わたしの場合、サークラ行為は兎角労力が掛かる割に生産性がなかった。稀にプレゼントを貰うことこそあれ、大抵の食事やデートは割り勘だった。(わたしがサークラの対象としていたような人の場合、女の子との飲み会にお金をかけることを快く思わないからだ。)
では、なぜこの不毛な行為に勤しんだのか。
結論から言えば「極端に人とのコミュニケーションに飢えていた」からなのだが、その経緯となると、必然的につまらないメンヘラクソビッチ女の半生を振り返ることになるので、てめえの人生なんて関心ないわという方は、そっとブラウザを閉じて頂きたいと思います。
わたしの母親は、とても厳しかった。漫画・アニメ・ネット・ゲームは全面禁止、テレビは親が決めた番組(NHKの朝のニュースと、なぜか「劇的ビフォーアフター」)しか、見ることを許されなかった。
放課後は門限どころか「学校から直接帰ってくること」が必須条件で、学校から家までの時間を母が計測しており、予想より1分でも遅れたらその理由を説明しなければならなかった。土日は母の決めたスケジュール通りに動かなくてはならず、日曜日の午前中のみデパートか図書館に連れ出してもらえたが、その代償として、午後は夕食の時間まで勉強しなければならなかった。
小学校のうちはこれがまかり通ってきたが、成長するにつれて息苦しさを感じるようになる。友達と休みの日に遊びに行きたいと訴えれば、必ず母親を同伴させろと言われ、誘ってくれる子を毎回断らざるを得なかった。突出した能力もないうえに、ポケモンもSPEEDも伊藤家の食卓も知らないわたしは、当然のように学校のなかで希薄な存在になっていった。
テレビが観たいとか、遊びに行きたいとか、反抗を繰り返すわたしに、母は失望し始めていた。かと言って、共通の話題を持ち、親めんどくさいよね、と言い合う友人もいなかった。ひとりぼっちで、唯一外の世界と繋がる手段であったラジオを聴いた。家族が寝静まると、頭の上から布団をすっぽりとかぶり「田村ゆかりのいたずら黒うさぎ」や「こむちゃっとカウントダウン」を聞きながら、なけなしのお小遣いで買ったコンビニの袋菓子をせっせと食べ続けた。高校生になってもなお、与えられるおやつは幼児用のビスケットや手作りのゼリーだったわたしにとって、ポテトチップスやチョコレートの味は麻薬のようだった。
そうすると、当然のことだが、人間はどんどん肥えていく。
わたしの体重は右肩上がりに増え続け、ついでにオタク趣味も加速していった。デブのオタクとなんて、同級生のJKたちは当然仲良くしたがらなかったし、母は毎日わたしに溜め息を吐き、名前ではなくて「豚ちゃん」「小力ちゃん」(長州小力にそっくりだったため)と呼び「そんなに醜いのにどうして痩せようとしないの」と日々、言い続けた。
それ以上に苦しかったのが、見知らぬ同年代の異性の目だった。学校からの帰り道には、男子高校生から「おいモンスター!」と後ろからペットボトルを投げられた。電車では鞄のなかにゴミを詰め込まれ、髪の毛に噛みかけのガムをつけられた。通りすがりに「うわ、あれ女かな?」と嘲笑されることも、「デブキモっ」と舌打ちされることも、もはや日常茶飯事だった。未だに、夢に見る。
結局、わたしは痩せた。3ヶ月に亘る猛ダイエットの結果、80kgに届かんとしていた体重が50kg台に到達したとき、変化が起きた。
学校の帰り道、男子高校生に「メールアドレスを交換してほしい」と申し出られたのだ。奇しくも、わたしにペットボトルを投げつけた男の子と同じ制服を着ていた。当時携帯も持っていなかったので、走って逃げた。と同時に、気づいてしまった。
「痩せたら、男の子はわたしに優しくしてくれるんだ!」と。
母の愛も、友人との楽しい生活も、憧れながらちっとも手に入れられなかったわたしにとって、誰かがコミュニケーションを取りたいと思ってくれるという事実が輝いて見えた。
大学生になると、ようやく携帯電話を与えられたが、その反面家にはほとんど帰らなくなった。講義内容のノートを毎日全科目見せること、夕飯の時間までには必ず家にいるようにという母の約束に、18歳のわたしはとうとう堪えきれなかった。
ネットで知り合った女友達の家で日中のほとんどを過ごし、それまで行きたくても行けなかった渋谷や新宿などの繁華街に行き、好きなバンドのライブやお芝居を観た。バイトをして好きなように読みたい漫画やゲームを買い、小説での同人活動を始めた。
やがてそのなかで、ひとつの集団に属するようになる。
総勢15人程、男女比率 6:4、同年代の同じ趣味の子たちの集団だった。ここではじめて皆でバーベキューや花火をして、オールでカラオケをしてはしゃぐという楽しさを知った。と同時に、そのうちひとりのAくんを好きになった。
毎晩のように電話をし、遊園地で遊び、公園で他愛もない話をし、ごく普通の恋愛に胸をときめかせた。しかし、ある日Aくんから同じグループの女の子と付き合うことになった、と言われわたしは愕然とした。
同じグループのBくんはわたしを擁護し、Aくんを糾弾し、そしてそのままわたしに告白してきた。Aくんの彼女はわたしを疎み「あの女はビッチ」「被害者のAくんが可哀想だ」と触れ回り、グループ内はAくんとその彼女側に付く人と、Bくんとわたし側に付く人とで分断されていた。居心地の良かったグループは散り散りになり、二度と全員で集まることはなかった。
これが人生はじめての「サークルクラッシュ」と言えるかもしれない。わたし自身としてはクラッシュする気など到底なかったのだが、きっかけを生んだのは間違いなくわたしだ。
こうしてわたしは、幼い頃から抱え続けた「誰かに優しくされたい」という、いわば承認欲求を持て余し、同時に女性を含んだ集団の居心地の悪さを痛感してしまった。
その状態のわたしが居場所を求めて訪れたのは、男性向けのオタク趣味のオフ会だった。
どのオフ会でも共通していたのはわたしのような女がひとりで訪れると、まずは参加者から目を逸らされることだ。まるで幽霊でも見てしまったかのようにいないものとして扱われ、男性陣だけで楽しそうに会話を始める。(稀に主催や数人がばらばらと声を掛けてくれることもある)
その代わり、話し始めると彼らはあっという間に心を開いてくれた。ラジオで得た知識は彼らにわたしが同族だと認識させるのには十分だったし、何を話して良いか解らない反面、一生懸命話を聞きさえすれば、誰もが優しくしてくれた。
こうして男性向けの趣味の集団に紛れ込むことで、色んなひとが心を開いてくれ、話してくれるという快感に酔いしれたわたしは、次々とオフ会を梯子するようになった。
これが、わたしが本格的にサークラと化すまでの経緯である。経緯というか、もはやわたしの半生によっていかに計り知れないほどの承認欲求が培われていったか、という話でもあるので、サークラによる修羅場を期待していた方はすみません。