藤原定家は悪筆ではなく、眼が見えなかった?

2012/07/28 01:12:04

今期アニメ「超訳百人一首 うた恋。」の題字の件で

「定家の字は悪筆といわれていて、作者はその字を真似たのではないか?」と

ブログで触れました。http://udoyoshi.com/blog/?p=6196

私は仕事で仮名に触れることがないのですが、ちょこっと気なっていました。

実は地味に進展があったのでお知らせします。

①題字は定家を真似た?

メディアファクトリーさんに確認したら

「うた恋。の題字は、定家の字を作者が独自に真似て書いた」そうです(すごい!)。

②藤原定家は悪筆ではなく病気だったのではないか?

「小倉色紙(→いわゆる百人一首のこと)」(著 藤原定家)の解説を読むことがあり

定家は、晩年、盲(めいし 全盲のこと)の如くだったという記述を見つけました。

(前述のブログで予備知識がないと完全にスル―(笑))

これは土佐日記の奥書に書かれているようです。

「以盲目」「染盲目之筆」「凌桑門盲目」「雖眼如盲」などと

複数回にわたって記述されているようです。

では、いつ頃から眼が悪くなったのか?

小学館 古典文学全集によると明月記(19歳から書いている日記)によると

65才頃には、手が震え眼が見えなくなったらしいです。

また次のようにも書いているようです。

「草子如形校了、平生所書之物、以無落字為悪筆之一得
(草子、形の如くに校し了んぬ。平生書く所の物、落字なきを以て悪筆の一得となす)

「私の字は確かに汚いが、(連綿を使わず一文字一文字書くから、)古典を模写するには適した文字だ」

これは、当時、連綿を使わない文字は見られないので、眼が見えないためのいい訳なんでしょうね。

眼が見えないと連綿は難しいと思うのです。

小倉色紙 定家定家の代表作は晩年のものが多いため

「定家は悪筆」となった理由は、

老眼+αであることがほぼ私の中で確定しました(笑)

【定家晩年の作】

1219年 毎月抄  57才

1232年 新勅撰和歌集 71才

1235年 明月記 74才

1236年? 小倉色紙 75才(右画像)

1235年 土佐日記 77才

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