今期アニメ「超訳百人一首 うた恋。」の題字の件で
「定家の字は悪筆といわれていて、作者はその字を真似たのではないか?」と
ブログで触れました。http://udoyoshi.com/blog/?p=6196
私は仕事で仮名に触れることがないのですが、ちょこっと気なっていました。
実は地味に進展があったのでお知らせします。
①題字は定家を真似た?
メディアファクトリーさんに確認したら
「うた恋。の題字は、定家の字を作者が独自に真似て書いた」そうです(すごい!)。
②藤原定家は悪筆ではなく病気だったのではないか?
「小倉色紙(→いわゆる百人一首のこと)」(著 藤原定家)の解説を読むことがあり
定家は、晩年、盲(めいし 全盲のこと)の如くだったという記述を見つけました。
(前述のブログで予備知識がないと完全にスル―(笑))
これは土佐日記の奥書に書かれているようです。
「以盲目」「染盲目之筆」「凌桑門盲目」「雖眼如盲」などと
複数回にわたって記述されているようです。
では、いつ頃から眼が悪くなったのか?
小学館 古典文学全集によると明月記(19歳から書いている日記)によると
65才頃には、手が震え眼が見えなくなったらしいです。
また次のようにも書いているようです。
「草子如形校了、平生所書之物、以無落字為悪筆之一得」
(草子、形の如くに校し了んぬ。平生書く所の物、落字なきを以て悪筆の一得となす)
「私の字は確かに汚いが、(連綿を使わず一文字一文字書くから、)古典を模写するには適した文字だ」
これは、当時、連綿を使わない文字は見られないので、眼が見えないためのいい訳なんでしょうね。
眼が見えないと連綿は難しいと思うのです。
定家の代表作は晩年のものが多いため
「定家は悪筆」となった理由は、
老眼+αであることがほぼ私の中で確定しました(笑)
【定家晩年の作】
1219年 毎月抄 57才
1232年 新勅撰和歌集 71才
1235年 明月記 74才
1236年? 小倉色紙 75才(右画像)
1235年 土佐日記 77才
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藤原定家は悪筆ではなく、眼が見えなかった?
2012/07/28 01:12:04
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