情報まるごと 2014.09.10

こんにちは。
情報まるごとです。
きょうのメニューです。
きのう公開されました昭和天皇実録。
昭和天皇の生涯を記した初めての公式記録集です。
詳しく分析した専門家に聞きます。
そして、こちらですね。
テニスの全米オープンで準優勝しました、錦織圭選手。
テニスの新時代を切り開きました。
解説でお伝えします。
各地のニュース、話題です。
きょうは東京、広島です。
こちら、ひざや腰の痛みのある方、必見です。
痛みを防止する体操、後ほどお伝えします。
初めは気象についてです。
上空の寒気の影響で北海道では、断続的に猛烈な雨が降っています。
北海道の登別市付近では、午前9時半までの1時間に、およそ110ミリの猛烈な雨が降ったと見られ、気象台は、記録的短時間大雨情報とともに、登別市と白老町に土砂災害警戒情報を出して、土砂災害や低い土地の浸水に厳重な警戒を呼びかけています。
登別市付近では、レーダーによる解析で午前9時半までの1時間に、およそ110ミリの数年に一度しかないような大雨が降りました。
気象台は、記録的短時間大雨情報を出すとともに、午前10時20分に、登別市に土砂災害警戒情報を出しました。
また白老町付近でも、午前0時半までにおよそ120ミリ、午前1時半までにおよそ110ミリ、さらに午前2時半までにおよそ120ミリ、午前6時までにおよそ120ミリの雨が降り、気象台は午前1時35分に、白老町に土砂災害警戒情報を出しました。
北海道が白老町森野に設置した雨量計では、午前1時までの1時間に86ミリの猛烈な雨を観測しました。
その後も断続的に非常に激しい雨が降り、降り始めからきょう午後1時までの19時間に降った雨の量は、387ミリに達しています。
白老町は浸水のおそれがあるとして、石山地区の石山港町内会と、竹浦地区日の出町内会の合わせて71世帯、123人に避難勧告を出しています。
白老町は、萩野生活館と、飛生福祉館、竹浦コミュニティセンターに避難所を設けています。
いつもの降り方とは違って、ちょっと激しい降り方かなとは思ったんだけど。
びっくりしました。
こんなの初めてだからね。
水の恐ろしさ、一番身にしみてます。
北海道内は、今後も大気の不安定な状態が続き、局地的に雷を伴って非常に激しい雨が降るおそれがあります。
きょう夕方までに降る1時間当たりの雨の量は、いずれも多い所で、太平洋側西部で80ミリ、日本海側南部で50ミリ、日本海側北部で30ミリと予想されています。
あす正午までの24時間の予想雨量は、多い所で、太平洋側西部で300ミリ、日本海側で100ミリに達する見込みです。
気象台は、土砂災害や低い土地の浸水、河川の氾濫に、厳重な警戒を呼びかけています。
北海道でこれだけの雨が降ったのはなぜなのか。
気象予報士の奈良岡さんの解説です。
大気の状態が非常に不安定だからです。
それではきのうからの雨の様子を振り返っていきましょう。
北海道、広く降っているわけではありませんが、局地的に発達した雨雲がかかっていることが分かります。
気象庁のレーダーによる解析では、北海道白老町付近におよそ120ミリの雨が、午前0時半までの1時間に、およそ120ミリの猛烈な雨が降ったと見られます。
そのあとも猛烈な雨は断続的に続いたと見られます。
土砂災害警戒情報も今、発表されていますが、土砂災害や低い土地の浸水、川の増水に厳重な警戒が必要です。
その雨の原因を天気図で見ていきましょう。
日本海には低気圧があって、この低気圧に向かって、地上付近では、南からの暖かく湿った空気が流れ込みました。
一方、上空にはこの時期としては強い寒気が流れ込んできています。
このために雷雲が発達しやすい状況となっているんです。
この上空の寒気は、今後、今夜には、東日本の辺りまで南下してくる予想です。
このために北日本はもちろんですが、東日本でも、内陸部を中心に、激しい雷雨が起こりそうです。
このあとの天気の見通し、雨の見通しを詳しく見ていきます。
きょうの夕方です。
北海道から九州にかけてところどころで雨が降りそうで、北海道は猛烈な雨の所もあるでしょう。
東北の北部でも激しい雷雨がありそうです。
夜にかけて見ていきます。
夜も全国的に雨が降りやすく、北海道は夜も引き続き、激しい雷雨の所がありそうです。
また関東も北部を中心に、激しい雷雨となりそうです。
合わせて竜巻などの激しい突風や、落雷にも十分ご注意ください。
続いては、広島市で起きた大規模な土砂災害について、広島からお伝えします。
73人が亡くなった広島市の土砂災害から、きょうで3週間となります。
警察や消防などは行方が分かっていない残る1人の発見に向けて、きょうはいつもより多い、およそ3300人の態勢で、朝から一斉に捜索を行っています。
土砂災害が起きた現場から数百メートル離れたこちらの用水路でも、大量の土砂が流れ込み、自衛隊員らが捜索活動を行っています。
広島市の安佐南区と安佐北区では、先月20日の大規模な土砂災害で、2人の行方が分からなくなっていましたが、きのう、新たに1人の遺体が見つかり、きょう午前、安佐南区八木の新聞配達員、西田末男さんと確認されました。
これで死者は73人となりました。
発生から3週間となり、警察や消防、自衛隊などは、行方が分かっていない残る1人の発見に向けて、これまでよりもおよそ1000人ほど多い、3300人余りの態勢で、朝から安佐南区八木を中心に、一斉に捜索を行っています。
また、きょうは海上保安庁も参加して、現場近くを流れる太田川で河口付近まで範囲を広げて発見に全力を挙げています。
広島市によりますと、避難所で生活を続ける人が、昨夜の時点で100人以上いるということです。
今回の土砂災害では、8つの小学校が避難所となりました。
このうち、最後まで授業の再開ができなかった安佐南区の梅林小学校では、予定より10日遅れで授業が始まりました。
土砂災害で楽しいはずの夏休みが一変してしまった児童は、どのような思いで授業再開を迎えたのか取材しました。
梅林小学校6年の玉木祐紀さんです。
出発するこの家、自宅ではありません。
家族と共に避難生活をしている知り合いの家です。
祐紀さんは10日遅れの授業再開を心待ちにしていました。
祐紀さんが夏休みの宿題でつけていた、一行日記です。
災害前にはお父さんとお母さんとゲーム。
花火など、楽しい思い出が続きます。
さらにプールや焼き肉。
このあと内容が一変します。
先月20日の未明、自宅の2階の寝室で寝ていた祐紀さんは、雷や雨の音で目が覚めました。
気が付くと、目の前の家は土砂で流され、自宅の1階も床上まで土砂が流れ込んでいました。
この日から、一行日記には、土砂の片づけや、家の手伝いという書き込みが続きます。
日中は自宅の片づけを手伝い続ける裕紀さん。
自宅に置いてきた愛犬と遊べるのもこのときだけ。
夜は離れ離れで心配な日々が続いています。
いつもなら終わってほしくないと思う夏休み。
小学校最後の夏休みは後半、ほとんど遊ぶことができませんでした。
再開初日の授業を終えた祐紀さん。
たくさんの友達に囲まれ、下校のときは少し安心した様子でした。
祐紀さんのように、自宅が被災して、避難生活を続ける児童は少なくないということで、学校では、長引く避難生活が子どもたちの健康などに影響しないよう、見守ることにしています。
次は中継です。
ひざや腰の痛みで困っている方、多いかと思うんですけど、これを少しでも改善したり、予防するための体操が、今、行われているそうです。
遠藤さん。
東京・大田区に来ています。
ここで今行われているのが、ひざ痛・腰痛ストップ体操。
これが…、なんだそうです。
きょうは特別にお邪魔します。
たくさんの方が…。
定員60人のところ、きょうは80人以上が集まっているんです。
やはりひざ痛、腰痛、皆さん、悩んでらっしゃるようですね。
大田区では、介護予防や健康作りに特に力を入れています。
この教室もそのうちの一つで、毎月1回、65歳以上の方を対象に行われているんですが、もう皆さんさっきから楽しそうにやってらっしゃるんですよね。
さあ、ではその体操、一体どんなものなのか教えていただきます。
講師の光行さんです。
こんにちは。
では、教えてください。
まず、ひざの予防、ひざ痛の予防の運動のスクワットを説明させていただきます。
まず、まっすぐ立っていただきまして、肩幅ですね。
つま先とひざの向きが同じになるように、腰に手を置いて、このままひざを曲げていくんですけれども、前に曲げるんではなくて、いすに座るように、後ろに曲げて伸びをします。
曲げて、伸びをします。
この際に、お尻が後ろに下がると頭が下がりやすいので、まっすぐ前を向きながら、まっすぐ下がって上がるということを、5回から10回から始めていただくといいと思います。
心配な方は?
心配な方はいすなどを横に置いていただきまして、支えを作った状態で、そのままやっていただくと、不安なくできると思います。
では続いて、今度は?
腹筋の腰痛予防の腹筋の説明をさせていただきます。
まず、いすのほうに座っていただきまして、この際に浅く座っていただきまして、そのまま寄りかかっていただきます。
おへその上に手を置いていただいて、そのまま背もたれから5センチほど、体を起こしてください。
そのまま5秒から10秒数えたらゆっくりと戻ります。
これを5回から10回、繰り返していただくと、腰痛予防になります。
不安な方は、少しいすの座り方を深くしていただいて、同じことをやっていただくと、負荷なくできると思いますので、継続して無理なくできると思います。
ありがとうございます。
この動き、私、実は先ほど教えてもらってやってみたんですけど、なんでもないように見えて結構効いてるなという実感あるんですよね。
なので、不安な方はお近くの医療機関にご相談のうえ、運動を始めてみてはいかがでしょうか。
ぜひ無理のないように試してみてはいかがでしょうか。
東京・大田区からお伝えしました。
最初に映像が乱れました。
失礼しました。
健康作りのための教室は、大田区以外でも開かれています。
お住まいの自治体にお問い合わせください。
さあ続いては、こちらです。
錦織圭選手です。
全米オープン準優勝と、日本テニス界の歴史に大きな足跡を残しました。
NHKの単独インタビューで、大会で得た手応えを語りました。
今大会の錦織選手、際立ったのは粘り強さです。
4時間を超える長時間の試合が2回。
粘り強く打ち合い、勝利につなげました。
その粘り強さを生み出したのは、決勝まで7試合という長丁場を意識した体力トレーニング。
オフシーズンからずっと取り組んできました。
錦織選手が自身の成長に手応えを感じた試合があります。
四大大会で7回の優勝を誇る、ジョコビッチ選手を破った準決勝です。
第2セットを落とし、ジョコビッチ選手に流れが傾きかけた第3セット。
錦織選手は粘るだけではなく、あえて積極的な攻めに出ました。
勝負強さが光ったこのゲームが、特に印象に残っているといいます。
しかし、決勝では錦織選手は強みを発揮できませんでした。
子どものころからの夢だった四大大会の決勝という大舞台の雰囲気に飲まれてしまったといいます。
持ち味の粘り強さを見せられないまま、1セットも奪うことができませんでした。
ご自身にとっても大きな収穫だったのがよく分かりますよね。
ゲストにお越しいただきました。
日本テニス協会常務理事の坂井利郎さんです。
坂井さんは、錦織選手の才能を見いだし、13歳のときにアメリカに送り出しました。
デビスカップのときは日本代表で、監督と選手という間柄でした。
こちらが坂井さんですね。
酒井さん、今、錦織選手のことばの中で、そのグランドスラムで戦い抜く体力に自信が持てたということばがありましたけれども、これ、大きな収穫じゃないかと思うんですが、どうでしょうか。
そうですね、本当に決勝では残念でしたけれども、本当に頼もしいコメントがありましたですね。
やはり最後の表彰式のね、残念な中でのね、スピーチにしても、態度にしても、世界中の人が見てる中での表彰式ですから、本当に誇らしかったですね。
坂井さんが一番心に残った、印象強かったことばはなんでしたか?
そうですね、やはり勝てない相手はいないということばですね。
これはやはり、選手というのはなかなか、ややネガティブになりがちなところをね、やっぱり自分に挑戦して、チームで挑戦してるという、これは本当に頼もしいことばですよね。
やはり、まず相手に勝つ前に、やっぱり自分に勝たないと、勝負は勝てませんのでね。
まさに自分に勝ったことを象徴しているようなことばでもあるんですね。
そうですね、本当にそうですね。
すみません。
ちょっとここで錦織選手の今大会を振り返りたいと思うんですけど、錦織選手は、世界ランク、当時11位で臨みましたんで、4回戦からは、ずっと格上の選手、次々と撃破してきたということなんですね。
先ほどもご本人も振り返っていたんですけれども、坂井さんが見る、この勝因というのは、どこにあったと思われますか?
そうですね、グランドスラム大会というのは、7試合勝って優勝なんですけれども、まず心技体のうちの体力で、やっぱり4回戦、準々決勝で、4時間の試合を2つビッグサーバーのラオニッチ、バブリンカ、この2人に、4時間戦い抜いて勝ったっていうのは、すごいですね。
体力がアップしてますね。
そして、準決勝のジョコビッチは世界ナンバー1なんですけど、ここではやはりメンタルの成長を感じましたね。
やはりこれも、以前にジョコビッチに勝ったことあるんですけど、この舞台の準決勝で勝つっていうのは、大変なことなんですよね。
しかも、2試合4時間を超える試合を戦ったあとでという中でやはり、マイケル・チャンコーチのサポートっていうのは、すごく大きかったと思いますね。
もともと錦織は、タッチといいますかね、テクニックはすばらしいもの、あるんですけど、やはりこのグランドスラムで、やっぱり、体力とメンタル、すばらしかったですね。
成長面が大きく見えた試合だったということですね。
今回の決勝ですが、こちらですね。
錦織選手とそしてマリン・チリッチ選手という顔合わせとなりました。
最近のこの四大大会見ますと、いわゆる今出てきましたビッグ4というですね、ジョコビッチ、フェデラー、そしてナダル、マレーといった選手たちがこの中の誰かが勝ちあがって決勝で戦ってきたんですが、錦織選手がこの牙城を崩したということで、この意味は大きいですね。
そうですね、やはり何か新時代に入るという感じで、時代の節目っていう感じしますよね。
やはりチリッチと錦織、決勝でまさか、世界のテニスファンは思ったと思うんですよね。
ジョコビッチとフェデラーが準決勝でね、この2人が破ったわけですけれども、その中に、この錦織がいるっていうのはね、もう本当にうれしいかぎりですよね。
新しい若い4人ですね。
まさにテニス界が新時代に入ったというおことばがありましたけれども、新ビッグ4といわれている選手たちがいるんですよね。
そうですね。
下の段ですね。
今回のチリッチと錦織、ラオニッチは4回戦でね、錦織勝った選手。
ディミトロフというのは、ウィンブルドンでベスト4に入った選手なんですけど、ビッグサーバーのラオニッチとチリッチ、それからディミトロフと錦織はどちらかというとオールラウンドプレーヤー、小柄な錦織なんですけれども、この中で、本当にストロークの切れ味であり、それからメンタルの強さであり、今本当にまたフィジカルができてきてますので、この上のビッグ4を本当に、新たなビッグ4の誕生というのが、本当に感じさせましたね。
まさにだから、世界のテニスの時代の転換点かと見られるところの先頭にいる1人ということなわけですね。
さあ、その錦織選手、この日本テニス界にとってもこれ、大きな出来事だったんじゃないかと思うんですけれども、錦織選手の活躍で、今、日本のテニスにも注目が集まっています。
坂井さん、注目のこの錦織選手の後輩といわれる選手たち、誰でしょうか。
やはり錦織だけではということで、もりたまさあき、テニスの後輩にも当たるんですけど、この西岡と中川、この2人がですね、非常にだんだん上がってきてるんですよね。
上海チャレンジャー勝った日は、ちょうどジョコビッチに錦織が勝った日と同じ日だったんですけど、また中川は全米ジュニアのダブルスで、また同じ日に優勝しましてね、この2人がいずれ近いうちに錦織圭にどんどん近づいてくるんじゃないかなと期待しております。
2人とも錦織選手と同じように育っているということなんですね。
そうですね、12、3歳からフロリダに単身で行きまして、毎年、厳しいトレーニングを積んで、毎年与えられるターゲットをクリアして、西岡は去年、卒業して、全日本で決勝までいきましたし、今ランキングも167番ぐらいまで、ATPのランキングで、世界ランキングで上がってきています。
来年か、ことしの末に、中川選手もプロに転向してきます。
育ち方も順調ということで、では錦織選手に話を戻しまして、さあ、次の舞台なんですけれども、どうなんですか?
そうですね、生で見たいと、この錦織選手の活躍、見たいという方、多いと思うんですけど、9月29日からは東京・有明で楽天オープンテニスが始まります。
こちらに出場予定なんですね。
そして、その後、ちょっと気が早いんですが、来年1月、全豪オープン、グランドスラムの一つですね、こちらに向けて、今後の意気込みを錦織選手が語ってくれました。
さあ、坂井さん、これからの錦織選手、どうなっていってほしいと思っていらっしゃいますか?
そうですね、やはり毎年、グランドスラム4大会あるんですけど、どの大会もね、錦織、チャンスですし、目先ではやはり、有明、今月末ですね、ぜひ、生の錦織を見てほしいですね。
グランドスラム、立てるのを楽しみにじっくり待ちたいと思います。
ここまで日本テニス協会常務理事、坂井利郎さんに伺いました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
先ほど、雨はこのあと東日本でも降りそうだという話がありましたけれども、このあと気象情報です。
奈良岡さん。
広い範囲で大気の状態が不安定です。
雨雲が発達しやすい状況となっています。
こちらは今の北海道室蘭市の様子です。
今、雨は降っていないようですが、雲が多い天気ですね。
北海道内の胆振地方では、1時間の雨の量が観測史上最も多くなった所もあり、記録的な大雨となっている所があります。
そして夕方までは猛烈な雨が断続的に降るおそれがあります。
またあすにかけても、局地的に激しい雷雨となりそうです。
あすの昼までに降る雨の量は、多い所では300ミリが予想されています。
このあとも北日本や東日本では、急な雷雨に注意が必要です。
局地的には激しく降りそうです。
また落雷や竜巻などの激しい突風にも合わせて注意が必要です。
ではレーダーで雨の様子を見ていきましょう。
2時間前からです。
北海道、そして東北地方にかけて、ところどころで雨が降っていて、一部、発達した雨雲がかかっています。
このあとの雨の見通しを詳しく見ていきます。
きょう、北海道、そして東北、関東にかけて、このあとも激しい雷雨となりそうで、日付が変わることになりますと、関東の北部の辺りに、蚊なり発達した雨雲がかかる予想です。
あすの明け方にかけて、激しい雷雨に注意をしてください。
そしてあすの日中は、いったん雨のやんで晴れ間の出る時間もありそうなんですが、あすの午後、再び、雷雨となる所が多くなりそうです。
その雨の原因は、この時期としては強い寒気が上空に流れ込んできているからです。
今夜、寒気は東日本の辺りまで流れ込んできます。
そしてあすもこの寒気、居座る見込みです。
さらにあさってにかけて見ていきましても、あさってもこの寒気に広く覆われそうです。
あす、あさってにかけても大気の状態は不安定となりそうです。
では全国のあすの天気です。
続いては、昭和天皇実録についてです。
新たに見つかった日記など、膨大な資料に基づく昭和天皇の生涯を記した初めての公式記録集です。
きのう公開されました。
昭和天皇実録では、戦前から戦後にかけての激動の時代を歩んだ昭和天皇の生涯が詳細に描かれています。
きのうから宮内庁で始まった、昭和天皇実録の閲覧。
歴史ファンや学生などが訪れました。
実録には、昭和天皇が子どものころに書いた未公開の作文や日記なども掲載されています。
学習院初等学科4年生のときの運動会の様子を書いた作文です。
きょうは待ちに待っていた運動会の日でございます。
三等賞のメダルをとったときは、大層うれしゅうございました。
両親の大正天皇と貞明皇后が見にきてくれたことを喜ぶ様子も。
おもう様とおたた様とが午後1時にいらっしゃってくださいまして、私は大層うれしく思いました。
実録では、日本が国際的に孤立し、戦争へと向かう中で、昭和天皇は折に触れて、外交による解決を模索した姿が見えてきます。
今回、その姿勢を裏付ける、重要資料の存在が浮かび上がってきました。
元海軍大将、百武三郎の日記です。
百武は、日中戦争開戦の前年、昭和11年から終戦の前年、昭和19年まで、8年近くにわたり、天皇の身の回りの世話をする侍従長を務めました。
その日記や手帳が、実録のところどころに引用されています。
満州事変のあと、軍部が中国への進出を強め、緊張が高まっていた昭和12年1月。
組閣を命じた陸軍大将の宇垣一成に対し、昭和天皇はこう述べたと記されています。
この発言は今回初めて明らかになったもので、百武侍従長の日記などがもとになっていると見られます。
政党政治や国際協調を重視する、立憲君主制を理想としていたとされる昭和天皇。
苦悩しながら太平洋戦争の開戦を決断する過程も、実録に記されています。
日中戦争が泥沼化していく中、政府や軍部に、アメリカとの開戦は避けられないという意見が強まっていた昭和16年9月。
昭和天皇は中国との戦争も早く終わると言っていたのにいまだに終わっていない。
中国は広いというが、太平洋はさらに広いと、陸軍の参謀総長を叱責。
軍の見通しの甘さを指摘します。
翌日の御前会議では、昭和天皇は、明治天皇が平和を祈って詠んだ和歌を読み上げ、みずからの気持ちを伝えようとしました。
しかし、政府・軍部の判断は変わらず、開戦が決まります。
実録には、御前会議のあと、昭和天皇が開戦の決定はやむをえないと述べたことが記されています。
宮内庁が、24年余りかけて編さんした、1万2000ページ余りの昭和天皇実録。
戦前から戦後の激動の時代を歩んだ、昭和天皇の生涯が、詳細に描かれています。
新たな事実や資料が示されるかどうか。
NHKでは、近現代史が専門の、第一線の研究者と共に詳しく分析しました。
その分析に当たった研究者のお一人です。
明治大学兼任講師の茶谷誠一さんにお越しいただきました。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
これまでの定説が大きく変わるような記述はなかったということですけれども、では、一体何が新たに分かったんでしょうか。
私自身が注目しました点、2点ございまして、1点目は昭和天皇の私生活面が今回の実録の公開で、ある程度明らかになったという点ですね。
私生活。
先ほどVTRの中の紹介でもありましたように、小学校のころの運動会に、両親が見にきてうれしかったというふうな記述が、作文の中で書かれてたという記述があったほかにも、家族とクリスマスを楽しんでいる様子ですとか、あとは弟の秩父宮と高松宮と、子どものころに戦艦ごっこをして遊んでいたと、そういうきょうだいや両親となかむつまじい感じで遊んでいたというふうな記述があるほか、あとは成人してからなんですけど、戦争が激しくなってから、昭和天皇はある程度、自分の趣味の生物学研究や運動を控えてたというふうな、侍従等の回想はある程度あったんですけど、今回の実録を詳しく見ていくと、日中戦争や太平洋戦争の戦局がかなり悪化してからも、生物学の研究っていうものは、ひっそりと続けていましたし、それから運動についても、これは側近の配慮もあるんでしょうけども、健康に留意するという目的で、運動なんかも続けていたという記述が、実録の中に書かれているという点ですね。
それからもう1点目は、これは戦後になってからも、総理大臣や外務大臣に対して、政務報告を求めていたという点です。
これはどういう点に注目するかといいますと、戦前までの国家元首ですね、統治権の総覧者というふうに規定されてた国家元首から、今の日本国憲法になって天皇の地位は象徴天皇に変わるわけなんですが、そういう象徴天皇に変わってからも、天皇は一貫して、政治に関心を持ち続けてたという点が、今回新たに明らかになった点だというふうに思いますね。
今回の編さんで、さまざまな資料が見つかりました。
その中で、百武三郎日記に注目していきたいと思うんですけれども、茶谷さんもこちら、百武三郎日記に注目されたということなんですが、どうしてなんでしょうか?
そうですね、まずこの侍従長を務めていた百武三郎という人物なんですが、確かに1936年の11月に侍従長に就任して、太平洋戦争の末期の1944年の8月ぐらいまで、彼は約8年間にわたって侍従長をずっと在任しているんですが、その間における百武三郎のこれまでの役割というのは、ちょうどこの間の歴史的な資料ですね、特に側近や政治家の資料が極端に少ないことがありまして、百武三郎というのは侍従長ではあるけども、それほど政治的に重要な役割を果たしてこなかったというふうな記述のされ方がしてるわけなんですね。
それが今回の実録の中では、侍従長に就任した直後から、この日記の記述が毎日のように出てくるわけです。
その中で百武三郎が、これまでいわれてこなかった政治的な天皇に対する助言ですとか、それから政府との間の情報伝達役なんかもこなしておりまして、非常に従来、明らかにされてこなかったような百武侍従長としての新発見が今回、新たに明らかになったということが言えると思いますね。
今、お話ありました年表を見てみます。
百武三郎が侍従長だったのは、日中戦争開戦の1年前、昭和11年からそして終戦の大体1年前の昭和19年まで、およそ8年間、8年近くの間なんですけど、この間にさまざまな記述があるということで、いくつか見ていきます。
まずこちらです。
こちらは、昭和12年1月、宇垣一成に組閣を命じた際に昭和天皇のことばということで、侵略的行動との誤解を生じないようにして東洋平和に努力するように。
これ、日中戦争の前にこういったことばがあったということなんですね。
そうですね。
時期を見ますと、まだ日中戦争が勃発する約半年前ですので、なぜここで侵略的行動というふうなことばが出てくるかっていう点なんですが、実は日本というのは、満州事変以降も断続的に中国大陸に対する侵攻作戦を継続しておりまして、この間ですね、この間も、1933年の…侵攻作戦ですとか、昭和10年、1935年にはかほく分離工作なんかを陸軍がやってるわけです。
その中で陸軍がやってる大陸侵攻政策というのは、当時の国際法に違反したり、あと昭和天皇が最も嫌ってるのが、イギリスですとか、アメリカ、列強の非難をこうむるような勝手な行動を陸軍が取っていると。
そうした点に対して、昭和天皇は非常に、陸軍に対する不満を高めているわけですね。
ですので、新しく12年の1月に、総理大臣に組閣をたいめいを命じた宇垣に対して、従来と同じように陸軍に好き放題やらせるなと、侵略的誤解を受けるような陸軍の行動をちゃんと取り締まってくれというふうな意味合いからああいうことばを宇垣に対して、組閣の待命を下したときに、特に言明しているということがいえますね。
もう1つ、記述を見てみます。
今度はその半年余りたった昭和12年8月、盧溝橋事件の1か月前の時期なんですが、華北での戦局の収拾、そして外交折衝の必要性を近衛、当時の総理大臣に伝達するよう昭和天皇が命じるといった記述があるということですね。
ここからは何が分かるんでしょうか?
そうですね、この時期といいますのは、8月の薬、まさに1か月前、1937年昭和12年7月7日に盧溝橋事件が勃発して、日中両軍が今、華北地方を中心に、戦闘をやっている最中なんですが、ただし、戦闘を行っている地域自体は、北京を中心とする華北地方にまだ限定されてるわけですね。
ですので、昭和天皇にしてみれば、なるべく日中戦争を局地的に解決させなければならないっていう点は、この時期、強く思ってた点で、こういった点を特に総理大臣の近衛に対して早々に戦局を収拾して、外交折衝によって日中戦争を早期に解決せよというようなことを百武侍従長を介して近衛に伝えているわけです。
このあとの実際実録の経過にも出てくるんですが、昭和天皇からの助言を受けた近衛は、早速、この数日後に、閣議を開きまして、この華北における局地的な戦線の縮小とそれから外交交渉による解決、中国政府との間の和平交渉を開始するということを実際、閣議決定するわけですね。
こうした昭和天皇の生きた時代の記録を、今、こう、私たちが知るっていうことは、何を教えられるということなんでしょうか?
今、まさにその百武の中に日中戦争の記録なんかが出てきましたように、この昭和天皇実録を読むということは、この激動の昭和といわれている昭和史全体を振り返ることになるわけです。
そうしたときに、やっぱり昭和時代というのは、実録の中でも紹介されているように、昭和天皇自身は平和をずっと願ってた。
戦争になってからは、戦争を早期に終結させなければならないということを強く願ってたわけなんですが、やっぱりいったん、戦争が始まってしまうと、そう簡単には、やっぱり戦争を終結させることができないわけですね。
そうしたときに、やっぱり現在に生きるわれわれにとってみれば、戦後70年近く、実際、日本国憲法の下、戦争はせずに済んできましたけれども、ちょっとしたことでやっぱり戦争っていうのは起きるわけですし、戦争が始まってしまうと、なかなか戦争っていうものは終わらすことができない、すなわちそれは平和の大事さというものを、これから現在、それから未来の日本人が考えていくうえにおいても、非常に重要ないい教訓を与えてくれてる材料になるというふうに考えております。
この昭和天皇実録は、来年の春から、5年をかけて順次、書籍として出版されるということです。
にじまると一緒に各地の空を散歩するにじさんぽです。
気象予報士の奈良岡さんと一緒にお伝えします。
きょうは北日本、東日本を中心に大気の状態が不安定です。
急な雷雨にくれぐれもお気をつけください。
それでは空の散歩に出かけましょう。
まずこちらは前橋市の様子です。
ちょっと雲がやっぱり広がってますね。
そうですね。
赤城山のふもとでは、ダリアまつり、ぐんまフラワーパークで開催されているようなんですが、お天気のほうはどうでしょうか?
このあと雨が降りそうですね。
夜になりますと、激しい雷雨のおそれがあります。
あすも大気の状態、不安定ですから、あすの午後も激しい雷雨がありそうです。
折り畳み傘などあると。
そうですね、しっかりとした傘のほうがいいかもしれないですね。
続いてはこちらは福島県会津若松市の様子です。
こちらはちょっと晴れ間が出ているようですけれども、きょう、福島県内で醸造された日本酒の出来栄えを競う鑑評会が開かれたそうです。
このあと少し雲が多くなっていきそうです。
ざっとにわか雨はあるかもしれません。
それでは改めてあすのお天気、お願いします。
あすも北日本、東日本を中心に雨が降りそうで。
2014/09/10(水) 14:05〜14:55
NHK総合1・神戸
情報まるごと[字]

▽世界の頂点にあと一歩 錦織選手 次なる挑戦へ 【キャスター】小澤康喬,滝本沙奈,【気象キャスター】奈良岡希実子

詳細情報
出演者
【キャスター】小澤康喬,滝本沙奈,【気象キャスター】奈良岡希実子

ジャンル :
ニュース/報道 – ローカル・地域
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 天気

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 1/0モード(シングルモノ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:23664(0x5C70)