ティーンズビデオ2014「テレビドキュメント部門」 2014.08.14

高校生の熱い一日が始まろうとしていました。
集まったのは全国1,681校の中から勝ち抜いてきた放送部員たち。
(3人)ちばりよ〜!
(3人)放送部。
イエ〜イ!決勝戦頑張るぞ!
(一同)オ〜!高校生で埋め尽くされたNHKホール。
全国大会のファイナルステージに上がれるかどうかが決まります。
アナウンス部門の決勝進出者は…愛媛県済美平成中等教育学校佐田杏那さん。
テレビドキュメント部門の決勝進出校は…。
(歓声)福島県立磐城高等学校。
今年は全国から高校生1万7,777人が参加しました。
その頂点が今日ここで決まります。
部門別に行われるコンテスト。
アナウンス部門朗読部門では発声の技術や表現力を。
ラジオ部門とテレビ部門では企画構成力や撮影録音編集などの技術をそれぞれその道のプロによって順位がつけられました。
その中から今日はテレビのドキュメント部門で決勝に進出した作品をご紹介します。
(一同)「ティーンズビデオ」。
わ〜っ!
(一同)「2014」。
(一同)スタート!はい今年もやってまいりました「ティーンズビデオ2014」。
果たしてどんな作品が登場するのか今からワクワクしてますけども早速この作品を一緒に楽しんで頂くゲストをご紹介します。
映画コメンテーターのほか幅広い分野で活躍中のLiLiCoさんです。
(LiLiCo)どうも〜。
どうもよろしくお願いします。
来ちゃいました。
フフフフ。
いかがですか?心意気。
あのね〜ショートフィルムから長編までいろいろ見てますので若い…本当原石ですよね。
今日見ていろいろね。
そんなに私辛口じゃないので辛口のイメージがあるんですけど顔なんですよそれが。
優しいんですよ。
顔がキツいだけなんです。
顔もおきれいですよ。
テレビ部門はですねテレビドキュメント部門と創作テレビドラマ部門に分かれています。
今日はその中のテレビドキュメント部門です。
全国558校の中から見事決勝に勝ち進んだ4校の作品をご紹介します。
どの作品が優勝するのか皆さんも一緒に考えながら見て下さい。
最初の作品はこちらです。
ぼくの名前は鯨岡健佑。
磐城高校放送委員会の2年生だ。
11月ぼくは全国大会常連であるラグビー部の取材をしていた。
こうして作った番組で初めてぼくは県大会を突破できた。
でも気付いたらぼくはラグビー部員になっていた。
始まりは花園への出場を懸けた県大会の決勝戦で負けた事だった。
新チームになったけど部員が12人しかいなかったのだ。
部員が足りないのは知っていたけどラグビー部に入るつもりなんてなかった。
だってぼくはよく知っている。
ラグビーは…痛い。
しかしここで3人の黒幕が登場する。
1人目はラグビー部監督の坂本先生。
ぼくの体格のよさに目をつけたらしい
(坂本)君らがほら取材で来てる時に体大きくてラグビーやりそうだなという雰囲気があったので。
2人目は担任の日渡先生。
この人は自分が面白いと思えばどんどん勧めてくる困った人だ
(日渡)多分周りは面白おかしくラグビー部誘ってるよというふうにドッと笑ったり盛り上がったりした事もいっぱいあったけどぼくは心の中では…ラグビーやった方が放送委員会以外で…
3人目が放送委員会の顧問である中野先生とほかの女子部員たちだ
(中野)番組作ってさラクビー部に迷惑かけながら作った訳じゃん。
人足りないって言ってる訳だからそりゃ助けねえっていうのはさ人としてどうかなっていう。
どうせネタなんかねえんだから自分でラグビー部入ってその体験ドキュメント作ればいいんじゃねえって。
この言葉を聞いた時先生の頭に角が見えた。
でもラグビーは痛いしけがもする。
親だけは心配して反対してくれるはずだ
(取材者)反対とかはしなかった?本当にあの〜毎日毎日だらだらしてたので体動かしてほしいなっていうのが希望でしたので。
もう味方はいなかった。
結局ぼくは修学旅行中に押し切られてしまった
(拍手)
誓約書まで書かされた。
助っ人ラグビー部が確定した。
ちなみに残り2人の助っ人は生物部と物理部だ。
1週間後には大会だ。
とりあえずけがをしないための練習が始まった。
運動なんて授業でしかしていない。
びっくりするくらい動けなかった
ザ帰宅部みたいなだらけた体をしているけどそれを生かせる場所が見つかった気がして。
鈍くさいけど体育の授業一緒にやっててボールセンスあるからなんとかなるんじゃないかなと思ってた。
あっという間に1週間が過ぎ大会だ
(一同)お願いします!
実はまだルールもよく分かっていない。
ただうろうろしていた。
何もできないまま終わっていた。
でも…
(取材者)健佑は?本当によかったと思うよ。
バンバン体当ててて…
何か褒められた。
試合には負けたけど地区大会2位で県大会進出だ。
1か月後には県大会だ。
もう少し何かできるようにしたい。
少しは恩返ししないと。
ラグビー部の練習は思ったより楽しかった!確かに痛かったし大変だったけど女子の中に男子一人の放送委員会より気楽だし何より坂本先生は褒めてくれる
(坂本)いやいやいやいやいやいや…。
彼はやっぱり伸び率というか伸びはすごいと思います。
だからああいう体なんだけど瞬間的なスピードもあるしそれでぶつかる事を怖がらないので…。
少しやれる気がしてきた。
体もだいぶ締まってきた。
ぼくのポジションはロックというところだ。
こんな事や…こんな事が仕事だ。
ついに県大会だ
(掛け声)
今度はちゃんと力になりたい。
相手も部員不足の合同チーム。
負ける訳にはいかないのだ
1人タックルで倒す事ができた
試合にも勝てた
ありがとうございました!
(拍手)前回よりはできてたんですけどでももっといけたかなという感じは…。
「ナイスタックル」って言われました。
2回戦相手は花園に行った平工業だ。
勝てれば全国大会も見えてくる。
でも助っ人の一人が昨日の試合でけがをしてしまった。
相手は強かった。
チームもどんどん押し込まれた
(ホイッスル)
(ホイッスル)
ワントライ返すのが精いっぱいだった。
ぼくは何もできないまま終わった
なぜそれを信じない!?
これでぼくの助っ人ラグビー部生活は終わりだ
今日コミュニケーションとかタックルとかいろいろ言われたんでしかも試合に負けたっていう事でちょっと悔しいです。
(取材者)スバリ自分の点数は?キリッとしてました。
すごい大声出してるのとかを初めて見て。
いつもこういう感じなんですごくかっこよかったです。
いてくれて助かったしチームにも貢献してくれてるんで…普通にやってて俺らとも劣らないで同じレベルで戦ってると思います。
もちろん…まだ分かんないっす。
けど分かんないけど…。
ぼくは大会が終わってこの番組の制作を始めた。
4月ラグビー部にもたくさんの新入部員がやって来た。
ぼくがいなくてもチームが組めるようになったんだ。
でもぼくはこの番組の編集をほかの女子部員たちに任せた。
そしてぼくは花園を目指してラグビー部に入部した
磐城!磐城!
(一同)シャ〜!
ぼくは放送部兼ラグビー部だ!
さあ。
面白いでしょ?私出来上がったドキュメンタリーとして見られましたねこれは。
何かちゃんと自虐ネタもありの達成した時の笑顔が最高ですしオチもすごく気持ちいいですし。
先生も適当にいじってるしね。
ワイプの使い方がすごく上手ですしだからそういうふうに考えるとテロップの置き方だったりとか最後に×をするとことか「あっこの遊びはプロなんだな」って。
こういうふうに高校生の時にこれ作れちゃうと大人になったらどんな天才ディレクターになるのかなって今からちょっと優しくしないといけないなと思って。
私この初々しいナレーションが好きでした。
フレッシュですよね。
はい。
何しろキャラがね立ってるからこれはね何ともいかんともしがたいリアル感がありますよね。
いい女性と結婚してほしいです。
後輩の見る目も温かかったですよね。
はい。
すばらしいです。
では次の作品をご覧下さい。
古い校舎の片隅に…
怖いね。
舞装と呼ばれる集団が住み着いている
戦後からずっといるって言うけど…
非合法っていうかあってないような委員会だったんだよね。
大体みんな5kgぐらい体重が落ちて…。
それまで「千と千尋」を見た時が一番感動してたんですけどそれよりも更に感動しましたね。
舞装とは舞台装置設置委員会の事だ。
一応生徒会の委員会ではある。
みんな「ぶそう」と呼ぶが武器を持っている訳ではない。
年に3回泊まり込んでこの講堂を舞台に変えているという。
だが…
謎ですね。
なかなか関わりづらい面があるかなと。
そこで謎めいた彼らに密着する事にした。
今回は縮小文化祭のための舞台作りだという。
メンバーはギター部演劇部軽音楽部の計30人。
彼らをまとめるのは…
彼が全ての責任を負う
これから1週間ちょいぐらいみんなでいいステージでいい発表できるように頑張っていこう。
よしじゃあ始めよう。
(山田)作業開始!
(一同)オ〜ッス!
始まり方も怪しい。
舞台作りは大きく4つの作業からなる。
2週間かけて舞台を完成させるという。
まず段ボールを使って講堂を真っ暗にする。
目張りの作業だ
(取材者)何でそんな何回もやるの?光が漏れるから。
(取材者)光が漏れる?1枚だけじゃ駄目なの?何かね漏れるの。
(取材者)何でやり直しになったの?ガムテープが少々ここら辺に見えてたから…。
(取材者)それも駄目なんだ。
そうそう。
真っ暗に美しく。
それが彼らのこだわりだという。
舞台は25台のポータブルステージで組み立てる。
段差を作らないように高さをミリ単位で調節する
もうちょい。
もうちょい。
ストップ。
あ〜真ん中だ。
ところがポータブルステージは古くてなかなか言う事を聞かない
上げま〜す!
完成したステージに照明のつり込みが始まった。
やっと作業が進み始めた。
作業は中盤。
真夜中にマスクをした男たちが集まってきた。
怪しい
この光が直角に下りてるかどうかをチェックして「ここ直して」って言って。
明け方までずっとその作業。
完璧な光の正方形を求めて大将の厳しいチェックが続く
やっぱり内側入っちゃってる。
いいよ。
(2人)よ〜し!いいよ。
よっしゃ〜!よ〜しお疲れさん。
最後のチームが終わったのは明け方だった
身内内じゃつらいつらい言ってるけど実際は俺楽しくて舞装自体はああいう作業が大好き。
ギターにとってみんなが集まって何かやるっていうのがそこぐらいしかないから。
一番楽しんだのでその時期が。
本番2日前暗幕をかけステージにはもんじと袖幕を取り付ける。
少しずつ舞台の形が見えてきた。
そして舞台の顔緞帳の取り付けだ
校章のついたもんじって緑幕がね細長いのがあるんだけどしわっていうか整えて校章を真ん中にビシッと据えてっていうのはこだわって大将にもちゃんと確認を取りながら…。
あれをやる時はちょっと気合い入れてやってます。
2週間もかけて舞台を作っているのは県内でもこの学校だけだ。
こんな非効率な活動は許されるのか?OBで元県教育長斉藤先生は…
効率で言ったらナンセンスだあれは。
だけど恐らくねあのナンセンスな徒労を通して獲得していくものはね目的ではない何かがもっといいものがね獲得できてくると思う。
そう言われるとすてきに見える。
彼らがこだわってきた舞台が楽しみだ。
何やってるの?やっぱり怪しい。
夜中から古いシートのしわをはだしで伸ばしている。
引いて伸ばして足アイロン
シート1枚にかかる時間は1時間。
一体いつまでやるつもり?もう当日だよ。
間に合うの?
納得がいかないんだよね俺らが。
多分それじゃ。
本当にそこに関しては俺らが納得できるかできないか。
そこがこだわり。
やるなら徹底して全部やっていくっていうのが一番だと思うので。
彼らのこだわりの結晶は本番1時間前に形となった。
新入生が初めて深志の舞台を目にする時だ
それでは時間になりましたのでPR発表1日目を始めさせて頂きます。
彼らの2週間のこだわりはこの日のためにあった。
舞装は発表のサポートに徹する。
そしてついにこのステージを作ってきた舞装メンバーが登る

こうして縮小文化祭は無事に幕を閉じた
せ〜の!終わったあとに達成感とはまた違うんだけど誇りが持てる。
あれがなかったら多分高校生活俺ほとんど学校来てないんじゃないかなと思うぐらい。
あと1回しかないんで本当に駆け抜けるというか全うできたらいいかなと思うので。
舞装やってなかったら多分クソだから。
でも舞装があるから輝けるというか…。
以上解散!
(一同)オ〜ッス!
謎めいたこだわりは彼らを強く結び付けていた
(扉を閉める音)非常に面白い視点ですよね。
はい。
どうですか?これ。
あの〜最初からナレーションが見ている私たちを代弁してくれるんですよね。
何だろう怪しいっていう。
結構「怪しい」っていう言葉がね。
サスペンスなムードで始まりますよね。
そうなんですよね。
作るのがすごい時間かかるけどパフォーマンスなんてあっという間。
そのあと撤収っていう。
あの達成感は見てて鳥肌が立ちましたしすごく上手に私たちを誘導してくれてるなと思いました。
物語の中で。
僕ね見てて更に舞台の実際の本番の時の彼らの表情も見たかったんです。
そう!ワンショットがあると。
確かに例えば何かのパフォーマンスの時に横顔でこう…職人ですよね。
本当に職人の皆さんがそれを眺めてる絵が入ってたらドキュメンタリーとしてアカデミー賞が…。
いけるんじゃないかなと思います。
それではテレビドキュメント部門3つ目の作品です。
平成25年ある兵士の日記がインターネット上で公開された
「10月9日なんと悲惨な事であろうか。
目前に数十名が亡くなり傷ついて倒れているが収容するすべがなくただ悔し涙にむせぶのみである。
10月27日生と死。
それは背中合わせであり紙一重の差でしかない。
しかし私もまだ死にたくない」。
武は大正2年福井県丹生郡吉川村の農家に生まれた。
福井農業学校を優秀な成績で卒業した武は昭和8年に徴兵検査に合格。
翌年鯖江三十六聯隊に入隊し2年間の兵役に就いた。
昭和11年兵役を終えた武は地域の若者のリーダーとして活躍する。
武の人柄について長男富士夫は…
すごい優しい人です。
まず畑仕事ではカエルもヘビも殺しませんわね。
農林学校で新しい農業技術いっぱい習って非常に積極的に農業改革に取り組んだ人ですよ。
昭和12年4月武は安川ハルエと婚約。
11月には挙式の予定だった。
しかし…。
8月日中戦争勃発。
武をはじめ吉川村の青年たちは次々と軍に召集された。
生真面目で文を書く事が好きだった武は戦場で日々の出来事や思いを書き留めた。
それがこの「陣中日記」である。
10月武たちは上海から首都南京を目指した。
中国軍の抵抗はすさまじく武の戦友たちは次々に倒れていった。
12月武は戦友を狙撃した中国兵を捕獲。
同僚と共にこれを殺害する。
国際法に反する行為である事を知りながら武たちは気持ちを抑える事ができなかった
「同じ人間手を合わせて拝む哀れな捕虜を銃剣で突き石でたたき殺し「ああ戦友の敵を討った」と胸のすくような思い。
人殺しをしたあとかえって飯がうまいのだから俺も大した悪者になったものだ」。
昭和14年7月武は無事帰国する。
絶対に公開しないという条件で日記の没収は免れた。
その後武はハルエと結婚。
5人の子に恵まれた。
また農業のかたわら地域の区長などを歴任。
地域の発展のために力を尽くした。
しかし…
近所の人にも好かれているし村の人からも信頼されている人でね精神的にも強い人だったけどね。
夜中にうなされる事もあった訳ですよ。
残酷な行為をしたという事をず〜っとこう…もう反省してるというか…。
昭和58年武は70歳でこの世を去った。
晩年武は死が迫った事を悟り日記をまとめて原稿にしていた。
この原稿は「一兵士の從軍記録」というタイトルで書籍化され話題になった。
福井大学で富士夫の同僚だった隼田嘉彦は…
これはもうすごい記録だと思いましたね。
ごく普通の農民で引っ張られたそういう人が中国に行って自分が体験した事を日記に書いてそれを基に再構成されたものだから絶対に公表しなくちゃいけないと…。
隼田は「從軍記録」の基になった日記の価値に注目。
その解読に取り組んだ。
そして武が日記から意図的に省いた部分に気付いた。
この件に関して武は同居していた五男の敏雄だけに真実を語っていた
びっくりしましてね。
昭和13年5月ゲリラの出現を警戒していた武の部隊はある農村を焼き払い50人以上の住民を惨殺した。
武もまた命令により女性や子どもたちを殺害した。
武はこう書き残している
「こんなに無残なやり方は生まれて初めてだ。
ああ戦争は嫌だ」。
書けなかった部分は父親は書きたかったんかもしれない。
でも父親一人の問題ではない。
まだ父親が30年も前ですから生き残りの老兵たちもたくさん存在してるしそこはやっぱり公開できなかっただろうと思うよね。
平成8年武の戦争体験をつづった「陣中日記」は隼田の手によって福井大学の研究紀要に掲載された。
そして昨年「陣中日記」は遺族の同意を得てネットで公開され誰もが読める状態になった。
戦争体験者が亡くなり彼らのメッセージを伝え聞いた世代までが高齢化しつつある今私たちはかつて日本が戦争をしていたという事実を身近に感じられなくなった
戦争を体験した悲惨さというのかつらさとかね。
もう人間が人間でなくなる悪魔に変わっちゃうというようなその苦い体験ですね。
反戦という思想じゃなくて厭という字を書いて厭戦という思想。
思想というほどでもないんですけども気持ちというか感じとか感覚とかそういう事で戦争は厭だ。
戦争は二度としていけない…。
必ずお前たち戦争だけはするなよと。
これはもう本当に何度も何度も言われましたね。
ただ一つの命令によって動く人間が何を感じて現場で何をしてきたか。
それをやっぱりあなた方若い人たちがちゃんと…ちゃんと本当に受け止めて頂いて何かをやっぱり考えてもらいたい。
私たちは戦争を単なる出来事として語りがちだ。
だが戦場の実態はそう簡単なものではない。
その時私たちは戦う事を拒否できるだろうか
何か私いつも思うんですけど例えば高校生の皆さんはもう中学生よりも年上ですし小学生よりも「私たちもう高校生なんだから」ってちょっと大人な感じじゃないですか。
でもやっぱり私たち40代とか50代にとってはやっぱりまだまだ若い。
というのもインタビュアーとして何かを…やっぱりある意味インタビュアーとしてその人のドキュメントを引き出さなければいけないんですね。
大人になった時に聞けない質問っていっぱいあるんですよね。
自分が冷静になった部分というのがあって気を遣いながらインタビューをしていくんですけれども高校生の皆さんってきっとまだちょっと若いから「これを聞いても大丈夫かな?」という結構踏み込んだようなものを聞いてもすごくOKだと思うんですよね。
大人たちもやっぱり高校生に聞かれると…。
しゃべっちゃいますもんね。
今回もすごく優しく当事者の息子さんたちが語ってくれてその優しい語り口の中に本当の悲惨な状況も描けてるしそういう意味では非常に取材も上手だったんじゃないかなと思いますね。
本当勉強になりました。
ある意味…。
決勝進出作品最後の作品はこちらです。
はい切りま〜す。
すごい髪が短くなる!
(りお)薬とかで髪の毛無くなっちゃう子どもたちがいるっていうのは知ってたのでそういう子たちに自分の髪の毛で喜んでもらえるならうれしいな。

りおちゃんは小学5年生の時に自分の髪の毛をある団体に寄付しました。
団体の名はLocksOfLove。
「愛のおさげ髪」という意味を持つこの団体は髪の毛を失った子どもたちにウィッグを無償で提供しています。
ウィッグに必要な髪の毛は全て一般の人たちドナーから送られたもので作られます
(りお)髪の毛を一本にくくってからその根元で切ったんですけど今まで自分と一緒だった髪の毛がこれから誰かのものになるんだなと思うと何だかくすぐったかったというかちゃんと役に立ってくれるといいなと思いました。
りおちゃんが髪を寄付した事についてお父さんは…
(スティーブ)ニューヨーク・タイムズにも出たしもらった人の経験とかYouTubeとかでアップされてるのもたくさんあるんですよね。
ああいうのを見てすごくいいなと思った。
(りお)これが誰かの髪の毛になって誰かが使ってくれるんだなと思ったら伸ばしてきてよかったなと思いました。
海外では当たり前の活動となっているヘアドネーション。
ですが日本ではあまり知られていません。
医療機関の調査によれば病気やけがなどで髪の毛で悩んでいる…
実際に我が校で髪に悩んでいる生徒は…
ちっちゃい頃から言われてて…。
「何か薄いね」みたいな。
「髪の量少ないね」とか。
高校に入ってからはもうダイナミックにみんな「ハゲ」って言ってくる。
ハゲに入るのかなって深刻にちょっと考えた事もあって…。
そういう複雑な心境でした。
今までで一番大きかったハゲが五百円玉ぐらいで…。
その時はすごいみんなにも言われるから隠すのに必死。
周りには心配されるんだけど相手は経験した事ないから理解してもらえなくてちょっとつらいかな。
髪に困っている人が多いにもかかわらず日本にヘアドネーションは広がりません。
実際に海外で浸透しているのかアメリカ出身のALTキエラ先生に聞いてみました
アメリカでは普通の活動ですよ。
「髪の毛寄付したんです」と言ったら何かすごいなみたいな感じの反応だったので…。
別にすごい事でもないけどなと。
誰でもしようと思えばできる事だと思ったので。
日本にヘアドネーションができる機関が大阪にあるという事で私たちは大阪に向かいました。
その機関の名は…
略してJHDAC。
JHDACは髪の毛の寄付と寄付金を受け付け小児用の医療用ウィッグを作り無償提供しています。
JHDAC代表の渡辺さんは…
結構世の中には髪の毛がないという事で困ってる方がたくさんいらっしゃって…。
そこに目を向けて…。
30通ぐらいは来るんですよ。
渡辺さんのもとにはドナーからの思いが込められた髪の毛が送られます
こういう状態ね…。
せっかくきれいに伸ばしたもんを離れただけでもうゴミっていう事はほとんどの人は「ああ…」と思ってると思うんですよ。
ドナーが是非お使い下さいという毛で出来たウィッグという事ですから。
人の善意の塊みたいなもんですよね。
…でこうメッセージが。
ドナーからは髪の毛と一緒に手紙も送られてきます
全ては髪に悩む子どもたちのためにエールが込められたものです
たくさんの人が寄付して私の髪もその一人になって誰かを喜ばせる事ができるのはとってもうれしいなと思います。
私たちが取材した当日JHDACに3人のドナーが来ていました
ある花嫁さんが結婚式の時に断髪式をして髪の毛を寄付するっていうのを何かのテレビで見て私もやりたいと…。
緊張します本当に。
髪を回収しやすくするため初めから束ねます
撮るよ!カオリ切りますか?は〜い。
(一同)うわ〜!後ろも切りま〜す。
うわっ長〜い!何かちょんまげがこんなんなったら面白い!この日のためにと思ったら涙が出てきました。
感動する!思ってたよりも髪の毛切る時すごく感動して…やっぱりドナーになってよかったなって思いました。
もともと伸ばしてるだけでいつも切るだけやったんでそれが役立ってもらえたらうれしいです。
すごいみんな似合うな。
すごいイメージチェンジで…。
JHDACに髪の協力をしている美容室がありますそういう分け合う気持ち。
私たちの取材をきっかけにJHDACの存在を知ったアデランスが今年中にJHDACと提携する事が決まりました
(箕輪)JHDACさんとは早速コラボレーションをやろうという事で彼らからもまた学べるかなと…。
(りお)誰かが寄付してくれたというのと誰かの役に立てるっていう気持ちの絆っていうのは大事にしたいと思います。
りおちゃんから始まった髪の絆がさまざまな人と人とのつながりを結びました
髪が伸びたら一緒に切りに行こうね。
りおちゃん髪の絆をありがとう!
全く知らなかったですね。
もちろん触りは何となく分かってましたけど日本でっていうのがとても驚きだったしやっぱり若者からいろいろ教えてもらえるんだなっていう。
髪の毛って女性にとってとても大事で一生懸命みんな伸ばして…。
切ったあとの顔がとっても爽やかだったんですよね。
涙のあとに得る笑顔みたいなとこありますよね。
僕ドキュメンタリーの機能としてやっぱりこうやって人があまり知らない事をちゃんと伝えてそういう機運を盛り上げるという使命がドキュメンタリーにあるじゃないですか。
そういう事をちゃんと思って優しく作り上げてる作品だなと思って非常に女性らしい視点を感じるんですよね。
何かガールパワーっていうのが感じますね。
ここで惜しくも決勝に進めなかった優良の作品をダイジェストで紹介します。
最初の作品は…注目したのは女の子の靴下の穴。
「あ〜たっ君来た〜」と思って…「ラッキー」って思ったの。
そしたら…微妙な乙女心を描きました。
なんと全員男子だ
男子しかいない放送部が突然自作ビデオの上映会を開き生徒たちを驚かせました。
授業の課題研究で新たな装置を開発する先輩。
失敗にもめげず実験を繰り返す姿を1年間追いました。
続いての作品は…高校時代の文通相手と再会した嘉村先生。
その姿から青春とは何かを考えました。
この写真を持って捜しに行ったんですよ。
あ〜。
授業の中で東北の高校生が復興を願って開発した品々を販売しました。
自分たちに何ができるのかを問い直しました。
開店してからがほんまにすごくて行列出来とって帰ってから…。
最後は…校内でも知名度が低い物理部無線班。
アマチュア無線に一途に取り組む姿を伝えました。
聞こえるぞ。
何か言ってる。
どなたかこの周波数お使いでしょうか?お待たせしました。
いよいよ優勝作品の発表です。
優勝作品はこちらです。
(司会)優勝は…お〜!あっ本人。
いた。
もうね私この作品ね…。
完成度が…。
完成度が非常によかったですしみんなのキャラクターというか…まあ本人たちなんですけど味がすごくよかったなっていうのと…。
多分審査員はあのキャラにやられましたね。
そうですね。
4連覇やったぞ〜!
(一同)イエ〜イ!素直にうれしいです。
アハハハ!最初インタビューとかもみんな硬い感じだったんですけど毎日行くごとにいい感じに…。
仲良くなっていって…。
すごい楽しみながらラグビー部の人たちと仲良くなる事でいい番組が出来たのかなって思います。
優勝した磐城高校ってかなりドキュメント部門の名門でね何回も優勝している訳ですよね。
そうなんですか。
それってやっぱりね視点のとり方というかどこを…いろんな事がある中で何を拾ってくるか。
そこからドキュメンタリーって始まるじゃないですか。
その視点が大事だと思うんですね。
何でみんなそこの生徒さんは…。
問題意識を持ってるって事なんじゃないですか。
結構見習うべきとこはたくさんあると思いますね。
対談したいです。
拾い方もね。
明日は創作テレビドラマ部門なんですけどもこれ毎年ですねものすごい面白いんですよね。
創作テレビドラマといえばまさにLiLiCoさんの本道…。
そうですね。
ショートフィルムとして見ますからね。
テーマは自由なんでしょう?ワ〜オ楽しみ!明日もお楽しみに。
2014/08/14(木) 09:00〜09:45
NHKEテレ1大阪
ティーンズビデオ2014「テレビドキュメント部門」[字]

全国の高校生が制作したビデオや音声作品を競い合う「NHK杯全国高校放送コンテスト」。今年の入賞作品を2日連続で紹介する。1日目は「テレビドキュメント部門」。

詳細情報
番組内容
全国の高校生が制作したビデオや音声作品を競い合う「NHK杯全国高校放送コンテスト」。61回を迎えた今年のコンテストから、入賞作品を中心に2日連続で紹介する。1日目は「テレビドキュメント部門」。普段の学校生活を鋭い視点で見つめ直した作品から、戦争の悲惨さや社会との関わりに目を向けた作品まで、高校生の力作が並ぶ。番組の案内役は、映画コメンテーターのLiLiCoさんと、中谷日出NHK解説委員。
出演者
【ゲスト】映画コメンテーター…LiLiCo,【司会】中谷日出,【語り】昌子洋子

ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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