朝日叩きのファシズム - 池上彰の騒動に軽薄に便乗する左翼・リベラル

朝日叩きの勢いが凄まじく、ファッショ的な様相になっている。facioとはイタリア語で「束」という意味で、高校の世界史で教えられる。ここでファッショ的というのは、右翼だけでなく、左翼やリベラルが池上彰の件に便乗して朝日叩きの隊列に加わり、この問題をめぐる言論状況が「束」となって過熱している図を指す。見ていられない。昨日(9/7)、TBSのサンデーモーニングを見ていたら、後半この問題を取り上げ、岸井成格が朝日を糾弾する場面があった。朝日の池上彰への対応を非難するだけでなく、この問題で朝日は謝罪会見を開けとまで要求していた。呆れたことに、コメンテーターで出演していた田中優子が、この問題に関して一言も言わず、岸井成格の主張に追従して黙って頷いていた。番組の前半、安倍晋三の改造内閣について論議があり、田中優子の発言に期待して注目していたら、何と、批判めいた論評は一切せず、女性閣僚の登用に賛辞を送り、安倍晋三への媚び諂いで終始していた。大学の総長に昇進したら、これほどまでに言論の態度が変わるものか。今、政権と右翼はこの問題で怒濤の攻勢に出ている。もし、朝日が会見で謝罪という始末まで追い詰められれば、国内での慰安婦問題の通念と表象は、右翼のプロパガンダが「真実」となり、すべてが捏造という帰結になってしまう。強制性のない自発的な娼婦事業だったという認識がコモンセンスとして固められるだろう。河野談話の無効化まで押し切られる。

昨日(9/7)は、テレ朝の報ステSUNDAYでも同様の報道があり、星浩が朝日批判をする一幕があったらしい。週末、テレビ報道が朝日叩きで見事に足並みを揃え、朝日は完全に「国民の敵」となった。岸井成格の論調を聞いていると、この問題での朝日叩きの姿勢を鮮明にするのを機に、同時に、安倍官邸に巧くスリ寄ろうという立ち回りの動機が窺われる。安倍政権の成立以来、岸井成格はリベラル方向に旋回し、安倍晋三の右翼性を批判する言論にシフトしてきた。が、昨年の秘密保護法の政局でも負け、今年の集団的自衛権の攻防でも負け、安倍晋三に対して抵抗勢力は連戦連敗が続き、安倍晋三の方は逆に支持率を上げ、岸井成格とTBSとしても、もうこれ以上は対抗姿勢を堅持できず、安倍晋三を支持するマジョリティの側に立ち位置を寄せようという風見鶏の思惑があったのだろう。昨日(9/7)、日曜午前、TBSとテレ朝の二つの報道番組で同時に朝日批判の砲火が上がったのは、おそらく、岸井成格と星浩のコンビが裏で示し合わせての政治の動きだ。由々しき状勢だが、暗黒の事態はそれだけではない。ネットを見ていたら、水島宏明が、池上彰を絶賛して朝日を叩く記事が目に入った。テレビ屋から法政大教授に転身した男だが、左翼の論者の一人である。反貧困ネットとワークの世話人だ。反貧困ネットワークは、湯浅誠の引退と離脱に伴う最近の人事で、事務局長と副代表の幹部職制を廃止、4人の世話人体制に移行している。

朝日と池上彰とのトラブルが表面化して以降、江川紹子など、非右翼系のマスコミ論者による朝日批判が猛然と起こり、巨大な津波となって高揚し、先週後半、リベラルもしくは左翼と目される言論人たちが、我も我もと「ジャーナリズムの正論」を振りかざして朝日バッシングの野次馬の群れに加わった。まさにこれこそ、ファッショ(束)の状況と呼ぶべき政治現象だろう。朝日を弁護する余地はない。その理由も根拠もない。だが、ここで無理に朝日叩きに便乗する必要はなく、朝日叩きの火に油を注ぐ必要はない。左翼やリベラルが、わざわざ右翼に協力して朝日を責め立て、朝日を窮地に追い込む運動に加勢する必要はない。現在の政治状況を考えれば、それは日本の市民社会の環境悪化と政治反動に手を貸す行為だ。無用で不要な愚行である。ここでリベラルがとるべき態度は、憂鬱なる沈黙と忍耐というものだろう。口を開く必要はないのだ。8月にNHK-BSで『ヒトラー 権力掌握への道』という放送があった。France 2が制作した2夜連続の大型歴史ドキュメンタリーで、実に見応えがある素晴らしい番組だった。未見の人はオンデマンドで視聴して欲しい。有料の価値がある。50分x2の100分間、たっぷりとヒトラーの生映像とつき合う。番組は、30年代のドイツの労働者が左翼政党から離れ、ナチスに吸い寄せられた過程をクリアに説明していた。朝日と池上彰との事件と、その後に発生した左派による朝日への集団リンチを見て思うのは、このドイツの歴史である。

ファシズムは、右が上から威圧的に押し被さって強制で固められるのではなく、左が下から呼応して行き、左右が渾然一体となって体制化されるのだ。左翼とリベラルが右翼と共闘し、朝日への包囲網を強め、朝日の経営陣を弾劾し、朝日から読者と広告主を奪えば、当然、朝日は安倍政権に屈服せざるを得ない。従来の論調と立場を転換し、右翼勢力に迎合し、読売の路線に近い位置で生きざるを得ない。右翼寄りの人間が経営を牛耳るようになる。NHKと同じ組織になる。これまで、右翼はずっと朝日を目の敵にして叩き続けてきた。記者を殺害してまで圧力をかけてきた。右翼にとって、朝日は目の上のたんこぶであり、日本の政治とイデオロギーを支配するのに不都合な存在だった。排除すべき障害だった。朝日は常に右翼の敵であり、テロの標的であり、口を開けば罵倒して脅迫する対象だった。戦後一貫してそうであり、80年代以降、どれほど朝日が右に寄っても、世の流れに阿って転向を遂げても、右翼は満足せず、容赦せず、もっともっと右へ寄れと朝日を棍棒で追い立て続けてきた。朝日を叩くこと、朝日叩きの常套句を暗記し連呼することが、職業としての右翼のルーティンワークの一つである。そのことは日本では中学生でも常識だ。そういう現実の中で、左翼とリベラルが池上彰の一件に無分別に便乗し、右翼に同調して朝日叩きの舌鋒を振るうことが一体どういう意味になるのか。どういう影響を導き、どういう政治的結果を連鎖させるのか。ファシズムの助長ではないか。

経験から話そう。18年前、私は朝日の「声」の欄に投書したことがある。BS放送が多チャンネル化することについて、情報過多にで市民感覚が麻痺するのではというの警告の一般論を朝日の社説が書いていて、それに反論の投書をした。マルチメディアが言われた時代で、朝日の社説は、言わばオールドメディア側の弊害注意論だった。中味は省略する。それは、初めての大手紙への投稿だったが、若い私には文章力の自信があった。すぐに編集部から電話がかかってきて、掲載してやると言う。読者の投書を紙面採用するとき、編集部は必ず本人確認の手続きをする。氏名、年齢、住所、職業を確かめられた。が、同時に、そのとき内容の「編集」もするのである。新聞の読者の投書の多くは、掲載に際して編集者が修正加工を施している。よく見れば簡単に分かるが、多くの場合、長い文章を削られてコンパクトに処理されている。朝日の「声」の投書を読みながら、添削される前の文章を復元して想像することがよくある。投書した側としては、削除を承認したくない記述があるのに違いないが、編集者とのやり取りの中で妥協し、採用される方を選んでいるのである。私の場合、朝日の社説に対する批判が多く含まれていたため、こことここの部分を削ってくれ、こういう表現に変えてくれという具体的な注文が矢継ぎ早に出された。18年前も今も私は無名だが、18年前も今も気性は同じである。私が朝日の要求に応じるはずがなく、つまり、池上彰と同じやり取りになり、激しい応酬の末に拒絶の顛末となった。

お断りしますと、最後は私の方が電話を切った。言葉を荒げて受話器を叩きつけてやった。思えば、これまで何十回、こんな感じの電話のガチャ切りを重ねてきたことだろう。普通の人の何十倍もやってきたから、その罪の報いを受け、漱石の『坊っちゃん』の人生と境遇になっている。反省しても遅い。電話の向こうの編集者の態度は横柄だった。添削されることについて、私は予め覚悟はしていたのだが、編集者の態度があまりに傲慢だったため、妥協して表現を変える気が一瞬で失せたのだった。その体験から察せられ、そして、今回の池上彰の事件について視点となり得る問題提起をしたい。朝日叩きに興じている左翼やリベラルの盲点でもある。それは、要するに、新聞社というものは、こんな具合に、紙面に誰かの文章を掲載するにあたっては、必ず新聞社側に都合がいいように添削と編集をしているということである。例外はない。それは新聞の標準プロトコルだ。無名の者が「声」に投書して採択されるときも、大学教授が論説を依頼されて紙面に載るときも、必ず編集者の手が入っている。校正が入り、編集者の意に沿わぬ余計な部分がカットされたり、不具合な表現が変更されたり、それは日常茶飯事のことだろう。売れっ子の大学教授とか、著名なフリージャーナリストでも、それは当たり前のことで、原稿と紙面の生産現場の通常のプロセスである。紙媒体のシステムの常態だ。そもそも著名な論者なる者は、最初は無名だった者が、マスコミに拾ってもらい、売り出しの機会を作ってもらって出世した者だ。

つまり、彼らは、朝日の紙面に掲載させてもらえる仕事をもらい、大喜びで原稿を下書きし、編集者に送ってチェックを頂戴するのである。編集者の言うとおりに書き直して、朝日好みの記事に仕上げ、完成版を刷って配ってもらい、そうやって有名人に成り上がった者である。マスコミの後押しのおかげで言論の商売人になった者たちだ。著名論者はタレントであり、編集者はプロデューサーである。朝日に顔を出して売ってステータスを得た者たちは、例外なく、最初は朝日の編集部の指図どおりに原稿を改変している。その「努力」を積み重ね、朝日のお気に入りの立派な「朝日文化人」に仕上がるのだ。紙面に活字にして載せる社外からの主張は、無名読者の投書にせよ、著名論者のコラムにせよ、基本的に新聞社の編集部の代弁である。論説幹部が書く代わりに、飼っている「朝日文化人」や「読売文化人」が出るわけだ。池上彰も、そのビジネスの慣習の例外にあるとは思えない。池上彰と朝日の今回のトラブルの内実を見ると、朝日の編集者の油断と鈍感が看取できる。日頃の馴れ合いの関係があり、編集者は、いつものように気安く原稿の改変を依頼したのだ。二つ返事で応じてくれると思ったのだろう。狡猾な池上彰が、ここぞとばかり機を狙い、朝日叩きの挙に出て、内幕を暴露して騒ぐ作戦を仕掛けたのである。周到で巧妙な政治の手口だ。油断して裏切られた朝日の完敗である。蛇足ながら、マスコミと論者、出版社と作家とのそうした関係の断面とか軋轢は、辺見庸が前に「花は咲く」の一件で告発した件からも了解できる。

それでは、なぜ、朝日は8/5になって突然、32年ぶりに慰安婦の問題について訂正を発表するに及んだのだろう。誤報を認める方針を決めたのか。ネットでは様々な推測が上がっているが、まだ提出されていない独自の見解を披露したい。幾つかの要因がある中で、おそらく重要な一つは、韓国政府へのメッセージだと思われる。前からブログの記事で指摘してきたことだが、朝日はこの1年半ほど、日本政府と韓国政府の間に入る役回りを演じている。極右化した日本の対韓外交と、日本を警戒する韓国の対日外交の間に入り、双方に妥協を要請し、とりわけ外務官僚の下請けとなって、青瓦台に「頑なな日本批判やめよ」というメッセージを発信し続けている。この1年半ほど、朝日の社説には、どう見ても日本の読者に向けた説諭ではなく、韓国政府に読ませる手紙のようなものが散見された。日本の政治と社会をよく知る韓国は、朝日が日本の言論界でどういう位置にあるかを熟知しているし、朝日とNHKの報道には注目している。韓国の政府と市民からすれば、朝日の言論は日本の動きを読む上での重要な指標だ。その韓国社会への「影響力」を自覚した上で、朝日は韓国に調略を仕掛けており、早く首脳会談に応じろと催促し続けている。言うまでもなく、日韓の政府間に横たわる難問は慰安婦問題であり、要するに日本政府の妥協が打開のカギである。その妥協を引き出す外交が、安倍政権では困難だから折れろと、獲得目標のバーを引き下げろと、朝日はずっとその趣旨を韓国に対して打診してきた。諦めろと、これ以上粘るなと、パフォーマンスの首脳会談に応じろと。

そう韓国に訴え続け、なかなか首尾がはかどらず、韓国側の歩み寄りを引き出せず、結局、しびれを切らして、言わば「身を切る戦略」に出たのに違いない。つまり、自ら吉田証言の虚偽を認め、その既成事実を作り、日本国内の慰安婦をめぐる世論を右翼方向に旋回させ、もう慰安婦問題での日本側の譲歩は無理だと、そう韓国政府に悟らせようとしたのではないか。これが私の推理である。8/5の朝日の訂正報道は突飛だった。その決断をどうしても今やらなくてはいけないほど、朝日は国内で追い詰められた状態にはなかった。知らんふりしてすっとぼけ続けることに、特に不具合はなかった。ジャーナリズムの良心から、誤報を犯したままシラを切っていることへの慚愧の念に耐えられず、正直で謙虚な告白に出たとは思えない。朝日はそんなナイーブな良識派の集団ではない。倫理上の自責に呻吟するような、精神の純粋無垢な集団ではない。学閥(東大)が仕切る朝日は、言わば霞ヶ関の一部であり、「新聞省」の官僚貴族の集団である。面の皮は厚さは尋常でない。また、吉田証言の過誤と失態が原因で、朝日が販売部数を落としているという事実もない。経済的市場的な要請からの行動でもない。それは右翼のデマであり、一般に向けての右翼の宣伝工作である。朝日の今回の訂正報道の挙には、それとは違う別の動機がある。別の動機として最も正鵠を射ていると思われるのが、韓国政府への政治メッセージという意味である。外務官僚の下請け機関として、日韓外交を打開する一助として、安倍晋三と米国と外務官僚に貢献するべく、このリスクの多い「身を切る」決断に出たのだろう。

いずれにせよ、良識だの良心だののスローガンを錦の御旗にして、左翼やリベラルが調子よく池上彰の事件に便乗し、朝日叩きに狂奔する言論のファシズムを看過することはできない。



by yoniumuhibi | 2014-09-08 23:30 | Trackback | Comments(4)
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Commented by 旅マン at 2014-09-08 19:18 x
新聞社の世界的な位置付けにも触れているし、やっと熟読するに値する問題提起を見つけたってのが、正直な感想です!
私自身、朝日のグダグダぶりはワイマールの社民党みたい、それに毎日と東京中日新聞の他人事、特に毎日がひどいと別の場所でコメンしたこともあったが、サンデーモーニング…見逃したはある意味幸いだった。見たらブチキレていたはず(笑)。
雑誌全般は『売らんかな』で嫌中嫌韓ではしゃいでいるが、毎日などは僕ちゃんいい子で朝日講読者を切り崩したい、その程度だろう。これがどんだけ極右のデマを正当化させるか?
これこそ、平和への罪。
しかし、池上彰のこの記述、たかたが知れている。この程度にぐずって拒否した朝日の思惑が微妙だった。
元来、極右メディアのありがたい広告代で毎度ありな朝日にしてみれば、こんな緩い批評、どこを恐れる必要があったのか?
そこを日常の編集やり取りでのトラブルと指摘したblog主、見立てリアリティ大!
私も高三と一浪時代で、二年続けて朝日に
載ったので【二打数二安打(笑)】、書き換えの仔細のやり取りは実感できた。
子供相手か、横柄ではなかったが(笑)。

Commented at 2014-09-08 20:10 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by  nerine at 2014-09-08 20:29 x
TVがないので、殆ど見ることがなく、清々しい。新聞も嘘半分の気持ちで読まなくてはならない。TVに出ているものが政治と社会を操っている。なぜ、こういう三流のまやかしものたちに一票を入れたがるのだろうか。
南京大虐殺記念館もあり、元慰安婦の方の証言も多々あるのに、どうして「なかった」と言いはるのだろうか。
このブログだけが真実の拠り所である。
Commented by tokyoletter at 2014-09-08 21:10 x
沈黙を無抵抗と位置づけるのは、一面的ですね。ファシズムの時代は、流れにのっておおいに発声するのだと思いました。自分はいつも大手メディアに迎合してるのに、こういうときだけカマトトぶって迎合している出演者に、私も腹がたちました。
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