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昭和天皇の生涯のできごとを記録した昭和天皇実録を、宮内庁が公表した。 …
昭和天皇の生涯のできごとを記録した昭和天皇実録を、宮内庁が公表した。
昭和天皇にかんする公的資料はもともと限られており、研究や検証は、公刊された側近や政治家の日記やメモ、米公文書などをもとに進められてきた。
公表された実録は、天皇の動静を包括的に編集した宮内庁の公式記録といえ、これからの議論の足がかりになる。
ただし天皇の発言の直接引用はほとんどなく、できごとを年代順に淡々と記したものだ。
各地への行幸や視察については細かい記述があるが、戦争をめぐる自らの責任や退位をめぐる言動などについては、宮内庁の慎重な姿勢がうかがえる。
たとえば、東京裁判に向けて退位について考えていたことは木戸幸一内大臣の日記などで知られているが、実録では、退位で戦争責任者の引き渡しを止められるかどうかを木戸氏に尋ねた、との記載があるだけだ。その胸中の揺れは見えにくい。
靖国神社がA級戦犯を合祀(ごうし)したことについて不快感を示したとされることも引用はせず、報道した日経新聞の記事にふれるにとどめている。
こうした点について、宮内庁は原則的に複数の資料で確認できたことを記載するとの編集方針を説明している。
大正天皇実録の公開にあたっては、一部が黒塗りにされ、話題になった。今回、黒塗りの部分はないが、記述の適否を慎重にみきわめた結果ともいえ、あくまでも宮内庁がみた昭和天皇の記録ととらえるべきだ。
実録は、公表に先立って先月、天皇に献上された。重い歴史の引き継ぎでもある。
昭和の時代が教えるのは、選挙で選ばれていない世襲の元首を神格化し、統治に組み込んだ戦前のしくみの誤りだ。その反省から形成された現代の社会を生きる私たちは、絶えずその歴史に向き合い、議論を深めていく必要がある。
実録をまとめるために使われた膨大な資料は、そうした議論の素材となりうるものだろう。終戦直前の侍従長の日記など、これまで知られていなかった新資料も約40点あるという。
そうした資料は宮内庁だからこそアクセスできるもので、その収集、記録や管理を担う責任は重い。
実録の中では、原典が明示されない記述や、公開されない資料の引用もある。提供者や遺族の意向の制約はあるだろうが、国民の幅広い研究と検証のために、可能な限り、一次資料を公開する姿勢をみせてほしい。
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