今日、35歳になりました。 私の誕生日は9.11。アメリカ同時多発テロの日です。
2001年9月11日、大学の国際関係学部を中退した私は周囲に友達が少なく、22歳の誕生日祝いに1人でホールケーキを買って、風呂なしトイレ共同のアパートの一室で孤独に誕生日ケーキを食べていました。ケーキを食べている途中、突然知人から電話が掛かってきて「アメリカで飛行機が建物に激突した」というニュースを知らされました。
その後、すぐにパソコンとテレビを起動。当時出入りしていたチャットルームや掲示板で情報収集を行いました。世界貿易センターのビルは崩れ落ち、国防総省も破壊されたことを知り、依然として連絡の取れない飛行機が複数機あるという情報が飛び交いました。途中でブッシュ大統領の演説が入ってきて、世界はこのままどうなってしまうんだろう…という不安の眼差しで聞いていました。私の誕生日がアメリカにとって忘れられない日になった瞬間でした。
皆さんは同時テロの日は何をしていましたか?
その半年後の日付は3.11なのですが、2011年の3.11に故郷の相馬が東日本大震災で地震・津波の被害で大きな被害を受けました。民宿街だった場所が瓦礫の山になりました。津波は国道まで押し寄せたのですが、実家は国道よりやや内陸側だったので無事でした。ただ、双葉郡に住んでいた親戚や知人の多くが原発避難民になって、今も避難生活を続けています。故郷の相馬・双葉郡(福島ではこれを相双地域と呼びます)にとって忘れられない日になりました。
誕生日にテロとか(国際関係学部を中退した直後)、誕生日の半年後の日付に故郷が被災したとか(妹一家は福島第一原発に勤めていました)、あくまで太陽の公転周期と偶然の一致の話に過ぎないわけですが、巡り合わせってあるんだな〜と思いました。
相馬はまだ常磐線が復旧していなくて、電車で帰ることは出来ません。故郷に錦を飾るのが夢ですが、その頃には鉄道は復旧していると良いな。「こころざしを果たして いつの日にか帰らん」
35歳だと、もうあと1年で、相馬時代と東京時代が半々になるんですね。まだ何者にも成れていない自分がつらい。ただ我武者羅にはてなの観測を継続していくのが35歳の抱負です。
ロスジェネ万歳。