先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)人がほれ込むリーダーとは▽本田宗一郎・後編 2014.09.09

今日の「知恵泉」も本田宗一郎。
本当に感動するエピソードが満載。
前回は何もお出しできなかったので今回は特別にこの鮎を塩焼きにしてみたんですよね。
…って誰もいないと。
(川本)泡が入ってるとね次に行った時冷えないんですよ。
鮎が焼けたよ。
(伊丹)何か呼んでますよ。
鮎をねちょっと塩焼きにしてみたんですよ。
是非皆さんで召し上がってみて頂けないかなと。
今男同士でエンジン語ってるんですよ!店長。
そんなに怒らなくても…。
伝説のエンジンを今!世界をとったエンジンの話ですよ今。
ええ鮎。
今日は店長に花を。
店長分かりました分かりました。
鮎を塩焼きにしたんですよ皆さんのために。
召し上がってみて下さい大木さん。
おいしそうじゃないですか。
そうなんですよ。
うまい!ありがとうございます。
鮎は本田宗一郎と関係あるんですよね。
天竜川の鮎をみんなに食べさせたいっていうんで西落合のお宅に大きなお庭があってそこに人工の水路が造ってあって鮎を放し飼いにしてみんなで鮎釣りパーティーというのを毎年やっておられた。
家の下に大きなプールですかね地下にプール造って。
ポンプでドワーッと庭に滝から川から造って清流が四六時中流れてる。
故郷へ帰るのはもったいないと。
だったら天竜川を自分の家で流しちゃおうと。
発想がずっと少年ですね何かね。
確かに。
「造っちゃおう造っちゃおう!」と言って。
そして今週はこれをテーマとさせて頂きました。
いかにして人を惹き付けるようなリーダーになっていったのでしょうか。
その本田宗一郎のリーダー術見ていきたいと思います。
戦後の日本を代表する経営者…スタートは小さな町工場。
それをカーレースの最高峰F1を制覇するほどの世界的自動車メーカーに育て上げました。
先週は宗一郎の最強のチームを作る知恵を紹介しました。
今週はなぜチームのメンバーが宗一郎についていったのかその理由に注目します。
というのも宗一郎は技術の事になると超短気。
すさまじい逸話が残っています。
まあほんと怒ってる時はすごい。
ほんとカミナリですよ。
もう震え上がっちゃって。
怒りだして目が三角になるとねこの辺がだんだん盛り上がってくるんですよね。
この辺で止めないとねカッと…例えばスパナとか。
まあ何発か食らいましたけどね。
宗一郎に怒られた人は新入社員からベテランまで数知れず。
にもかかわらず宗一郎は皆から「オヤジ」と呼ばれ深く慕われていました。
どなり散らしながらも人を惹き付けたもの。
それは一体何だったのでしょうか?その秘密を明かしてくれるのは…1990年から8年間Hondaの社長を務めました。
川本さんが入社したのは東京オリンピックの前年1963年。
大学で精密工学を学んだ川本さんは研究所に配属されます。
宗一郎のもと数々の自動車エンジンの設計に携わった川本さん。
技術に一切の妥協をしない宗一郎にどなられる事は日常茶飯事。
休みの日にわざわざ呼び出されて怒られる事もあったとか。
それでもF1レースのエンジン開発のプロジェクトに参加すると16戦中15勝という大記録を打ち立てオヤジを大喜びさせました。
どなられながらも宗一郎のものづくりにかける情熱に大きな影響を受けたという川本さん。
二足歩行で世間をあっと言わせたロボット。
今年試験飛行に成功した小型ジェット機。
いずれも川本さんが社長の時開発を始めました。
なぜ皆が宗一郎を慕うのか?長年宗一郎と身近に接したからこそ分かるエピソードを大いに語ってもらいます。
大木さん怖かったらしいですね。
でもねそういう話が出てきてちょっとほっともしてます僕は。
よかったこの人も人間なんだってちゃんと思えるというか。
でもスパナは投げちゃいけません。
いや〜危ない。
それほんとに危ないですよね。
それぐらいこう…カッと集中するんですね。
実際に怒られた方がこちらにいらっしゃいます。
これがすごい。
川本さんそんなに怖かったですか?怒る人の怖さってね人によって違うと思うんですよ。
だけど怒りだした時の何て言うんだろうなやっぱり震えちゃいますね。
エネルギーが彼の持ってるエネルギーが全部オーラになって飛んでくるという感じでしょうかね。
どういうふうに怒るんですか?東大寺の仁王様。
目玉がグッと出てくるじゃないですか。
あの感じですね。
カァーッと怒ってくるんですね。
川本さんにお聞きした話だけど怒ると手が出ちゃうとついつい。
その時にどういう殴り方をすると一番痛いかっていうのがよく分かっててここをこうやるのが一番痛いんです。
殴り方には3〜4種類あって相手によって殴り分けてたっていう。
え〜!嫌だそれはちょっと。
職人ですから元。
だから手すごいんですよ。
がっしりとしてるんですよ。
それで「こんなのが分かんないか!バカ!」コツンと来るんですよ。
それがね恐らく…お粗末でした。
川本さんって何回ぐらい怒られたんですか?合計。
それはちょっと数えられないですね。
許せない事に関してはウワーッと怒る。
しかしそれでも部下がついてくる。
ここだよ不思議なのは。
そこですよ。
宗一郎の知恵ご覧頂きましょう。
昭和39年に入社した…美術大学を出た岩倉さんは車のデザイン部門に配属されました。
もちろん宗一郎に怒られた一人です。
最初は叱るという感じなんですけどそのうちにだんだんとね声が大きくなってどなるような感じになって時には物も飛んできますしね。
それは怖かったですよ。
会社に入って間もない頃埼玉の研究所にいた岩倉さん。
三重県の鈴鹿工場にいる宗一郎から怒りの電話がかかってきました。
岩倉さん訳も分からず新幹線に飛び乗ります。
到着するやいなや宗一郎が怒りの形相で出迎えました。
傍らには作りかけの車が。
岩倉さんがデザインしたものでした。
宗一郎はひと言…。
当時金属を溶接するには継ぎ目にハンダを埋めていました。
生じた凸凹は削り取って表面を平らにしなければなりません。
ハンダは…粉じんは作業員の健康に悪影響を及ぼします。
岩倉さんはデザインを重視するあまり多くのハンダが必要な車を設計していたのです。
宗一郎の怒りが工員の健康を考えたものだと知り岩倉さんは衝撃を受けます。
会社は効率を上げる事が大事ですし利益も上げたいですしというのがあるんだけどそのもっと大本にあるのはみんなの幸せっていうのかみんなの喜びっていうのかねそれを作る人たちの安全とかそれを作る人の命というんですかね。
初めてデザインというのは人の命に関わる大事な責任ある仕事なんだという事を実感させられたっていうのか教えられたっていう感じでしたね。
岩倉さんは溶接方法を見直します。
ハンダの代わりに帯状のゴムを埋め込むアイデアを考え出しました。
その後この案は世界中のメーカーが取り入れるほど一般的な方式となりました。
人を思いやったための宗一郎の怒り。
こんな事もありました。
昭和38年ある車にトラブルが発生した時の事。
宗一郎はいつものようにさまざまなアイデアを出して改善点を見いだそうとしていました。
しかしそれがあまりにもコストのかかる案ばかりだったため担当者が「この故障は1万回に1回くらいしか起きません。
僅か0.01%の故障率にそこまで対策しなくても」。
すると宗一郎は「バカヤロー!その一個を買った…」。
宗一郎は自分の利益を求めるための私心では怒りませんでした。
怒りの源は技術や安全性に関する事など誰もが納得できるものだったのです。
しかもこの宗一郎の怒りは思わぬ効果をもたらしたと岩倉さんは言います。
叱られるのは怖いんだけどそのおかげで何か思ってもいない事ができちゃったっていう事がね私の経験では何回もあって。
それがまたたまらないというんですかね。
またやってやろうとかねまだ頑張れるとかねそういう気持ちにさせてくれる人でしたね。
より高いレベルに上がる事ができる。
それこそが宗一郎の怒りを皆が受け入れた理由だったのです。
今思えば宗一郎の怒り方っていうのはどういうメッセージを発していたものなんでしょうね。
要するに宗一郎哲学ですね。
よく考えてない。
あるいはつまらないミスを犯している。
そういうとこから始まって大きくは会社の理念まで。
その時その相手を見て事象の大事さを見てそして怒ってるんですね。
ただすごいのは瞬間にそれを見分けて瞬間にその怒り方ができたという事はちょっと私たち常人ではできないんですね。
印象に残ってる怒られた時というのはありますか?まだ未熟で会社入って3年目ぐらいですよ。
設計をすると必ず試作品を作りますわね。
その時私はピストン作ったんです。
工場から上がって検査する棚に並んで。
オヤジさんが来てて。
彼は必ず朝そこを見るんです先に。
物を見るんですね。
それでこのピストンをパッと持って「これは誰が作った。
設計呼んでこい」。
行ったらいきなり「お前かこれを描いたのは!バカヤロー!」。
それでね言うには「お前が自分で考えて考えた答え言ってこい。
俺が何で怒ってるのか」。
帰って上司に相談したんです。
そうしたら上司もみんなこれ言ったら怒られるなって分かってますから「俺知らねぇ俺知らねぇ」って。
誰も守ってくれない。
誰も守ってくれない。
それで致し方ないからしようがないから行ったんですよ翌々日ぐらいですかね。
また「そんなのも分かんないのかバカヤロー!」って怒られましたね。
怒られましたけども最後に「これはこういう事だろう。
それだったらそういうふうに作ればいいじゃないか」と。
後で考えてみますと大社長の大経験者が入ってきた2〜3年のにいちゃんに全身全霊を懸けて怒って教育してくれたんだなと。
だからただどなり散らすというよりか意思を伝える手段として彼は怒ったんだなというのが。
だいぶたってからですよそれ思ったのは。
しかし気が付くまで時間かかりましたけどね。
ただね怒ったあと自分で反省してたみたいですよ。
でも翌日謝ったりはするのがてれくさいから何となく俺すまんなって顔だけはするんだけど。
みんな分かるわけですよ。
オヤジ何か反省したなとかって。
その辺が明治男っぽくていいですね。
そういう感じ。
さまざまなフォローにもたけてたという話ありますね。
ヨーロッパへ出張の直前にある技術者をものすごく叱った。
その技術者にアンカレジから電報打って。
叱った時に風邪ひいてるって気が付いたもんだから「体には気をつけろ」って。
まあホロッと来ますよね。
しかも当時のアンカレジからの電報ですよ。
今携帯電話で「おい俺アンカレジだけどお前体大丈夫か」って聞いてるんじゃないんですよ。
ものすごい面倒な作業をやってるわけだ。
川本さんも宗一郎にバーンと怒られたあとにフォローされたような経験というのは…。
もう爆発的にドーッと怒ったんですね。
しばらくして「君お母さん亡くなったんだってな」って言うんですよ。
えっそんな事を知ってるのと思って。
「そうか俺と同じ年だったな」って言うんですよ。
社長さんがペーペーのおにいちゃんの家族の事までね。
いや〜恐れ入りましたっていう感じになったんですね。
後で帰ってきて調べたら1年違ってた。
(笑い声)全然同い年じゃなかった。
でもねそれは後の祭りだけどまぁ心遣いですね。
リーダーとして怒る事っていうのはやっぱり大事なんですか?私は大事だと思いますね。
要するにコミュニケーションの中で最も強いインパクト持ってるのは怒るという事だと思うんですよ。
最近パワハラとか言われちゃうでしょう。
どうなんでしょう?川本さん。
結局怒る人と怒られる人の関係の信頼関係がきちっとしてないんじゃないですか?ほんとにこの人が信頼できる人だという事になればやはり聞く耳持ちますよね。
それからもちろん私心で怒らない。
それからその怒ってる内容以外の事でグチャグチャ言わないと。
それは原則はありますわね。
ありますけども基本はやっぱり人間と人間の信頼関係ができてないところにハラスメントというふうに受け取られちゃう問題があるんじゃないかなと私は思いますね。
信頼関係がきちんとある。
そして何で怒っているのかって意図が分かる。
これがあれば怒るっていうのは非常に大切な行為である。
だと思いますね。
でも伊丹さん従業員の方々は時々反撃にも出るような事もあったそうですね。
忘年会の席かな?ちょっと宗一郎さんが酔ってきたら座布団バッとかぶせて床に転がしてみんなで上からボコボコ殴ったって。
(笑い声)宗一郎さんも誰がやってる目的は何だっていうのは分かってるわけです。
腹いせだっていうのが。
起き上がって「お前らそんな元気があるんだったら明日からはもっといじめてやるからな」と。
何かそのやり返しも信頼関係を感じますね。
信頼関係があるから両方ともやれるんです。
すごいですね面白い。
これだけ怒っててもどこか憎めない宗一郎ですけれどもその秘訣というのは実は持ち前の明るさとユーモアにあったんですね。
あの本田さんがソニーに行って講演をした時の様子というのが残っているんです。
ご覧下さい。
ただいま紹介にあずかりました本田でございます。
僕の碁は…碁じゃない将棋でございます。
僕は王様なしで一遍将棋やってみたいと思ってるんですよ。
安心してやれるからね。
王様あるためにこっちは苦労してるんですよ。
そうすりゃ角と飛車をしっかり守ってりゃいいんだからね。
そのとこへ升田名人ひょっと来て「本田お前のうちはうまく歩を使ってるな」とこういう話なんですね。
「歩というものはすばらしいものだよ。
歩というものは敵陣行けば金になる。
これをうまく使うやつが名人だ」とこう言ったんです。
その彼が僕に「三段をくれる」って言うんですよ。
「本田お前に三段くれてやるから」。
「そりゃいいな。
大丈夫かな」って言ったら「ええやる。
そのかわり一つ条件がある」と言うんですよ。
「絶対に他人とやらんっていうあれを書け」って言うんですよ。
まあユーモアのある人ですよね。
落語の枕みたいですよね。
ほんとですよね。
人を喜ばせるのが大好きだったんです。
怒る以上に人を喜ばせるのが好きだったんですね。
だから皆さんが集まるとこでは社長なのに道化やってみてね。
サービス精神が旺盛な人だったという事なんでしょうね。
何につけ人を喜ばせるという事がやっぱり大好きだった宗一郎。
相手の事をとても思いやる人だったんですね。
そこにもまた知恵がありました。
人を喜ばせる事が大好きだった宗一郎。
ある講演でこんな言葉を残しています。
それはいかに相手の気持ちや立場になりきって深く思いやれるかという事。
宗一郎晩年の秘書住川忠行さん。
宗一郎の「人の心に棲む」を実感した一人です。
マスコミからの取材をさばいていた時の事。
インタビューとか面会に来るというものはかなり多かったんですね。
いつも広報部といろいろ調整してやってたんですけどどうしても日程の調整ができなくて。
これはもう土曜日にやるしかない。
ご自宅へ行った時にですね恐る恐る「実はこういう理由で誠に申し訳ないのですが土曜日に日程を入れさせて頂きたい」と言ったらキッと見まして「俺だって土曜日は行きたいとこあるしやりたい事あるし俺だって休みてぇんだ。
土曜日にそんな事いちいちスケジュール入れるなんてとんでもない。
駄目」って言って怒られたわけですよ。
かたくなに土曜の仕事を受け入れなかった宗一郎。
これには理由がありました。
「分かりました」と。
これは何とかもう一度調整しなきゃいけないと思って自宅を辞して帰ろうとした時にさち夫人が「ちょっと住川さん」。
こう呼んだわけですよ。
「はい」って言ったら「主人はね土曜日なんかやる事なくて暇でねウロウロしてるのよ」と。
「だけどさっきあなたにああいうふうに言ったけどそれはもしお父さんがあそこで『おういいよ』って言ったらあなたや会社の方が休めなくなるでしょう」と。
「そういう事で言ってるんだからね」って言われたんですよ。
これはまいりましたねほんと。
いやほんとね頭に血が上りましたよ。
「え〜っ」と。
この人のためだったら俺はよし何でもやるぞと。
最後まで頑張ろうと思いましたね。
「心に棲む」。
宗一郎は創業間もない頃からそれを大切にしていました。
昭和27年埼玉に中古工場を買った時の事。
そこはあらゆる場所に補修が必要でした。
しかし宗一郎は真っ先に便所を水洗に改装するよう命じます。
当時水洗トイレはまだ珍しく費用も高価。
渋る経理に対し宗一郎はこう言いました。
宗一郎は食堂には当時貴重だった石鹸をたくさん置き気持ちよく食事ができるよう心を配りました。
怒りの奥に潜む温かい思い。
それに触れた時人は宗一郎を「オヤジ」と呼ぶようになるのでした。
相手の心に棲む。
秘書が休めなくなるから土曜の仕事は受けないなんていうのはちょっとほろっとしますよね。
またこの奥様のフォローがまたね。
本人から入ってこないというのがまたそう思うんだと思うんです。
そんな意味があったんだというの。
やっぱりね人の心の心理の心のひだみたいな事を本当によく理解した人だったんだと思います。
発電機用のエンジン作ってますよね。
小型発電機。
あれの取っ手の設計で注意された人というのの話が載ってたんですが。
宗一郎さんが「これなキャンプに行ったりするだろう」と。
持って。
発電機だから。
「若い男女が行ったりするだろう」と。
「男性が持ってるところへ女性の手がスッといけるように女性が持ってたら男性がスッと手が。
手と手が触れ合うと何かが起きるじゃないか。
そういう取っ手をデザインしろ」と。
そういう取っ手をデザインしろ?あ〜すごい!実際おやりになったかどうか知らないけれどそれを言われた人はそこまで考えるのかと。
妄想も入ってますもんちょっとね。
いや自分がねそういう事やりたいんでしょう。
(笑い声)そうか。
そもそもそういう人だったんですか?商売始めた当時から。
10代の終わり頃に自動車の修理業というのは心の修理業だって気が付いたって後で書いておられるんです。
当時高いわけです車って。
それが調子悪いと頭来たり心が実は壊れてるんだと。
修理に持ってくる時までに。
その心も修理してあげるのが自動車の修理業だって。
そんな事10代の後半の少年が思いつく?いや〜思わないですね。
ほんとですね。
つまりお客さんに丁寧に説明してあげたりとか「大丈夫ですよ」って言ってあげたりとか。
心の修理のしかたはいろいろパターンがあるんですけどね。
そこまで気配ってあげないと本当のお客さんの喜びにはならんという。
会社の方針もね会社として運営する指針は何かと。
喜ぶ事だと言ってるんです。
喜ぶ事?お互いだから例えば作って喜び売って喜び買って喜ぶと。
という事はこの商売全体に関わる人に大きな喜びをシェアしようと。
それで貪欲に金もうけろなんてひと言も言ってないですね。
これを徹してやったらそれは生きていけるよと。
社会は見捨てないよ。
ここまで聞いててここまで怒るってやっぱり繊細な人じゃないとここまで怒れないんじゃないかなと思いました。
そういった一面がよく見える品というのをご用意したんですが実はこちらなんですね。
宗一郎が描いた絵なんですよ。
え〜!ボタン。
そして鯛です。
「本田」って書いてあるでしょ。
実に見事ですよね大木さん。
うわ〜すごいな。
この絵に関しても相手の心に棲むというようなエピソードがあるらしいですね。
相手じゃないんですね。
自然物ですよ。
あのね渋柿の絵をある時描きたくなった。
何でかっていうと渋柿だって柿として甘くみんなに喜んで食べられるように生まれてきたかったろうに渋くなっちゃったなぁと。
これはかわいそうだねぇと。
…で一日かけて描いた。
要するに美しいから描いたっていうんじゃないんだね。
かわいそうになったから描いた。
その話を宮城県の蔵王の近くでススキの野原の中を走ってる時にその話をなさった。
窓の外ススキじゃないですか。
「あのススキだって描いてやろうかな。
いやススキは描いてほしくないかもしれないな」。
描いてほしいかなじゃなくて描いてほしくないかもしれない。
そこまでこう…。
しかも相手はススキですよね。
そんな事がねほんとにまた天然に出てくる。
宗一郎というのは成功もあればたくさんの失敗をして負けを感じる時もあったんですね。
しかしその負けを感じた時の態度も宗一郎人を惹き付ける一因になったんです。
その知恵をご覧頂きましょう。
天才技術者本田宗一郎。
その意見は絶対的なものかと思いきやこんな逸話が残されています。
皆である車の設計を検討していた時の事。
宗一郎はいつものように奇抜なアイデアを出していました。
しかしそれはいささか複雑怪奇な構造でした。
疑問を持った一人の若手技術者。
自分でアイデアを練ると意を決して宗一郎に見せようと考えます。
部屋ではちょうど宗一郎が自分のアイデアを描いて自慢げに披露しているところでした。
恐る恐る入っていった技術者。
自分の案を差し出します。
すぐにその案の方が優れている事を見抜いた宗一郎。
まるでいたずらが見つかった子供のように自分の絵を慌てて消し技術者の肩を何度もたたいてこう言います。
素直に負けを認める。
宗一郎が皆に慕われた理由の一つでした。
1970年代世界中で自動車の排気ガスによる公害が問題となっていました。
アメリカでは自動車会社に対して排出ガスを5年以内にに下げないと販売を禁止するという「マスキー法」が議会を通過。
この規制に対し世界中の自動車メーカーが規制を達成するのは不可能だと反発。
それほどマスキー法は厳しい内容だったのです。
しかしHondaの若い技術者たちは何とか低公害のエンジンを開発できないか奮闘していました。
そんな中宗一郎が若手にハッパをかけるためある発言をしました。
それはいつも宗一郎が口にしていた「開発の仕事は社会のため」という主張とは違うものでした。
「この低公害エンジンの開発競争はGMやトヨタと同じスタートラインに立って同等に競争できる絶好のチャンスだ」。
この発言に若手技術者たちは反発します。
低公害エンジンの開発現場にいた…宗一郎の言葉に疑問を持った一人でした。
とにかくHondaは社会に貢献する。
そういう企業なんだと。
これは別に企業の成績とかね売り上げを増やすとか追いつけ追い越せみたいなそういう話じゃなくてやっぱりこれは社会的な責任でしょと。
我々だから若い連中はみんなそう思ったんですよね。
そんな気でやってるわけじゃねぇやと。
そんなんだったらこんなにやれないよという感じだったんですよね。
それでもう頭に来たもんだからちょっと若気の至りで河島さんに「あんな事言わせないで」って愚痴言ったんですよね。
低公害エンジンは会社の競争のためではなく社会のためだ。
専務の河島は若手の思いを宗一郎に伝えます。
ハッとした宗一郎。
二度と同じ事を口にしませんでした。
1972年若手技術者たちは世界で初めてマスキー法をクリアーする低公害エンジンの開発に成功。
名だたるメーカーを驚かせます。
誰もが不可能だと考えていたエンジンを宗一郎の薫陶を受けた若手技術者たちが成し遂げたのです。
翌年宗一郎は社長の座を降ります。
67歳。
若すぎる引退に日本中が驚がくしました。
宗一郎はこんな言葉を残しています。
潔く自分の限界を認めた宗一郎。
自らが一代で築き上げた会社を一緒に働いてきた後輩たちに託したのでした。
あのマスキー法の時に社会的責任ではなくて企業間の競争に勝てるかもしれない。
あれは非常にらしくない発言だなと思うんですが。
ご本人もそう思われたのかもしれないな。
恐らく自分が下手打ったという感じがあったんでしょうね。
珍しくあんな事言っちゃった。
それをちゃんと指摘してくれたと。
そういう事の積み重なりがあって外からはスパッとに見えるけどちょうど柿が落ちたんじゃないですか。
柿が落ちる時って見てる人には突然落ちるじゃないですか。
そうですね。
なるほど。
川本さんは現場で宗一郎が辞めるという一報を聞いた時はどういうふうに思われました?う〜んやっぱり技術面ではねそろそろ時代に合わないなというのは実感してましたからね。
彼の技術は経験則によってますからさっきのように排気公害対策が出てくる。
そうすると「CO」とか窒素酸化物の「NO」とかそれでしかも量として「ppm」とかそういう単位が出てくる。
これは人間の五感では感じられないわけです。
そういうところに世の中の技術が要求されるようになってきた。
自分はそれを適合できない。
それは一番強く理解した人だと思うんです。
だからこそそろそろ俺の時代は終わりだなというふうに技術屋を通しても彼自身のありようを自分で見つめてたと思いますね。
いや俺ショックだったと思うんですよね。
ひょっとしたら俺の言ってる事もう駄目かなって気付き始めた時のショック。
ご自身が社長でいらっしゃる時リーダーの時にこれは負けたなという時はどういうような態度を心掛けて…。
自分の欠点を知るという事は大事だと思うんですよ。
だけど都合の悪い話は上へ上がってこない。
ですから私がやったのは1人専属のジャーナリストを雇わせて頂いて世の中社内ありとあらゆる所で悪口雑言だけを集めて直接報告してくれと。
へ〜。
最初こんなにありましてね。
でも随分役立ちました。
今週も本田宗一郎。
そしてテーマは「人がほれ込むリーダーとは」という事で見てまいりましたが大木さんどういうふうにご覧になりましたか?やっぱりちょっと子供っぽいところがあるというのがすごく重要かなと思いましたね。
怒られはするけども結果楽しいなとかね。
そういうふうに一緒に楽しめたというのが大きいんじゃないですかねやっぱり。
それにはどうも前向きのリーダーシップと後ろ向きのリーダーシップと両方あるみたいな気がするんです。
前向きというのは未来を語ってこういう事をやりたいよ。
そういう前向きのリーダーシップと後ろ向きというのは別にネガティブという意味じゃなくて自分の後からついてくる人にちゃんとして温かい背中を見せてる。
だから一緒にいたいわけですよ。
その両方がそろってるというのが本田宗一郎さんだったなと思いますね。
最後に川本さん人がほれるようなリーダーになる極意どういったものがあるでしょうか?そうですね。
ひと言で言うのは難しいんだけれども人と人の信頼関係をねあうんのうちに築き上げてしまう。
そういう人は慕われるんだろうと思いますね。
やっぱり人と人なんですかね。
はい。
やはり人間の大事さ本田藤澤も含めて私たちがこの2人とつきあわせてもらって思うのは人間の信頼関係の大事さという事を非常に強く思いますけどね。
自動車そしてオートバイでものづくりを極めた本田宗一郎ですけれども人づくり絆づくりでも極めた人間だったんですね。
そういった姿をご覧頂きながら今日はお開きとさせて頂きます。
本日もありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。
宗一郎は引退後数年かけて日本中の工場や営業所を回る旅に出ます。
会社が大きくなったのは一緒に働いてくれた社員たちのおかげ。
その感謝の意を伝えたいと考えたのです。
合わせて700か所もの現場で社員一人一人と握手を交わしました。
油がついたまま手を出して慌てて手を引っ込めた工員には「その…」。
1983年宗一郎は会社の創立35周年記念式典に招かれます。
この日は2代目社長の河島が3代目に社長の座を引き継ぐというイベントも行われました。
2人とも若い時から宗一郎にどなられながら車の開発にまい進してきた人物です。
式典の最後宗一郎にマイクが向けられました。
それではオヤジさんよろしくお願いいたします。
(拍手と歓声)
(拍手と歓声)この地域の皆さんがほんとに我々に対して陰にひなたに…。
・おい!マイクがない!アハハハハ!
(歓声)大体興奮するとマイクが遠くなる。
(笑い)そのくらいうれしい日です。
恐らく私が生涯のうちで夢にも見ない事でございます。
これをひとつお願いいたします!
(拍手と歓声)1991年8月5日宗一郎はこの世を去ります。
享年84。
その遺言。
多くの革新を生み出した本田宗一郎。
最後の鮮やかな引き際はその名を更に高めたのでした。
2014/09/09(火) 23:00〜23:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)人がほれ込むリーダーとは▽本田宗一郎・後編[解][字]

世界屈指の自動車メーカーを育てた本田宗一郎。とても短気だったが、多くの社員がオヤジと慕った。人がほれ込むリーダーとは?宗一郎の貴重な映像に大爆笑、そしてホロリ。

詳細情報
番組内容
世界屈指の自動車メーカーを育て上げた本田宗一郎。今も、多くの社員から「オヤジ」と慕われている。しかし、宗一郎は技術のこととなると超短気。殴られた、工具が飛んできた、などのすさまじいエピソードは数知れない。それにも関わらず、なぜ社員たちは、宗一郎についていったのか。人がほれ込むリーダーの資質とは?ソニーやホンダが秘蔵する宗一郎の貴重な映像も公開。その姿に、大爆笑、そしてホロリとすること間違いなし。
出演者
【出演】本田技研工業株式会社元社長…川本信彦,東京理科大学教授…伊丹敬之,ビビる大木,【司会】井上二郎

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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