ミュージック・ポートレイト「滝川クリステル×アンジェラ・アキ 第2夜」 2014.08.14

どうも。
お久しぶり。
2つの国をルーツに持つ同い年の女性2人が大切な音楽を持ち寄り語り合いました。
番組のウェブサイトに寄せられたご意見です。
日本語英語フランス語3つの言語を巧みに使いグローバルに活躍しています。
そして…。
(フランス語で)おもてなし。
TOKYO。
オリンピックの東京招致に大きく貢献。
それは彼女が日本と世界の懸け橋になった瞬間でした。
そして実はあのスピーチの舞台裏に背中を押してくれた音楽があったのです。
美しく華やかに見える彼女の人生。
しかしその青春は深い悩みと葛藤の連続でした。
支えてくれた音楽とは?幼心に響いた声。
フランスで憧れたパリのアイドル。
踊りに青春を託した頃のR&B。
自分を見失った時勇気をくれた歌。
報道現場の過酷な日々を支えてくれた曲。
2005年日本の音楽シーンにすい星のごとく現れました。
・「奇跡を待つより」ピアノ1台で弾き語る美しく温かいメロディーは人々の心を捉え続けています。
デビューまでの下積み10年。
輝かしいステージの裏側にあったコンプレックスとの闘い。
支えてくれた音楽とは?幼き日母と歌った曲。
前向きになった心に響いた歌。
ハワイの青春時代憧れたパンクロック。
シンガーソングライターを目指すきっかけの曲。
夢破れて帰った日本で衝撃を受けた歌。
今日は第2夜。
30代を迎えた2人の人生を彩った大切な音楽が語られます。
華やかな世界に生きる美貌の2人。
しかし胸のうちにあったのは強烈なコンプレックスでした。
悩みを強さに変え2人は世界を目指します。
心に残る音楽を通して2人の人生を見つめていきます。
19歳でサラ・マクラクランに出会いシンガーソングライターを目指そうと固い決意をしたアンジェラ。
しかし全くお呼びがかからず気が付けば25歳になっていました。
下りてきた声から6年もたってるといやあれは何かの間違いだったのかなとか空耳だったのかなとか何かそういうふうに思うようになっちゃったけど。
夢を見失いかけていた時武道館で目にしたこのアーティストのパフォーマンスに圧倒されます。
もうねサラ・マクラクランのライブを見た時のあの同じ…。
「いやあなたはやっぱりこれをやるために生まれてきてるんだ」っていうその声がまた下りてきて。
その彼女のステージを見ながら絶対に自分もここに立ちたい。
立つんだって思って。
その日に会場でもらったパンフレットの中の一つを3年後の2006年9月27日までに私の武道館をやるってこう書いて。
自分の寝室の扉に貼って。
そのコンサートの当日?そのコンサートの夜持って帰ってきて。
それでうちに遊びに来る友達とかは「いや普通さあ」って。
「メジャーデビューとかの方が先じゃない?目標として」って。
「ちょっと逆じゃない?」って笑われてたんだけど。
でもそれでも自分でやっぱり気持ちを奮い立たせるためにあの時の思いっていうのを今回は絶対見失わないと思って。
その目標を設定したからこそ彼女は無我夢中で曲を書き続けました。
その数…そして28歳の時「HOME」でメジャーデビューを果たします。
苦節10年遅咲きのデビューでした。
一枚でも多く売りたい。
地道なライブ活動を続けます。
CDショップショッピングセンターなど100か所以上。
歌わせてくれる場所があればどこへでも。
全国津々浦々インストアCDショップに行ってとにかくこう集まった人に歌を歌って50人来たら50枚CDが売れて。
へえ〜。
2,000枚は手売りをしたんです。
オリコンの順位で言うと50位とかそういう感じだったから。
でもいいんじゃないの?それ。
武道館武道館って思ってるから。
焦ってる訳だ。
焦ってるから。
まだ無名だったアンジェラは過酷な地方プロモーションを乗り切り全国で出会った一人一人に歌を届けました。
そして気が付けばデビューアルバムは…そして…。
アンジェラ・アキ日本武道館ワンマンライブ決定しました!あの誓いから3年。
本当に武道館ライブを実現させたのです。
こんばんは!・「奇跡を待つより」・「この手をつなぎたい」30で駄目だったら辞めようって思ってた29歳の武道館っていう。
10年の下積みを経て500曲曲を作ってホントに長かったなと思いながらも私の人生にはこれだけの回り道っていうとねネガティブに聞こえるかもしれないけどそれぐらいの遠回りが私にちょうどよかったのかなっていう。
で最初の武道館のために作った楽曲が「サクラ色」っていう曲なんだけど。
夢を自分の夢を10年見続けてきたっていう思いを何かこうみんなに伝えたいっていう。
そして桜色のハンカチを配ってそれでみんなでこうそれを振ってっていう。
空からは桜が舞ってきてっていう。
あのシーンっていうのは多分私が死ぬ時に走馬灯の1コマです。
それぐらいもう一生忘れる事のない。
私にとっての10年大変だった時期が一つも無駄じゃなかったっていう思いの結晶の瞬間かなって。
一方フジテレビ系の制作会社共同テレビの契約アナウンサーとして働き始めた滝川クリステル。
迷いながら道を探っていた3年目でフジテレビ看板ニュース番組のキャスターに抜てきされます。
しかし自分に務まるのか?大きな不安がありました。
まだ現場はこの3年しか踏んでないしまだまだ修業が足りないのに突然キャスターをやれって言われると周りの批判だったりいろんな事がどっと目に見える訳。
「何で彼女がやるんだ」みたいな。
しかもフジテレビのアナウンサーがほかにもいっぱいいるんだけれども私が共同テレビでそこに行くっていうのはやっぱりちょっと違うんじゃないかっていう。
聞こえてはいないんだけれども聞こえる声ってある訳。
でもまあこれも縁というかそういうふうに思ってくれる人がその中にいてくれた。
今までの仕事も評価してもらえたんだったって思えて。
で25っていうのは私にとって何か区切りだと思ってて。
10月1日が始まる日だったの。
で誕生日だった訳。
25になる10月1日にキャスター1日目を迎えると思うとああ何かこれも運命なのかなって思いたいって思って。
3年目とは思えない落ち着いた語り口が高い評価を受けました。
夜のニュースの顔となったクリステル。
そして29歳。
日曜日の報道番組でもキャスターに抜てきされます。
月曜から金曜に加えて日曜。
週6日休まる間もなくニュースを伝える日々です。
支えてくれた音楽は少女時代を過ごしたフランスを思い出させてくれるこのフレンチポップス。
フランスの曲を聴くと何かホッとする。
何か拠り所が。
野放しの時代を思い出すのね。
そうなの思い出すの。
子どもの頃のイメージがよみがえってくる。
自由奔放に生きてたあの時代とか走り回ってた時代とか。
まあでも本来の自分だったりするからねそれがね。
そうそう。
それを思い出させてくれる。
フワ〜ッて力が抜ける。
抜けるんだよね不思議と。
で7年やらせてもらって。
まあでもあれだけ厳しい中にいるとね自分が普通に…。
年相応じゃない年の取り方をしちゃってた。
ある意味一番老けてた時期かもしれない。
ホントに。
やっぱりプレッシャー重責いろんな事で体も気持ちもしっかりしなきゃ…。
凜として常にキャスターとある模範的な形で外にいてもだらしない格好ではいられないとか。
ニュースはもう何でも知っていなきゃいけない。
何かこう全部ちゃんとピシッとしてなきゃいけない。
自分の中で縛りをどんどん作っていって。
そうするとどんどん老けていった時でもあったような気がする。
でもそれが修業だったと思うんですよ私にとっては。
だってあの時代がなかったらもうあんなに勉強してあんなに必死になってニュースを伝えるっていう時期は…。
それがあってこその今だから。
30代2人は今までの人生から更に先へと羽ばたきます。
メインキャスターを張って5年。
がむしゃらに働き続けたクリステル。
30歳になってある事を考え始めました。
自分のやりたい事に耳を傾けたい。
ふと立ち止まってみたのです。
休む暇もなく…。
バランスがちょっと崩れてきちゃってああこれはいけない。
喜怒哀楽の喜びも楽しみも何かちょっとそういうのを抑えるような。
やっぱりニュースって常にこうシビアにというか。
やっぱり顔の表情もそうだし。
これだとちょっと私が自分を押さえつけ過ぎちゃってるからこれはちょっと外に出ないと駄目だなと思って。
それだったんだね。
そういう意味でもう出てもいいかなっていうか。
31歳の時夜のニュース番組を卒業。
ジャンルを超えて活躍できるフリーアナウンサーの道を選びます。
「プロジェクトウィズダム」。
テレビ各局への出演ラジオのDJドキュメンタリー番組での海外取材。
やりたかった事をしなやかに実現していく姿は世の女性たちに支持されていきます。
女性誌でも引っ張りだこ。
ライフスタイルまでが注目されるようになった30代。
自分らしい生き方ができるようになったクリステルに響いたのは生まれた年に発表されたこの歌でした。
知ってる?うん。
・「夜の気配にすり抜けては」飲みながらよく聴くのこの曲は。
分かる〜。
何かすごい合う。
女性の…。
生き様というか何かね。
声に表れる彼女の生き方とかああ何かかっこいいなって。
もうそれしかないんだけど。
ニュースを伝えるっていうところの変化っていうのは感じた?独立する前と独立した後って。
ニュースキャスターは浅く広く満遍なく皆さんに全ての情報を伝えるっていう事なんだけど掘り下げる事ができるの。
自分の興味を持ってる事に対して。
それをすごくやりたかったのね。
自分らしさっていうのをやっと追及できるところまで来たっていう事だね。
多分ね。
そうねそう。
今の方が自分らしくいられてるっていうのはまさに独立してからかな。
うん。
一方アンジェラは29歳の時仕事上のパートナーと再婚。
人生の一区切りを迎えた時原点の中学時代を振り返る楽曲を依頼されました。
中学生の合唱コンクールの課題曲です。
初めてシンガーソングライターで自分じゃない人たちが歌う自分じゃないために作るっていう。
結構もんもんとしてて何を作ろうかなって。
なかなかうまくいかなくて。
そんな中本当に9月に30歳の誕生日を迎えて母から1通の手紙が届いて。
バースデーカードかなと思って開けてみたら「これあなたが覚えてるかどうか分からないけどあなたがハワイに引っ越した時に30歳になったらこれを私に届けてねって言った手紙」。
へえ〜。
もちろんそんなの覚えてないし。
書いたっていう事すら。
開けてみたら「30歳のアンジェラへ」って書いてある訳。
「お元気ですか」って。
「幸せですか」って。
「結婚してますか子どもいますか」みたいなところから始まり…。
タイムカプセル。
もうそこから「ちょっと誰にも言えない事があってちょっと聞いてほしいんやけど」っていってもうブワ〜ッてその当時の悩みを1ページではなく2ページではなく7ページにわたって…。
書き過ぎやろっていうぐらいすごいいっぱい書いてて。
何とか君にこんな事言われた。
何とか先生にこんな事言われた。
親にも相談できない周りの友達にも言えないから自分の中の一番安全な場所っていうのは未来の自分っていうふうに勝手に思ったらしく。
その昔の自分が。
遠い未来イコール30歳っていう。
だから30歳の自分に手紙が届いて。
読み終わった時にもうあの時の自分にとにかくねハグをして大丈夫だからって。
全ては時間が解決してくれるからって。
こんなに悩まなくていいからっていうその思いを持ったままピアノに座ったら自然にこの曲が出来たの。
だから自分の体験をそのまま曲にしたっていう。
何か私だけ…例えば日本からアメリカに来て屈辱的な15歳を体験したから私にしか分からないと思ってたような事が全国の中学生たちがみんな同じような気持ちを…。
もんもんとしたり悩んだりとか葛藤があったりっていうので「何だ。
私一人じゃなかったんだ」っていうのが30になって気付いたっていうかね。
・「悩みの種があるのです」作ってた時に教科書とかに載るような曲になるなんて思ってもなかった。
「そんなんだったらもっとちゃんと作ったのに」みたいな。
「どうしよう」みたいな。
あっでも私も教科書にこの前の東京オリンピックの「おもてなし」が出るんだって。
うそ〜。
一緒に教科書ガールズ!TOKYO。
去年9月のオリンピック招致レース。
近代オリンピックはフランス人の提唱により始まったため今もフランス語でのプレゼンが重要視されます。
その大役を担ったのがクリステルでした。
最終プレゼンに向けてのリハーサルは過酷そのもの。
本番10日前にアルゼンチン入りしプロの指導の下表情筋の使い方から腕を上げる角度まで練習は深夜に及びました。
朝から晩までず〜っとリハーサルリハーサル。
通しリハーサル。
ごはんも食べられないぐらい。
もうそのまま化粧も落とさないで寝る。
そうするとメークさんに怒られるから次の日にねボロボロになるから途中で目が覚め落として寝る。
そんな日々ね。
で本番3日前ぐらいになると食べられなくなるのね。
もう無理。
で寝れない。
げっそり。
食べてなかったんやんな。
食べれない食べれない。
胃がここまで来ちゃってたから。
もうホントに。
ここまで来てたここまで。
絶対にプレゼンを成功させたい。
極度の緊張とプレッシャーの中気持ちを高ぶらせてくれたのは生まれ故郷フランスのデュオが奏でるこの曲でした。
この曲を聴きながら全然オリンピック選手じゃないしサッカー選手でもないんだけどバスの中で聴いて行ったりとか会場に。
この曲は民族音楽だし動物の声だったり自然の音だったり地球上に存在するものの原点の音それが音楽になるっていうか。
何かすごくね奮い立たせてくれるんだよね。
この曲が私を。
奮い立たせてくれた。
このサウンドで集中力を極限まで高めついにあのスピーチが始まったのです。
(フランス語で)おもてなし。
おもてなし。
TOKYO。
優雅なフランス語のスピーチはIOC委員たちの心を捉えオリンピックの東京招致に大きく貢献しました。
終わったあとにIOCの方々が「すばらしいフランス語ありがとう」とおっしゃってる方もいましたので参加させてもらってホントによかったなと…。
初めてあれだけの人…。
何て言うの友達にもそうですけどホントに国のためにありがとうって言われる事なんて人生で絶対ないしそんなメールもらう事…。
手が震えちゃうぐらいすごい反応のメールの嵐だったから何かみんなの元気をね勇気を1つ少しでも…。
こう何か霧もやがかかってたところに一筋の光が日本にとってねこの事で何かができたんだったら今までの道が間違ってなかったというか。
アイデンティティーの中でいろんな思いがあったけれどもここまで来てこの形で自分の語学を生かしてつなげるっていう事をちゃんと実らせる事ができたのかなっていうのを感じられた瞬間。
ホントに集大成のね。
そう。
ホントにそう。
一方デビューから5年絶え間なく走り続けてきたアンジェラは極度のスランプに陥っていました。
それはある事がきっかけでした。
2011年年が明けたぐらいの時に妊娠をして。
すごいうれしくてもう何か跳びはねて喜んでいたら…。
ある日台所で料理をしてたら痛みで激痛で気を失う感じになって。
結局病院に駆け込みで入っていくと子宮外妊娠という事が発覚して。
緊急手術。
そこで卵管も摘出したけど。
それまで子宮外っていう事を知らなくて。
もう自分は予定日がいつでっていうふうな舞い上がってる中でお医者さんいわく「ホントにあなたいいですか」って。
週末だったのよ金曜日だったから月曜日まで我慢して病院に行こうって思ってた。
「月曜日まで我慢してたらどうなってたか分からないですよ」ってすごく怒られたの。
その時に初めて立ち止まっていや生きてるとか自分の人生ってっていうところまでこうものすごい揺さぶられて。
その2か月後に震災があって更にこうダブルの打撃で。
で今までず〜っとデビューまでに500曲作ってくるぐらいの自分の中ではもう流れ続けてた制作の泉がクリエーティブの泉がパタッとこう止まって。
もう枯渇という状態になってしまって。
ここからどういう曲を作ればいいのかとか何のために私は歌ってるのかっていう事をこうどんどん自問自答して空回りをしていくだけの中でっていうのが。
2011年は私にとっていやホントにいろんな壁にぶつかって…。
スランプから抜け出せず息苦しい思いでいたアンジェラ。
そんな時心を打ったのはシンプルに歌とは何かを思い出させてくれるこの声でした。
自分の中で一番苦しかったのは自分の能力とか自分の技術の限界という壁がはっきり見え始めて。
自分の限界っていうものを見た瞬間に人ってちょっとずつ死んでいくのかなみたいな。
それぐらいすごく重いものを感じ始めるようになって。
何が正しいのかがもう分からなくなってる中でこの曲を聴いた時に…。
世の中に出回ってる楽曲売れてる楽曲っていうのはすごくこうとてもある種の強いにおいっていうのがあるじゃない?今ラジオから流れてるテレビから流れてる楽曲。
でも彼女は時代に反してる音を出してるような感じがして。
でもそれでもあなたが思うものがあれば強く願うものが思うものがあればそれでいいんだっていうのをね何か再度…何か背中を押してもらってるようなそんな楽曲だから。
思い入れの曲なんだ。
順調にデビューしてから来ててやりたい事をやっとやれるかなあみたいなところまで来た時のスランプっていうかね。
でもいろんな事を考える時期でもあったんで必要だったのかなって。
立ち止まってね。
36歳。
今の自分を表す9曲目。
このタイトルがたまらなく好きなのまずね。
すばらしいね。
男性が女性に求める究極のシンプルな何かこう「ドレス1枚と愛ひとつ」…。
まあ私たちも働く女性としてガツガツ男性にね追いついてっていうんじゃなくて女性らしさもちゃんと持ちつつやっぱりその両方を兼ね備えながら自立していくっていうのがやっぱり今女性像としてだんだん受け入れられてきてるというか。
もちろん子どもも持ちながらとかだんだんホント社会がこれからもっと変わっていくと思うし。
でも何かいろんなものをそぎ落として一人の女性になった時に愛ひとつとドレス1枚があって女性としていられる。
そういう究極の形で自分があれる。
女性としてありたいなっていう。
一方アンジェラは悲しみを乗り越えて男の子を出産。
スランプに苦しんでいた創作活動にも新たな光がさしてきました。
今2歳でしょ?そう今2歳。
手つないでもう普通に歩いてるの?もう全然歩いて保育園にも連れていくし。
だからもう夜深い時間に制作してたっていうのが…。
変な話もう焼酎とかカランカランと飲みながら曲とか作ってた訳よピアノの上で。
もう典型的な…。
おやじ。
おやじでしょ。
アハハハ。
子ども生まれてからとにかく朝が早い訳。
もう6時ぐらいに起きるの毎朝。
もう9時には保育園には入れるからだから夜のカランカランっていう曲作りがホントに「さあ曲だ」って太陽がキランキランっていう中で曲作ってるからすごい爽やかな気持ちにだんだんなってきて。
だからすごく朝の集中力の高まってる時に制作をするとか仕事をするっていう事がこんなに健康な事だったんだっていう事に改めて気付かされて。
そういう意味ではすごくねやってみたい事がいろいろ浮かび上がってきたというか。
ミュージカルを作りたいってずっと思ってたけどこれを機にスタートさせようって…。
20年近い月日がたっても色あせない音楽を何か作りたいなっていうふうに…。
ずっと語り継がれるぐらいの。
世界中から集まってくる人たちが楽しめる芸術ってなかなかほかにないと思うから。
例えば席に座っててもこっち側で中国語こっち側でスペイン語後ろで英語前ではね日本語をしゃべるお客さんがいたりして。
こんなこう世界中から集まってみんなが楽しめる老若男女楽しめるエンターテインメントっていうのはすばらしいって思うし。
だから自分もそういう場で成功させたいって思うしどうせやるんだったらホント本場のニューヨークのブロードウエイでちゃんとこう出して成功して。
ホントにグラミー賞取りたいって思ってるし世界で勝負したいって思ってるし…。
そんな思いからアンジェラはある決断をします。
無期限の活動停止。
この秋からアメリカの音楽大学に留学する事を決めたのです。
何か私の中で40歳までに世界で勝負できるレベルのスタートラインに立ちたい。
ここから40からがスタートだと思ってるから。
旦那さんと子どもと一緒に向こうに行く?うん。
こうやって家族を連れて一旦自分の夢のために支えてもらって行くっていうのは…。
一大決心。
一大決心。
最後に2人に聞きました。
人生の終わりに聴きたい曲は何ですか?切なくもありでもねホントにいろんなシーンが思い浮かべられる…メロディーで。
でこれって不思議で恋人とかの関係じゃなくて親子だったり友達親友だったり自分の動物との関係だったりホントにいろんなものの向き合い方を感じさせる。
じゃあ何か死ぬ前に自分の絆いろんな所での絆を確認して…。
全部の事を思い浮かばせてくれる。
ときめきであったり切なさであったりうれしさいろんな感情も感じさせてくれるっていうかその珠玉の1曲というか最期に聴きたいかなっていう。
私はこのアート・テイタムのピアノバージョンが大好きで。
ピアノなんだね。
ピアノなのかもね。
最後はピアノだと思う。
私も何となく。
ピアノっていう存在って私にとって子どもの頃からこう自分のアイデンティティー・クライシスアイデンティティー喪失してる中で一つのとっても大きいアイデンティティーをピアノは私にくれた訳だしもやもやした気持ちをピアノに向かって曲を作ってる時に分かち合えたしっていう。
ホントに友人でもなく恋人でもなく一生のパートナーっていうそういうすごい特別な存在だから…。
そうだよね。
ましてやこの「私のために泣いておくれ」っていうこの曲を…。
誰も泣かなくてもピアノだけが「寂しいよ」って言ってくれたら何かそれで満足かなっていう。
だから死ぬ時も触っていたいっていうか最後にお別れを言いたいっていうか。
人生を彩った音楽は記憶を鮮やかに呼び覚まします。
人生の大切な10曲。
あなたはどんな音楽を選びますか?2014/08/14(木) 23:00〜23:45
NHKEテレ1大阪
ミュージック・ポートレイト「滝川クリステル×アンジェラ・アキ 第2夜」[字]

滝川クリステル&アンジェラ・アキの人生の10曲▽五輪招致での滝川の見事なスピーチを支えた音楽は?究極の緊張の舞台裏を告白▽大スランプのアンジェラを救ったシンガー

詳細情報
番組内容
滝川クリステル&アンジェラ・アキが「人生の10曲」を持ち寄り対談▽東京五輪招致での滝川の見事なスピーチを支えた音楽は?究極の緊張の舞台裏を告白▽大スランプのアンジェラを救った新人シンガー▽プレッシャーに押しつぶされそうになりながら“夜のニュースの顔”を続けた滝川を癒やしたフレンチポップス▽今夏で日本での音楽活動停止を決めたアンジェラが目指す夢とは?▽「サクラ色」「手紙」▽椎名林檎・吉田美奈子 ほか
出演者
【出演】滝川クリステル,アンジェラ・アキ,【語り】ヒロ寺平

ジャンル :
音楽 – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
バラエティ – トークバラエティ

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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