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【社会】

「沖縄占領 継続望む」 後年、贖罪の意深く

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 「昭和天皇実録」には、昭和天皇が太平洋戦争終結の二年後、米軍による沖縄占領継続を希望していることを記した米国の報告書が引用された。一方で、後半生に沖縄への贖罪(しょくざい)意識や訪問の意思を抱いていたことも、実録に繰り返し盛り込まれた。

 報告書は一九七九年、筑波大の進藤栄一名誉教授(米国外交史)が米国立公文書館で発掘、公表した。

 実録によると、終戦二年後の四七年九月十九日、宮内庁(当時宮内府)の寺崎英成御用掛(ごようがかり)が、連合国軍総司令部(GHQ)のシーボルト外交局長を訪問。シーボルトが、寺崎から聞いた内容をマッカーサー最高司令官らに文書で報告した。

 報告には「昭和天皇が沖縄の軍事占領継続を希望している」と明記され、天皇が「占領は米国の利益になり、日本の保護にもなる」などと考えたとされる。

 当時は米国など自由主義圏とソ連など共産圏の対立が進み、武装解除された日本の防衛が課題だった。沖縄は五一年に米国施政権下に置かれ、七二年に本土復帰。報告書は新憲法下に作成され、象徴天皇制と政治とのかかわりについて議論を醸した経緯がある。

 報告書の引用について、宮内庁は「報告書の存在を確認して引用したが、天皇が実際に寺崎に話したかどうかや、GHQに伝えるよう指示したかどうかまで裏付ける資料は見つからなかった」と説明している。

 進藤名誉教授は「昭和天皇のメッセージが実録で確認されたことは、応分に評価されてよいかもしれない」としつつ、昭和天皇が沖縄占領の意向を実際に示したとまでは事実認定しない宮内庁に疑問を呈した。

 一方、実録は昭和天皇が沖縄に寄せる思いも引用している。本土復帰三年前の六九年九月の記者会見では「祖国復帰を願う沖縄の人たちに大変同情している」「政府が努力しているのでそれを信頼して協力してほしい」と述べた。

 八七年十月に予定した沖縄訪問を病気のため断念した際は「思わざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果さむ つとめありしを」と詠んだ。

 訪問は皇太子(現在の天皇陛下)が代理を務め、昭和天皇のお言葉を代読。「島々の姿をも変える甚大な被害を蒙(こうむ)り、一般住民を含む数多(あまた)の尊い犠牲者を出したことに加え、戦後も長らく多大の苦労を余儀なくされてきたことを思うとき、深い悲しみと痛みを憶(おぼ)えます」とされた。

 

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