経団連が、会員企業に政党への献金を呼びかけることを決めた。5年ぶりの「関与」再開である。

 各党の政策と、与党については実績も評価して示す。あくまで参考資料であり、献金の判断は個々の企業に任せる。だから「政策をカネで買う」という批判は当たらない。自由主義、民主政治を守り、議会制民主主義を発展させるにはおカネがかかる。それを負担するのは企業の社会的責任であり、政治献金は社会貢献だ――。

 榊原定征・経団連会長は記者会見でこんな説明を展開した。説得力はあるだろうか。

 まず「自由主義、民主政治を守る」という主張である。

 東西冷戦が過去の話となった今、国会で活動する主要政党のうち、自由・民主主義の価値を否定する政党はあるまい。

 確かに、日々の政治で政党は大きな役割を担っている。経団連が「さまざまな意見を持つ政党が切磋琢磨(せっさたくま)することが大切」と考えているのなら、自らの主張と異なる政策を掲げる政党も支援するのが筋だろう。

 「各社の自主判断」と言いながら、経団連の主張に照らして各党の政策への評価を示す。企業重視の「アベノミクス」への全面支持も表明していることを踏まえれば、民主政治のためというよりは、特定の政策がほしいだけではないのか。

 企業がもうかれば国民も豊かになる。そんな図式が崩れていることは、国民自身がよくわかっている。多額の手元資金をため込みながら政権に言われるまで賃上げを渋った企業が目立ったことでも明らかだ。

 経団連が経済界、企業全体を代表するという前提も怪しい。もともと「大企業・製造業」中心で、サービス業や中小企業との利益相反を抱えてきたが、今は法人税の減税問題であらわだ。税率引き下げの財源確保策とされる租税特別措置や中小企業特例などの見直しをめぐり、意見がまとまらない。

 政治献金を考える時、「そもそも論」も忘れてはならない。政官業の癒着の温床となってきた企業・団体献金をなくしていくため、税金による政党交付金を導入したのではなかったか。

 個人献金をどう増やすかという課題を含め、「政治とカネ」の全体の見取り図を欠いたまま、企業献金に力を入れるのは無責任だ。経団連の方針を「大変ありがたい」と受け入れる自民党も自民党である。

 経団連の関与が民主政治にどう資するのか。そこがわからない。