するチベット・ミャンマー系の少数民族
少数派である彼らは政府やイスラム教徒とたびたび衝突
1997年に結ばれた和平協定の前まで内戦が繰り返されていた
異国で苦しむ同じ仏教徒の現状
さらに知人からマハムニ母子寮で日本人のお坊さんを探しているとの情報が
これは自分の思いを成就させる絶好のチャンスと思い山本さんはこの村へとやって来た
海外での仏教活動
これを成功させ日本の仏教界に認められたい
そんな自分本位な思いもありこの地へやって来た
しかし…
そこに待っていたのは思いもしなかった現実
貧困にあえぐ人々の姿だった
そういうような中で
いつまでも断ち切れない
そこから抜け出さなければ母子寮の子どもたちに未来はない
そう考えた山本さんはこの地にやって来た当初の目的・仏教活動への思いは二の次にして目の前の子どもたちのために動きだした
今やれることは何なのか?
そのために真っ先に手がけたのは母子寮の教育の改革だった
かなりひどい状況だな
(山本)なのでなるべくひとクラスは1つのことを教えるように英語だったら英語数学だったら数学っていう形で教えるようにという形には今してますけど
(西村)この母子寮ではってことですね
さらに山本さんは子ども達に視野を広げてもらいたいと日本語を教えている
空き時間には車の運転を教えることも
社会に出るためにはこれも大切な技能の1つなのだ
母子寮だけではなく子ども達の実家の様子を把握するため足を運ぶことも
最初は自分のためにやって来た
そこで目にした
自分の想いより大切な事に気付かされた
願うのは
それは始まったばかりの山本さんの新たな夢
山本さんには心の支えであり自分を鼓舞する言葉がある
華厳経の言葉にですね「初発心時便成正覚」っていう言葉がありましてこれは自分でこう何かやろうって思った時にその思いつきが一番覚りに近いよという教えですねその最初の一番最初の感性が一番大切何かやろうと思ったその気持ちが実は一番大切なんだよっていう初心を忘れないとかそういうことに近いのかもしれないですね
そしてありがとうございました
(子どもたち)ありがとうございましたありがとうございますバイバーイ
(子どもたち)さようならありがとうございましたあぁ〜フゥ〜
山本さんにとってここマハムニ村は…
日本からボリビアへは飛行機でアメリカ・ワシントンコロンビア・ボゴタを経由して30時間
ボリビア多民族国は南米大陸のほぼ中央に位置していてブラジル・アルゼンチン・パラグアイ・チリ・ペルーに囲まれた内陸国です面積は日本のおよそ3倍その3分の1をアンデス山脈が占めていて主要都市の半分近くが標高2,000m以上にあることから高原の国とも呼ばれています今回日本人がいるのはタリハという町だということです
ラパス郊外にある空の玄関口・エルアルト国際空港
時刻は早朝4時
ここに降り立ったのは…
個性派俳優ずーっと高地なんですよだからもう……っていう瞬間がもうずーっとそうなんですよねだから着いたとたんにそういうことが始まる
赤道に近いラパスだが1年を通して平均気温は10℃ほどと肌寒い
というのも標高が高く空港が位置するのは4,058mと富士山の山頂以上
まずは探し求める日本人が住むボリビアを知るために市街地へ
この時間バスは運航しているはずもなくタクシーで向かう
20分ほど走るとこうこうと輝く街の明かりが
ボリビア最大の都市
人口190万
すり鉢状の地形に家々がひしめき合って建ち並ぶその町並み
上のほうには貧困層が暮らし少しでも空気が濃い下のほうには富裕層が暮らしている
また16世紀スペイン統治時代に発展したためその名残が今なおそこかしこに
明るくなるまでホテルで仮眠して午前8時
休息もそこそこに街へ調査
ただどこもかしこも坂道だらけで…
でも地元の人は…
ボリビア人のたくましさに驚いていると…
ラパス市民が集う路上マーケット・ロドリゲス市場
ここボリビアは南米で最も物価が安い国といわれリンゴは7個で150円ミカンは25個で150円と日本に比べて格安
さらにウロウロしていると…
朝食の定番と聞くと試してみたくなる
あっしっかりしてるこれかたいなぁなんかおもしろいですねぇ
パクッといってみるか
あ〜あ〜
「サルテーニャ」は牛肉・ジャガイモなどを甘辛く炒め肉汁をゼラチンで固めたものをパイで包み焼いたボリビアの伝統料理
中華の定番・小龍包同様にたっぷりのスープを楽しむ
ボリビアの朝食を堪能し…
ここラパスから南東に700kmにある
そこはアルゼンチンとの国境の近く
どうやって行くのか?
街の人に聞いてみる
ラパスからタリハへは飛行機でも行けるが村田初めてのボリビア
その風土を味わいたいとバス移動を選択
坂道を教えられた方向へ
15分ほどでラパスバスターミナルに到着
ボリビア最大の陸路の拠点で国内各地への長距離バスが発着している
すぐに
こりゃ順調だ!
バスもあった!
これはあっという間に到着できそう!
と思っていたら…
タリハ行きのバスはラパスより標高が高い4000m級のアンデスの山々を越えていく
空気はさらに薄く高地に慣れる準備をしていないと高山病にかかる可能性があり最悪の場合命を落とすことも
そこで標高の低いスクレに1泊して体を慣らし翌日バスでアンデス越えをするほうがいいという
ラパスに到着してまだ9時間の村田どうする?
親切なお姉さんの言うとおりここは安全第一
まずは飛行機でスクレへ向かうことに
日本を出てから42時間
午後4時ラパスを飛び立ちアンデス山脈を眼下にスクレまでは1時間のフライト
あっという間に空港に到着
すると…
標高はラパスより900m下がり呼吸も楽に
だが…
この行程が吉と出るか凶と出るか明日にならないと分からない
アンデス山脈のすそ野に位置する町
人口23万
この国の首都だが国会など国家機関はラパスにあり最高裁判所があるだけ
白壁の建物が立ち並ぶ市街地はその美しさから1991年に世界遺産に登録された
日本人探し2日目
準備万端
アンデスの山を越えタリハを目指す
この日タリハへの直行便はなく途中のポトシという町まで行きそこで乗り継いで行かなければならない
じゃあそこお願いします
そう簡単にいかないのがこの旅
とりあえずポトシを目指す
立派なバスに一安心
しかも隣の席には…
聞けば友達3人で観光にやって来たという
日本を出てから60時間
途中の町・ポトシに向け出発
ここからは西へ3時間の道のりだ
すると美女たちが
鋭い指摘に苦笑い
あっという間に30分が過ぎ…
景色が一変
岩肌がむき出しの山岳地帯に突入
ここからは…
そう険しいアンデスの山々を越えていく
1時間半ほど走ると…
その後も山道をひたすら登り続け…
この日も富士山山頂を超える高さに!
ついに山の頂へ!
すると…
午後1時
雲に手が届きそうな赤茶色の町並みが現れた
人口12万
標高は4,000m
人が住む都市としては世界最高地点
昨日安静にしたおかげで高山病の気配なし
選択は間違っていなかった
16世紀侵略してきたスペイン人がこの地にセロリコ銀山を発見
その採掘の拠点として作られたのがこの町
村田到着早々急いで
だが!
午後1時半村田急いで乗り継ぎのバスを探す
一気にテンションダウン
しかも…
衝撃の事実が連発一気に気が萎えるが…
自分で選んだルート進むしかない
とはいうものの6時間も待たなければいけない
ちょうどお昼時地元の人に聞いた町の人気店へ
で出てきたのが…
あまりにも煮立っているが一体何?
「カラプルカ」とは先住民たちが愛してきた鍋料理
ポトシは高地で寒冷わずかな穀物や根菜しか育たない
そこでキヌアという穀物をおかゆにし焼いた石を入れアツアツに
たっぷりとチリソースも入って温まるにはもってこいの料理だ
食事をしてひたすら5時間
午後7時半日本を出てから69時間半
いよいよ日本人がいるタリハに向けて出発!
ここからバスは南へ南へ
20分ほど走ると街灯がほとんどないアンデスの山間へ
暗黒の世界をひたすら8時間
進む先に明かりが見えてきた
午前3時半日本出発から77時間半
目指してきた町・タリハに到着
うわ〜いや体がガチガチになってんな
アルゼンチンとの国境近くアンデスの山々に囲まれた町
一体なぜこんなところに?
(スタジオ内拍手)いよいよ日本人の方に会われて実際会われていかがでしたか?この人はねほんとにある瞬間一人の女性と遭遇してしまってこれねまぁ…これを運命っていうんでしょうね
このあとアンデス山脈の果てに日本人が!
ちょうどその時
そして新たに見つけた生きがいとは?
さらに女優・高島礼子が向かったのはかつての日本
運命の糸が人生を翻弄する
アルゼンチンとの国境近くの町
人口17万
アンデス山脈の盆地で標高は1,900m
16世紀この地に侵略したスペイン人が周辺の先住民との戦いに備えて軍事拠点として作った町
現在はそのざわめきはなく温暖で四季もありボリビアの理想郷といわれている
探し求める日本人が住んでいるのはセナック地区
親切な町の人たちから情報ゲット
教えられたとおり歩いていくとすんなりバスが走る通りを発見!
でバスのほうは?
こんな感じ
これはBだね
ボリビアでは路線バスに停留所は無くフロントガラスに貼られた行き先表示を見て乗りたければ手を挙げて乗車する
ブツブツ言ってるとバスが…
ちょっと慌てながらも乗車これで一歩前進
市街地から10分走ると教えてもらったサンマルティン橋を通過
ついに日本人がいるセナック地区へ
しかしここは停留所がない国・ボリビア
ちょっとした窮地だったがここでもボリビア人の優しさに助けられた
さて日本人はこの地のどこにいるのか?
で描いてもらった地図が…
ちょっと分かりづらいが日本人がいるのはこの先の角を右に曲がり病院の向かい側にある家だという
インターネットの看板が目印
あらま!地図を描いてくれただけでなく親切にもわざわざ近くまで案内してくれるという
でもお母さんバイクで登場
またまたボリビア人の親切に助けられ…
着実に日本人のもとへ
で通りを進む
日本出発から88時間!
目の前に人影が…
あれ?日本の方ですか?そうです
南米・ボリビア
アンデス山脈の小さな町にいる日本人を探し日本出発から88時間
目の前に人影が…
ボリビア
タリハ郊外・セナック地区にあるこちらのお宅でご家庭を持つ岡野さん
1階でインターネットカフェを経営し…
2階の住居スペースにボリビア人の奥さん
そして生後まもない紗也加ちゃんと暮らしている
岡野さんは
1974年京都・長岡京市に生まれた岡野さん
理系のお兄さんの影響を受けあとを追うように高専の機械科へ入学
真面目に勉学に励んでいたが卒業が近づくにつれ会社員となり日々の生活に埋もれる前に海外で暮らし世界を知りたいという思いが湧き上がってきた
1995年赴任先としてやって来たタリハ
任期は2年間地元の職業訓練校で機械製作の教師を指導するのが目的だった
しかし当時まだまだ発展途上だったボリビア
目にしたのは…
想像した以上に技術レベルが低かった
そして初めての異国での暮らし
21歳の若者には不安だらけのスタートとなった
そんな時勇気づけてくれたのは…
かつて経験したことのない人々の優しさ
遠い異国の地にやって来た日本人に対しその後も親身になって面倒をみてくれた
そんなタリハの人々にすぐに恋をしたという
さらに…
温暖で程よく雨が降り緑も豊か
町全体が穏やかでそれもまた岡野さんを魅了した
すぐに心の底からタリハを愛するように…
そしてある想いが胸に芽生えた
しかし
それはあまりにも短かった
立ちはだかったのは言葉の壁
やって来た当初スペイン語は全く話すことができず猛勉強したものの機械製作の授業でなんとか意思疎通が出来るようになるのに1年
その結果…
あっという間に
その思いはかなわず志なかばでの帰国…
地元・京都に帰り会社員として働き始めたものの脳裏にはタリハのことが焼きついて離れない
しかし安定した職を捨てる勇気もなく夢と現実のはざまで葛藤する日々
気付けば
そんな時協力隊のOB仲間が31歳になった岡野さんの背中を押す
これが最後のチャンスかもしれない
そこは
報酬はなく場所もタリハではなかったが岡野さんはその話に飛びついた
しかし働き始めて半年事件が…
その発端は奥さんのクリスティーナさんにあった
実は彼女は…
タリハに戻るため児童養護施設でボランティアを始めた岡野さん
だが施設を出ざるをえない事件が…
その発端は奥さんのクリスティーナさんにあったという
一方的なクリスティーナさんからのアピール
やがて2人はつきあい始めた
だが
彼女は幼くして両親と姉を交通事故で亡くし2人の兄とも音信不通全く身寄りがなかった
しかしそれは
強制的に施設を出された岡野さん
しかしそれは同時に
クリスティーナさんのことは気がかりだったが協力隊時代の知り合いを頼り一人タリハへ移り住んだ
運命のいたずらかもしれない
だが
その夢をかなえるには絶好の機会
そんな思いで技術指導の再開のための準備をしていた
ところが…
クリスティーナさんからの突然の連絡
身寄りのない彼女は行くあてもない
岡野さんは
一人なら自分の夢を追い続けられたかもしれない
しかし岡野さんは…
当初2人は貯金を切り崩しながらなんとか生活していたがやがて子どもを授かったのを機に
長女・愛未ちゃんも産まれ家族は3人に
タリハ郊外のセナック地区に借りた家は決して広くはないが一家でなんとか暮らせる2LDK
生きていくためその1階にインターネットカフェを開いた
再び
それでもここを
初期費用を安く抑えることができたのだ
タリハではまだまだパソコンが一般家庭に普及していない
そこに目をつけた
お客さんは1日に30人ほど来るがボリビアの物価に合わせた料金では1日せいぜい1,200円程度の売上げしかない
暮らしはまだまだギリギリ
家の中を見てもお金を節約する努力がそこかしこに
(村田)う〜んなんかいい感じですよやっぱり手作りだとこの上の棚ですとか
(村田)上の棚?これも手作り
(村田)テーブルに見えるっていうか…
(岡野)さくらさくら…
(村田)うわっいたほんとだ
(岡野)さくらダメダメ…
(村田)さくら入っててって
ほかにもシャワーや…
配水管まで手作りだ
すべては愛する家族のため
無我夢中で日々奮闘中!
息が抜けるのは懐かしい友人と過ごす一時
岡野さんが
いつか
かつて抱いた熱い思いは今もなお…
運命のいたずらか…それとも偶然のなせる技か…
今歩む道は自分が思い描いたものとは違うかもしれない
だが確かなことはありふれた家族の風景がそこに
そしてじゃあねまた会えたら
ボリビア・タリハそこには…
己の夢をそっと胸の奥にしまい込み愛する家族の為ひたむきに生きる心優しき日本人がいました
(スタジオ内拍手)
今回日本人探しに挑むのは…
女優
実は高島以前この番組で…
六平さんよく共演してるんですけど私スペシャルの時から見てて「私も行ってみたい」って言ったらちょっとムーちゃんいらんこと言わんといてよムーちゃん
ムーちゃんのアドバイスはあったものの…
ご本人の意向でいざ!
で今いる場所は…
今回高島が選んだ旅の出発点は北海道の稚内
サハリンにいる日本人を探す前に見ておきたかった1つのモニュメント
それは氷雪の門
サハリンはかつて日本だった…
その歴史を今に伝えている
稚内から北へ43km
海の向こうに浮かび上がる島影こそかつての日本・サハリン
当時の呼び名は樺太
もともとはアイヌなどの北方少数民族が狩猟生活をしていたサハリン
この地に当時の日本人が足を踏み入れたのは1679年漁場開拓のためだった
その後ロシア人も入植し一度はロシアの領土になったものの
1904年日露戦争で日本が勝利すると…
翌年北緯50度より北半分がロシア南半分が日本の領土に
これを機に新天地での豊かな生活を求め多くの日本人が海を渡っていった
しかし1945年第二次世界大戦で日本が敗戦してからはロシアが実効支配を続ける
ほとんどの日本人が引揚げを余儀なくされた
探し求める日本人女性がいるのはユジノサハリンスクという町
だが戦後69年
なぜ今もサハリンに…
飛行機の直行便なら成田空港からだと2時間
札幌からは1時間20分ほど
だが今回は…
高島もかつての日本人と同じように船で目指す!
今回利用するのは15年前から運航している日本の定期船
サハリンのコルサコフへ渡る
稚内港のターミナルにはサハリンがかつて日本だったことを物語る南樺太の地図が…
樺太の地名の多くは先住民・アイヌの人々が付けた地名に漢字をあてたもの
稚内からサハリンのコルサコフへは宗谷海峡を渡り5時間半の船旅
この定期船だと72時間はビザなしで行っていいんですってサハリンに
午前9時稚内を出航!
サハリンを目指した日本人は離れいく日本の地をどんな思いで見つめたのだろうか?
船での長旅は初めてだという高島
船内を探索していると…
国際航路の船内では商品にかかる税金が免除
消費税も酒税もかからないビールは水よりも安い!
そして船内には時計が2つ
時差はプラス2時間
サハリンは日本のほぼ真北に位置するがロシア東部の都市・ウラジオストクの時間を使用している
乗客はサハリンで暮らすロシア人がほとんどで旅行者や貿易関係者が多い
へぇ〜
日本人女性がいるユジノサハリンスクはどんなところなのか聞いてみる
日本人女性はその地で一体何をしているのだろうか?
日本出発から5時間
ようやくコルサコフの町が見えてきた
コルサコフ港に到着したのはプラス2時間の時差も加わり午後4時半
入国審査の手続きを終えターミナルの外に出られたのは午後6時
この日の気温は21℃
夏には30℃を超える日もあるが緯度が高いサハリン
日照時間が短い冬にはマイナス30℃になることも
年間の寒暖差が激しい
まずはサハリンがどんなところなのか調べるため街の中心へ行ってみることに
親切な若者たちについていくが…
歩道はデコボコ
そのうえトラックが通るたびに…
道路整備が行き届いておらず排水溝が無いので水はけが悪く砂埃もたまりやすい
歩いて5分でバス停に…
ここから町の中心に行くバスに乗れるらしい
う〜ん!しっかり者・高島運賃は前もって準備
お金を握りしめ乗車
サハリンのバスのほとんどは車掌さんが運賃を回収する
まだまだ発展途上のサハリン
公共のバスは古いものが多く乗り心地はお世辞にもいいとは言えない
10分ほどで町の中心に到着
サハリン海の玄関口・コルサコフ
日本や韓国などアジアとの貿易の要所として発展
近年では石油や天然ガスの開発が進み経済成長も著しい
人口は3万3000
かつて日本だった時代は「大泊」と呼ばれその名の由来は先住民・アイヌの言葉港を意味する「トマリ」だといわれている
町には当時の北海道拓殖銀行の建物が建っているが今は利用されていない
日本時間だと午後5時
夏は夜10時頃まで明るいようだ
勧められたのはかわいらしいレストラン
サハリンでは
ボルシチやビーフストロガノフなどロシア料理はもちろんあるがオススメは韓国料理だという
今から100年ほど前
朝鮮半島が日本の統治下にあったこともあり半島からも多くの人々が南樺太に移り住んだという
現在3万の朝鮮の人々が暮らすサハリンではその食文化も根づいている
高島初めてのサハリンの味はまさかの韓国料理
そうです私はただ「サハリン料理をお願いします」って言って「一番人気は何?」って言ったらあれが出てきたんです
外はまだ明るいがもう夜8時半
日本人がいるユジノサハリンスクへは明日向かうことに
ユジノサハリンスクは今いるコルサコフから40km北に行ったところ
そこまではバスで行けるということなので
ホテルの人に教えてもらったバスターミナルへ
このバスでは運転手さんに運賃を払うようだ
100ルーブル札を2枚出しお釣りを待っている間高島
小銭を多く持っていることに気付いたので…
かさばる小銭を減らそうと運転手さんに差し出しアピールしてみるが…
日本の主婦敗北!
探し求める日本人女性がいるユジノサハリンスクへいよいよ
しかし…
そうか…ちょっと
バスはそんなデコボコ道を北上すると…
夏の花・キンポウゲが野原一面に
黄色いじゅうたんのように咲き誇る
日本人女性もこの景色を目にしたのだろうか?
走り始めて1時間
日本出発から23時間午前10時
到着したのはサハリン最大の都市
札幌を参考に都市計画された町は碁盤の目のように造られている
人口は18万
かつて日本だった時代の地名は「豊原」
その当時の面影が今でもいくつか残っている
1937年に建てられた樺太庁博物館は現在も博物館として銀行は美術館として再利用されている
まずは日本人がいるこの町がどんなところなのか調べてみることに…
気になった公園に入ってみると…
こちらの方サハリンの有名人なのか?
この像は人類初の宇宙飛行に成功したロシア人のガガーリン
それを記念してこの公園には英雄の名が付けられているようだが…
ガガーリンとサハリン特に関係はなかった
で公園をあとにし…
さすがは主婦町のスーパーを調査
キュウリは1本80円トマトは1個150円と物価は日本より少々高め
お寿司をはじめ日本食は美味しくて健康的だと10年ほど前から人気
調味料コーナーでも日本のものが…
サハリンの主婦たち家庭で日本料理を作るようになってきたんだとか
さらにこんなものも!
なんとトンカツ弁当が!
お値段2000円以上!
どんな人が買っていくのか?
日本スタイルのお弁当がステータスの高い人のごちそうになっていた
気になるのは2000円もするトンカツ弁当の味
お米はパシャパシャが好みのロシア人向けに炊いてあるようだ
さぁ探し求める日本人女性のいるウクラインスカヤ通りへ
バス停で待っていると…
教えてもらった4番のバス到着
いよいよ日本人女性がいるウクラインスカヤ通りへ
偶然にも隣に乗り合わせたのはウクラインスカヤ通りでアルバイトをしているという青年だった
お汗を拭いてっと…
バスはユジノサハリンスクの中心を出て郊外へ
20分走りバスが停車
ウクライヤスカヤ通り…
あのウクライヤじゃなくてウクラインスカヤ通り
日本出発から27時間半の午後2時半
日本人女性がいるユジノサハリンスクの郊外ウクラインスカヤ通りに到着
一体なぜこんなところに?
高島さんお会いされた方やっぱりこう戦争が絡んできていてという…やっぱり自分で自分の道を決められるってどんなに幸せなことなのかなって彼女の話を聞いてちょっとグッとくるものがありましたなるほど
サハリン最大の町・ユジノサハリンスクの郊外にあるウクラインスカヤ通り
このどこかに探し求める日本人女性がいる
ウクラインスカヤ通りは全長3km
西か東のどちらかの端に日本人女性がいるという
これ勝負ですよ高島さん
さぁどうする?高島
確率は2分の1高島の選択は東の端
気温は30℃暑さに耐えながら日本人探し
勘で選んだ東の端へと進みながら出会った人に尋ねていくがなかなか有力な情報が得られない
探し始めてすでに1時間
すると…
高島のヤマカン見事的中!
日本人女性はトーシャと呼ばれているようだ
ついに日本人女性がいるマンションを発見!
このマンションの3番目の入り口に入れば日本人女性が住む部屋があるという
入り口は分かったが部屋はかなりありそうだ
どこに住んでいるのか分からないさぁどうする?
高島マンションの入り口で人が通るのを待つことに
しかし1時間たっても人が全く現れない
猫に癒やされさらに30分
ようやく人を発見!
日本人女性と知り合いだというこの男性
部屋まで案内してくれた
(チャイム)
しかしチャイムを押しても応答がない
ようやく日本人の家を発見できたのにまさかのお留守
再び待つことに…
待てど暮らせど日本人女性は帰ってこない
ウクラインスカヤ通りに到着し日本人女性を探し始めたのが午後2時半
時刻はすでに…
「早く日本人女性に会いたい」
そう願いながら待ち続けていると…
高島の視線の先にこちらへ歩いてくる人が…
果たして…
サハリン・ユジノサハリンスクの郊外で日本人女性を待つこと2時間
「早く会いたい」そう願いながら待ち続けていると…
高島の視線の先にこちらへ歩いてくる人が…
果たして…
ついに
トーシャと呼ばれる日本人女性
なぜ日本を離れサハリンにいるのだろうか?
そこにはどんな人生ドラマがあったのか?
(高島)あっなるほど
1927年昭和2年かつて日本だった時代のサハリンで生まれた利子さん
当時この地に豊富な資源を求め多くの人々が移住
利子さんの両親も山形から移り住んだ
5人の弟たちと共に毎日畑仕事を手伝い平穏無事に暮らしていた利子さん
しかしその生活が一変する出来事が!
そして1941年12月日本は真珠湾を攻撃しアメリカと開戦
一方でソ連とは交戦しないという日ソ中立条約を結んでいた
有効期間は5年
だが日本が敗色濃厚になってくると…
1945年8月9日ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し日本領の南樺太に侵攻
8月15日日本は無条件降伏を求めたポツダム宣言を受諾し終戦
しかし南樺太ではまだ戦争は終わっていなかった
南樺太の北そして西の海から日本人を追い詰めるように侵攻してきたソ連軍
利子さんたちは軍の指示により高島が最初に訪れたコルサコフ当時の大泊に集められ船で日本に逃げるはずだった
しかし…
いったんまた帰れと…うん
そこにはすでにソ連軍の手が…
8月22日大泊を出た日本への引揚げ船3隻が攻撃を受け沈没
1,708名が命を落とした
翌日ソ連軍は稚内と大泊を結ぶ航路を閉鎖
残された日本人はサハリンを脱出するすべを失った
ソ連軍の攻撃で命を落とした日本人は民間人を含め4,500人
中には迫り来るソ連軍の脅威に対し女性電話交換手9名が集団自決
「北のひめゆり」ともいわれる真岡郵便局事件など悲しい事件も起こっていた
また若い男性の多くはシベリアに連行され極寒の地での厳しい労働を強いられた
その後南樺太はソ連軍に占領され残された日本人およそ31万人がソ連統治下での生活を余儀なくされた
転機が訪れたのは利子さん19歳の時
残された日本人を返してほしいという日本政府の要望が認められ1946年12月ソ連地区引揚げ米ソ協定が締結
サハリンに残された日本人の引揚げが始まった
しかし利子さんは…
一体何があったのか?
このあと激動の時代を生き抜いた壮絶な人生ドラマが!
1946年12月サハリンに残された日本人の引揚げが始まった
しかし利子さんは…
日本に行きたくない…一体何があったのか?
1945年11月に利子さんは結婚していた
お相手は近所に住んでいた17歳年上のロシア人・イソッカさん
南樺太で生まれ日本人コミュニティーの中で育ったため日本語は堪能日本軍の通訳として働いていた
愛するご主人を置いて日本には帰れないと利子さんは
しかし…
その2年後日本政府は「残された日本人の引揚げはすべて完了」無情にもそう発表した
利子さんと同じようにサハリンに残された日本人は推定500人
多くは戦後すぐに朝鮮人と結婚した女性だった
その結婚は敗戦した日本人であることを隠し迫害や暴力から身を守るため子どもを育てるため生き延びるための手段だったという
1951年戦後の占領状態から日本の主権回復を認めたサンフランシスコ平和条約により日本はサハリンの領有権を放棄
するとソ連はサハリンを軍事拠点と位置づけ外国人立ち入り禁止区域に指定
利子さんをはじめとする残留邦人の日本への道は鎖された
ご主人のイソッカさんは戦後漁業の仕事に従事
夫婦は2人の子宝に恵まれ家族4人裕福ではなかったが幸せに暮らしていた
ただ最愛のご主人は1979年利子さん52歳の時に他界
現在87歳になる利子さんはこの部屋で一人暮らしている
でも息子さんたちが近所にいて何も心配ないんだとか
そんな利子さんが今も大切に持っているものそれは…
自分に送られてきた手紙の数々
会えない時間を埋めるように何通も送られてきた
手紙には娘の身を案じ続ける言葉ばかりがつづられていた
手紙の最後はいつも必ずこう結ばれていた
会いたくても会えない母の想いだった…
そして…
どの手紙にも「日本に帰ってこい」その言葉はなかった
行間に込められた母の思い
それは痛いほど利子さんに伝わっていた
1989年米ソ冷戦の終結によりサハリンの外国人立ち入り禁止区域の指定が解除
翌年から残留邦人の一時帰国が認められた
利子さんは1991年5月64歳の時初めて日本の地を踏む
しかしそこで初めて知ったのが…
両親はすでに他界
父は1954年利子さんが27歳の時に…
母は一時帰国が始まる僅か5年前利子さんが60歳の時に亡くなっていた
悔やんでも悔やみきれなかった…
昔のように顔を寄せ合い語り合う時間はもうそこにはなかった…
利子さん例えば
日本から近くて遠いサハリンそこには…
語り尽くせぬ想いを胸に精一杯その時々を生きてきた日本人女性がいました
お母さんからの手紙のあの…娘に送る手紙にしてはかたい敬語というね
(高島)恐らくですけどやっぱりお互いがお互いでなんか「全然苦労してないよ」っていうなんかその辺の家族間だけど遠慮のしかたがちょっとこう切ない…切ない手紙の内容なんですよまさか日本に行くこともできなくなるとは思わなかったでしょうねだから…お互いに思ってなかったでしょうねそれを思うとねやっぱりこう切なすぎるね戦争ってやっぱり悲惨な…悲惨な運命しか生まないよね
このあと番組初の中学・高校生の兄弟が!!
こんなすがすがしく終われるのないな
アフリカ・ザンビアで出会った日本人はなんと!
ただのいたいけな少年やったやんか
番組史上初の未成年!
みんなをまとめる役としてそこにいます
親元を離れての寮生活
そこで芽生えた恋心
何人か分かんないけど黒人
果たして恋の行方は?
2014/08/15(金) 19:04〜21:48
ABCテレビ1
世界の村で発見!こんなところに日本人 3時間スペシャル[字] 戦争に翻弄された87歳ほか

見えない運命の糸に導かれ異国で暮らす日本人…その人生ドラマSP▽戦後69年たった今なお、かつて日本だったサハリンに住む87歳女性▽世界最貧国!バングラデシュに僧侶が

詳細情報
◇みどころ
世界には「一体なぜこんなところに?」と首を傾げたくなるような場所に住む日本人が多数いる。旅人となった芸能人が、自力で世界の僻地にいる日本人に会いに行き、そこにあるたった一つの人生ドラマをひもとく。
◇出演者
【司会】千原ジュニア
【旅人】高島礼子、村田雄浩、西村和彦
【パネラー】船越英一郎、千原せいじ、森泉
【データマン】大野拓朗
◇番組内容1
北海道から北にたった40キロ。かつて樺太と呼ばれ日本だったサハリン…そこは近くて遠い場所。「兵隊が入ってきた」「ボンボン鉄砲の音がおっかなかった」戦争のため19歳で家族と生き別れ、戦後69年たった今なお、この地に暮らす87歳日本人女性、涙の人生が!
◇番組内容2
パキスタンからの独立戦争で300万人もの犠牲者を出した、かつての世界最貧国バングラデシュ。戦災孤児と未亡人のための母子寮に、無給で頑張る日本人僧侶!貧困にあえぐ子供たちのため生涯を賭ける…そう心を決めた驚きのきっかけとは!?
◇番組内容3
富士山頂より高い4000メートル超のアンデス山脈越え!かつてインカ帝国が栄華を誇った南米ボリビアで、高山病という命の危険と戦いながら出会った日本人とは?「○○が孤児院で孤児としていた」大事件、そして禁断の恋…遂に見つけた新たな生きがいとは?
◇おしらせ
☆『お願い!せいじおじさん』は
 番組HP
 http://asahi.co.jp/konnatokoroni/

ジャンル :
バラエティ – 旅バラエティ
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
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日本語
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