平成9年2月10日より
経済コラムマガジン


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97/9/29(第35号)
  • ウインドウズ上で当マガジンの表示が第32号からおかしくなっていましたが、ようやくその原因が解り、修正しました。読者の方には大変ご迷惑をかけました。原因はスペースが混入した文章を繰り返しコピーして使っていたことです。

リクルート事件と経済を考える
  • ロッキード事件について
    先週号9/22(第34号)「ロッキード事件と経済を考える」でロッキード事件について触れたが、今週号ではリクルート事件について述べたい。世間はこの二つの事件を政治家を巻き込んだ同等の大きい事件として捉えている。筆者は、ロッキード事件は底のしれない事件であり、知られている事柄も全体のほんの一部と考えているが、一方リクルート事件の方はマスコミが喧伝しているような大きな事件とはとても思っていない。
    まず話を進める前に佐藤総務庁長官の辞任について述べたい。大方の予想の通り佐藤総務庁長官は辞任した。気になったのは、ほとんどのマスコミが「永田町の常識が国民の常識に負けた」と得意になって解説していたことである。まるっきり世論が正義で、政治家は悪と決め付けているかのようである。問題は、どちらの常識がより真相に近いかと言うことである。特に情報量に差がある場合は難しい。例えば「安全保障」に係わる事項に関しては、両者に歴然とした差が生じることは当然考えられる。ロッキード事件をつきつめて、仮にそれが国家の安全保障に関係してくるならば、永田町の常識の方が正しいことは十分考えられる。
    ロッキード事件の被告が、その後もおしなべて堂々としていることが、筆者には注目される。田中角栄氏も大きな政治力を維持していた。若狭全日空社長は会長になり、その後も名誉会長として会社の実権を握っていた。周囲の者も「ロッキード事件はあたかもまぼろしの事件」のような被告への接し方でなのである。
    ロッキード事件が表面化して20年以上経過した。佐藤孝行氏の有罪が確定していることは誰でも知っている。しかし、ロッキード事件についてのマスコミの伝える話は当時と全く変わらないレベルである。その間にわかった新事実と言うものがないのであろうか。むしろ筆者はそちらの方に興味がある。マスコミ人は一体、この20年間何をやっていたのであろうか。

  • リクルート事件について
    筆者は、リクルート事件が報道された時、なぜこんなことが今さら問題になるのか、不思議でならなかった。この事件はリクルート の子会社リクルートコスモスが上場する時、未公開株を政治家や官僚に配ったと言うことである。しかし、この場合は言葉の使い方を厳密にするべきである。「配った」と「公開価格で売った」とでは意味が全く違ってくる。「配った」のなら贈与であり、それによって反対給付を受けたらワイロである。一方、「公開価格で売った」のなら、これは商取引であり、それ自体は問題がないはずである。未公開株を買った者が政治家だったから問題と言うのはおかしいはずである。少なくとも法律に抵触することはない。
    株式会社が、株式を証券取引場に上場するには、色々な条件をクリアする必要がある。株主の数が一定以上いることもこの条件の一つである。この決まりは、その株式の取引に参加する人を増やすことによって、株価形成を適正化することが目的である。株式を公開しようとする会社はたいてい同族会社であり、株主数が極めて少ないのが普通である。いつも株主数を増やすことは簡単ではない。多くの場合は、幹事の証券会社の手を借りることになるが、これが問題である。これについては後ほど述べる。
    株式を公開する会社も未公開株を引き受けてくれる人を探すことになる。将来その株が高くなるなら引き受け手に困らないであろうが、そうでない場合は難しい。また株式を公開する会社の立場からは、未公開株を引き受けてくれる人にはずっと株を保有してもらって、安定株主になってもらいたいと希望するのが本音であろう。そのため未公開株を売却する相手はどうしても知人や関係者になる。リクルートコスモスの場合は、これに多くの政治家や高級官僚が含まれていたのである。
    リクルート事件では、職務権限や請託があったかが問題になったが、結局、元高級官僚と藤波元官房長官が起訴された。つまり、司法は対価を払っても、未公開株を引き受けることは経済的メリットを受けることと判断したのである。たしかに当時は株が公開されると値が上がり、時には短期間で何倍にもなった。リクルートコスモス株も3倍くらいになったはずである。マスコミでも「値上がり確実な未公開株」と言う表現を用いている。しかし、筆者はこれは理論的におかしなことと考えている。「値上がり確実な株」なんて世の中に存在するはずがないのである。もっとも、たしかに、当時公開された株式はまず例外なく値上がりしたのも事実である。
    筆者は、これは未公開株の株価の設定が低すぎることと株式公開に伴う異常な人気のせいと考えている。未公開株の株価の設定は、いい加減にされているわけではない。一定の基準で算出している。通常それはその会社の過去の利益の推移、純資産額、類似業種の株価で決定される。しかし、日本の会社の場合、3/31(第9号)「日本の株式を考える」で述べたように特に古い会社で土地や子会社が多い場合の価値をカウントすることは難しい。つまりこの方法では資産に含まれている「含み益」が株価に反映されない。株式公開時の値上がり分のある程度はこれを反映するものと考えても良いと思われる。さらに株式が公開されることにより、その株式に流動性が備わり、その分株価が上昇することも合理的なことである。
    値上がり分の一応ここまでは納得できるが、問題はこれらを越えて値上がりするケースである。これは証券会社の株価操作の結果ではないとははっきり否定できないのである。かりに株価操作がなかったとしても、「公開株は値上がりする」と言う市場心理があれば、自然と買いを集め、株価は上昇する。これにより株価が実態をはるかに越え上昇することもしばしばあった。
    このように未公開株の割り当ては、双方にとって都合の良いものであった。ただこのような前時代的な株式市場が長らく放置されていたことが問題であった。いずれにしても、その取引が法にかなっていても株取引には政治家は近づかない方が良い。それは日本の株式市場が近代化されていないことと、政治家が特別の情報に接しやすい立場にいるからである。

  • 株式市場とマスコミ
    株価操作の疑いは、未公開株に限らず色々な場面で噂されているだけで、部外者にはその実態がはっきりわからない。また、株式市場にはこの他にもインサイダー取引や情報操作などとかく不明朗な話がつきまとう。また証券会社が特定の顧客に未公開株を斡旋したり、損をさせた顧客に未公開株を割り当てて損失補填を行なっていると言う話はよく聞くことであった。しかし、当時は不思議なことにマスコミはこの株式市場や証券会社の行動には全く興味を示さないのである。
    リクルート事件が起こった時も、筆者は、これで株式市場の実態が報道されるのではないかと期待したが、マスコミは政治家を追いかけるだけで、証券市場での価格形成の異常性については全く追及しなかった。証券会社も次は自分達のところが取材攻勢に会うと覚悟していたのではないかと筆者は考えている。逆に証券市場で正常に株価が形成され、未公開株が何倍にもなると言うことがなければ、リクルート事件は事件として扱われることはなかったのである。日本の株式市場の後進性については、各方面から指摘されている。リクルート事件が発覚した時に日本の株式市場や証券会社の行動にメスが入っていたら、株式の業界の近代化は5年から10年早まったであろう。当時のマスコミの報道は大きくポイントがずれていたのである。今日、総会屋への利益供与で、証券会社の行動について連日マスコミで報道されているが、「今頃なにを言っているのか」と思われる。

  • リクルート事件と経済
    リクルート事件後、さすが未公開株の株価の決め方はまずいと考えられ、ルールが改正された。88年からは未公開株の株価は入札で決められるようになつたのである。これにより未公開株が公開時に何倍にもなると言うケースはなくなった。さらに「大口顧客への損失補填問題」以降に株式取引監視委員会もでき、形式的には近代化は進んでいる。また手数料の完全自由化も予定されており、そのうち株式市場も正常化するであろうが、それにしてもそのテンポが遅すぎたのである。
    金融資産が毎年増えているのに、日本の株式市場の取引高は減少している。特に株価も下がっているので、金額ベースでの取引額はかなり落ち込んでいる。最近では、店頭株の入札で予定入札量が消化できないケースも発生している。株式市場の低迷の原因は株価低迷だけではない。投資家の株式市場や証券会社への信頼感が落ちていることも大きな要因であろう。日本版ビックバンでは「株式投信」が金融商品の本命となるといわれているが、株式市場の現状を考えると、筆者には疑問である。
    ロッキード事件とリクルート事件は、通常世間に出るはずのない資料が外部にもれ、それに政治家の名前がはっきりと記されていたところが共通している。当然、マスコミは政治家のスキャンダルとして追いかける。その経済的側面には興味を示さない。たしかに経済面の話は難しく、取材が困難であろう。むしろ事件を単純化し、政治家のスキャンダルとして追及した方が、読者や視聴者の興味を引くのであろう。これが現代のマスコミにまつわる問題点である。
    また、漏らされた資料が内部資料である。つまり二つの事件も発端はいわゆるリークである。つまりリークした者には「意図」があったはずである。多分その後のマスコミの取扱方も予想していたものであろう。不思議なことにマスコミの取材はこのリークした者の「意図」には及ばないのである。実際、筆者にはこちらの方に興味が引かれる。リクルートコスモス社は、当時不動産業界では急成長会社であった。それだけにかなり強引な商売を行なっていたことも考えられるが、もしリクルート事件がなかったら、数年後には売上高で、業界トップになっていた可能性が十分あったのである。



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97/9/22(第34号)「ロッキード事件と経済を考える」
97/9/15(第33号)「住宅と貯蓄を考える(その2)」
97/9/8(第32号)「住宅と貯蓄を考える(その1)」
97/9/1(第31号)「労働組合と経済を考える」
97/8/25(第30号)「競争時代の賃金を考える」
97/8/18(第29号)「米国経済の生産性の向上を考える」
97/8/11(第28号)「米国の景気を考える(その2)」
97/8/4(第27号)「米国の景気を考える(その1)」
97/7/28(第26号)「内需拡大と整備新幹線を考える(その2)」
97/7/21(第25号)「内需拡大と整備新幹線を考える(その1)」
97/7/14(第24号)「香港返還と中国経済を考える(その2)」
97/7/7(第23号)「香港返還と中国経済を考える(その1)」
97/6/30(第22号)「日本の米国債保有を考える」
97/6/23(第21号)「投機と市場を考える」
97/6/16(第20号)「規制緩和と日米関係を考える」
97/6/9(第19号)「ビックバンと為替を考える」
97/6/2(第18号)「内需拡大と公共工事を考える(その2)」
97/5/26(第17号)「内需拡大と公共工事を考える(その1)」
97/5/19(第16号)「金利と為替を考える」
97/5/12(第15号)「規制緩和と景気を考える」
97/5/5(第14号)「為替の変動を考える」
97/4/28(第13号)「日本の物価と金利を考える(その2)」
97/4/21(第12号)「日本の物価と金利を考える(その1)」
97/4/14(第11号)「日本の土地価格を考える」
97/4/7(第10号)「当マガジン経済予測のレビュー」
97/3/31(第9号)「日本の株式を考える」
97/3/24(第8号)「たまごっちと携帯電話を考える」
97/3/17(第7号)「政府の景気対策を考える」
97/3/10(第6号)「オリンピックと景気を考える」
97/3/3(第5号)「為替レートの動向を考える(その2)」
97/2/24(第4号)「為替レートの動向を考える(その1)」
97/2/17(第3号)「日本の金利水準と為替レートを考える」
97/2/10(第2号)「国と地方の長期債務残高を考える」
97/2/1(第1号)「株価下落の原因を考える」「今後の景気動向を考える」