高速道路の管理や整備などを行うNEXCO東日本の…震災発生直後から高速道路の復旧に全力を注ぎました。
当時吉原さんは整備を請け負うグループ会社に出向し工務課長を務めていました。
あの日仙台市内の事務所で大きな揺れに襲われます。
すぐに向かったのは3階の防災対策室でした。
当時ここには管轄していた宮城県内の高速道路6路線の情報が集まっていました。
全てのインターチェンジで震度5以上を計測したため全線が通行止めになりました。
すぐに現場に出ていた20人の部下と連絡を取り道路の被害を報告するように指示を出します。
すると段差や亀裂陥没などが至る所で確認されました。
被害箇所は管轄する118kmの区間で1,800か所を超えていました。
吉原さんは協力会社にも応援を要請し40人の復旧チームを組織します。
本格工事は間に合いません。
道路に出来た段差には土のうを積みその上に鉄板をかぶせました。
徐行すれば車が通行できるよう夜を徹して応急処置が行われました。
そして地震発生から20時間後東北自動車道は全線通行可能となり緊急車両が走り始めました。
その後の20日間で全国から100万台を超える緊急車両が被災地に向かいました。
吉原さんたちが次に向かったのは津波の被害が大きかった沿岸部の高速道路でした。
最も深刻だったのは海から4kmの場所にある仙台若林ジャンクション。
東北道と仙台東部道路を結ぶ救援ルートの心臓部です。
がれきは道路を完全に塞いでいました。
重機がそろわない中復旧チームの半分の人員をつぎ込み手作業でがれき撤去を続けました。
重機が確保できてもがれきの中には多くの遺体があり慎重な作業が求められました。
ジャンクションが開通したのは地震発生から9日後の事でした。
2014/09/10(水) 10:50〜10:55
NHK総合1・神戸
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「宮城県仙台市 吉原豊さん」[字]
NEXCO東日本の吉原さん。管轄する高速道路が通行止めになり至る所で被害が確認された。協力会社にも応援を要請し復旧チームを組織し、高速道路の復旧に全力を注いだ。
詳細情報
番組内容
東日本大震災に遭遇した方々の「あの日」の証言。高速道路の管理や整備を行うNEXCO東日本の吉原さん。管轄する高速道路が通行止めになり至る所で被害が確認された。協力会社にも応援を要請し復旧チームを組織した。徐行すれば車が通行できるよう、夜を徹して作業が行われ、地震発生から20時間後、東北自動車道は通行可能となり、緊急車両が走り始めた。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:23634(0x5C52)