「内容にほとんど触れない漫画評」というシリーズで十回分くらいは書けそうな見込みが立ったので、今回はその序章というか前置きのつもりである。
そもそも漫画であれ映画であれ小説であれ、自分が好きで強く勧めたいと思うような優れた作品ほど、批評や感想は書きづらいものである。
美は人を沈黙させるとはよく言われることだが、この事を徹底して考えている人は、意外に少ないものである。優れた芸術作品は、必ず言うに言われぬ或るものを表現していて、これに対しては学問上の言語も、実生活上の言葉も為す処を知らず、僕等は止むなく口を噤むのであるが、一方、この沈黙は空虚でなく感動に充ちているから、何かを語ろうとする衝動を抑え難く、而も、口を開けば嘘になるという意識を眠らせてはならぬ。そういう沈黙を創り出すには大手腕を要し、そういう沈黙に堪えるには作品に対する痛切な愛情を必要とする。美というものは、現実にある一つの抗し難い力であって、妙な言い方をする様だが、普通一般に考えられているよりも実は遥かに美しくもなく愉快でもないものである。
(小林秀雄「モオツアルト」)
素晴らしければ素晴らしいほど、何も書けなくなるというジレンマは、批評寄りのブログを毎日のように書いたり読んだりしている人にとっては、自明のことであろう。
あらすじも評価も、ちょっと検索すれば山ほど手に入る時代環境にあって、一体、どのような漫画評が可能なのであろうか。
と悩んでいたある日のこと、鈴木こあらさんのブログ「だから漫画はやめられない」で温泉漫画特集が始まったのであった。
私は「これはもう、自分にとって温泉漫画の最高峰『まんだら屋の良太』が出てくるに違いない」と確信したのだが……。
結局、出てこなかった。
そして、涙を流しながらブコメした。
温泉に関する漫画のまとめ だから温泉はやめられない?? - だから漫画はやめられない
「まんだら屋の良太」は好きなんですけど、面白いかどうか微妙ですし、女性には薦めるのが無理、で結局、誰も読まない漫画なんですよね~
……そうなのだ。
自分で書いていて気づいたのだが、「面白いかどうか微妙」で「誰も読まない漫画」なのだ。
しかし、それならなぜ自分は「まんだら屋の良太」に惹かれてしまうのであろうか。その辺りの理由を書けば、漫画そのものについて何も書かなくても読み物としては成り立つし、ひたすら迂回することで外側から作品の輪郭を浮かび上がらせるような批評になるのではないか。なるとは言えなくても「何かのヒント」にはなるのではあるまいか。
と気づいたのであった。
ついでに言うと、
「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」
「戦争が廊下の奥に立ってゐた」
「かたいものこれから書きます年の暮れ」
のように、自然な言葉の連なりが何となく575になっているタイプの口語的な俳句が好きなので、
「内容にほとんど触れない漫画評」
という575風の語感が気に入ったのであった。
今回の漫画ニュース:高野文子の新刊『ドミトリーともきんす』の特設サイトはタンブラーで公開中(さっき知った)!
→http://dormitory-tomokins.tumblr.com