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政治
【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】朝日新聞はどう報じたか 初登場昭和55年3月7日付横浜版、女性強制連行の言及なし
この55年3月の記事に慰安婦という言葉や女性の強制連行に関する言及はみられない。出てくるのは、労務者として吉田が狩り集めた「農作業中の男」「20歳代前半の若者」「15、16歳の少年」「50歳近くの男」らだ。
それから2年半後の57年9月2日付で朝日は、吉田が証言する女性の「強制連行」の“実態”を報じた。記事は「朝鮮の女性 私も連行」「暴行加え無理やり」の見出しで、18年の初夏に、済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』とする吉田の講演内容を伝えたものだった。
吉田は、その1カ月後の57年10月1日付朝日新聞朝刊にも登場する。「朝鮮人こうして連行」「壮年男子根こそぎ 集落包囲、殴りつけ」の見出しが付けられた記事は、ロシアのサハリン残留韓国人・朝鮮人の帰還訴訟で、証人として吉田が語った朝鮮人強制連行の模様を報じた。
さらに58年の秋から冬にかけ、朝日は立て続けに3回、吉田を登場させた。
「韓国の丘に謝罪の碑」の見出しの10月19日付夕刊記事は、「『徴用の鬼』と呼ばれた」と自称する吉田が韓国に謝罪の旅に出かけ、謝罪碑を建立することを紹介。11月10日付朝刊の「ひと」欄は、「強制連行、初めて知りました」との声を吉田に寄せた中学三年生がいたとし、「朝鮮人を強制連行した謝罪碑を韓国に建てる」人物として、吉田を取り上げた。
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