先日、WebSigの10周年イベントの検討会議の場で、Webディレクターとは?というの話になった。
昔よく言われたのは、「Webディレクター」は「デザインできない」「開発できない」人がなる職業というネガティブな表現があった。特に「Webの仕事」と言えば「Webの受託制作」だったころは、そういう人たちが沢山集まってきていた。
そういう中で、「工程管理しかできないディレクター」とか「気が効かないディレクター」とか、「言われたことしかやらないディレクター」とか、確かに、いろいろいたように思える。
またネガティブな意味で、「Webディレクターとは何でも屋なんだよ」と言われることもある。これはある意味真理だと思っている。
個人的に思っているディレクターの重要な役割とは、
「バネのように、状況(案件)に応じて自在に伸び縮みして、お客さんと制作との穴を埋める仕事」
だと思っている。
PMが全体を見ているが、ディレクターがすき間を調整している。だからディレクターがダメだと案件が死ぬ。制作や開発は工程間の状況に戸惑い、「過剰責任」または「過小責任」の元で、無駄な仕事や空回りする仕事をしがちだし、発注主が例えWebのプロだったとしても、やっぱり相手に合わせて適切な立ち回りをする人がいないと、うまく回らないことが多い。
うまく回らないというのは、すなわち「時間を失う」ということだから、ディレクター役がダメだとみんなの時間がなくなる。そうなると、いわゆるデスマという奴になり、みんなが疲弊する。
単純に「プロジェクトを管理する」のではなく、うまくいきそうな所、うまく行かなそうなところを適切に判断し、問題がありそうなら積極的に穴を埋めに行く。
そういう実は高度な役割が、Webディレクターの仕事だと思う。
Webディレクターと言う役割を評価する
問題は、この業界は、何かの役割にコミットしていて記事にしやすい「職人」には高い評価を与えやすいが、こういう伸縮自在な役割への適切な評価語がないようで、何が良いとか悪いというのが少し説明しにくい。少なくとも「気が利くね」みたいなのは、あまり社会人として評価されてないように思える。
職人というとプログラマーなどが挙げられるが、元来、「何でも屋」たるWebディレクターの中に暗黙的に存在している仕事でも、役割として外部に切りだされた瞬間に「職人化」した仕事がある。
・サイト設計 / インフォメーションアーキテクト
・UXデザイナー
などだ。これらの仕事は、その肩書を持ってるだけで、凄そうに見えるから面白い。
かつて、「Web設計が誰がやるか?」は、組織内の文化で誰がやるかは流動的だったかもしれないが、少なくとも、Webデザイン=HTML屋として意識されていた頃は、Webディレクターの仕事だったんじゃないだろうか。
つまりサイトストラクチャが重要な成果物であると意識されていなかった組織においては、できるディレクターもできないディレクターも構わず「デザイナーへの段取り」の中に含まれてアサインされていたと思う。
UXなんて言葉が、一般に意識される何年も前の話だ。
でも、そのプロセスが重要だと気がついていたWebディレクターにとっては重要な仕事だったし、力を発揮できる仕事だったと思う。ただ暗黙的になっていて、当事者たちも言語化できていなかったように思える。
つまり「できるディレクター」と「できないディレクター」を比較するためのわかりやすい言葉がなかったんじゃないだろうか。
なんとなく、この人は「信頼できる」「信頼できない」というニュアンスでしか語れなかったとしたら、柔軟に動ける人であればあるほど、当人たちのプロ意識も曖昧なところで止まってる人もいるだろうし、世間から評価されにくく「商品価値」として言語化されてないので単純にもったいない。
要するに「私Webデザイナーになるのっ!♪」はあっても「私Webディレクターになるのっ!♪」にはならないということだ。
「Webディレクター」の「ディレクター」とは「監督」という意味
ディレクターは進行管理の仕事ではない。サイトやサービスの成果物に対して適切な身のこなしができることが重要だと考える。
「Webを制作する」という仕事であれば、
・適切なサイト構造
・適切なビジュアルデザイン
・適切な動的システム
が組み合わさっていれば仕事はできるのだから、前にある「お客さまのホームページの需要」と後ろにある「Webデザイナーという専門職」だけを見れば、その間を埋めるWebディレクターの仕事は、確かに「進行管理」で良いということになるのかもしれない。
これはもっともシンプルにWeb制作プロセスのフレームワークとして見た時に切り分けになるだろう。つまり判を押したように、何の応用も進化も思慮もなく、アンケートシートに書いた項目をHTMLに起こすだけのような「Webを量産する」だけなら、「進行管理」するだけで作れるという意味だ。
しかし、実際のところは、今も昔も、
・顧客のビジネスを実現するサイトの提案
・将来にわたって繁栄する運用設計
・新技術を顧客提案に繋げる企画職、アーキテクト的役割
・何よりWebを顧客ビジネスにどう生かすのか?
などの1つ上のレイヤーの役割が求められる。
最低でも切込隊長としての知見や勇気、努力は必要である。Webへのニーズが「ホームページを持つだけ」という時代は終わっているのだから、「Webをどう生かせば費用対効果は適切に得られるのか」という顧客の問いに応えられなければ、「Webなんて作る必要はない」と判断するほうが適切だが、それでは仕事にはならない。
そしてディレクターに聞くと一番大切なのが、
・最後はケツを持つだけの責任感
という言葉を聞く。結局、新しいことや野心的なことやるためには、それを成就するだけの見通しの力と責任感がなくてはいけない。つまり、それだけのスキルが必要だということだ。スキルというのは専門知識という意味ではない。専門知識を持ってる人を集めてきて、自在に協力してもらうというのが本質的なスキルだろう。
で、そういう状況の中で、最後は自分が手を動かしてでも案件を成功させるという気概が大切だとのこと。
最後に踏ん張る覚悟を持った人がいるからこそ、プロジェクトは成功する。
成功請負人としてのディレクター
問題は、こういう役割の人は、なかなかスポットライトを浴びないことだ。基本的に裏方の仕事だからなのだろう。でも、スキルがコモディティ化していき、平準化していく中で、ビジネスの成功のためにも、Webという仕事が楽しい仕事でありつづけるためにも、ディレクターの役割が、「プログラマー」、「UXデザイナー」、「映画監督」みたいに表に出るための言葉が必要だと考える。
「成功請負人」としての評価は個々のディレクターに対して与えられても良いと思う。
WebSigのモデレータにも「フリーのディレクター」という謎の立ち位置の人がいて、どうやって仕事を得ているんだろうか?と謎はつきないのだが、今度、イベントで話してもらいたいな。
この話は、僕がエンジニアtypeの連載で書いている「プロダクトマネージャ的エンジニア」にも通じる話なので、興味を持っている。2014年の未だ持ってWebディレクターの「高い評価」は言語化されてないと思う。
#そもそもWebディレクターの求人が難しいという話がある。WebSigのモデレータ会議の中では、その理由として、特にWebサービス企業では、同じような人材が「ディレクター」という募集はされておらず、「マーケティング」、または、「UXデザイナー」「コンテンツ企画」などのカタチで、ビジネス寄りか制作寄りかで専門職化しているのでは?という議論がされた。いわゆるWeb制作仕事における「Webディレクター」という肩書の人材が、Webをベースとする会社のビジネスマターになった瞬間に違う役職として定義されているという意味である。「ディレクター」は、コンテンツ運用の担当者の役割として呼ぶことが多いと思われる。
参考:
「プロダクトマネジャー」と「職人的開発者」という2つのキャリアパス【連載:えふしん】 – エンジニアtype
以下、昔は悩んでました、という意味で引用
F’s Garage :Webの設計は誰がやるの?(January 02, 2004)
F’s Garage :Webの設計は誰がやるの?その2(January 02, 2004)
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