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紙の本の「バサッ」とめくれるのって、やっぱり大切だった。

kindleのpaperwhiteは日本版が出てすぐに買った。2012年の12月。クリスマス前の時期に海外休暇に行った時に持っていった。プールの両隣りにいた西洋人が、二人ともkindleを持っていたのが印象的。ただ、その後日本では思ったよりは広がってない気がする。

kindleは何と言っても軽い。旅にはもってこいだ。何冊あってもあの重量なのだから。あと、僕が重宝しているのはスポーツクラブ。数十分エアロバイクで汗を流す時間が、読書になる。

ipad miniでも読めるが、paper whiteの方が疲れない。ただしコミックはipadで読む。kindleでどうにかしてほしいのは図表だ。解像度がひどいままのものも結構ある。

でも、最近は紙との使い分けがハッキリしてきた。小説など直線的に読むものは、電子書籍でも全く問題を感じない。

検索機能も便利だ。夜に酒飲みながらミステリー読んでて、翌日になって「誰だよ、こいつ」みたいなことになっても、ちゃんと探せる。北欧系のややこしい名前でも、OKだ。

ただ、使ってみて初めて気づいたのだけど、紙のように「バサッ」と何十頁もめくることができないのが困るのだ。

もちろん、付箋やハイライトの機能はある。ただし、紙であればそこに一気に戻れる。調べものをしたり、勉強しながら読みたい本だと、紙だ。

アカデミックな本はもちろん、ビジネス書でもいろいろと参照したい本は紙で買うようになった。

そういうのは慣れの問題で、電子化されていてもOKという人もいるかもしれない。ただ、本を執筆する時だと、何冊もの参考文献をひっくり返す。まさに「獺祭」の状態になるけど、電子書籍でカワウソごっこはできない。紙の本には、意外な効率性もある。

なんだか、こう書くとあまりに当たり前のようだが、色々と読むまで、意外と気づかないものだと思う。

さらにもっと厄介なのは、すべてがあの端末に入っているという、そこかはかとない不安だ。特に、知識を得るために読み、線を引き、付箋を貼って、見返した時に「物質」として、そこに存在していることに何となく安心感を感じる面はある。

これは単に紙に対する慣れなのか。それとも、人間の普遍的な感覚なのか。もっとも、ウォルター・J.オングの「声の文化と文字の文化」のように、印刷文化“以前”に思いを馳せるならば、紙への安心感も経験による刷り込みなのかもしれない。

また、紙の本の「所有欲」というのも、また厄介な問題なのだけど、これについては、またあらためて考えたいと思う。

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