幼少期からの孤独
僕は幼少期から、孤独を感じるということがありませんでした。そもそも、孤独であることが、当たり前だったんですよね。実質的には母親とふたり暮らしのようなものだったから。いわゆる〝一家の団欒〟みたいな記憶が、ほとんどないんです。家族旅行の記憶もほとんどない。そのあたりは、一般のサラリーマン家庭と、ちょっと事情が違ったのかもしれませんね。
僕の家には父親が作った〝やぐら〟——いまふうに言えば〝ベランダ〟みたいなものがあったんですよ。夜になったら、そこでひとり寝転がって、ずっと星を見ているような、そんな子どもでした。それは、他人から見れば、孤独な少年だったのかもしれない。でも、僕自身はちっとも寂しくなんてありませんでした。むしろ、そうやってひとりですごす時間をどうやって自由に楽しくすごすのか。日々、そのことばかりを考えていたように思います。
これは大人になってから思うようになったことですが、孤独というのはある種の〝喪失感〟と深く関係しているのではないかな? 家族みんなで仲よく暮らしていたのに、突然両親が離婚して、家族がバラバラになってしまった。クラスに友だちがたくさんいたのに、ある日転校して、誰も知らない学校に通うことになってしまった。それらの状況で孤独を感じるというのは、僕でもよくわかります。かつて自分のまわりにいたりあったりしたものが、いまはもう存在しない。それはやっぱり寂しいことだから。
でも、僕の場合に限っては、初めからそういうものが自分のまわりになかったんです。なかったからには、失いようもない。だから、それを〝孤独〟と指摘されても、僕にはピンとこないんです。
ところで〝孤独〟というのは、そんなに悪いものなのでしょうか。「内向的な人間は、孤独に陥りやすい」——そんなふうに言われることがあります。その多くの場合、ネガティブなニュアンスを含みながら……。でも、本当にそうなのかな。僕は〝悪い孤独〟と同じくらい〝よい孤独〟というものも存在すると考えているんです。
ひとりだけどひとりでない空間
〝孤独〟という言葉で最初に思い出したのは、高校時代の美術部の光景です。
僕は、高校で美術部に入りました。美術部といっても商業高校だったから、主にデザイン部門みたいな感じだったのですが、その時間が大好きだったんです。美術部には、もともと絵を描くのが好きな人たちが集まっていたし、部室には『デザイン』とか『アイデア』とかデザイン関係の雑誌が置いてあって、それを眺めているのも楽しかった。
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